第16話 まさに百年に一度のメイド

「いかがでしょうか、メイド長? 合格ですか?」

「っ……す、少しお待ちなさい。今すぐチェックをいたしますわっ」


 呆然としていたエリザベスは、セルアの声でハッと我に返ったようで、慌てて部屋の中の確認を始めた。


 こんな短期間で掃除を完璧に仕上げるなんて、できるはずがない。

 なにせ五分以内という条件でさえ、いきなり高難度すぎるものだったのだ。


 もちろん一人前のメイドならば可能な記録だが、さすがに初日のド素人に求めるのは酷だ。

 どこか舐めた様子の新人メイドに仕事の厳しさを教えてやるため、エリザベスはあえてそうした高い条件を提示したのである。


 なのに五分どころか、僅か一分で終えてしまったのだから、エリザベスとしては困惑するしかない。


 もしかしたらどこかに見落としている部分があるかもしれない。

 そう思って、エリザベスは部屋の隅から隅までを必死になって調べた。


「……も、問題、ありませんわ」


 そうして出た結論がそれだった。


「合格でしょうか?」

「……え、ええ。もちろん、合格ですわ……」


 これが合格でなければ、恐らく今この王宮にいるメイド全員が不合格になってしまうだろう。


 しかも彼女はなんとたった数十秒、手引書に目を通しただけでこれをやってのけたのだ。


(ま、まさかこんな逸材が世に埋もれていたなんて思いませんでしたわ……! メイドとしての才能は、あたくしを遥かに凌駕してますの……! まさに百年に一度のメイド! まるでメイドをやるために生まれてきたような方ですわっ!)


 などと、エリザベスは心の中で最大級の賛辞を贈る。


 一方その百年に一度のメイド当人はというと、


(あああっ! 早くあの子に会いたいっ! だけどそのためには早く仕事をマスターしなければ! たった二十枚を覚えるのに二十分もかけられるわけありませんよ!)


 相変わらず息子のことしか頭になかった。


 そう。

 ただただ息子に会いたいがために、彼女は驚異的な集中力を発揮し、ほんの数十秒で手引書の内容を暗記し、その通りのことを完璧にこなしてみせたのである。


「メイド長」

「どうされましたの?」

「よろしければ今から手引書をすべて見せていただくことはできませんか? 早いところ覚えてしまいたいのです」

「っ!?」


 このときエリザベスは思った。


(わたくしは完全にこの方を誤解していたようですわ! こんなにもメイドの仕事に強い意欲と熱意を燃やしておられたというのに……!)


 もちろんセルアにそんな気などさらさらない。


「分かりましたわ! ぜひ頑張ってくださいまし!」

「は、はい……?」


 急変したエリザベスの態度に、セルアは首を傾げた。


 それからセルアは山のような量の手引書を預かり、次々と目を通していった。

 そして通常であれば、すべて丸暗記した上で実際にその通りにこなせるまで、最低でも半年はかかるところを、僅か二日でマスターしてしまったのである。






「アンナ室長」

「はい」


 メイド長エリザベスに名を呼ばれて、アンナは背筋を正した。


 メイドたちは宛がわれた寮の部屋によって最大十人からなるチームを組んでおり、そのチーム単位で仕事をしているのだが、アンナはその内の一つにおいてリーダー、すなわち室長を務めていた。

 その能力は高く評価されており、エリザベスからの信頼も厚い。


「明日からあなた方の部屋に一人、新人を配属させることになりましたわ」

「あ、明日からですか?」


 突然の通知に、アンナは困惑の表情を浮かべる。


 現在、新入りメイドの研修をエリザベスが進めているという話は聞いていた。

 だが彼女の研修は非常に厳しく、どんなに優秀な新人であっても、一か月はチームへ配属されることはないはずだった。


「まだ最初の教育段階なのではありませんか……?」

「いいえ、それは本日で修了いたしましたわ。明日からは正式なメイドとして、あなたたちと同じように働いていただきます」

「っ? そ、それはつまり、新人教育は必要ないと……?」


 通常、チームに配属されても、そこで室長を中心とした先輩メイドたちから指導を受けることになっていた。

 一人前のメイドとして認められるまでは〝メイド見習い〟として扱われるのだ。

 その期間は短い者でも半年、人によっては一年かかることもある。


 しかしエリザベスは、その新人を最初から一人前として迎え入れろという。


 当然ながらそれを先輩メイドたちが納得できるはずもない。

 アンナ自身、見習いを卒業するまで寸暇を惜しんで必死に努力したものである。


 ……が、今はその気持ちをぐっと抑えて、アンナは殊勝に頷くのだった。


「畏まりました、メイド長」






「ククク、どんな奴か知らねぇが、このアタシの部屋に配属されちまうことになったのが運の尽きだぜ」


 そう口端を歪めて嗤うのは、行儀悪く胡坐をかいて座る王宮メイド。

 アンナだった。


 メイド長の前での生真面目な姿はどこへやら、今や完全に被っていた猫を脱ぎ捨てている。

 これこそが彼女の素なのである。


「にしても、あの仕事の悪魔ともあろうメイド長サマが、まさか身内には甘かったなんてよォ」


 新人がメイド長の親族だという話を聞いていたため、アンナはそう解釈していた。


「まぁその分、虐め甲斐がありそうで楽しみだけどなァ」


 蛇のように舌舐めずりしたとき、アンナの身体がぐらりと揺れた。

 チッ、と彼女は苛立たしげに舌打ちする。


「おい、なに揺れてやがんだよ? テメェはアタシの椅子だろうが、なぁ?」


 ――パンッ!


「……ひぎっ」


 小気味よい音が響き、同時にそんな呻き声がアンナの尻の下から聞こえてくる。

 そこには半裸で四つん這いとなり、アンナの椅子と化している女性の姿があった。


「も、申し訳ございません、アンナ様……」

「ヒャハハハッ、テメェもこの部屋にきた当初はお高く留まっていやがったのによォ? 今やすっかりアタシの言いなりだよなァ?」

「は、はい……アンナ様……」


 この部屋において、アンナは王として君臨していた。

 誰一人として逆らう者などおらず、すべてが彼女の思い通り。


 王宮メイド長のエリザベスから高く評価されている彼女だが、実はのメイドたちを手足のように扱うだけで、彼女自身はほとんど仕事などしてはいないのだった。


「どんな奴だろうと、このアタシが完璧に調教してやるぜ」

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