第10話

 強烈な死の空気をまと骸骨がいこつが、再び俺たちの前に立ちふさがる。

「逃走中にあれに出くわすなんて、不運というかなんというか」

「うん。でも手間が省けた。あとはあれを倒すだけ」

 不意に、隣から温度のない声が聞こえてきた。

 隣に顔を向けると、宿敵を前にしているのに、まるで表情を揺らしていないレイラの顔が見える。

 覚悟が決まった……のではない。

 どこか自棄じきになったような雰囲気があった。

「……今度は私がやるよ。アインハルトは下がってて」

 言うなり、レイラは矢のような勢いで飛び出していった。

「待て、レイラ!」

 俺の制止も聞かず、彼女は雪原の死神に飛びかかる。

 灰色の魔剣を振りかぶり、怯えの一つも見せずに大鎌と打ち合っていた。

 しかし――それは己の命を省みない特攻。

 すぐに致命的な隙を見せ、魔剣ごと身体からだを弾き飛ばされてしまった。

 その首に、死神の大鎌が迫る。

「くそ……間に合え!」

 刹那せつな、俺は硝子がらすの剣を溶かし、いばらの形に変えて射出した。

 そうして大鎌ごと雪原の死神を捕縛する。

「レイラ、離れろ!」

 敵が身動きできなくなったところで、俺はレイラを無理やり引っ張って戦線から離脱する。

 が、彼女はすぐに俺の腕を振り解いてしまった。

「邪魔しないでよ!」

「邪魔するに決まってるだろ。俺はお前を生きて帰すのが仕事だっつうの」

 睨んでくるレイラに反論すると、彼女は急に気力を削がれたように俯いた。

「生きて帰って……どうするのよ。団長だった父さんはもういない。私が馬鹿みたいに騙されたせいで腕を失ったグレンにも顔向けできない。団員たちも……誰も私が帰ってくることなんて望んでなかったのに」

 ――張り詰めていた糸が、切れたのが分かった。

 一年前からずっとずっと彼女を支えていた使命感。

 それをよりによって、守ろうとした身内によって踏みにじられた。

「私の味方なんていない……たった一人。だから別に、死んでも構わない」

「俺がいるだろ」

 そう答えると、彼女は怒りの滲んだ目で俺をにらんできた。

「そんな無責任な気休めはやめてよ! アインハルトなんて、お金で雇われただけの傭兵じゃない!」

 レイラの糾弾に、俺は静かに頷いた。

「そうだ。確かに俺は金で雇われただけの傭兵だよ。けどな、だからこそ、世界中で俺だけはお前を裏切らない」

 そして、胸を張って俺は告げる。

「たとえ世界中の誰一人としてお前が生きて帰ることを望んでいなかったとしても、世界の全てがお前の敵に回っても、俺だけはお前の味方だ」

 そっと、レイラの頬に触れた。

 驚いたように、彼女は目を見開く。

「だから俺にだけは遠慮しなくていいんだ。どんな子供じみたままも、どんな希望も、全部俺にはぶつけていい。誰かに望まれたことじゃなく、お前が望んだことを教えてくれ。俺は、ただそのためだけにここにいるんだから」

「アインハルト……」

 呆然と、レイラが俺を見つめてくる。

「……駄目だよ。私、甘えたら……際限なくなっちゃう。今まで、本当はやりたくないことばっかりだったもん。言い出したらキリがないよ」

 じわりと、レイラの瞳が潤んだ。

「本当は団長代行なんてなりたくなかったし、弟の腕を治すのも荷が重かったし、結婚だってしたくなかった……でも、全部嫌だって言ったらみんなが困るから、居場所がなくなるから……全部我慢しようって思ってたのに……どうして、それを崩すの?」

 そうやって、たった一人で全部背負ってきたのか。

 こんな小さな少女が、何もかもを我慢して。

 ――その強さに敬意を。そして、その未来に希望を。

 俺はただ、そのために動こう。

「レイラ。お前は俺にどうしてほしい? どんな未来が見たい?」

 訊ねると、堪えきれなくなったようにレイラの瞳から涙がこぼれた。

 部下に喧嘩を売られた時も、死神を前にした時も、メイナードに裏切られた時ですら、流れることのなかった、いや流すことすらできなかった涙が。

「私……騎士団に戻って、やり直したい……! あいつを倒して、グレンの腕を取り戻して、今みたいな形じゃなく、今度こそみんなと普通に……!」

 絞り出すような少女の願いに、俺はただ笑って頷いた。

「分かった。叶えよう」

 同時に、硝子の茨が砕け散る音がした。

 拘束から解放された雪原の死神が、赤く輝く瞳で俺を睨む。

「こいつは俺が倒す。任せてくれるか?」

「……うん! お願い、アインハルト!」

 レイラの声を背中に受け、俺は敵へと突進した。

「『硝子の調教師グラス・テイマー』!」

 硝子の剣を召喚し、雪原の死神に斬りかかる。

 神代しんだいの戦争を生き抜き、侵入者たる騎士の挑戦を退けて現代まで生き残った怪物。

「ま、お前がどれだけ強かろうと関係ないが」

 そう、敵がどれだけの化け物だろうが、どれほどの強さだろうが、一切関係ない。

 報酬を受け取った。願いを受け取った。なら、やることは一つ。

「――俺は、俺の仕事をするだけだ」

 二度目の斬り合いが始まった。

 俺は横薙ぎされた大鎌をしゃがんで避け、立ち上がり様に首めがけて刺突しとつを放つ。

 雪原の死神は首を傾けるだけでそれを避け、大鎌の柄で俺の鳩尾みぞおちを打とうとしてきた。

 が、甘い。

 つかが当たる直前、硝子の剣を盾の形に変えた俺は、ギリギリでその一撃を防いだ。

 やはり互角か。

 互いに全力で相手を殺しにかかり、その結果として均衡きんこうが保たれる。

 ほんの少しでも殺意を緩めれば、相手の殺意に飲み込まれるだろう。

「………………っ!」

 歯を食いしばり、目に力を込めて殺意を維持する。

 休むな、攻め続けろ! 一秒先の未来を勝ち取るために剣を振るえ!

 気迫と轟音、吹雪の中ですら暑さを感じるような熱量のある打ち合い。

 しかし、その攻防に武器のほうが耐えかねた。

 凶悪な大鎌の連撃を受け続けた硝子の剣は、やがて悲鳴のように甲高い音を上げて破砕してしまう。

「ちっ……! 『硝子の調教師』!」

 即座に魔法を使って再生したが、余計な手間が増えたせいで後手に回った。

 一方的に猛攻を受け、捌き、それでも攻めに転じられず敵の殺意を一心に浴び続ける。

 結果、硝子の剣は二度目の破砕はさいを迎えた。

「アインハルト!」

 レイラが心配そうな声を上げる。

 だが、そちらに振り向く余裕もなく、俺はすぐに新たな硝子の剣を生み出した。

 やはり後手後手に回る苦しい流れ。

 攻撃を防ぎ損ねて、細かい傷も増えてきた。

 これが雪原の死神。

 『輝く凜々レディアント・ブレイブ』という騎士団を一体で半壊せしめた、絶望の象徴――!

「強いな、お前」

 意味がないと分かりつつ、俺は目の前の骸骨がいこつに笑いかけた。

 神様が自分たちの住む都市を守るために造り出した門番。戦争のための兵隊。

 それが主を失った後も一途に都市を守り続け、こうして俺たちの前に立ちふさがっている。

「お前はきっと、生まれた時からこのくらい強かったんだろうな。だから今まで生き残れた。そして――だからここで、俺に負ける」

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