10

 やがて、俺たちはすぐに「女神の後れ毛亭」という店に着いた。ティリセがそこで一人飲みながら俺たちを待っているはずだった……が、


「ちょっと! そっちからぶつかっといて、その態度はないんじゃないの!」


 店に入るや否や、若い女の怒鳴り声が耳に飛び込んできた。それも、よく聞き覚えのある声だ。俺は恐る恐る、声のしたほうを見た。案の定、店の奥でティリセが他の客に絡んでいた。絡まれているのは若い二人組みの男で、チンピラっぽい風体だった。そして、ティリセはすっかり酩酊しているような赤ら顔で、目もすわっていた。あいつ、俺たちを待ってる間、どんだけ飲んだんだ?


「ハァ? お嬢ちゃんさっきから何言ってんだよ?」

「ぶつかってきたのはそっちだろうがよ。とっとと詫び入れて、慰謝料出せや。あと乳もませろ」

「尻でもいいぞ」


 チンピラ風の男二人もそれなりに飲んでいるらしい。店の中なのに、下品な笑いを浮かべながら、路地裏的アウトローな会話をしている。他の客は遠巻きにその様子をじっと見ている。


「はっ、ふざけんじゃないわよ! 清廉清楚なシスターこのあたしに触れようなんて百億年早いわ!」


 と、ティリセはいよいよぶちきれたようだった。何か魔法を使ったのだろう、男二人はいきなり床に突っ伏してしまった。まるで何か、見えざる力で床に叩きつけられたように。


「ぐおっ!」

「いだだだだっ!」


 男二人は石畳の床の上を這いつくばりながら、見えない力に抗うようにじたばたしている。「どう? これが、神の裁きよ!」ティリセは得意げに言い放つ。


「どこが神の裁きだよ。どう見ても自前の重力魔法だろ、あれ……」


 かつて一緒にパーティーを組んでいたころ、同じ魔法攻撃を受けたことがあったのを思い出してしまう俺だった。


「でも、重力魔法ってかなり高度なものですよ。それを詠唱も、集中の所作も何もなしに使えるってありえるんですか?」

「まあ、あいつに限ってはな。ダテに百年以上生きてるわけじゃねえってこった」


 と、俺はそこまで言ったところで、ユリィの袖を引っ張り「出るぞ」とささやいた。


「これ以上あんなやつに関わってはいられん。あいつはここに置いていく」

「え、でも、智樹様のかつてのお仲間でしょう? 魔法だってかなりの腕前のようですし、一緒に世界を救ってくれると言ってくれましたよ?」

「バカ、見てみろよ。これから世界を救うって態度かよ、あれが」


 俺はティリセのほうを指差した。今は男たちの頭をかわるがわる踏んづけて、「お婿に行けない顔と体にしてあげましょうか?」と殺気走った目で脅している。


「た、頼む! 許してくれ!」

「俺たちが悪かった!」


 男たちは真っ青な顔で震えている。


「そう? じゃあ、金目のもの全部あたしに差し出して、ここから消えなさい。尊い神への寄付で、あなたたちの罪を特別に帳消しにしてあげるわ」

「は、はいいい!」


 男たちはたちまち、ポケットの中身をティリセに差し出した。


「智樹様、あれって、もしかしてカツア――」

「これ以上言うな。現象を認識するな。俺たちは何も見なかったんだよ。さあ、行くぞ。今日の宿を探しに行かないとな」


 俺はユリィの腕をつかみ、早足で店の出入り口に向かった――が、外に出ようとした瞬間、こっちにフォークが飛んできた! それは俺の頬をかすめて、扉の木枠に刺さった。


「アルゥ~、遅かったわねえ。あたしをこんなに待たせるってどういうつもりぃ~?」


 投げたのはもちろん、知り合いのクソエルフだった。店中の客がいっせいに俺たちのほうを見た。うう、あんなやつの仲間だと思われて恥ずかしい……。


「いやあ。ここに戻ってくる途中、ちょっと道に迷ってさあ。あと、産気づいた妊婦を拾って病院に送ったりもしたかな? そうだよな、ユリィ?」

「そ、そうですね。いろいろ大変でした……」


 俺とユリィはアイコンタクトで言い訳の連携を取った。


「ふぅん? ま、別にいいけどぉ?」


 ティリセはツインテールの片方を指にくるくる巻きつけながら、答えた。相変わらず、酩酊しきった様子だ。


「にしても、あんたたちもバカよねえ。どう考えてもニセモノの勇者の剣を見るために、三時間も並ぶって」

「え? なんであれがニセモノだって知ってんだよ」


 俺たちはとりあえず、ティリセのほうに行き、一緒のテーブルについた。テーブルの上には空の皿とジョッキがたくさん並んでいた。


「そりゃ、街のあちこちにいる、すでに見てきたって人をつかまえて、ちょっと話を聞くだけでもわかるわよ。なんかすごい絢爛豪華な剣らしいじゃない? あんた、そんなの使ってなかったもんね。あんたが使ってたのは、そう、いかにも貧乏くさい……」

「うっせーな! ニセモノだって気づいたんなら、すぐに俺たちのところに知らせに来いよ! 三時間も並ばされた俺たちがバカみてえじゃねえか!」

「いやよ、そんなの。バカは自己責任でお願いします」


 ティリセは意地悪げに舌を出し、にやっと笑った。こいつ、ほんと、腐った性格してやがるよな。


「それにねえ。あたしも一人でただ飲んでたわけじゃないのよ。一応、他にも役立ちそうな情報を仕入れたんだから」

「あの剣のことか? ニセモノだってことで話は終わりだろ?」

「終わりじゃないわよ。いや、ある意味終わってるってことかしら」

「意味わかんねえよ。何が言いたいんだよ」

「もう、せっかちねえ」


 ティリセはくすりと笑い、俺の耳に口を近づけ「実はね……」と、話し始めた。

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