第6話

「……雪原の死神」

 やがて彼女が苦しげに絞り出したのは、俺の知らない言葉だった。

「雪原の死神? なんだ、それは」

 問いかけても彼女はすぐには答えず、自分を落ち着かせるように数回深呼吸をしてから口を開いた。

「……前回の攻略作戦の時、『輝く凜々レディアント・ブレイブ』を壊滅に追い込んだ強力な偽神デミゴッドよ。寒さで十分に動けなかったとはいえ、三十人の団員をたった一体で戦闘不能に陥れた。グレンが自分の腕と引き替えに撃退したけど……まだ死んでないはず」

 カタカタと、恐らく寒さではない理由で震えるレイラ。

「お前には酷かもしれんが、そいつを探すことが一番の目標になるだろうな」

 誤魔化しても仕方ないので真っ直ぐ告げると、彼女は細く息を吐いてからぎこちなく頷いた。

「うん……大丈夫、覚悟はしてきた。私はあいつと決着を付けるために、この地獄に戻ってきたんだから」

 それは間違いなく強がりで――だけど立派な覚悟だった。

 きっと彼女は、前回の敗走で全てを失ってから、ずっと心がこの遺跡に囚われていたのだろう。

 何もかも失い、望まぬ団長になり、不遇の日々を送る原因となった場所。

 これは、その事実かこと向き合い、乗り越えるための戦い。

「立派だね、俺の雇い主は。けど一人で張り切ろうとしなくていいからな。今は俺がお前の武器だ。俺の力も自分の力だと思って挑めばいい」

 もはやこの戦いはグレンを救うためだけの戦いではない。

 レイラ自身を救う戦いでもあるのだ。

 手を抜く気はなかったが、そう思うと一層やる気が満ちてくる。

「ありがとう、アインハルト。そう言ってもらえると、すごく心強い」

 怯えていたレイラが、少しだけ柔らかく笑った。

「……なに、もう取り返しの付かない奴だっているんだ。まだ前に進める奴は、前に進めばいいさ」

 ほんの僅かの寂しさを白い息に混ぜて吐き出しながら、俺は遺跡を進み始めた。



 俺たちが遺跡の探索を始めて一時間ほど経った頃、ちらちらと白いものが空から降り始めた。

「げ、雪まで降ってきやがったか」

 曇天の空を睨むも、大粒の雪を吐き出すのをやめる気配はない。

「この雪、多分私たちがいる限り止むことはないよ。最初の一匹以降、全く偽神に遭わなかったのも、本来はこの寒さで弱らせてから偽神が現れるって仕組みになってるからだと思う」

 となると、なんで最初の偽神はあんな状況で現れたんだっていう話になるけど、それはとりあえず置いておいて。

「厄介だな。濡れると体温を奪われるぞ」

 俺は硝子の剣をどろりと溶かすと、二人で入れる大きさの傘を生み出した。

「へー……便利な魔法だね」

 レイラは感心したように硝子の傘を見上げる。

「硝子なんて初歩の魔法さ。同じ系統の使い手なら、誰でもこのくらいできる」

「わざわざそれで戦うなんて、アインハルトは変わってるよね。逆にすごいけど」

 まあ、ぶっちゃけかなり弱い魔法だからな。俺以外に戦闘利用してる奴は見たことがない。

「しょうがねえだろ。たまたまこれが一番得意だったんだから。それより、寒くなったほうが偽神に遭いやすいっていうなら、無駄に探し回って余計な体力を使うのも馬鹿らしい。どこか安全な場所で待機して敵が現れるのを待とう」

 寒く、足元の悪い雪の中で歩き回るのは、通常よりも遙かに体力を奪われる。

「そうだね。どこかに雪をしのぎやすい場所があればいいんだ……けど……」

 きょろきょろと周囲を見回していたレイラの視線が、ある一点で止まった。

「アインハルト!」

 彼女は慌てたように、視線の先を指で指し示す。

 そちらを見ると、妙な偽神が歩いているのを見つけた。

 人間より少し大きいくらいの猿だが、さっきの個体と違って細い体つきをしている。

 しかし、注目するのはそこではない。

「あの、あの腕、義手だよね……!?」

 レイラが興奮して言っているように、白い毛並みの偽神は、何故か両腕だけは鎧めいた機械の腕を装着しているのだ。

「まあ、そう見えるが……あれって雪原の死神とやらじゃないよな?」

「違うけど、なんでもいいよ! グレンの腕が手に入るんだから!」

 そう言って、レイラが剣を構えて走り出した。

 と、その足音で向こうもこっちに気付いたのか、戦意に溢れるレイラから逃げるように、遺跡の奥に走り出してしまう。

「逃げた!? 偽神が!」

 その異様に、さすがにレイラも立ち止まった。

「罠だな。偽神は門番だ、侵入者を前に逃げる門番なんてありえねえ」

 俺は断言した。この先には、必ずなんらかの悪意がある。

「けど、もしも本物だったら……」

 そう、もしも罠じゃなかったとしたら、いや罠だとしても、これは千載一遇の好機かもしれない。

 どちらにせよ、追わないわけにはいかないのだ。

「気を付けていくぞ!」

「分かった」

 俺たちは警戒しながらも、小さくなる影を追いかける。

 なだらかな草原から木々の隙間を縫うように走り、やがて遮蔽物のない急斜面の場所に出た。

 この一帯は元から雪が積もっていた場所なのか、他と違ってかなり雪が重く、歩きづらい。

「偽神が急にいなくなった……目は離さなかったはずなのに」

 しかし、そんなレイラは足場の変化にすら注意を払わず、どこか困惑気味に周囲を見回していた。

 俺も索敵さくてきをしてみるが、偽神の気配は感じない。

「この足場で、視界から消えるほどの移動速度だと……?」

 ふと思い立ち、俺は足元を見る。

 白い雪が積もり、白い坂道となった大地。

 積もった雪には、俺とレイラ二人分の足跡だけが残されていた。

 ――偽神の足跡がない。

「レイラ!」

 直感に動かされた俺は、咄嗟とっさに硝子の剣を作り出した。

「えっ……!?」

 きょとんと目を丸くする彼女を背中に庇い、硝子の剣を振るう。

 次の瞬間、凄まじい轟音とともに、巨大な刃物が硝子の剣に打ち付けられた。

「あ………」

 レイラが硬直する。

 刃物に斬られかけたせいじゃない。その刃物を持つ、何者かを見たから。

 頭まですっぽり覆う黒い外套がいとう。身の丈以上の大きな鎌。おぞましい骸骨の顔。下半身はないのか、ふわふわと浮いている不気味な姿。

 にも関わらず、くぼんだ眼窩がんかは外套の影の中で爛々らんらんと赤く光る。

 ――雪原の死神。

 初見でも、こいつがそうなのだと断言できた。

「レイラ! 気をしっかり持て!」

 となると、問題はレイラが正気を保てるか。

 恐怖、精神的外傷トラウマの克服は騎士とはいえ、いや強烈な体験をする騎士だからこそ難しい。

「あ、ああ……!」

 案の定、レイラはガタガタと震えて呆然ぼうせんと立ち尽くしてしまった。

「何突っ立ってる! グレンの腕を取り戻すんだろう!」

 荒療治だが、怒声で目的意識を蘇らせる。

 それで我に返ったのか、レイラははっとしたように立ち直った。

「……っ! ごめん、もう大丈夫!」

 腰にいた灰色の魔剣をすらりと引き抜き、雪原の死神に向き直る。

 その切っ先はまだ微妙に震えていたが、これ以上を求めるのは酷か。

「俺がやる!」

 言うなり、俺は鍔迫り合いになっていた剣をずらして均衡を崩した。

 眼窩の赤い輝きと目が合う。

 その頭蓋骨を叩き割ろうと硝子の剣を振り下ろしたが、威圧感に溢れた大鎌がそれを弾いた。

 重い。そして扱いにくい武器を完璧に使いこなしている。

「上等だ!」

 くるりと振り回された鎌の一撃を紙一重でかわし、敵の懐に飛び込んだ。

 硝子の剣は間合いも形も変幻自在。

 懐に飛び込んでしまえば、取り回しの悪い大鎌よりも自由に振り回せる。

 が、敵もそれが分かっているのか、後ろに下がりながら大鎌が最大威力を発揮できる距離を保っていた。

 数合、互角に切り結ぶ。

 両者ともに全ての攻撃が必殺の絶技。吹雪に混じって火花が飛び、風を裂く斬撃の音が肌を叩いた。

「なるほど。こんなのと氷点下で戦ったら、そりゃ壊滅もする……!」

 二人で来たレイラの判断は大正解だったか。

 しかし、雪もだいぶ積もってきた。浮遊型の相手はまるで影響はないが、こっちはかなり不利になる。

「じゃ、そろそろ決めさせてもらうぞ――レイラ、俺の近くに来い!」

「わ、分かった!」

 俺の後ろで加勢に入る機会を窺っていたレイラに指示を出し、俺は魔力を硝子の剣に集中させた。

「伸びろ! 『硝子の調教師グラス・テイマー』!」

 瞬間、刀身が俺の声に呼応して伸びた。

 間髪入れず、俺は半径数百メートルに及ぶ横薙ぎを放つ。

 しかし、一定の浮遊能力のある雪原の死神は極大斬撃に当たることなく、軽く浮上して回避した。

 馬鹿め。伸ばして薄くなった刀身だ、受け止めていれば折ることもできただろうに。

 結果、俺の斬撃は坂道の遙か上方にある雪を横断するように斬撃の後を残す。

 一見するとただの空振り。しかし、俺はその状況にほくそ笑んだ。

「――飛んだな? その間合いじゃお前に攻撃手段はないだろう」

 俺の攻撃を避けるために浮いた死神は、もはや俺を間合いに納めていない。

 一方、俺は硝子の剣を巨大な槍に変化させ、投擲とうてきの構えを取った。

「っらあ!」

 渾身こんしんの力を込めた一撃を空中の敵に向かって放つ。

 吹雪を切り裂いて飛ぶ巨大な刃を、偽神はギリギリのところで回避した。

「飛べるって言っても、やっぱり動きは遅いみてえだな!」

 思った通りだ、こいつは飛行ではなく浮遊ができるだけの偽神。

 視界が悪く風も強い吹雪の遺跡で、飛行型は機能しない。

 よって遺跡の特性に合っているのは、あくまで雪の足場でも十全に戦闘できるように設計された、浮遊型だ。

 空中での高速移動、及び遠距離攻撃はない!

「レイラ、援護しろ! 遠距離攻撃で蜂の巣にする!」

「りょ、了解!」

 レイラは腰に付けた小物入れポーチから投擲用の短剣を取り出し、何度も投げる。

 正確無比な狙いに、雪原の死神は高度を下げた。

「降りてきた……! でも、まだ押せる!」

「いや、退くぞ」

 一気呵成いっきかせいに攻め込もうとするレイラの腰に手を回し、俺は硝子の鞭を遠くの木に引っかけた。

「え……な、なんで?」

「すぐに分かる!」

 説明している時間はない。

 さっきの極大斬撃で切断された上方の雪が接合力を失い、戦いの衝撃でずるずると落下し始めた。

 するとどうなるか――その答えはもう目の前。

 地響きのような轟音を上げ、勢いと質量を増しながら、雪の塊が転がるように滑り落ちてくる!

雪崩なだれ!? まさか、さっきのアインハルトの一撃は――」

「舌噛むぞ、口閉じろ!」

 俺は硝子の鞭を伸縮させ、レイラと共にその場から高速離脱する。

 その間際、うっかり地上に降りてきたばっかりに雪崩に巻き込まれる雪原の死神の姿を見た。

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