第15話 もう覚えましたので
エリザベスの推薦によって、セルアはすんなりと王宮メイドとして勤務できることになった。
親戚の娘であるというのは真っ赤な嘘なのだが、それを疑う者は誰もいなかった。
それだけエリザベスの普段の働きが評価され、周囲からの信頼を得ているということである。
「それでは、セリーヌさん」
「はい」
そうして二人は今、王宮内のとある一室で向かい合っている。
もちろんセリーヌというのはセルアの偽名だ。
「これよりレッスンを始めたいと思いますわ」
そう厳しい口調で告げるエリザベスは、己のフィールドへと戻ってきたことで、〝仕事の悪魔〟として怖れられているいつもの調子を取り戻しつつあった。
先日きっぱりと釘を指しておいた通り、王宮メイドとして務める以上は、容赦なくそれに相応しいレベルを要求するつもりである。
そこに到達するには、どんなに要領の良い者であったとしても半年はかかるだろう。
何せ王宮での仕事は細々とした決まりごとが多く、それら膨大な量を完全に記憶しておかなければならないからだ。
「まずは最初にやるべきなのはこちらですわ」
言って、エリザベスが新人メイドへと突きつけたのは書類の束。
「これは……?」
「マニュアルですわ」
それは王宮メイドのありとあらゆる仕事を記した手引書であった。
「わたくしが初心者にも分かりやすいよう、仕事を体系化してまとめたものですわ。これをすべて読めば、
エリザベスがメイド長として行った最大の革命がこれだった。
それまで口伝で先輩から後輩へと教示されていたが、それではどんなに気をつけていても必ず抜けが出てしまう。
あるいは指導者の質によって、新人ごとに差が付いてしまうことも課題だった。
だがこうして手引書を使って教育するようにしたことで、全体の底上げがなされ、しかも代が変わっても高い質を維持し続けることができるようになったのである。
セルアが受け取ったのは、びっしりと文字で埋まった二十枚もの紙。
「もちろん、ここにあるのはほんの一部ですわ。……そうですわね。これくらい二十分で丸暗記できなければ話になりませんわ」
エリザベスはこともなげに厳しい要求を突きつける。
身分はともかく、目の前の新人は容姿としては申し分ない。
しかし王宮メイドたるもの、見目の良さだけでは不十分。
相応の知能が求められるのである。
いきなりの難題をどう思ったのか、手引書を、ぱら、ぱら、と静かに捲るセルア。
「では二十分後に再び参りますので、それまでに頭に叩き込んでおきなさい。しっかりと覚えたかどうか、テストを致しますわ」
そうして踵を返し、エリザベスは部屋を出ようとした。
が、そのとき、
「今すぐで構いません」
セルアは手引書から顔を上げ、呼び止めたのだった。
「もう覚えましたので」
「……はい?」
メイド長は呆けたようにその場に立ち尽くした。
冗談を言ってきたのかと思ったらしく、彼女は眦を吊り上げて、
「セリーヌさん。最初に申し上げましたわ? わたくしの求める水準で仕事をしていただく、と。たった数十秒程度、手引書を流し読んだだけで、それが成せるとでも?」
「はい、できます」
セルアはこともなげに断言してみせた。
「っ……」
あまりに堂々とした態度だったので、さすがのエリザベスも少し怯んだが、すぐに挑むような目になって言い放った。
「ならば今すぐやってみせてくださいませ。テストですわ」
そうしてセルアが連れていかれたのは、とある棟。
長い廊下に幾つもの扉が並んでおり、王宮内においては珍しく華やかさに欠けた武骨な印象を受ける。
「王宮騎士団の宿舎ですね」
「……その通り。よく分かりましたわね?」
「手引書に書いてありましたので」
先ほどセルアが読んだ手引書(エリザベスが言うには全体のごく一部だが)は、王宮騎士団の寄宿舎の管理に関するものだったのだ。
騎士たちは二人一組で一つの部屋を利用している。
エリザベスは手前にあったドアを開きながら、
「あなたのテストのため、この一室だけ掃除をせずに残しておきましたわ」
部屋の中は確かに酷く汚れているようだった。
あちこちに散乱する衣服に、シーツの乱れたベッド。
飲みさしのコップなどが放置され、すえた汗の匂いも漂ってくる。
高貴な印象を持たれている王宮騎士団だが、その団員はガサツな男ばかりだ。
さすがに王宮内ではきっちりと身なりを整えているが、こうしたプライベートな空間ではこんなものなのだろう。
「今から五分以内にここを完璧に掃除していただきますわ。やり方は問題ありませんわね?」
「はい」
未だ不信げなエリザベスの脇を通り抜け、セルアは室内へと足を踏み入れる。
「では、始めなさい」
エリザベスの合図を受け、新人メイドは動き出した。
そして、
「……な?」
仕事の悪魔と恐れられたメイド長は、とんでもない光景を目の当たりにしたのだった。
たった数十秒程度、手引書を読んだだけ。
だというのに、新人メイドはまるで迷う素振りすらなく、やるべき作業一つ一つを完璧にこなしていくのだ。
しかも、怖ろしく速い。
エリザベスですら敵わないほどの圧倒的な手際の良さ。
見る見るうちに汚れが消え、ベッドが整い、散乱物が片付けられていく。
脱ぎ捨てられた衣服はまとめられて専用の袋に放り込まれ、いつの間にか全開になった窓から涼しい風が吹き込んでくる。
そして澱んでいた空気が一掃された頃には、あれだけ汚かった部屋が熟練のメイドによる掃除と何ら遜色のないレベルで綺麗になっていた。
「終わりました」
そう平然とセルアが告げたのは、掃除開始から僅かに一分。
エリザベスが過去に教育してきたどの新人メイドと比較しても、ダントツの最短記録だった。
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