第17話 もちろん埋めておきました
「失礼いたします」
扉をノックして、セルアは部屋の中に入った。
そこは王宮メイドたちが寝起きする寮の一室だ。
一室と言っても、王宮に仕える彼女たちは家柄も高いため、大きなリビングを中心にそれぞれの個室が用意されているらしい。
「本日よりこの部屋に配属されることとなりました、セリーヌと申します。よろしくお願いいたします」
スカートの端を摘まみ、軽くお辞儀をする。
顔を上げた彼女へと、部屋にいた女性たちが探るような視線を向けてきていた。
それだけで、どうやら自分はあまり歓迎されていないようだと、セルアは悟った。
とそこへ、比較的年嵩の女性が彼女の下へと近づいてくる。
一見すると真面目で温和そうな雰囲気だが、彼女が動くなり部屋の中に緊張が走ったのをセルアは察した。
「私はこの部屋の室長を務めているアンナよ」
「話は伺っております」
セルアは改めて頭を下げる。
「これからよろしく致します、アンナ室長」
「ええ、こちらこそよろしくね、新人サン?」
その口振りに明らかな悪意が込められていたことに、もちろんセルアは気づいていた。
王宮メイドたちの朝は早い。
まだ鶏が鳴き始める前の暗い時間から起き出し、それぞれの仕事に取り組み始める。
だがアンナだけは例外だった。
個室の寝台の上で大欠伸をしながら起き上ったのは、もうとっくに日が昇ってからのことである。
それからたっぷりと時間を使って身支度を整えると、ようやく私室を後にする。
しかしやるべきことはすべて同室のメイドたちがやってくれているため、彼女の仕事と言えば、それをチェックするだけだ。
「おいこら、まだここ汚れてるじゃねぇか。やり直せ」
「は、はいっ」
なのにその指摘は厳しい。
もちろんそうしなければ自分がメイド長に叱られてしまうからである。
「あ、あの……アンナ様……」
「どうした?」
そこでアンナは同室のメイドから聞き捨てならない報告を受けた。
「なにぃ? セリーヌの姿が見当たらねぇだと? いつからだ?」
「す、少なくとも一時間前にはもういませんでした……」
アンナは思いきり顔を顰める。
「まさかあの新人、配属初日から仕事をサボったってのかよ?」
まずは様子見も兼ね、今日はそれほど難しくはない割り当てておいたのだ。
だがそれすらも終わらせることなく、いなくなってしまったというのである。
「クソ、エリザベスめ。いくら何でもそんな奴を王宮メイドにしちまうなんて、一体なに考えてやがんだよ?」
自分のことなど完全に棚に上げて、アンナは吐き捨てる。
と、そのときだった。
「あ、アンナ様っ、いました! 戻ってきました!」
言われて視線を向けると、平然とした態度でこちらへと歩いてくる新人メイドの姿があった。
アンナは彼女の前に立ちはだかる。
「割り当てた仕事もしないで一体どこに行っていたのかしら?」
まだ本性を表すのは早い。
アンナは怒りを押し殺して、偽りの仮面を被って問い詰める。
「……? もちろん仕事はしっかりとやりましたよ?」
相手はこともなげに言った。
アンナの額に堪え切れない青筋が浮かび上がる。
「嘘はやめなさい。一時間も前からいなかったと、他の子が証言しているのよ。それで仕事ができるわけないじゃない」
「……本当に終わらせたのですが。いえ、見ていただいた方が早いですね」
「っ……そこまで言うのなら、見せてもらおうじゃない」
そうしてアンナと新人メイドがやって来たのは、綺麗な花々が咲き誇る庭園だった。
王宮内にはこうした美しい庭園が幾つもある。
それらの日常的な管理、たとえば雑草抜きや水やりとなどといったことも、王宮メイドたちの仕事の一つだった。
内容は簡単だが、特に雑草抜きなどは手間がかかる面倒な仕事だ。
それに体力も使う。
メイド長のエリザベスは非常に厳格なので、ほんの少しでも雑草が残っていたりすると許されなかった。
そしてどんなに必死にやったとしても、必ずどこかしらに見落としがあるもの。
本人はちゃんとやったつもりかもしれないが、探せば毟り忘れた雑草が見つかるに違いない。
アンナはそう確信しながら、目を皿のようにして庭園内を巡り――
「……か、完璧だ」
――一切、発見することはできなかった。
「はい。ちゃんとやりましたので」
「っ……」
一本でも雑草があればよかったのだが、これでは何も咎めることができない。
アンナは悔しげに奥歯を噛む。
「だ、だけど、他にも仕事を割り当てていたわよね? そちらがまだ終わっていないというのに――」
「いえ、そちらも終わりました」
「――は?」
「本当だ……」
アンナは信じられない思いで立ち尽くしていた。
新人メイドに割り当てておいたもう一つの仕事。
それは王宮に務めている官僚たちが利用する会議室の掃除だった。
磨き抜かれたテーブルに、髪の毛一つ落ちていない絨毯。
窓ガラスも新品同様の輝きを放っている。
「ちょ、ちょっと待って。絨毯のこの辺りに染みがあったはず……」
「それなら取っておきました」
「一体どうやって!? 古い染みで、どうやっても取れなかったはずよっ?」
「ミクリ草のエキスを使えば簡単に消えますよ?」
さも当然とばかりに言う新人メイドに、言い返す言葉が出なくて、アンナは口をパクパクさせた。
王宮メイドの彼女にすらそんな知識はない。
「か、壁のこの辺りに空いていた穴は?」
「もちろん埋めておきました」
「埋めておきましたじゃねぇよ!?」
こうした壁の修復は本来、専門家を呼ばなければ直せないものだ。
思わず素の言葉使いが出てしまうアンナ。
ハッとなって、慌てて誤魔化すように咳払いしてから、
「ふ、ふん、それなりにやれるみたいね」
虚勢を張って偉そうに鼻を鳴らす。
「だけど、今日は初日だからあえて簡単な仕事を任せただけ。明日からはもっと大変になるから覚悟しておくことね」
しかし結局それだけしか言うことができずに、アンナは逃げるように新人メイドを残して立ち去るのだった。
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