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しかし、部屋に戻ってみても、ユリィは俺のベッドを占領してすやすやと眠っているだけだった。
「……まあ、そうだよな」
肩透かしを食らったような気もしたが、正直、ちょっとほっとした俺だった。ベッドのそばの椅子に腰掛け、なんとなくその寝顔を見つめた。目を閉じていても、とても整った、綺麗な顔立ちに見えた。
そういや、さっきまでは、ユリィのほうが俺の寝顔をこうして見てたんだっけ……。
どういう気持ちでいたんだろう。心配だった、と、言っていたが、俺が単に疲れて眠っているだけなのは明らかだったし。実際、サキやマオシュやザドリーは俺を放置して、飲んでたわけだし。こいつだけ、俺のそばに残る必要なんて、みじんもなかったんじゃないか。しかも、眠いのを我慢して……いや、我慢しきれてなかったけどさ。
何か、俺に言いたいことでもあったのかな? 例えば、そうだな……ずっと胸に秘めていた俺への想い、とか――。
「って、んなわけあるかっ!」
とたんに、顔が熱くなり、セルフツッコミを入れずにはいられなくなった。我ながら、なんて恥ずかしい妄想をしているんだろう。そ、そんな、ムーディーでロマンチックなイベントが、俺とこの美少女との間に発生するわけないじゃあないか、はは。なんせ俺は、恋愛経験ゼロのまま死んだ勇者様なんだぞ!
でも、じゃあ、なんでユリィは寝ている俺のそばに付きっきりだったんだろう? 考えるほどに、もやもやした気持ちになった。俺はよく考えたら、ユリィのことをあまり知らないのだ。そんなに付き合いが長いわけじゃないし。だから、その思考回路もよくわからなかったりするのだ。女心なんて、元々超苦手分野だしな……。
と、そのとき、ベッドの上でユリィが寝返りをうった。俺は不意をつかれて、瞬間、びくっと体を震わせてしまった。ただ寝返りをうっただけなのに、アホか。
だが、よく見ると、その寝顔は何か険しかった。さらに、目じりがうっすら濡れているように見えた。
こいつ、眠りながら、泣いてるのか?
なんだろう。怖い夢でも見ているのか。急に心配になった。悪夢にうなされているなら起こしたほうがいいんだろうか。椅子から立ち上がり、さらにユリィに近づいて、その顔を覗き込んだ。
すると、
「……おかあさん」
と、かすかにユリィがつぶやくのが聞こえた。
なんだ? 母親の夢を見ているのか? でも、確か、ユリィは自分の母親のことをほとんど何も覚えていないはず――と、俺はそこではっとした。普段は忘れていることでも、夢の中ではそうじゃないのかもしれない。だったら、俺がやるべきことは、その記憶が鮮明なうちに……。
「おい! ユリィ! 起きろ!」
俺はあわててその体をゆさぶった。
「……うぅーん?」
ユリィはすぐに目を開けたが、いかにも寝ぼけ眼でぼんやりしていた。俺はさらにその体をゆさぶり、「お前、今、自分の母親の夢を見ていただろ!」と、大きな声で言った。
「おかあさんの……夢……あ」
ユリィは瞬間、はっとしたようだった。寝ぼけ眼を大きく見開き、すぐに上体を起こした。
「なあ、どんな夢見てたんだよ? 今なら思い出せるだろ?」
「ええと、確か……わたしは、ベッドで寝ているおかあさんのすぐそばにいて……」
ユリィは目を閉じ、眉間にしわを寄せて、必死に思い出しているようだった。
「おかあさんの手を握って、何か言っていたような?」
「何か?」
「はい、何か……」
そこははっきりとは思い出せないようだ。
「それで、握っているおかあさんの手は、すごくやせ細っていて、骨ばっていて、カサカサしていました……。でも、すごくあたたかかった……」
「他には?」
「さ、さあ?」
ユリィは目を開け、困ったように首をかしげた。その黒い長い髪がさらりと頬に流れた。
「それだけか。悪いな、もうちょっと起こすの後にしたほうがよかったみたいだな。それとも、起こさずにほっとけばよかったか――」
「いいえ、そんなことないです! 智樹様が今起こしてくれなかったら、わたし、たぶん何も覚えていられなかったはずです!」
「そうか?」
「そうです! わたし、自分が見た夢をさっぱり思い出せないほうなんです! だから、智樹様が起こしてくれて、すごく……よかったです……」
と、そこでユリィは急に涙目になった。
「おいおい、どうしたんだよ。泣くほどのことか?」
「だ、だって、やっと少し思い出せたんです、おかあさんのこと。だから、うれしくて……」
「いや、あくまで夢だから、必ずしもお前の過去の情景だとはかぎらんだろ。それに、ただ母親の手を握っていただけの記憶って」
「いいんです。それでも。ちゃんとわたしの心の中からひっぱりだせた、おかあさんの手の感触なんですから」
「そうか……」
こいつは今まで、母親の手の感触すら、記憶になかったんだな。そんなにも真っ白な状態だったんだ。なるほど、泣いて喜ぶわけだ。その顔を見ていると、俺もなんだか、うれしいような、あたたかい気持ちがこみあげてきた。
「よかったな、ユリィ。この調子なら、きっとすぐに思い出せるぞ」
「そうでしょうか?」
「そうだよ。俺が寝ているお前の体を揺さぶっただけで、少し思い出せたんだぞ。簡単じゃねえか」
俺は笑った。というか、自然と笑みがこぼれた。
「そうですね。智樹様がそうおっしゃるなら、きっとすごく簡単です」
ユリィも目にうっすら涙を浮かべたまま、笑った。その黒い瞳がキラキラ光って見えた。
あれ? こいつ、こんなにかわいかったっけ……。ふと、その顔に見とれた。
「あの、智樹様? 私の顔に何か……?」
「い、いや! 別に何でも!」
やべえ、ついガン見しちまったぜ。あわてて目をそらした。
「ああ、そうだ。わたし、智樹様に伝えたいことがあったんです」
と、そこで、ユリィは思い出したように手をぽんと叩きながら言った。
「つ、伝えたいこと?」
俺はぎょっとした。すごく気になるけれど、同時に聞きたくもないような、変な気持ちだった。胸がどきどきしてくる。
「それって、今言う必要あることなのか? もう遅いし、後ででも――」
「いいえ! こういうことは、すぐに言わないとダメなんです!」
そこでユリィは手を伸ばし、俺のアゴを両手でつかんで、強引に自分のほうに顔を向けさせた。ユリィの、黒い、綺麗な瞳が俺をじっと見ている……。目が合うと、また顔が熱くなった。
だが、ユリィは、俺の期待?とは裏腹に、こう言っただけだった。
「智樹様、今日のこと、本当にありがとうございます」
「え」
俺はきょとんとしてしまった。
「まさか、伝えたいことって、それ? ありがとうって?」
「はい。智樹様のおかげで、この街の人達は、みんな救われたんです。わたしだってそうです。智樹様がいなければ、いまごろ、わたしはこうして生きていられませんでした。だから、ちゃんとお礼を言いたくて……」
「それでお前は、寝ている俺のそばに張り付いていたのか」
「はい。智樹様が起きたら、一番に言おうと思って」
「そ、そうか……」
体からどっと力が抜けた。クラゲにでもなったような気持ちだった。そりゃ、感謝されるのは悪い気はしないけどさ。むしろいい気分だけどさ。もっとこう、胸のときめくような、素敵な言葉が出てきてもいいじゃないの。
「そんなの、眠いのを我慢して無理にやることじゃないだろ。お前も変にまじめだな」
なんだかおかしくなり、笑った。空回りしていた自分がバカみたいだ。
「別に、誰かに感謝されたくてやったわけじゃねえしな。自分に降りかかってくる火の粉を払っただけっていうか」
「それでも、智樹様がたくさんの人を救ったことには違いありません。それに、今だって、私を救ってくれました」
「今?」
「はい。おかあさんのこと、思い出させてくれました。本当に、ありがとうございます。智樹様は、魔物を倒してたくさんの人の命を救ってくれただけではなく、私の心も救ってくれた、本当にすばらしいお方です」
ユリィは輝くような笑顔で言う。
「いや、だから、俺は別にたいしたことは……」
こんなに直球で絶賛されると、また恥ずかしくなっちまうじゃねえか、バカ。
それにこいつ、母親のこと、ほんの少ししか思い出せてないじゃねえか。それなのに、こんなに感謝されるってのも、筋違いって気がするぞ。
そうだ、俺はこいつを救いきっていない。失った母親の記憶のことは、俺がなんとかしてやると約束したのに、まだそれは果たされていないじゃないか……。
「……ユリィ、さっき、サキにこれをもらったんだ」
俺はそこで、そばの台の上に置いていた召喚の球を手にとって、ユリィに見せた。
「あ、球、直ったんですね……」
ユリィは一瞬驚いたように目を見開くと、急に気まずそうにうつむいた。
「よ、よかったです。これで智樹様もご自分の世界に戻れるように――」
「いや、ユリィ。俺はこれをそういうふうには使わない」
「え?」
「今から俺がやることを、よく見てろ」
俺はユリィの見ている前で、その球を床に落とした。そして――拳で粉々に砕いた。
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