第12話

「え……なにこれ」

 冷却魔法や、雪原の死神すら比にならないほど強い力の脈動。

 アインハルトは気付いていないのか、真剣な顔で緊急避難の準備をしていた。

「もしかして……」

 そこでレイラは、自分の腰にいた魔剣を見た。

 鞘に収まったままでも分かる、凄まじい脈動。

「……認めてくれるの? 私のこと」

 問いかけると、答えるように再び魔剣はどくんと脈打った。

「……ありがとう。力、貸して」

 レイラは立ち上がり、すらりと音を立てて魔剣を鞘から引き抜いた。

「レイラ? おい、何してる」

 そんな自分に、アインハルトが不思議そうな目を向ける。

 けど、レイラは力強く頷いて、剣を構えた。

「大丈夫。私がなんとかするから」

 そう宣言して剣に魔力を込めると、灰色だった刀身が真っ赤に輝き始めた。

「『赤熱の魔剣』が……!」

 アインハルトが、驚いたように目を見開く。

 レイラの魔力を呼び水として、『赤熱の魔剣』に内包された魔力が外界に溢れ始めた。

 その名に相応しい、赤い蒸気のような魔力がレイラの周りを包む。

「うっ……くっ……!」

 思わず、レイラは苦悶の声を漏らす。

 まるで暴れ馬だ。一歩でも間違えれば、この遺跡ごと吹き飛ばしかねない。

 自分が継承したのは、これほどデタラメな怪物だったのか……!

 レイラの魔力だけで、この暴れ馬を制御できるだろうか?

 いや、そんな弱気な考えは邪魔だ。必ず制御してみせる……!

「馬鹿。一人で背負うな」

 ふと、後ろから抱き締められるように包まれた。

 凍てつくような吹雪から守ってくれるような体温と、柄を掴むレイラの手に重なる、大きな手のひら。

「俺が支える。思いっきりやれ」

 すぐ側にある顔が、頼もしげな笑みを作る。

 それを見て、言葉にならない勇気が湧いてきた。

「……うん! 任せて!」

 二人の魔力が入り交じり、魔剣に伝わる。

 その瞬間、暴れ馬の力が正しい方向に導かれ、自分の手中に収まった感覚があった。

 今ならやれる!

「灼熱の風にて災いをはらえ――『赤熱の魔剣』!」

 息を合わせて剣を振るった。

 瞬間、熱を宿した赤い魔力が放射状に放たれる。

 吹雪を真っ向から食い破る赤い渦。

 それらが遺跡の空間全てに広がり、熱膨張により凄まじい突風と蒸気を巻き起こしながら冷却魔法を消し飛ばした。

「う……きゃあ!?」

「うおっと!?」

 同時に、反動でレイラとアインハルトは吹っ飛ばされてしまう。

「いたた……」

「大丈夫か? レイラ」

 倒れてもなお彼の腕の中にすっぽりと収まったままという事実に、少しドキッとする。

「う、うん。大丈夫」

 なるべく表情を取り繕いながら答えるも、彼の目はレイラを見ておらず、前方に向けられていた。

「なあ、レイラ。あれ見てみろよ」

 彼の視線を追って、視線を前に向ける。

 その瞬間、レイラは目を見開いた。

「あ――」


 目の前には、『空の遺跡』を横断するような七色の虹が架かっていた。


 雪溶けの蒸気が日の光に照らされて生まれた、あまりにも美しい虹。

 『空の遺跡』の自然と相まって、言葉にできないような感動に包まれる。

 しばらく呆然とそれを眺めていると、すぐ耳元でアインハルトがぽつりと呟いた。

「お前が作った光景だぜ、これ」

「私が……?」

 こんな壮大な光景を、自分が?

 まるで実感が湧かない。

「そうだ。お前が動いたから何もかも変わって、今この景色がここにある。それだけは、間違いのない事実だ」

 優しく、労るようなアインハルトの声。

 ああ――そうなのか。

 後悔も失敗もあったけど、最後にはこんなにも美しい景色に辿り着けた。

 なら、一年前から始まったレイラの旅路は、やっぱり悪くないものだったのかもしれない。

「うん……ありがとう、アインハルト」

 そこから、二人とも言葉を口にすることはなく。

 ただ、目の前の虹が消えるまで、ずっとそれを眺め続けていた。



 俺たちが鋼船都市に戻ってきた時、真っ先に迎えにきたのはトニー・クライン・ベイカーだった。

「な、なんでお前らが……」

 連絡船から降りた俺たちを見て、呻きながら後ずさるクライン。

 どうやらメイナードだと思って迎えにきたらしい。

「よう、クライン君。出迎えご苦労。この間は随分と激しく喧嘩をしていたようだが、実は団長代行想いなんだな」

 わざとらしい笑顔で俺が手を振ると、彼はみるみる青ざめた。

「お疲れ様、ベイカー。言っておくけど、副団長なら降りてこないよ」

 もう裏切りの過去にも心を揺らすことなく、淡々とした表情で答えたレイラ。

 彼女の言葉で、反乱クーデターが失敗したことを察したらしく、クラインは膝から崩れ落ちた。

「……全て、知ってるのか」

 苦々しいような、だけど諦観が強く混じったような惚けた口調で、クラインは問いかけてくる。

「ええ。副団長派の一部が『空の遺跡ロスト・ガーデン』内で反乱を起こしたため、然るべき対応をしたわ。これから、残りの団員の調査をしなければならないんだけど」

「クソがっ!」

 ベイカーは腰に佩いた剣を素早く引き抜いた。

 逆上してレイラに斬りかかるかと思ったが、違う。

 切っ先を自分の喉元に突きつけた。自害する気か!

「だと思った」

 が、それが実行されるより速く、レイラは『赤熱の魔剣』を引き抜いてクラインの剣を弾き飛ばした。

「ぐっ……! 何故止めた。どこの騎士団だろうと、団長の暗殺未遂は死罪が当然だ」

 最後の手段も失い、項垂れるクライン。

「その前にトニー・クライン・ベイカー、一つだけあなたに訊ねるわ」

「なんだ」

 自棄になったように応じるクラインに、レイラは冷静な声で問いかける。

「何故、副団長の反乱なんかに乗ったの。いくら私が嫌いだからって、最後の一線は越えないだけの分別はあると思ってたのに」

 沈黙。

 その問いかけに、クラインは考えをまとめるような無言を挟んでから答えた。

「……一年前の緋雪遺跡が全部の始まりさ。あの冒険で俺たちは多くのものを失った。仲間、次期団長、魔剣、そして何より――自信を」

 自嘲するような笑いをこぼしながら、クラインはその胸の内を明かす。

「あれだけの敗走をして、頼みの綱の魔剣も失って……何かすがるものがなければやっていられなかった。そんな俺たちの希望が、副団長だった」

 求心力のあるメイナードが団長となって、『赤熱の魔剣』を復活させる。

 心身共にボロボロになった彼らにとって、それだけが一縷いちるの望みだったのか。

 ……まあ、それも全てメイナードの術中だったわけだが。

「そう……なら、今回の反乱は私の罪でもあるわね。私の力が足りないばかりに、あなたたちをそこまで追い詰めてしまった。私が最初から魔剣を使えれば、何一つ不安にさせることはなかったのにね」

 そうしてレイラは、目をつぶって一つ溜め息を吐いてから、頷いてみせた。

「よって――今回の件は不問にします」

「そんな馬鹿な!?」

 あまりに意外すぎる裁定に、クラインが顔を上げた。

 と、その視線が『赤熱の魔剣』に吸い込まれる。

 灰色ではなく、鮮烈な赤色を取り戻した団長の象徴に。

「魔剣に……選ばれたのか!?」

「ええ、遅くなったけども。これで私は、名実ともに団長の資格を得たわ。私の命令、聞いてくれるわね?」

 威厳すら感じさせるレイラの言葉に、クラインは背筋を伸ばし、どこか複雑そうながらもひさまずいて頭を垂れた。

「……もちろんです、団長」

 豹変した態度に、俺とレイラは目を合わせて苦笑した。

「なら、改めて言うわ。今回の反乱は不問。ただし、計画に参加した人たちは捜査に無条件で全面協力することと、一定期間の監視を付けることを義務づけます。それと――二度目はないと思いなさい」

「……承知しました」

 その命令を噛みしめるように、クラインは服従を示した。

 それを見てから、レイラは悪戯いたずらっぽく笑う。

「あと、今回の件の責任を取って、私は団長の座を降りるから」

「はあ!?」

 思わずと言った様子で、クラインが顔を上げた。

 それを見て、レイラは楽しそうに言葉を続ける。

「だって、今回の件で私はそういう器じゃないって心底思い知ったもの。安心しなさい、ちゃんとグレンの義手は手に入れてきたから」

 その言葉に、クラインはさっきまでの取り繕った態度も忘れ、呆れたような顔をした。

「正気かよ……今までずっと舐められっぱなしで、ようやく魔剣に選ばれたっていうのに、それを手放すなんて」

 信じられないと言わんばかりのクラインに、レイラは飄々ひょうひょうと答えた。

「別に、私は権力が欲しかったわけじゃないから。ただ、お父さんや弟の無念を、見て見ぬふりできなかっただけ……本当は、そんな気持ちでみんなの命を背負っちゃいけなかったのにね。だから私は、団長を辞める」

 何の感情を交えるでもなく、振り返るように言ってから、レイラは跪いたままのクラインに手を差し伸べた。

「きっと、みんな少しずつ間違えたのよ。だから――みんなでやり直しましょう」

「………………」

 クラインは苦しみに歪んだような顔をしてから、それでも差し伸べられた手を払いのけることなく、そっと掴んだのだった。

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