202

 次に俺が目を覚ました時、そこは小舟の上だった。


「……あれ?」


 コロシアムの遺跡にいたはずだけど、ここはいったい……?


 どうやら、俺のいる小舟はどこかの川の上を流れて行っているようだが、周りは濃い霧に包まれていてどういう場所なのかはよくわからない。ただ、空は薄い黄色で、まるでモンタナジョーンズのアニメの中の世界のような奇妙な色彩だった。黄色の空て。


 また、小舟には俺の他に二人の人影があった。一人はリュクサンドール、もう一人は見知らぬ女だ。リュクサンドールは寝ているようだが、女は小舟のへりに腰かけていた。黒く長い髪をした、ほっそりした若い女で、体にぴったりフィットした黒いロングドレスを着ていた。肌は石膏のような白さで、瞳は青く、顔立ちはとてもよく整っていた。


 女は船頭のように小舟の進行方向をじっと見ていたが、舵は持っておらず手ぶらだった。そして、にもかかわらず小舟は勝手に前へ進んでいるようだった。


「おい、ここは何なんだよ。あとお前は誰だ」


 とりあえず、女に声をかけてみた。


「ここは冥府の川ステュクス。そして、私はこの川の渡し守カロン」


 女は俺に振り返り、淡々とした口調で答えた。


 カロンってどこかで聞いたような響きだが、それはともかく、冥府の川だと? それってつまり――。


「俺、死んだのかよ!」

「まあ、普通は死んだ人以外は、ここに来ないわね」


 カロンとかいう女はやはり物静かな口調だ。


「ただ、ここのチェック体制って結構ザルだから。まだ死んでない人も来てしまうことがあるの。あと、それなりにお金を用意されると、私の対応も変わってくるし」

「お金?」

「ほら、私、お金には弱いから」

「え」

「……わいろ、もらえるとうれしいかなって」


 カロンは能面のように表情を一切変えずに言う。なんだこの女?


「ようするに、地獄の沙汰も金次第って感じで、金さえ払ってもらえるなら、ここは死んでいない人間でも全然ウエルカムってことか?」

「そうね。お金大好きだから、私」


 と、そこでカロンはじーっと俺を見つめ始めた。すごく物欲しそうな目で。


「なんだよ?」

「あなた、そこのサンちゃんのお友達なんでしょう?」

「え、サンちゃん? 誰それ?」

「ほら、これ」


 カロンは近くに転がっているリュクサンドールを指さした。


「ああ、これか。知った仲ではあるが、友達ってほどでも――」

「友達じゃなくてもなんでもいいの。サンちゃんのツケ払ってくれるなら」

「ツケ?」

「サンちゃん、ここの常連なのに、渡し賃ずっと払ってないの。早く死ねばいいのにって三十年ぐらい思ってるんだけど、死なないの。いつもこの舟にただ乗りした後、現世に帰っちゃうの。だからせめて、誰か代わりにサンちゃんの渡し賃払ってくれないかなって。誰か」


 と、そこで、カロンは無表情のまま、ずいずいっと俺に近づいてきた。


「なんだよ、俺には関係ないだろ?」

「ないけど、払ってくれたら、私のあなたへの好感度は大きく変わると思うの」

「いや、そんなんどうでも――」

「お願い。あなたと私、これも何かの縁だと思うの」


 カロンはさらに顔を近づけてくる。この女、まさか俺がはいと言うまで延々と迫ってくる気か。


 ちっ、しゃーねーな。


「わかったよ。少しぐらいなら肩代わりしてやってもいいぜ」

「ありがとう。うれしいわ」


 カロンはそこでようやく表情を崩し、笑った。どうやら、金以外のことでは一切感情を動かされない守銭奴のようだ。


 と、そこで、


「……あれ、なんでトモキ君もここにいるんですか?」


 ここのツケを三十年くらいためこんでいる貧乏人が目を覚ましたようだった。


「あ、もしかして君、ツァドの当たり所が悪くて死んじゃったんですかね?」

「い、いや! まだ死んでないって話だったから! そうですよね、カロンさん!」

「そうね、たぶん」

「たぶんって……」


 金は払うって約束したのに、また頼りない返事だな、オイ!


「あ、トモキ君、カロンさんともいつのまにかお知り合いになってるんですね。実は彼女は、僕の数少ない友人というか、幼馴染で――」

「サンちゃんのことは、サンちゃんが子供の時から知っているってだけ。それだけの関係」


 リュクサンドールの言葉をさえぎり、カロンは冷たく言い放った。幼馴染どころか、普通に嫌われているようだ。まあ、金払いの悪い常連じゃあな。


 やがて、小舟は大きな門の前に到着し、止まった。門は少し開かれているようだったが、その奥からは光が漏れているだけで、どういうところなのかはよくわからなかった。


「ほら、そこの貧乏人、早く小舟から降りて」


 カロンはあっち行けとばかりに手を振り、リュクサンドールをうながした。


「じゃあ、毎度のことですけど、行きますね」


 リュクサンドールはすぐに小舟から飛び立ち、門をくぐって中に入って行った。そして、すぐに、ブッブーというクイズの不正解の時のような音とともに、門から飛び出てきた。


「やはり僕はまだあっちには行けないようですね。ではこれで……」


 やつはそう言うと、そのまま上へと舞い上がって行き、消えた。死に損ねた魂が再び現世に戻ったって感じだろうか。


 そして、やつが消えると同時に、門も固く閉ざされてしまった。


「あれ? もしかして俺、ここ通らなくていい感じか?」

「そうね。たぶん審判の必要もないくらい、現世のあなたは元気いっぱいなんだわ」

「じゃあ、なんで俺こんなところに……」

「サンちゃんの魂に巻き込まれただけなのかも」

「あいつのせいかよ!」


 やっと勝てたと思ったら、まためんどくせーことしやがって。


「じゃあ、とっとと俺を現世とやらに帰してくれよ」

「ええ、わかってるわ」


 と、カロンはそこで立ち上がり、再び俺の近くまでやってきて――俺の体をひょいと両手で持ち上げた。って、ナニコレ?


「カ、カロンさん?」

「安心して。私、すごくコントロールはいいから」

「え?」

「ちゃんと現世まで送るわ」


 と、言うや否や、俺の体を上に向かって思いっきり放り投げる女だった!


「ちょ……まさかの強肩キャラかよ!」


 という、ツッコミも間に合わないくらいに、俺はすごい速さでどこかに飛ばされてしまったのだった。

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