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「あの、すんません。あんまり俺にくっつかないでもらえますか」


 正体と知ったとたん、目の前の美少女がひたすら不吉な存在に思えてきた俺は、すぐに、やつから離れた。というか、体から強引に引き剥がし、後ろに下がった。


「まあ、どうされたのです、アルドレイ様? ただの挨拶の抱擁ではありませんか」

「いや、ないです。俺の文化では、そういうのは。あと、俺の半径二メートル以上近くには来ないでください。たのみます」


 言いながら、俺はまた少し姫から距離をとりつつ、かつ目をそらした。


「あ、もしかして、女性は苦手ですか?」

「いや、姫という生き物が苦手なだけです」


 そう、俺は今、猛烈に過去の体験を思い出し、恐怖と寒気を感じていた。自分でも今のこのときまでまったく自覚はなかったが、いつのまにか「姫恐怖症」になっていたようだった。昔、姫に殺されちゃったからな、俺……。特に、目の前にいるような若くて綺麗な娘ならなおのことだ。そういう相手ほど、気を持たせるようなふりをして、いざ俺が告白した直後に刺してきたりするんだよ、ばかやろう。


「ってか、あんた、病弱じゃなかったのか。なんで普通に外を出歩いているんですか。帰れよ」

「あら、わたくしのことを心配してくださるのですね。嬉しいですわ」

「いや、喜ぶな。一刻も早く俺の目の前から消えろ」


 鳥肌が出るから!


「わたくしがこうしてアルドレイ様に会いにこれたのは、王宮付きの御典医トーマスが特別に調合してくれた薬のおかげですわ」

「あんたの事情なんて聞いてねえよ。帰れよ」


 ついでに余計なことすんな、トーマス。


「病弱なら特別な薬なんて飲まずに部屋で寝てればいいんじゃないですか」

「わたくし、ぜひとも直接アルドレイ様にお会いしたかったのです」

「俺は会いたくなかったです」


 だから、帰れと言ってるんだが? なんかさっきから俺の話が通じてないんだが、この姫?


「まあ、そんなことをおっしゃるなんて、勇者様はお父様から聞いた通り、とてもシャイな方なんですね。えーと、なんでしたっけ、確か、ツンデレ……」

「いや、ツンしかないんですが? デレなんて不純物、含有されてないんですが?」

「そうですね。わたくしたちはまだ知り合ったばかりですし、親愛の情が薄いのも当然です。これからぜひ親睦を深めて、お互いのことをよく知り――」

「だから帰れよ」

「ああ、忘れるところでした。わたくし、勇者様にお届けものがあったのですわ」


 と、姫は俺の罵倒を華麗にスルーして、懐から一枚の紙切れを取り出した。武芸大会のトーナメント表のようだった。俺はただちに、近くで困惑の表情で立ち尽くしている老執事に目配せした。有能な彼はすぐに俺の意思を察し、姫から紙切れを受け取り、俺に手渡した。ナイスだ、じいさん。もはや、目の前のクソ女からは直接モノを受け取りたくないレベルだった。


 で、受け取ったトーナメント表にさっそく目を通してみたら、俺はスーパーシード扱いで、決勝戦しか戦わなくていいようになっていた。まるでかつての国見高校サッカー部みたいな扱いだ。他の連中は俺と試合する権利をめぐって争うのかよ。


「アルドレイ様はあのハーウェルを鎧袖一触されたのですから、この組み合わせは当然だと言えますわ」

「へー、あの筋肉のおっさん、そんなに猛者扱いだったのかよ……って、あれ? あの人、トーナメント表にいないんですけど?」

「ハーウェル氏は現在療養中です。大会には出られる状態ではないということです」


 と、姫のお付きの男が説明した。


「療養って、そんなに重傷だったのか? 俺、ちょっと突き飛ばしただけだし、今は超すごい医療魔法チームが滞在してるんだろ? そいつらなら治せるんじゃないか?」

「そうですわね。体の傷はもうすっかりよくなっているそうですわ」

「体の傷は?」

「……彼は、かなりの自信家でしたから」


 と、またお付きの男が、いかにも気まずそうに答えた。


「今は、ベッドの上でひざを抱え、オレハドウセミカケダオシノクソザコデクノボーと、ブツブツつぶやいているだけだそうです。虚ろな目で。半角カナで」

「半角カナで……」


 やべえ。思いっきりPTSDの症状じゃねえか、それ。


「やっぱそれ、俺がぶっ飛ばしたせい?」

「おそらく。せめて全角カナで会話できる状態になってもらわないと、試合にはとても……」

「す、すんません」


 悪気はなかったんだ。ただちょっと邪魔だっただけなんだ。


「ま、まあ、それはともかく! ともかく! 俺はたったの一試合しかしなくていいみたいで、超らくちんだぜ! いったい誰が勝ちあがってくるのかなあ、はっはっは!」


 とりあえずハーウェルのことは忘れる! 全力で忘れることにしよう!


「じゃあ、お届けモノは確かに受け取ったんで、君たちはとっとと帰ってくださいな!」

「いえ、アルドレイ様。わたくしたちはもっとお話しすることがあると思います」

「ねーよ、帰れ」


 だんだん殴りたくなってきたぞ。


「アルドレイ様、お互いを理解しあうことは、わたくしたちの将来にとても大事だと思いますわ」

「将来?」

「はい。わたくし、聞きましてよ。アルドレイ様は、今度の大会で晴れて優勝し、騎士の称号を得て、わたくしと結ばれ、王となられるのだと……」

「え、なにそれ?」


 寝耳に水すぎる話なんですけど!


「そういうのは、ザドリーの仕事でしょう。俺じゃない」

「まあ、少し前まではそういう話だったようですわね。ですが、こうして本物の勇者様が現れたのですから、もはや彼に頼ることはないでしょう」

「今までさんざんあいつを持ち上げといて、今さら梯子を外すのかよ」

「はい」


 うわあ、笑顔で言い切ったぞ、この姫。えげつない手のひら返しだあ……。


「い、いや、あいつの立場とか体面とか、ちょっとは考えようよ? 今度の大会で優勝するのは俺じゃなくてあいつかもしれんし?」

「それはないでしょう。あのお方は、残念ながら、二流の剣士ですわ。アルドレイ様の本当の息子かどうかも疑わしいものです。かろうじて外見だけは、わたくしの夫にふさわしいと言えますが、やはり育ちは庶民。所作のあちこちに卑しさがにじみ出ており、とうてい王の器ではありません――」

「に、にりゅう……うつわ……」


 と、ふいにそんな愕然とした声が後ろから聞こえてきた。振り返ると、ザドリーが立っていた。俺の様子を見に来たという感じだろうか、近くにはサキとジオルゥの姿もある。


「お、お前、いつから話を聞いて?」

「わりと……前からかな……」


 ザドリーは真っ青な顔をして近くの壁に手をついた。今の姫の発言に相当ショックを受けたようだった。


「トモキ、僕はもう大会に参加しなくてもいいようだね……」

「いや、参加してよ! お前の名前、ちゃんとここにあるから!」


 俺はあわててトーナメント表をザドリーに見せた。ザドリーはそれを一瞥すると、ふっと薄く笑い、壁に額をくっつけてますます欝になったようだった。なにこのめんどくさいイケメン。ちょっと本当のこと言われただけだろうがよー。


「あんたらも、いい加減帰れよ。こいつまで半角カナモードになっちまうだろうが」

「彼のことはどうでもいいですわ。それより、わたくしはアルドレイ様と――」

「いえ、姫様。ここはアルドレイ様のおっしゃるとおりにしたほうがよいかと」


 と、お付きの男は姫を制した。空気の読める男という感じだった。


「姫様もご存知の通り、アルドレイ様は恥ずかしがり屋なのです。時間をかけて、少しずつ関係を深めていくのがよろしいかと」

「……そうね」


 と、姫は不満たらたらな様子ながらも、納得したようだった。ナイスだ、お付きの男!


「では、わたくしたちはこれで。また会える機会を楽しみにしてますわ」


 姫は俺たちに向かってぺこりと頭を下げた。貴婦人のカンペキな会釈だった。


 だが、その直後、「う……」と苦しそうなうめき声をあげ、下に崩れ落ちてしまった。


「く、薬が切れたみたい。早く予備のものを――」

「はい、姫様!」


 お付きの男はあわてて懐から小さな小瓶を出し、姫に差し出した。


 しかし、そこで突然、鎖が飛んできて、その小瓶を男の手から奪い取ってしまった。


「殿下、こんな薬に頼ってはいけませんわ。これは相当、体に負担がかかるものです」


 と、サキは奪い取った小瓶をかざしながら言った。


「返して! それがないと、わたくしは……」


 姫はすぐさまサキに駆け寄った――と、その瞬間、突然、みりっと、何か奇妙な、肉の裂けるような音が聞こえてきた。


「や、やだ、見ないで……」


 姫はただちにその場にしゃがみこんだ。隠すように両手で自分の体を抱きしめながら。


 そして、そんなささやかな抵抗もむなしく、姫の体は俺たちの目の前で見る間に変化していった。


 数秒後――俺たちは姫の真実の姿を目の当たりにした。フランス人形のような美少女はもうそこにいなかった。ただ、ぶよぶよに太った、肉の塊のような女がいただけだった。そう、体重百二十キロくらいはありそうな。アメリカ西海岸とかによくいそうな。当然、ドレスはびりびりに破れている。


「わ、わたくしは病気なのです!」

「いや、ただのデブじゃん?」


 マジレスせずにはいられない俺だった……。

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