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「まあ、わたしが寝ている間にそんなことがあったんですか」
ザドリーが出て行った後、ユリィの部屋に行って事情を話すと、ユリィもまた起こった出来事に驚いたようだった。なお、今まで部屋で寝ていたのは、単に二日酔いで具合が悪かったからだ。夕べの宴で、周りの貴族連中にたらふく飲まされたらしいからな。酒、弱いのに。
「ま、あいつがどう言おうと、俺はわざと負けるつもりだけどな。そうすりゃ、全てが丸く収まるし」
「そうですね。智樹様が優勝するのはともかく、王様になるのは似合わない気がします」
ユリィは笑った。朝に比べると顔色はずっとよくなっているようだった。もう全快って感じか。
「でも、問題はそれであいつ自身が納得するかどうかなんだよな。なんか、妙に融通が利かないっていうか、優等生キャラっていうか」
「じゃあ、決勝戦だけ、智樹様の苦手な競技にするのはどうでしょう?」
「武芸大会で、武芸以外の何かで競うのか?」
「だって、そうしないと智樹様が勝っちゃうでしょう」
「でもなあ、決勝戦が唐突にお料理三本勝負とか、ウルトラ早押しクイズとかになっても、王様も観客も納得しないだろ」
「そ、そうですよね……」
ユリィはしょんぼりとうつむいた。冗談ではなく、本気の提案だったようだ。俺は笑った。
「ま、決勝までまだ時間あるし、それまでにあいつを説得してみるさ。あいつだって男だ。表向きはマジメぶってても、内心は惚れた女と結婚したいと思ってるに違いないからなー」
あんな肉の塊に一目ぼれとか、いまだに信じられない事実ではあるが。
「ああ、ザドリーさんといえば、あのナイフのこと、何か思い出してあげたんですか?」
「ナイフ?」
「智樹様は昨日の宴の席で、彼にナイフを手渡されていたでしょう」
「……そういえば」
そんなやりとりもあったな。すっかり忘れてたぜ。
「わたしは遠くから見ていただけでしたから、お二人の話は聞こえませんでしたけど、おおかた、それがどうしてザドリーさんの本当の父親に渡ったのか、その来歴を尋ねられていたんでしょう。何か思い出して答えてあげたんですか?」
「いや、特に何も」
「まあ、ひどい! どうして何も思い出してあげないんですか!」
ユリィはたちまちむっとしたようだった。
「おいおい、なんでお前が怒るんだよ。お前には関係ないことだろ」
「それはそうですけど、でも、誰だって、自分の親のことは知りたいと思ってるに決まってます。それなのに、何にも教えてあげないなんて、かわいそうです。智樹様なら、きっと何か知ってるはずなのに!」
「……なんだよ、急にあいつの肩を持ちやがって」
俺も思わずむっとしてしまった。
「そりゃ、あいつはイケメンだし? 誠実っぽいし? 女子供に優しいし? 食い物の好き嫌いもないし? イケメンだし? 女だったら、誰だって、あいつの味方するよなー。俺なんかよりずっと」
胸がむかむかしてきて、いつのまにか、こんなことを口走っていた俺だった。
「べ、別に、わたしは、ザドリーさんの味方なんか――」
「してるじゃねえかよ。俺だって別に好きで昔のこと忘れてるわけじゃねえんだぞ。それなのに、思い出せって、一方的にさあ」
「あ……」
と、ユリィは俺の言葉に何かはっとしたようだった。
「ごめんなさい。思い出したくても、思い出せないこともありますよね。わたしったら、本当に、失礼なことを言ってしまいました……」
今度はまた急にしょんぼりするユリィだった。
「さっきからなんなんだよ、お前は。急に怒ったり、急にしおれたり。何か、あいつのことであるのか?」
「……わたし自身の個人的な問題なんです。ザドリーさんは関係ないです」
「個人的な問題?」
「わたしも、ザドリーさんと同じなんです。自分の親のこと、よくわからなくて」
「え?」
なんか急に話が変な方向に。
「それはつまり、あいつみたいに、すごく小さいころに親と死に別れて、何も覚えてないってことか?」
「いえ、わたしのお母さんが亡くなったのは、わたしが十二歳のときです。だから、本当はちゃんと覚えているはずなんです。でも、何も思い出せなくて……」
「いったいどういうことだよ」
つか、わりと最近の話じゃねえか、それ。
「わたしはもともと、お母さんと二人で暮らしてたみたいなんです。わたしはきっと、お母さんのことが大好きで、お母さんもわたしのことを大事にしてくれてたみたいで……。でも、お母さんが病気で死んでしまって、わたしは自分でその思い出を心の奥に閉じ込めてしまったみたいなんです。お師匠様が言うには、お母さんがこの世からいなくなってしまったことへの深い悲しみが、そうさせたんだそうです。わたしには、いまいちよくわからない話ですけど……」
そうは言うが、ユリィの声音も表情も、どこか悲しげに見えた。
「そうか。心因性の記憶喪失ってやつか」
意外と重い過去だったんだな。
「でも、まったく何も覚えてないわけじゃないんです。ほんの少しだけ、記憶があるんです」
「どんな?」
「たぶん、わたしがすごく小さいころのことですけど、わたしはお母さんに魔法を習っていました。お母さんは魔法使いだったんです。そして、時々、わたしたちは一緒に魔法を使って、遊んでいました」
「一緒に? お前、小さいころは魔法が使えたのか?」
「はい……」
と、ユリィはそこで苦しそうに眉をひそめてうつむいた。
「それが記憶違いじゃないなら、わたしは今でもちゃんと魔法が使えるはずなんです。でも、お師匠様に引き取られてからの三年間は、何をやっても全然ダメで。わたしはもう、あの、魔法使いのお母さんの子供じゃなくなってしまったみたいなんです」
「そうか、それでお前は……」
火も出せないポンコツのくせに、必死に自分が魔法使いだって言い張ってたんだな。そして、だからこそ、サキもユリィを見捨てず、三年もそばに置いていたんだろう。
「お師匠様は、わたしが魔法を使えなくなったのは、お母さんの記憶がなくなったことと関係しているんじゃないかって言うんです。だから、ゆっくり時間をかけて、記憶を取り戻していけばいいと。でも、わたし、何をやっても全然思い出せなくて……」
ユリィは心底つらそうだった。俺はなんだか、そんな様子に見ちゃいられない気がしてきた。
「ま、まあ、そんなに焦るなよ! お前のお師匠さんの言うとおり、時間がたてば少しずつ何とかなると思うぜ!」
ユリィの震える手を握り、そう言った。言わずにはいられなかった。
「そうでしょうか。このまま何も思い出せなかったら、わたしは――」
「大丈夫だってば! いざとなったら、俺がなんとかしてやるからさ!」
どさくさに適当なことまで言ってしまった。力強くユリィの手を握って、力一杯の笑顔で、できもしないことを言ってしまった。どうしたんだ、俺……。
「ああ、そういえば、智樹様は、かつてこの世界を救った勇者様でしたね」
と、しかし、そんな適当な俺の言葉で、ユリィの表情はぱっと明るくなった。
「世界っていう、とても大きなものまで救える方なんですから、私なんかを助けることなんて簡単ですよね。いざというときは、頼りにしていますよ、勇者様」
「お、おう?」
まあ、ユリィの機嫌がよくなったみたいなんで、細かいことはどうでもいいか。はははと、顔を引きつらせつつ笑う俺だった。
それから、なんだか変に気まずい空気を感じた俺は、すぐにユリィの部屋から出た。ただ、頭の中はユリィのことでいっぱいだった。昨日は急に抱きついてきたし、今日は今日で、急に自分の過去を話してきて、俺が適当に励ましたら、あんな笑顔を見せてきて……思い出すほどに、顔が熱くなってきた。本当にどうしちゃったんだ、俺?
でも、このまま日本に帰ったら、もう二度とあいつとは会えないんだよな……。
そう考えると、急に胸が苦しくなってきた。ずっと向こうの世界に帰りたいと思っていたはずなのに。
本当に今日の俺、どうしちゃったんだ? わけがわからない……。
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