106

 やがて、昼休みになり、ユリィとルーシアは約束通り、そそくさと教室を出て行ってしまった。あいつら、これからいったい何を話すんだろう。気になったので、俺はこっそりその後をつけてみた。黒ヤギもそんな俺の後ろについてきた。考えることは同じか。


 校舎裏の大きなニレの木とやらの場所はわかりやすく、編入初日の俺でもすぐにわかった。木の周りには芝生や花壇くらいしかなかったのだから。しかも妙にでかい、古めかしい木だ。告白にまつわる伝説でもありそうな?


 俺たちがそのすぐ近くまで来たとき、ルーシアとユリィはすでにニレの木の前で向かい合って立っていた。とりあえず、そばの花壇の影に隠れて、その様子を見守った――が、


「レオ、なぜお前は唐突に俺に登るんだ」


 そう、花壇の後ろでしゃがんだところで、俺の近くにいた黒ヤギのやつは、突然俺の背中を登って頭の上に立ちやがったのだ。


「我がカプリクルスの一族は、登れそうなものが目の前にあれば、登らずにはいられないものなのだ」

「いや、それ、カプリクルスじゃなくて、ただのヤギの習性だろ……」


 黒ヤギのやつは、俺の頭の上で四本の足をきれいにそろえて、実にバランスよく立っているようだ。重い。振り落とそうと頭を動かしても、全然落ちないし。


「早く降りろよ。二人に見つかるだろうがよ」

「それは問題ない。俺の幻術により、俺は今、彼女たちの目には花壇の花と同一に見えているはずだ」

「そ、そう? じゃあ、お前の足元のトモキ君は?」

「俺の幻術は俺以外には使えない。カプリクルス族の悲しいさだめだ」

「悲しいっつか、単に不便なだけだろうがよ……」


 俺はそのままなのかよ。まあ、頭の上のヤギが見つかる心配がないならいいかな。クソ重いんだが。


「つか、お前、俺じゃなかったら、確実に首折れてるぞ、これ」

「それも問題ない。事前にお前の体の頑健さは把握している。なんせ、あのリュクサンドール先生を一瞬で肩にかついで、職員室の窓から外に飛び出すくらいだからな」

「ああ、あの拉致現場からお前見てたのか」

「まあな。俺は常に、俺を頭に登らせても問題なさそうな、頑丈な足場となりうる人間を探している」

「何そのよくわからない探求心……」


 ヤギだからなの? ヤギってみんなこんなこと考えてるの?


「ちなみに、リュクサンドール先生にも過去に登ったことがあるが、途中で彼の首が折れてしまってな。頭頂への登攀は不可能だった」

「不可能っていうか、また殺してるだろ、それ」

「ああ、もちろん、俺も謝罪はしたぞ。先生も折れた首のまま、気にしなくていいと笑顔で許してくれた。寛容な先生だ。また機会があったら登りたい。今度は首を折らないように慎重に」

「いや、また登るなよ! お前、体重何キロあると思ってんだよ!」


 ヤギの登りたい欲は無尽蔵かよ。木とか崖とか、ヤギらしいもんだけ登っておけよ。人は登るなよ。重いし。


 と、そのとき、ずっと向かい合って気まずい沈黙のままだった、目の前の女子二人がようやく話をし始めたようだった。


「ユリィさん、クラス委員長として、まず忠告しておきますが、先生にあのように褒められたからと言って、何か勘違いをしてはいけませんよ」


 ルーシアの言葉はやはりトゲトゲしい。


「前にもお話ししましたが、あのポンコツ教師は、呪術のことしか頭にないので、ある程度以上の水準の生徒には等しく、優秀だ、よい生徒だ、真面目である、などと、ありきたりな言葉で雑に褒めてしまう傾向があるのです。教え子のことにはまったく興味がないからこそ、このように賛辞の言葉が軽いのですよ」

「は、はい……」


 ユリィはなんだかよくわからんといった顔をしている。俺も同感だった。てっきり、俺の予想では、ルーシアはテストの点数の差のことで、ユリィにネチネチ嫌味でも言うつもりだと思ったのに。あるいは、ユリィが男子連中に熱い視線をなげかけられたこととか。これじゃまるで、あの呪術オタにユリィが褒められたこと自体にイラついているような雰囲気だ。


「重ね重ねの自己紹介にはなりますが、私こそが、彼の担当する一年四組のクラス委員長なのです。私こそが、彼と過ごす時間が最も多いのです。今後、呪術のことしか考えていないあの残念教師について、何か理解に困ることは多々あると思いますが、その場合はまず私に相談してください。いいですね?」

「わかりました」


 ユリィはやはり少し戸惑っているようだったが、素直にうなずいた。まあ、たいした命令でもないしな。


 そして、そこで、二人の話は終わったような雰囲気になった――が、


「ルーシア様! なんで私たちを置いていくんですかー!」


 そこで、三人の女子たちが、ルーシアのもとに駆け寄ってきた。朝、ルーシアの背後から、ユリィを険悪な表情でにらんでた女子たちだ。

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