65

 それから、俺は少しの間、屋敷の中をぶらぶら歩き回った。深夜なので、廊下やホールは弱弱しい燭台の明かりが照らしているだけで薄暗く、人の姿もなかった。


 やがて、なんとなく中庭に出た。上には、雲ひとつない澄んだ星空が広がっていて、中央に少し欠けた月が浮かんでいた。辺りは虫の鳴き声が響いているだけで静かだったが、耳を澄ますと、かすかに街のほうから喧騒が聞こえてきた。今日はいろんな意味でお祭りだったし、こんな時間でも浮かれポンチな連中がたくさんいるんだろう。祭りの後の夜ってそんなもんだ。


 と、俺はそこで、屋敷の二階の一室にまだ明かりがついているのに気づいた。こんな時間に誰だろう。そっちに近づいてみた。すると、ややあって、部屋の中から笑い声が聞こえてきた。声は二人ぶんで、どっちも聞き覚えがあった。マオシュとザドリーだ。


「あいつら、今日はここに泊まってるのか」


 なんだかやけに楽しげだが、いったいどんなことを話しているのだろう。気になった。すぐに建物のほうに近づき、壁をよじ登って、その部屋のバルコニーに上がった。


「なんや、アル? 窓から入ってきよってからに?」

「そっちの扉から入ってくればいいのに」


 バルコニーから部屋に入ると、マオシュとザドリーは俺を見て、ちょっとあきれたように言った。二人は小さなテーブルに向かい合って座っていて、テーブルの上には蜂蜜酒の瓶と、二つのジョッキが置かれていた。こっちもこっちで飲み明かしていたようだ。見ると、ザドリーの顔はほんのり赤い。マオシュのほうは毛皮のせいで、顔色はようわからんが。


「なーに、お前ら、こんな時間に何やってんだろうって思ってさ」


 俺もとりあえず、適当に近くの椅子に腰掛けた。


「何って決まっとるやん。今日の大会の反省会やで」

「反省することなんかあったのか、お前ら?」

「まあ、ワイはないな。アルの次に大活躍やったしな。でも、ここにおる坊はさすがにちょっとなー」

「はは、面目ない」


 ザドリーは苦笑いした。


「まあ、確かに、お前は死にすぎだったな」


 俺もつられて笑った。


「あ、それとな。こいつの親父の形見のナイフの話もしよってん。これ、アルにもめっちゃ関係あることやで」

「ああ、あれか」


 ザドリーがかなりしつこく思い出せと迫ってきた例のナイフのことか。


「悪いな、あれについてはまだ何も思い出せてな――」

「いや、もうその必要はないんや。あのナイフのことは、ワイのほうで覚えてたからな。物覚えの悪い、どっかの勇者様とちごうてな」

「なんだと?」


 あれって、マオさん、じゃなかった、マオシュとパーティー組んでたころにはすでに持っていたものだったのか。


「そもそも、あのナイフの古代文字、ワイが刻んだものやったしな。覚えてへんか、アル? お前、あのナイフを店で買った後、カッコイイ古代文字で自分の名前入れたい、言うてたんやで。それでワイがひと肌脱いで、夜なべしてコツコツ刻印してやったんやぞ。アルドレイっと」

「……そ、そうだっけ?」


 言われてみれば、そんなような気もする……。


「でも、わざわざ自分の名前彫ったのに、それがなんでコイツの親父の手に渡ってんだよ」

「そりゃ、アルが旅の途中、金に困って、売っぱらったからに決まってるやん?」

「な、なるほど……」


 またしても、そんなような気がしてきた。昔の俺ならやりかねない。


「でな。これを質屋に下取りに出すときはワイも一緒やったんやけど、その店の店主が、この坊と同じ髪の色やってん。においもなんとなーく似てたかな? だからたぶん、そいつがこの坊の本当の父親じゃないかってワイは思うねん」

「話を聞く限り、僕もそう思う。きっとその店の主が、僕の本当の父親か、あるいは、それに近しい人物なんだろう」


 そう言うザドリーは、とても満足げだった。やっと自分が求めていた答えが見つかったって感じか。


「そうか、よかったな。お前、自分の本当の父親のこと知るために、勇者アルドレイの息子って肩書きでアイドルやってたもんな。その苦労が、ようやく報われたってところか」


 俺もなんだか、肩の荷が降りた気がした。きっと、こいつなりにずっと悩んでいたことだろうしな。


「これで俺も心置きなく、お前のもとから去れるってもんだ」

「去れる? まさか君はまだ自分の世界に帰るつもりなのか?」

「ま、まあ……」


 実際はそういうつもりで言ったわけではなく、ザドリーと袂を分かつという意味のつもりだったが、反射的にうなずいてしまった。すると、とたんにザドリーは眉間にしわをよせ、険しい表情になった。


「そもそもトモキ、君は僕について、少し勘違いをしているようだ。僕は、ただ自分の父親のことを知りたいだけのために、勇者アルドレイの名前を利用していたわけじゃない。もちろん、その目的もあったけれど、僕の本当の狙いは、勇者アルドレイのかつての仲間たちを僕の元に呼び寄せ、この世界のことを頼むことだったんだ」

「この世界のこと?」

「あの竜のことやろ。アルがとどめを刺し損ねたせいで、復活したやんけ」


 と、マオシュもなんだか俺を責めるように言う。


「そして、その目的はいまだ果たされていない。勇者の生まれ変わりの少年は、僕のすぐ目の前にいるというのに……」


 じろり。ザドリーは刺すような視線で俺をにらんだ。


「い、いや! 勇者のかつての仲間なら、ほら、そこに! 毛むくじゃらの頼れるキツネさんが!」

「いやー、ワイにはディヴァインクラス討伐はさすがにきっついでー」

「そうだ。再びあの竜を倒し、世界を救えるのは君しかいない! なのに、なんでそれを放置して自分の世界に帰るって言うんだ! おかしいじゃないか!」

「うるさいな! 俺にだって色々思うところはあるんだよ!」


 酒が入っているせいか、いつにもましてザドリーは暑苦しく、うっとうしかった。俺も思わずむきになって、声を荒げずにはいられなかった。そして、その勢いで、そのまま部屋を飛び出してしまった。


「なんだよ! サキは帰っていいって言うのに、あいつらはまだ帰るなって言うのかよ! 意見ぐらい統一しろよ!」


 暗い廊下を歩きながら、やはり俺はいらいらせずにはいられなかった。召喚の球はもう手に入れたし、このまま帰ってやろうかとすら思った。


 だが、そこでふと、ユリィの顔が浮かんだ。


 あいつは、俺が帰るって言ったら、どんなことを言うんだろう……。無性に気になった。そのまま早足で自分の部屋に戻った。

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