341
さて、それから残された俺たちはそこでヤギが戻ってくるのを待つだけになったわけだが……当然、めちゃくちゃヒマだった。何もすることないし。
「オレ、ちょっとそのへんブラブラしてくるー」
待ち始めて十分ほど経過したところで、ヒューヴはこう言ってどこかに行ってしまった。このまま俺たちのところには戻らず、野生に帰ってほしい。
まあ、俺たちもここでやることは何もないわけだが。
「なあ、キャゼリーヌ。下のレオの様子がわかるアイテムとかないか?」
ダメもとで聞いてみたら、
「ああ、あるぞ」
ということだった。あるのかよ。
「じゃあ、それ使ってみてくれよ。ずっと待ってるだけってのも退屈だし、あいつが今もちゃんと登っているのか、すでに落ちてくたばったかもわからんし」
「……それもそうだな」
と言うや否や、キャゼリーヌはいきなり手で自分の右目を顔からほじくりだした。
「きゃあっ!」
と、ユリィはその光景にびっくりしたようだったが、
「ユリィどの、私のこの体は脳髄の半分以外はカラクリだ。この眼球もそうだ。何も問題はない」
と、キャゼリーヌはユリィにその右目を向けながら言うのだった。いや、カラクリだからって、何の説明もなしにそういうことやられると、普通はびっくりするだろうがよ。俺も一瞬、あの呪術オタの術思い出していやな気持になったもん。アレ、マジ最悪な術だったもんなー。
「で、その目をどうするんだよ?」
「……こうするのだ」
キャゼリーヌはその右目をぽいっと前に放った。たちまちそれは空中でプロペラを出し、飛び始めた。そして、そのまま谷底のほうに降りて行った。
「あれ、もしかしてカメラか?」
「ああ、あの目で見た映像をこちらで見ることができるはずだ」
キャゼリーヌは今度は左目の眼帯を外し、右目から届いていると思われる映像を空中に投影し始めた。暗くて何もよく見えない……が、すぐにライトが点灯されたようで、映像は明るくなった。
見ると、やはりそれは谷底からの映像だった。はじめはただ岩場が映っているだけだったが、やがてカメラはヤギのそばにたどりついたようで、その登っている様子が俺たちの目にも明らかになった。
「ああ、よかった。レオローンさん落ちてないようですよ」
ユリィはその元気な様子にほっとしたようだった。相変わらず心配性なやつめ。
「なんだ、『ヤギ殺しの谷』とか言っておきながら、あいついつも通りに普通に登れてるじゃねえか。何がヤギを殺す谷だよ。全然殺せてねえじゃねえか」
俺は笑った。実は「童貞を殺す服」みたいな意味の「殺す」なのかなって。悩殺する、みたいな意味の。
その後も俺たちはそうやってヤギの登る姿を見続けたが、ヤギの足取りは力強く、落ちる気配は全くなかった。それをじっとながめていると、なんだかNHKの動物番組を見ているような気持ちになってきた。ヒゲじいの寒いダジャレはよ。
だが、そのとき、ヤギのすぐ近くに小さな赤い実のついた草が現れた。
「あ、あれは!」
ユリィはその実を見たとたん、ぎょっとしたようだった。
「なんだよ、ユリィ。あれが何か知ってるのか?」
「はい。前に本で読んだことがあります。あれはコレミの実と言って、草食動物にとってはとても美味しい実らしいんです」
「へえ、うまいのか。よかったな。あいつ、思わぬラッキーじゃん」
「いえ、それがとてもよくないんです。コレミの実は、草食動物が食べるとすぐ眠くなる効果がありますから」
「え、じゃあ、あいつ今の状況でそれ食べるわけにはいかないじゃん? 食べて眠ったら、落ちて死ぬじゃん?」
「はい。ただ、コレミの実は、味だけではなく香りもとてもよいそうで、どんな草食動物も見つけたら食べずにはいられないほどだそうです!」
「な、なにそれ……」
この状況でそんなアイテムがポップアップするとか、罠以外の何物でもない。
「あと、コレミの実という名前は、略称で、正式な名前は『これ見つけた人すごいわ』だそうです」
「意識高い食パンみたいな名前しやがって」
こっちの世界にもそういう商売あるのかなって。
「まあ、どんなに美味そうな実だろうと、あいつもさすがにこの状況であれ食ったらアウトってぐらいはわかってるだろ。何も心配いらないさ」
「……そうですね。レオローンさんなら、大丈夫ですよね」
俺たちはそのままキャゼリーヌの右目カメラ越しにヤギの様子を見守った。コレミの実のことをすごく気にしている気配はあったものの、ヤギはやはり俺の予想通りそれを無視して進むつもりのようだった。さすヤギ。その意思はどんな岩山よりも固く、誘惑には絶対負けない性格のようだ。
だが、そのとき、ヤギの頭上からゴブシ大ほどの大きさの岩が落ちてきた!
そして、岩はヤギのそばにあったコレミの実の根元に当たり、それを岩肌から引きはがし、宙に舞わせた。
まあ、それまではよくある流れだったんだが……直後、谷に一陣の風が吹き抜けた。そして、コレミの実はその風に吹かれ、ヤギの口元に運ばれていった!
「あ……」
その一瞬の出来事に俺たちは呆然としてしまった。見ると、ヤギは実にうまそうにコレミの実を食っているではないか……。なんという強引な展開。とらぶるのリトさんのラッキースケベかよ。そうはならんやろ。
「おい! なんでお前その実を食ってるんだよ! 吐けよ! 今すぐペッしなさい!」
映像に向かって怒鳴ってみたが、音声は向こうには届いてなさそうで、全く反応がなかった。しかもヤギのやつ、実を噛みしめながら妙に幸せそうな顔をしていやがる。やっぱり死ぬほどうまいのか。いや、このままだとこいつマジで死ぬんだが。
「ど、どうしましょう、トモキ様。レオローンさん、あの実を食べてしまいましたよ」
ユリィもひたすらおろおろしている様子だ。
「だ、大丈夫だ、ユリィ。あいつは腐っても聖獣と呼ばれるモンスターだ。そのへんの草食動物とは体のつくりが違うはずだ。あんな実ごときで、眠くなるわけない!」
と、俺はとっさに叫んだが……すでにヤギの目つきは相当あやしく、かなり眠そうな感じだ。おやおや、そのへんの草食動物と同じだったようですよ。
「おい、そこで寝るな! 寝たら死ぬぞ!」
「レオローンさん、しっかりしてください!」
声が届かないとわかっていても、叫ばずにはいられない俺たちだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます