第1話

 空の上には、かつて神様が住んでいた遺跡がある。

 そんなことは子供でも知っている常識で、そんな遺跡を求めて空から空へと飛び続ける人たちがいるというのも、また常識。

 空挺騎士と呼ばれる彼らは、今や世界の中心であり、彼らの元には商機を求めて行商人や武器屋、雑貨屋、その他諸々、多くの人間が集まっている。

 たとえば、俺みたいな傭兵も。

「はー……! やっと着いた!」

 連絡船から下りるなり、俺はぐっと伸びをした。

 前の鋼船都市から小舟で旅すること一日半。

 ようやく新しい職場に辿り着いた。

「まったく……傭兵ってのは楽じゃねえな」

 軽く吐息とともに愚痴をこぼすと、俺は目の前の光景に意識を向けた。

「おー、今度の職場は随分とのどかなところだな」

 一面に広がる畑と、その合間に点在する質素な民家。

 はっきり言って、なかなかの田舎だ。

「ま、割と好きだけどね、こういうとこ」

 のどかな光景を見て、ほのぼのした気分になる。

「確か事前の打ち合わせじゃ、迎えが来てるって話だが……」

 きょろきょろと辺りを見回してみるが、それらしき人影がいない。というか、俺以外の人影が全くない。

「しょうがない。散歩がてら探してみるかー」

 こういう時はじっとしているのが鉄則だが、俺にその鉄則は通用しない。

 何故なら俺は落ち着きのない性格だから。更に、揉め事トラブルをこよなく愛する駄目な男でもある。

「何か面白そうなことでも転がってねえかなあ」

 物騒な呟きとともに散策を開始する俺であった。

 畑や水車、水路という代わり映えしない風景を眺めながらしばらく歩く。

「……ん?」

 と、不意に遠くから金属がぶつかり合うような音が聞こえてきた。

 揉め事の匂いである。

「行ってみるか」

 少し歩く速度を上げて現場へと向かった。

 人が集まるところに揉め事あり。そして揉め事あるところに傭兵ありだ。

 効率よく営業をかけるには、誰かが困ってる場面に飛び込むのがいい。

「えーと、この辺のはず……と、いたいた!」

 畑が途切れ、街らしき場所に辿り着くと同時、再び金属音が聞こえてきた。

「やめて、ベイカー!」

「うるせえ! 辞めるのはお前だ、七光り!」

 見れば、街の広場で剣を抜いた少女と男が切り結んでいる。

 肩まである綺麗な黒髪を揺らしながら戦う少女は、恐らく十代半ばだろう。

 一方、男の方は二十代後半くらいか。技の冴えといい、騎士として中堅に位置する存在っぽいな。

 お互いに皮と金属を併せた軽装の鎧を身に纏ってるあたり、どちらも騎士か。

「おー、刺激のない田舎に来たと思ったが、なかなか面白いものが見られるじゃねえの」

 見れば、二人の周囲には野次馬も集まってる。

「行け、ベイカー! そいつをぶっ飛ばせ!」

「レイラ! さっさと魔剣を手放して降参しちまえよ!」

「騎士ってのはお嬢様の遊びじゃねえんだぞ!」

 ……ふむ。どうやらこの場じゃあの少女が悪役らしい。

「やめてください! ベイカーさん! こんな喧嘩、何の意味もないです!」

 ただ一人、隻腕の少年だけが声を上げて喧嘩の仲裁を求めていた。

 少年の顔立ちや髪の色はあの少女とよく似ている。恐らく姉弟なのだろう。

「止めさせてください!」

 少年は、周囲の野次馬に縋り付く。

「ああ!? うるせえよ、見てられねえならどっか行ってろ!」

 縋り付かれた男は、鬱陶しそうに隻腕の少年を突き飛ばした。

「あっ……!?」

 少年は体勢を崩し、街の外側に張られた柵にぶつかる。

 と、喧嘩の影響で痛んでいたのか、少年が寄りかかった瞬間、柵が壊れて彼は外に投げ出された。

「っと、さすがにまずいか……!」

 その瞬間、俺は走り寄って柵の外に身を乗り出した。

 柵の外には――

 そんな空中で、少年は為す術もなく落下しつつあった。

 当然だ。ここは鋼船都市。

 その名の通り、上空数千メイルの高さを進む、空飛ぶ鋼の船なのだから。

「まったく、馬鹿は加減を知らねえな!」

 見れば、少年は既に数十メイル下まで落下してしまっている。

 ちっ……素手じゃ届かねえか。なら、手段は一つ!

「『硝子の調教師グラス・テイマー』!」

 詠唱とともに一瞬で高まる集中力。身体の中を巡る不可視の力――魔力。

 それらが身体の外に放出されるなり、器を得て顕現する。

 現れたのは、透明な硝子がらすの塊。

 水晶のように丸く、俺の手の中にすっぽりと収まる無色の固体。

「行け!」

 だが、俺が一度指示を出すと、その硝子の塊はどろりと溶け、鞭のようにしなりながら空中落下をする少年を捕縛した。

「手荒いが勘弁しろよ!」

 一応、声を掛けてから思いっきり硝子の鞭を引っ張り上げる。

「う、うわあ!?」

 すごい勢いで陸に揚げられた少年は、目を白黒させながら尻餅を着いた。

「よう少年、怪我はないか。ないよな? あったとしても俺は一文無しだから治療費とか払えないけどね!」

 そう呼びかけると、少年はようやく我に返ったように背筋を伸ばした。

「あ、ありがとうございます。危うく死ぬところでした……」

 少年は自分が落ちそうになった柵を見て、顔を青くした。

 ようやく死にかけたという実感が湧いたらしい。

「しかし、危ない都市だな。人の居住区の近くの柵がこんなに脆いなんて」

 俺が素直な感想を漏らすと、少年は居心地悪そうに苦笑する。

「なにぶん、貧乏な都市ですので、改修もできず……って、それどころじゃない!」

 と、世間話をしかけたところで、少年は何かを思い出したかのように立ち上がり、喧嘩する二人のほうを見た。

 いまだ続く斬り合いは、どうやら悪役の少女のほうが不利らしく、苦しそうな顔をしている。

「あ、あの! どこのどなたか存じませんが親切な人! さっきの素晴らしい魔法を見込んでお願いします! 二人の喧嘩を止めてもらえませんか!?」

 と、少年は俺の腕を掴み、必死の形相で頼んできた。

「んー……そいつは無理だな」

 だが、その願いを俺は肩を竦めて受け流した。

「ど、どうして? あんな魔法捌きができるなんて、貴方も空挺騎士なんでしょう? それも、かなり強い」

「違う」

 少年の言葉を、俺は間髪入れず否定した。

「俺は騎士じゃなくて傭兵だ。そして傭兵ってのは騎士の間の揉め事や困り事を解決するのがお仕事。悪いが、騎士の喧嘩を止めるのにタダってわけにはいかんわけよ」

 さっきみたいに困っている人を親切心で助けるのとはわけが違う。

 あそこに踏み込むには、報酬がいる。

「傭兵……残念ながら、俺にはそんな人をぽんと雇うだけのお金はありません」

 俺の身分を聞いて納得したのか、少年は項垂うなだれる。

「そりゃ本当に残念だが、諦めてもらうしかないな」

 しかし、少年はまだ諦めがつかないのか、顔を上げて俺を見据えてきた。

「けど、もてなすくらいのことはできます! うちはお金がないですけど、うちの姉の料理は世界一ですので! 見たところ旅の御方みたいですし、まだ宿が決まってないならうちで一泊するというので手を打ちませんか!?」

「ほう……」

 少年の誘いに、少し心が動いた。

 俺も一文無しだし、泊まるところがあるというのは有り難いかもしれん。

「ちなみに、この辺は見ての通り田舎ですから、他にまともな宿もありませんよ!」

 こっちの様子に手応えを感じたのか、更に押してくる少年。

「んー、俺は本来、報酬は全額前払いを信条としてるんだが……いいだろう、それで受けてやるよ」

「ありがとうございます!」

 安堵したように礼を言ってくる少年。

 俺は彼に背を向けて、喧嘩の中心地に向かっていく。

「んじゃ、軽く仕事をしますかね」

 野次馬の間を縫い、すたすたと現場に歩いていった。

「あん? なんだ、お前……」

 途中、野次馬の何人かが俺に奇異の目を向けていたが、軽く無視。

「くたばれレイラ!」

「くっ……!」

 喧嘩の状況は、体力切れの少女に男がトドメの一撃を放とうとする場面だった。

 突進の勢いと、全身の撥条を使った大剣の振り下ろし。

 こんなものが当たれば、少女は真っ二つにされてしまうだろう。

「はい、そこまで」

 が、そうなる前に俺は二人の間に割って入り、素手で男の剣を掴んで

「うおっ!?」

 力の方向を逸らされた男は、体勢を崩して頭から地面に突っ込む。

「悪いがこの喧嘩、俺が預かった。怪我したくなければ双方剣を引け」

「あなたは……」

 突然現れた俺に、少女は呆然としているようだった。

 どうやらこの子にとっては不本意な喧嘩だったようで、俺に対する敵意はない。

「てめえ、何者だ!?」

 問題は男のほう。

 こっちはだいぶ血気盛んなようで、血走った目で俺を睨んでいた。

「そこの少年に雇われた傭兵さ。ここは俺に免じて剣を引くわけにはいかないか」

「ざけんな!」

 腰だめに剣を構え、横薙ぎを放とうとしてくる騎士。

 動作が大きい。読みやすく、初動が遅い構えだ。

「『硝子の調教師』」

 俺は再び魔法で硝子の塊を召喚し、今度は剣の形に変えた。

「死ね!」

 男の剣が俺に向かって振り下ろされる。

 それを、硝子の剣で迎え撃った。

 鳴り響く金属音と、飛び交う火花。

 一瞬の交錯を経て――男の剣は、硝子の剣によって真っ二つに切断された。

「ぐっ……てめえ……!」

 よほど驚いたのか、目を見開いて俺を見る騎士。

「武器がなくなりゃ、さすがに喧嘩は続けられないだろ。改めて、この喧嘩は俺が預かる」

 満足して頷く俺を、騎士が睨む。

「てめえ……本当に何者だ!?」

 食ってかかる騎士。

「ま、待て、ベイカー。そいつの武器をよく見てみろ!」

 その時、野次馬の一人が戦いたような声で騎士を止めた。

「武器? それがどうか……なっ……!?」

 野次馬の指示に従って俺の武器を見た騎士が、愕然としたように目を剥いた。

「硝子の剣を持った傭兵……!? お前、まさか『騎士もどき』か!?」

「まあ、そういう名前で呼ばれることもあるな」

 俺が素直に認めると、野次馬たちがざわつき始めた。

「『騎士もどき』だと……とんでもない大物、いや厄介者が出てきやがったな」

「どんな強面かと思ったら、まだガキじゃねえか……本物か?」

「馬鹿。硝子なんて弱っちい魔法を武器にしてる変わり者、他にいねえだろ」

「腕は立つが問題ばかり起こす、最強にして最悪の傭兵……」

「早速、揉め事に首を突っ込んできやがったのか」

 おおう、なんか言いたい放題言ってくれてるな。まあ全部事実だけどね!

「で、俺の名前を知った上で喧嘩を続けるかい?」

 訊ねると、騎士は苦々しい表情をしながらも戦いを続ける意思は見せなかった。

「賢明だな。どうでもいい喧嘩で命を捨てるなんて、騎士の在り方じゃない」

「ちっ……何の事情も知らんよそ者が」

 俺を一睨みしてから剣を鞘に仕舞い、ゆっくりと離れていく騎士。

 途中、彼は俺から目を離して少女のほうを見た。

「運がよかったな、七光り! ここは退いてやるが、お前を認めたわけじゃねえ! 身の丈に合わねえ地位なんてさっさと捨てちまえ!」

 その罵倒に、少女は何も言い返すことなく唇を噛みしめていた。

「なんだ、もう終わりかよ」

「つまんねえなあ」

「相手が『騎士もどき』じゃ仕方ねえさ」

 騎士が退いたのをきっかけに、野次馬たちもあっさりと去っていった。

 広場に残されたのは、俺と少女と隻腕の少年。

「姉さん! 怪我はない!?」

 少年が血相を変えて少女に近づく。やっぱり姉弟だったらしい。

「うん。大丈夫だよ、グレン。心配しないで」

 やや疲れたような顔をしながらも、少女は弟に笑みを見せた。

 それから、こっちに向き直る。

「あ、あの、助けていただいてありがとうございます」

 安堵の表情で感謝してくる少女に、俺は肩を竦めてみせた。

「なに、気にするな。それよりこの都市の騎士団を探してるんだが、何か知らないか?」

「それなら、よく知っています。出迎えが遅れてすみません、アインハルト・ウィラーさん」

「出迎えってことは……あれ、もしかして」

 俺がきょとんとしていると、少女は居住まいを正してこちらに向き直った。

「ええ。自己紹介が遅れましたね。私の名はレイラ・ナイトレイ。この鋼船都市の騎士団、『輝く凜々レディアント・ブレイブ』の団長代行です」

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