第三章 那月と玲菜の一つの答え。
「事態はかなり深刻だよ……。今まで以上に頑張る必要がある。わかっているねレーナ?」
「も、もちろんよ」
「……ところで、なんでここで話し合ってるの?」
そしてなんで
「いやほら、レーナがお姉にも相談したいって言うから。どこかで待ち合わせするならメイド喫茶でいいかなーって」
「そうだったね……。えーっと、
「えっ? ううん全然だよ。用事があってこれない
メイド喫茶という初めての空間に忙しなく視線を彷徨わせていた
はぁ……
メイド喫茶の一角で行われる、レーナのクビを回避するための男性克服作戦会議は続く。
「それで……アキャリ先輩の話では、私がクビを免れるには二週間後の開店一周年記念でちゃんと接客ができる事、だったわね」
「レーナの言う通りですよ」
名前が呼ばれたことに気づいたのか、アキャリが作業の手を止めこちらにやってきた。そして布巾を畳み直しながら、
「パパの決定で急にそんなことになって……ごめんなさいね」
「えっ、もしかしてここの店長って、
驚きの声を上げる
アキャリがそのあたりの説明をし終えると納得! といった様子で
「全くパパったらひどいですよね。確かに接客が壊滅的なレーナを雇うよう、無理を言いましたが……急に手のひら返しなんて」
「ま、まぁアキャリ先輩……もとはといえば私のせいなのだし、そんなことを言わないで」
「パパはレーナが『ラブラ』のマスコットとして、メイドたちにどれほど人気かわかっていないです。今回のクビの件だって、パパ以外は反対なんですから」
アキャリがそう言うと、周りのメイドさんが何やらうんうんと首を縦に振っていた。マジでマスコットなんだね……ここでも戦力外なんだね……。
確かにいつもクールな感じのレーナだけど、メイド服みたいなふわふわした服を身に着けていると、なんかこう、愛でたくなるもんね。……私は何を言っているんだ?
阿保みたいな考えを振り切るように軽く頭を振っていると、アキャリは両手を腰に当てた。
「とにかく、私たちとしてもレーナがここを去ってしまうのはとても心苦しいです。なので、ぜひとも頑張ってくださいね」
では~、とおっとりした様子でほかの卓へと向かっていった。なんだろう……あの人あんまり深刻そうじゃないんだよね。いつもあんな様子だからそう見えるだけかな。
「んでどうするかだけどさー。一応兄貴に対しては接客は出来たわけだよね。だったらこれ以上やることなくない? つまり諦めるしかないみたいな」
「早い早い
「そうだレーナさん。せっかくここにきているんだし、今の接客状況を見せてもらうことって、できないかな」
せっかくの
「そ、その……あんな醜態、できれば見せたくないのだけれど」
「レーナいつも諦めなければって言ってるくせに」
「で、でも
すっかり弱気になってしまうレーナだったが、折り悪く新規のご主人様が。どうやら聞き耳を立てていたらしいアキャリがキラーパスを出す。
「レーナ、ご主人様をお願い」
「えっ、でも……」
はわわと手をあたふたさせ、かなり混乱した様子だったがふとシュシュに目が留まり、落ち着きを取り戻す。胸に手を当て、いざ出陣するレーナ。
「おっ! おきゃえりなふぁい☆※%#&……」
静寂の走る店内――。
「うっ……うう」
「ご、ごめんねレーナさん……」
数分後。机に突っ伏すレーナに謝罪する
「ま、次の課題は知らない男に対してできるかどうか、ってとこみたいねー」
落ち込むレーナをよそに、冷静に現状の問題を整理する
「うーん……いっそのこと路上ライブしてみちゃうとか?」
「そこまで行くと男女関係ないような……というかそれ、私でも出来ないよ」
「確かに
「それか後はここでただひたすらに実践練習するかくらい?」
真剣に頭を悩ませる
「あっ」
そんな時、一つの妙案が浮かんだ。だけど疲労した頭はその草案を一切修正することなく口に出してしまう。
「
「「「えっ?」」」
全員が全員何言ってんだこいつとばかりに、接客中のアキャリまでもが私に視線を向けた。ただ
一瞬でぶわっと汗が汗が噴き出るような感覚に襲われながら、必死にその草案の修正に取り掛かる。
「そ、そのほらあれだよ! デートじゃなくて、単純にお出かけしてみればって言いたかったんだよ! それでその、一緒に出かけていろんなお店を巡って、男性の店員さんと話してみればいいんじゃないかと思って。店員さんならこっちに食ってかかることもないと思うしさ!」
しーん……。な、なんだこのいたたまれない空気。レーナもすっかり固い表情になってるし。私が言葉を失っていると、スマホから目を離した
「ま、お姉の案は悪くないかもだけどさ、なんで兄貴と二人きり確定なの?」
「えーそ、それは……。いや二人きりの必要はないねこれ」
私が冷静に見解を述べると、なぜか
「でも確かに
「れ、レーナはその、どう思う?」
冷静になるにつれ、とんでもないことを口走ったと後悔が押し寄せる。だってこれ状況的には、
「……そ、そうね、悪くはないんじゃないかしら」
えっ? なんで……?
私が思考の海に沈んでいるうちに、
「んじゃ、アタシもそれに付いてくよ。一応同性がいたほうがいい気するし。めんどいけど」
「ありがとう
「また? って言ってもまぁ、もう兄貴ならたぶんだいじょぶだもんね。がんば~」
適当な応援を送ると
「
「ええ、頑張ってね。応援しているから」
私の応援ですっかり調子を取り戻した様子のレーナ。少しだけレーナのことが分からなくなった私は、胸に生まれた小さな穴を埋めるように水を一息にあおった。
というわけで翌日。昼休みになると俺は空き教室へと向かっていた。昨日ついでに決めた
「……おっ、すでに来ていたんだな」
空き教室の扉を開けつつ、俺はさっそく演技を開始した。男性に対して怯えているというよりも、普通に緊張して固くなっているように見える
「
「そ、その……。実は協力してほしいことがあるのよ」
言いつつ、珍しく
「に、逃げるんじゃないわよ」
「違う逃げたんじゃない。あんまり距離が近いと、
「はぁ……あのお泊りであなたは克服したじゃない。そんな心配はいらないわよ」
呆れたように首を振る
「それで、協力してい欲しい事ってなんだよ」
「え……と、その、協力してくれる?」
「いや先に内容聞かせろって……」
あんな意気揚々と頑張るとか言ってたくせに、変なところで緊張するなよ。内容を知っているだけに、こうも遠回りされるともどかしい。
「そっそうよねごめんなさい。へ、変な意味とかなしに、あくまで克服のために、私と、その……デ、デート……してほしくて」
「ああそういう。まぁ別にいいぜ」
「いっ、いいの? 本当に?」
「なんでそんな驚くんだよ。だって克服の一環なんだろ? だったら構わねぇよ」
「
「えっ? なんで
「そ、そう。ならよかったわ」
全くまだ気にしていたのかよ。いやまぁ確かに、恋人持ちの異性と二人で出かけたくはないだろうけどさ。
胸をなでおろす
「そうね……まだしっかりと決まっていないけれど、あなたと
「なるほどな。了解。どこに行くかは俺も何となく考えてみるよ」
「あなたも考えるのは当然でしょ。しっかりしなさいよ」
「はいはい悪かったよ」
悪態をつきつつ、腕を組んで薄暗い空き教室の埃っぽい床に視線を落とす。
発案者ではあるけれど、正直気は進まないんだよな。自分が間接的に女の子を休日に誘った感じだし。まぁでも
「
「兄ぃ女の子の準備は時間かかるって知ってっしょ? もちょいかかりそうだから先行ってて」
と、言うわけで。待ち合わせ場所であるハチ公像前に先に待機する
「あいつ待ってたせいで、だいぶギリギリになったな……」
時計を見ると待ち合わせ時刻十四時の一分前。梅雨を抜けきっていないくせにうざったらしいくらい日差し強いな。俺と同じく待ち合わせの人々の喧騒にうんざりしながら、
ちょうど予定時刻になった頃、人混みをかき分け足早にこちらに向かう人の姿が。
「ごめんなさい。遅くなったわ……って、なんであなただけなのよ」
息を整えながら、右手を腰に当て不機嫌そうな
「
「そう……。それならもう少し待ちましょうか。ここだと日差しが強いし、あっちの日陰に移動しましょう?」
「えっ? でも……」
「律儀にこの日差しの中で待ってたら、干からびるわよ。少し離れるくらい問題ないんだから、さっさと行くわよ」
なかば無理やり
「つーか
ふぅと息を吐き、持っていた扇子で涼をとる
「ええ、全然平気ってわけではないけれどね。周りにいるのが全く知らない人たちで、私に意識が向いてなければそこまで怖くないわ」
なるほど……と呟きつつ、
「……なにジロジロ見てるのよ」
「いや、暑くないか? 大丈夫か?」
「あなたに心配されるいわれはないわよ」
とは言うものの、急いできてくれたせいか汗もかいている。早いとこ
「?
「えっ、なんて」
「……急にやる気失せたから、やっぱ今日やめるわ。二人で楽しんできてちょ」
……。二人の間に流れる沈黙。
つーかあいつ、初めからこうするつもりだったのでは? そんな疑問が頭をよぎったのを見計らったかのように、俺のスマホにも着信があった。
『お膳立てはしてやったぜ! あとは煮るなりヤるなり押し倒すなりご自由にどうぞ。PS ホテルは道玄坂の方にあります』
やってくれたなあいつ……っ! 俺は頭を抱えつつ、いらねぇ情報をどうもと乱雑に送り返し目の前の現実に向き合う。
「あー……なんだ? まぁ出発するか?」
「え、ええそうね」
どこかぎこちなくなってしまった空気を変えようと、早速出発の提案。ポケットに手を突っ込み歩き出すと、
「ねぇそういえば、結局今日の予定決まってなかった気がするのだけど」
「ん? ああそういやそうだったな。一応俺の方で考えてきてはあるぞ」
人の合間を縫って目的地に向かいつつ、昨晩考え抜いた提案を披露する。
「やっぱり店員と関わるといえば人見知りの死地、アパレルショップだろ。そんでそのあと、男性店員の多そうな店で飯を食うって感じだ」
ドヤーっと発表するも、
「どうした? 不安なんか?」
「いや、そうじゃなくて……アパレルショップって、女性店員が多くないかしら?」
「……確かに」
なんとなく店内を想像するも、女性店員の『いらっしゃいませー』の声しか再生されない。勝手なイメージではあるんだが。
「ちなみに私の服を見に行くつもりだったの?」
「そのつもりでした」
「女性ものを見に行くなら、その時点で女性が多いかもって気づきなさいよ」
か、返す言葉もねぇ……。でもデートで服を見に行くといえば、やっぱり女の子の服を選びに行くイメージあるだろ!
……そもそもデートではないんだけど!
「服屋で男性店員と話すなら、メンズファッションのお店しかないんじゃない?」
「だがそれでは俺の服を選ぶ、詰まるところ俺が男性店員と会話するだけなのですが……」
どうしたものか……と
「
「きゅ、急に何よ」
「いや純粋にそう思っただけだよ。とりあえず、メンズファッションの店に行ってみようぜ」
「……そうね、冷やかしに行きましょうか」
服を見に行くというのに、いまいち乗り気じゃないな。まぁなにはともあれ、目的地も改めて決まったし早速出発だ。
「いらっしゃいませー!」
すーずしぃー! キンッキンに冷えた最高の空間におもてなしされる。
「それじゃ早速、選ぶとしますか」
「……」
意気込む俺の隣には、いつの間にか借りてきた猫がいた。くっついちゃいなくても、そんだけ近いと暑いんですけど……というか俺汗の匂い大丈夫これ?
「ほら
「で、でも……」
「おいおい、頑張らないとクビになっちまうんだろ? だったらやるしかねぇだろ」
うう……とどんどん小さくなる
「なんだ? そもそも服はそんなに好きじゃなかったか?」
「そ、そういうわけじゃないけれど……」
どこか含みのある言い方に俺が聞き返すと、
「肌が露出するものとか、お洒落をするのは気が進まないのよ。なんとなく男の人の視線が強くなる気がして」
言い切ってから慌てて自意識過剰なのはわかってるわよ? と顔を背けて付け足す
いや、多分そんなことないぞ。
ただ、それでも本人が不愉快に思っているなら、それはただの迷惑なんだよな……。
「……
「嫌というよりは、やっぱり怖いの方が近いかしら。なんて言えばいいのかしらね……男の人の目ってギラギラしてない?」
「な、なんじゃそら。え、つーかじゃあ俺の目もギラギラしてんの?」
「いやあなたはギラギラどころか生気が感じられないわ」
「誰が死んだ目じゃ!」
ってこんな話がしたいんじゃなくて! お洒落が好きなら楽しんで欲しいと思うけど、余計なお世話だよなぁ。いやでもやはり、お洒落が好きなのにみすみす捨ててしまっている女の子は放っておけない!
自分でもよくわからない使命に目覚めた俺は、熱を込めて拳を握る。
「よし
「きゅ、急にどうしたのよ。というかそれじゃあ……」
「安心しろ。周りの視線は俺がなんとかしてみせるからさ。よーしこうなったら男性克服とかどうでもいい。渋谷を巡って
「ちょっと、本題からそれてるじゃない! 私は今日男性を克服するために……」
「いいか
「な、なによそんなに熱く語っちゃって……わからなくもないけれど」
「気分が上がれば、苦手なものに挑もうって気概も生まれるとは思わねぇか?」
相変わらず引き気味ではあるものの、俺の熱量に負けたのか
「……はぁ、わかったわよ。その代わり、本当に視線を気にならなくすること、できるんでしょうね?」
「多分!」
声高らかな適当宣言に、大仰なため息をつく
「ほら、早く行きましょう。その代わり、しっかり付き合ってもらうわよ?」
呆れた笑みで手招きお誘いする
それから俺たちは、同じ建物内のレディスファッションやら様々な店を回った。トップスやボトムスを始め、シューズや小物までも揃えていく。時折俺がこっちの色の方が絶対に似合うと口出しすると、
その傍らふと
「……あなた、やけにファッションに詳しいわね」
「そ、そうか? これくらいは普通だと思うが」
「普通の男性って、メイクとの相性まで口出しするほどの知識があるのかしら」
「うぇえ? あ、あー……俺はほら! 妹がいるからさ! なんとなく知識があるってだけだろ。は、はは、あはは……」
と、普段の行いについてボロを出しかけたりもした。確かに男にしては詳しくすぎるかもしれない……いや、確実にそうだな。何とか誤魔化せたみたいだが、ちゃんと気をつけよう。
「ちょっと? ちゃんと近くにいるんでしょうね?」
フィッティングルームの前で待っていると、中からそんな不安そうな声が聞こえてきた。俺が外から控えめに返事をすると、
「着替え終わったから、出るわよ?」
「ど、どうなのかしら?」
心配そうにもじもじと手の甲を撫でながら聞いたきた。俺はファッション界の重鎮のごとく頭から足先まで
ゆるりとレースのあしらわれたブラウスに黒の革ジャンを肩で羽織り、細目の七分丈ジーンズで足の細さを見せつつ、ちらりと覗く足首がまぶしい。初夏にふさわしい涼しげなサンダルに、金メッキのイヤリング……、
「美しい……」
「へっ?」
あまりの出来上がりに、思わず心の内にわき上がる声がぽろぽろとこぼれていく。
「最高だよ
「ちょ、ちょっとやめなさいよ恥ずかしいからっ!」
べた褒めされた
「す、すまん思わずテンションが上がりすぎた申し訳ない」
って急に冷静になると俺めちゃめちゃ恥ずかしいな!? 俺もカーテンに隠れてぇわ! だが流石にそんなわけにもいかず、体温の上昇を感じつつも
「ぬ、
俺が優しく呼びかけると、カーテンの隙間から
「べ、別に嫌な気持ちになったわけじゃないわよ……ただちょっと、どうしていいかわかんなくなったの……」
「そうか……どちらにしても取り乱して申し訳なかった。えーっと、それで
「……ふん、そんなの言うまでもないでしょ?」
やっと気持ちが落ち着いたのか、カーテンからゆっくりと出て来た
「惜しむらくは、マニキュアペディキュアが塗れないことだな。これで差し色に赤でも塗れりゃあもっとよかったんだがなぁ。うちの学校の校則はどうなってんだか」
「あなたまだ言ってるの? やめてよ恥ずかしいから。それに、その校則は珍しくないと思うわよ」
「じゃあ日本の学校全体がおかしいんだな。せめて軽いメイクくらい許せってんだ。どうせ社会に出たら必要な知識なんだから」
「確かにそれは言えてるわよね……って、なによこの女の子同士みたいな会話」
「と、とにかく、気に入ってもらえたんなら買っていこうぜ。近くの店員さんは……」
「どうだ? 一人で行けそうか?」
今まで男性店員がいた時は、俺がちょこちょこアシストしつつ進めていた。最初こそ店員の周りをうろうろするやばい客だったが、やる度に成長していたし、そろそろ一人でいけるんじゃないかと思うんだけど。
「や、やってみるわ」
手を震わせ緊張マックスな様子ながらも、しっかりと言い切る
「おう、頑張ってこい」
そう送り出された
「す……すみま、せん……」
声ちっちゃー!? 本当に喋ってる!? なにやら声をかけている様子だけど、たぶん全く聞こえていない。案の定店員は黙々と作業を続けていた。
どうしよう……ここでまたアシストするか? でもそれだと今までと同じだし……。
「ここでお姉が応援すれば頑張れんじゃね?」
「そりゃあ
突如としてフェードインしてきた声に目を向けると、けだるそうに欠伸をかます
「おい、来るのめんどくせぇとか言ってなかったか?」
「そりゃあめんどいけどさぁ、兄ぃがスマートにホテルに誘えるか心配じゃん?」
「誘わねぇわ! 用事がねぇなら帰っとけよ……」
「んー? 兄ぃに必要かもしれないもの持ってきてるけど?」
ニマニマといやらしい笑みを浮かべつつ、
「
「知らなかったの?」
「知ってた。……って、これそもそもうまく行くか?」
「んー……れっちはまだかかりそうだし、兄ぃが高速でメイクしてその辺の服拝借すればいけんじゃない?」
適当かよぉ! ……まぁでも、ここは
「
はいよーと間の抜けた返事を聞き、俺はフィッティングルームへ。本当は全くもってよろしい行為ではないが、ここで化粧を進めていく。本当はもうちょいこだわりたいところだが、そんなことは言ってられない。
「お待たー。こんなんでど?」
これまた緊張感のない声で
俺は
「ま、こんなものね」
「わーお姉すげー。一分もかかってないんじゃない?」
ぱちぱちーとやる気のない拍手でお祝いする
「でも、右目のアイラインが若干ゆがんでるね」
「どうでもいいからさっさと行きなさいよ。アタシはここで荷物見てっから」
ばちこーんとフィッティングルームから叩き出された。私としたことが。
あとは気づいてもらえるかだけど……あっ、こっち見た。ふふっ、驚いてるね。
はわわわ……と混乱している
「あっ、あの! すみません!」
今度は私にもしっかりと聞こえるほどの声をかける
「はい、どういたしました?」
とても丁寧な様子でご用伺いするも、
「こっ、この服、を購入したいのだけれど、このまま着て行ってもいいかしら?」
所々上擦っているものの、しっかりと言い切った
「かまいませんよ。それではレジまでどうぞ」
道を促され、レジまで向かっていく
ありがとう……って言ったのかな。
「おっつー」
するとスマホに目を落としたまま、私には一瞥もくれずに労う
って今はかまっている場合じゃないね。私はメイク落としで顔をゴシゴシと雑に擦り、ウィッグをはずし着替えを終えてさっそうと
「ありがとうな
「どいたま~。これは高い貸しにしとくね」
「マジかよ。いいけどさ……あーあと
「えっ? 本気?」
俺はポケットから財布を取り出すと、スマホから目を離しきょとんとする
「なんか普通に気に入っちまった。それと迷惑料? ここで化粧とかマナーよくないしな」
「兄ぃ変なとここだわるよねー。試着しただけなのに、さも買ったかのようにネットに上げる輩よりはマシだと思うけど。ま、じゃあ買っておくよしょーがない」
「いろいろ悪いな。ありがとう」
「はいよーさっさとれっちを迎えに行って。放っておくと変な虫つきそうだし」
はいはい、と俺は急いでフィッティングルームを出てレジに向かうも、既に
「一目惚れしましたっ! 付き合って下さい!」
だぁー遅かったぁ!
「あ、あのそのえっ……その、きゅ、急にこ、困るわ……」
震える唇を制しつつ、なんとか否定を紡ぐ
「わ、悪い! 待たせた!」
自分の存在を示すかのようにわざと大声を上げ、何事かと集まった野次馬を抜け二人の間に割って入る。すると俺の存在に気づいた
「くっ……彼氏持ちだったのか。こんな冴えない男に負けるなんて……」
くっそ失礼だなおい。いや別に自分でもイケてるとは思ってねぇけど。彼氏、ね……否定するべきか? いやでも今はそう思われたほうが都合いいか。
「いえ断じて違うわ」
ああーそこまではっきり言われると傷つくなぁ! 勘違いされたままの方がいいとか考えてた自分がアホらしいわ。内心へこむ俺に対し玉砕した若い男がギリリと歯噛みしていた。
これ以上面倒になる前に場を離れようと強引にそれじゃ、と歩き出そうとしたところで、
「きっ……気持ちはっ、嬉しかったわ!」
珍しく
「でも、あなたとそういった関係にはなれないので……ごめんなさい」
面と向かって頭を下げられ、男はバツが悪そうに視線を落とした。諦めたのかいたたまれなくなったのか、その場を離れようとするも、これまた驚くことに
「ちょっと、あと一つ言っておくけれど」
今度はなにやらと構えていると、
「確かにこの男は冴えないかもしれないけれど、信頼のおける人よ」
……え、泣くんだけど。
ダメだダメだ完全に泣くところだった。まさか
完膚なきまでに振られた男は、唇を強く噛みその場を後にした。ことが収まったのを見るや、周りの野次馬たちも霧散していく。そこでようやく俺も緊張を解いた。
「はぁ……。えーっとすまん。トイレ行ってた」
「本当よ。急にいなくならないでちょうだい。さっきみたいなのが現れたら困るじゃない」
ぐいぐいっと俺の裾を引っ張りながらしおらしい様子で
「あー……その、ありがとうな」
「? 何のことよ」
全然ピンと来ていない
……こんなに嬉しいものなんだな。誰かに信頼してもらえるってのは。
「それよりどうだ? 落ち着いたか?」
「え、ええ。もう大丈夫そうよ」
俺の服の裾をつまんでいたことを思い出したのか、
「それで、この後はどうするのかしら」
スマホで現在時刻を確認すると十八時を回っていた。
「ちょっと早いがどっかで飯でも……と思ってたけど、男相手にあれだけ言えりゃあ、成果としては上々だよな。今日はかなり頑張ったし、ここいらで解散するか?」
……まぁ本当のところは、さっき
俺の提案に
「ええ、それじゃあ今日はもう帰りましょうか」
顔を上げると薄く笑みを浮かべ、
「そういえばあなた。視線は俺に任せとけなんて言ってたけれど、いったいどうするつもりだったのかしら?」
すっかりいつもの表情に戻った
「ふっふっふっ、よくぞ聞いてくれたな」
「な、なによ勿体ぶって」
「
俺は懐からとあるものを取り出し、颯爽と顔に装着した。そしてドヤァとばかりに
「……」
しかし、当の
「あ、あのー
「とても素敵なサングラスね。でも、それをつけたまま私の隣は歩かないでちょうだいね」
「ひ、ひでぇな!?」
完璧な作戦だろ!? 俺に視線が集まるように、右に東京タワー左にスカイツリーが乗ったパーリーピーポーサングラスをつけて歩くという、天才的な発想だろ!?
「はぁ……あなた、その作戦本当にいいと思ってたの?」
「い、いやだって……」
「
「無理だな」
うん、無理無理。たぶん絶縁される。絶対やりたくない。俺の即答に
「気づくの遅いわよシスコン。
「ししシスコンちゃうわ。まぁでもなんつーか……すまん」
「そこまで落ち込まないでちょうだいよ。一応、私のためを思ってやってくれたんでしょ」
そう言われるとどこか照れくさい気持ちになっちまう。俺がポケットに手を突っ込むと、
「心配しなくても大丈夫よ。あなたの言う通り、さっきのでなんだか自信ついた気がするし。それに」
「私は最高に綺麗なんでしょ? それならあなたも変な格好しないで、堂々と私の隣を歩きなさいよ」
パチリとウインクをかますと、
「……全く急になんなんだよ。調子狂うな……」
「ねぇねぇ聞いた
「何をだ?」
「
「ああ……そうらしいな」
おにぎりをハムスターみたくちょびちょび食べる
「
「力になれてりゃ嬉しいんだがな」
「あらあら、そんなに謙遜しなくてもいいと思いますけど」
「……ずっと思ってたけど、なんで
「いいじゃないですか。楽しそうだったので混ぜてもらおうかと思いまして」
「俺は構わんが……。つーかそういや、
「実は選択科目の席が隣なんだ。そこでたまに話したりしてるんだよ」
「そうだったのか」
「はい、でもまさか
小声でニヤリ悪代官な笑みを浮かべる
「ところで話を戻しますけど、最近の
「ほらほら、
褒められている? 状況にどこか歯がゆさを感じ、
「この分なら来週までに接客ができるようになるのも、夢じゃないかもしれないですよ」
ぽむと手のひらを合わせて柔和な笑みを浮かべる
「あっいたいた。兄貴ちょっといい?」
廊下に立つ
「どうしたんだ?」
「それがさ、久しぶりにれっちが男子に呼び出されたんだよ」
「ほお、そりゃなんとも……。で、大丈夫なのか?」
「だいじょぶならわざわざ兄ぃ呼ばないよ。アタシも行くって言ったんだけどね……最近は少しずつだけど慣れてきたから、私に任せてって大見得切っちゃってね。で、さすがに心配だから、これかられっちを見に行くつもり」
「場所はどこなんだ?」
「それがね、本人が言わなかったし見失ったんよね」
「で、人手を増やそうと俺のもとってわけか」
「そそ。じゃ、それっぽい場所探してね。アタシは屋上を見てくるから、兄ぃはそれ以外の場所探しといて」
「分担おかしすぎるだろ……」
そんな文句を口にするも、
「部活棟か」
昼休みの部活棟は閑散としているんだよな。俺が
思いつくや否や俺は走り出す。こっから先が部活棟だが……っとと、話声が聞こえるな。
「
うんビンゴだな。つーかなんだこの最低な告白。それが許されるのはドSの似合うイケメンだけだぞ。顔は……ダメだ。背を向けているせいで見えないが、どうせお察しだろう。
角からのっそりと様子をうかがう。
「……そ、その、わた、私をよく思ってくれるのはう、嬉しいのだけど」
「それなら」
「で、でもごめんなさい!」
びしっと頭を下げる
「あの男か」
「えっ?」
急な発言に、俺も
「最近あの二年の男と仲良さそうにしているもんな」
ってこりゃ俺のことか。まぁ流石にあそこまで一緒にいりゃ、噂になっちまうか。
「ち、違う! あいつはそんなんじゃないわ!」
「そんなこと言って、休日に一緒に出歩いていたらしいじゃねぇか」
まっじかそんなことまで割れてんのかよ。やっぱりこのご時世人の目はどこにあるかわかんねぇな。
「そ、それは……ただ……」
うう、と喉を詰まらせ、どんどんと言葉が停滞してしまう。まずい……これ以上ただ見守るわけにはいかないか?
「ふん、やっぱりな。そういうことなんだろ」
「あいつとは、そんなんじゃ……」
「お前が男を避けてるのも、あの男がいるからなんだろ? あいつ以外どうでもいいって思ってるから、他の男を見下してんだろ?」
「そ、そん……な……こと……」
……。
「いいよなぁお前は。ちょっと顔がいいからって調子に乗りやがって。別に俺を振ってもあの男を振っても、そのあとも男なんて選び放題だもんな」
「……ぅ……ぁ……っ!?」
「なっ!? お、お前……」
「お前さ。自分でそんなこと言ってて恥ずかしくねぇのか?
俺の怒鳴り声に二人とも肩を跳ね上げ、男子生徒はそのまま情けない声を上げて走り去ってしまった。ちっと心の中で舌打ちし、俺は
「あー……
俺の呼びかけに一切反応がなく、
「触らないでっ!」
バチンっ! と俺の手が
人気のない部活棟に、一人取り残されていた。
「兄ぃ、このトマトどっちがおいしい?」
「ああ……」
「ああじゃなくて、ちゃんと答えなって。好きな子に拒絶されて落ち込むのはわかるけどさぁ」
やれやれ、と
「……いや別に
「そこはもうどうでもいいわ。頼むからしっかりしてよー。今日は母さんが帰り遅いって言うから夜食買いに来てんのに」
「わかってるわかってる」
俺の気のない返事に、
「多分拒絶された……んだよな」
「さぁねわかんない。兄ぃから詳しい話を聞くまで、れっちが何も話してくれないからわからなかったし」
「それだけ落ち込んでるってことか……」
昨日の事件の後、
「あっ、兄ぃ。ニンジンはどれがいい?」
「多分これ」
「ふーん了解。兄ぃってさ、なんで料理壊滅的なのに素材の良し悪しは見極められんの」
「俺が知るかよ……」
「……このままじゃ、
「あー、んなこと言ってたねー。ましょうがないんじゃない?」
「そんなあっさりな」
「前も言ったかもだけどさー。アタシはそもそも、絶対治さなきゃいけないもんでもないと思ってるし。確かに何かと面倒かもだけど、そういう生き方だってあるっしょ」
「いやそれは全くもってそうなんだが……。でもなぁ」
「どうにかしたいんだったら兄ぃが頑張るしかないでしょ」
「そうしたいのは山々だが、これからどうすりゃいいんだか……」
「兄ぃ馬鹿なの? 兄ぃにはれっちと話す方法があるじゃん」
「お姉で会いに行けばいいでしょ。そんなこともわからないわけ」
「なっ……なるほど! その手があったか!
「いやこれで褒められても……別にいいけど」
呆れついでにんっ、とどの牛肉がいいのか視線で尋ねる
「そうだな。
「そんなうまく会えるの? そいえば兄ぃ、れっちの連絡先知ってるの?」
「……知らん」
「そりゃそっか。兄ぃが女の子に連絡先聞けるわけないもんね。そもそもれっちは交換したがらないだろうし」
「おい、兄を勝手に女の子の連絡先聞けないキャラにすんなよ。
「あの子は男の娘でしょうが……ってもー兄ぃ、変な話で脱線させないでよ。そんなんで大丈夫なわけ?」
「だ、大丈夫さたぶん」
帰宅して適当に時間を潰してから颯爽と
「……来た」
「
私の呼びかけに
「は、
私の名を呼ぶその声は憧れのこもった弾んだものではなく、とてもか弱く沈んだようなものだった。この姿を見られたくなかったかのように
「今日はどうしたのかしら」
「実はその……
「そう……なのね」
私の言葉に、
「それは……ありがとう。でも、もう必要ないのよ」
「どうして?」
「私はもう諦めたから。だから、もうどうでもいいの」
「なっ……なんでそんなこと言うの。せっかく今まで頑張ってきたのに」
「……確かに、これまで協力してくれたみんなには申し訳ないわよね。でももう無理なんだってわかってしまったから。だから、もういいの。メイド喫茶も辞める予定だし」
あっさりと語られたその言葉に、私は口を開くことも忘れて、ただただショックを受けていた。今までちゃんと接客するために頑張ってきたのに、メイド喫茶を自分から辞めるって……。
「ど、どうしてそんなこと……男子に相当酷いことを言われたって聞いたけど、そこまで思いつめてたの?」
私の問いかけに、
「……怖いの。わからないことが怖いのよ」
「そ、それは……
「ええ、私にとってわからないは怖いの。だから……」
「私は今、
「……えっ?」
急に飛び出した
「ど、どうして急に
黙っていても話が進まない。真っ白な頭ながら、必死に言葉を探して
「だって……おかしいじゃない。あいつは私の男性克服に真摯になってくれる。でも、私はあいつに何かしてあげたことがあったかしら? いいえ、そんなことはなかった、むしろきつく当たることの方が多かったと思うわ」
確かに、はたから見れば
「こんな私に、なんであいつがそこまでしてくれるのかわからない……。この前あいつが私のために怒ってくれた時、そのことに気づいてしまったの。それからは……私はもう、自分の気持ちさえよくわからなくなったのよ」
「
「だから、
「まっ、待って!」
踵を返して立ち去ろうとする
「
私の必死の呼びかけにもかかわらず、
すっかり冷たくなった手と手。彼女の手が震えているのはその冷たさからなのか、私にはわからなかった。
「……じゃあ、
「そ、それは……」
「ね、分かりっこないのよ。だから、もう終わり」
私の手をするりと抜けて歩き出そうとする
「お願いだからこれ以上、は……?」
私の伸ばした手が
「危ないっ!」
私は咄嗟に
「い……つつぅ……! だ、大丈夫だった
「え、ええ……って、あ、あなたは……っ」
どうしたことか、
「い、いや……これは、その……」
慌てて落ちた階段に視線を移すと、自分のウィッグが階段に置き去りにされていた。それが意味することはつまり、
「……ごめん」
恐る恐る
全ての言葉を失い、なにも出来なくなった俺はただ俯くことしかできなかった。もはや
「あなたは……いったい何なのよ」
風の流れる音だけが響く中、
「女装をしてまで私に近づいて……、私の男性恐怖症を克服するのを手伝ったり……」
そこまで言って、
「あなたは私をどうしたいの?」
その言葉に俺は目を閉じ、ただ歯を食いしばって聞いていることしかできなかった。
俺は投げつけられて腿の上に転がったシュシュを睨みつけた。
「どうしたいのってそんなの……」
胸の内で
俺はやり場のない怒りやもどかしさをぶつけるように、標識の鉄棒を殴りつけていた。
「……でさ。って、
「えっ? あ、ああ聞いてるよ」
放課後の教室。なんとなくすぐに帰る気が起きず、俺と
俺と
「本当に聞いてたの?
ぷんぷんと可愛くご立腹な
「
「またそうやって茶化すんだから……」
むぅとご機嫌斜めな
「そろそろ帰るか?」
「だね。そろそろ帰ろっか」
そう言うと
「……あっ。な、
突然呼ばれてあたりをきょろきょろ見回すと、珍しく慌てた様子の
「な、
「俺が知ってるわけないだろ」
「やはり……そうですか」
相当駆けまわっていたのか、肩で息をする
「じゃあ私はこれで……」
と立ち去ろうと
「どうしたの
鞄を取り終えた
「
「うーん……ボクも知らないや。
「実は今日がメイド喫茶の開店一周年お祝いデーなのですが……放課後になって
言いつつスマホを確認する
「それにタイミングの悪いことに、今日は二人も体調不良で来れなくなってしまいまして。記念日でご主人様が多くなりますから、さすがに三人の欠員を補うのは難しい状況なんです」
「ぼ、ボクも一緒に探そうか?」
あわわ……と口を押える
「いえいえ、さすがにお店の関係者ではない方に手伝いを頼むのは心苦しいですから。それにまだ開店まで時間がありますので、もう少し探してみます。それでは」
「それじゃあ帰ろうか」
「……ああ、そうだな」
その後無言のまま二人で下駄箱まで向かい、校外へと繰り出す。今日はやけにうるさく感じる日差しに目を背け手で庇を作る。
「いやー日差し強いね。夏が近づいてきたって感じだね」
「そうだな……」
どこか空虚な会話。お互いにそれを感じ取っているのか、その後またしばらく無言が続いた。道行く人々の声が煩わしい。どこか鬱屈とした気持ちから目を背けようとしていると、
「
急に
「いや、俺が探すのはおかしいだろ。
「そっか……」
「み、
ってなんだこの話……意味わからなすぎるだろこの質問が怖えわ。さっそく自己嫌悪に陥る俺だったが、
「うーん……それはやっぱり、ある、かな」
そして口に手を当て俺のことをじっと見つめだした。見つめられる気恥ずかしさに耐えられなくなりかけたところで、
「実のところ、ボクは
「えっ?」
唐突なその言葉に完全に虚を突かれて思考停止してしまう。すると
「だ、だから嫌いだとかそういうことじゃないよ?
急な告白にお、おうぅ……とか自分でも気持ちの悪い声が漏れていた。えっ、めっちゃ嬉しいんだけど。
「あっ、それそれその顔。ボクにはなんで
ぴしっと俺の顔を指さし
「でも、
その時、風が強く吹いた。ざわざわと木々を奏でるその風は、
信じる、か……。親友から寄せられる強い信頼に、俺はひとつの答えをもらったような気がした。
「ありがとうな、
「う、うん。あはは……なんか恥ずかしいね」
二人顔を見合わせ赤面するどこか甘酸っぱい空間。やっぱり
「って、あーごめん。
「いいやそんなことないさ。やっぱり持つべきものは
「どういう意味なのそれ」
また茶化すんだから……と少し不機嫌になってしまう
「
「うんわかったよ。ボクも用事を思い出したから、ここでお別れだね」
「また学校でな」
じゃ、と俺は家に向かって走り出す。
ただいまと声を上げながら自分の部屋に入り颯爽と女装の準備を始めた。
「兄ぃ? 慌ててどうしたのって……」
バタバタする俺を不思議に思ったのか、先に帰っていた
「なにしてんの?」
「
「お姉の? だってもうれっちにはバレちゃったんでしょ?」
「それでもだ」
「ふーん……」
意味深に頷いている
「やっと立ち直ったか」
「な、なんだよその上から来る感じは」
「そりゃそうなるっしょ。兄ぃのせいでアタシとれっちの関係も微妙になってんだから」
「うっ……そりゃあ……」
直接聞いてはいなかったが、やっぱりそうなのか。
「も、申し訳ない……」
「いーからさっさと手ぇ動かしてー」
「へいっ!」
おててがお留守なのを咎められ、慌てて化粧を再開。すると
「で実際、なんでここでお姉?」
「ちゃんと
「えっ、お姉いなくなるの? どうしてそこまで?」
「もともと、心のどこかでこんなことをしても無駄なんだってわかっていたんだ。それについさっき、
「……あっそ」
よしこれで完了……。ふとドレッサーに放っておいた、
私が転身し終えると
「まぁその……頼んだよ、兄ぃ」
「……もちろんだ。任せておけ」
一生のお願いじゃなかろうと、可愛い妹のお願いだ。聞き届けなければお兄ちゃん失格だ。
「とは言ったものの……」
とりあえずメイド喫茶周辺までやってきたけど、闇雲に探して見つかるものでもないよね。どうしたものかしら……。念のため
「
シフトをさぼるにしても、そこまで遠くは行かないはずだよね。となると意外と学校の近くとか自分の家とかかなぁ。
「……
なんだかんだでものすごく律義な
そう目星をつけた私は、メイド喫茶の方へと向かい、周辺をぐるりと回ってみることに。
「とりあえずメイド喫茶に到着っと」
さて、とりあえず周辺を一周してみようかな。そうして駆け出そうとした時だった。
「お姉ちゃん! きれいなドレスが着れる仕事があるんだけどどうかな!?」
「い、いえ……あの……こ、困り、ます……」
……。
目の前の光景を疑いたくなり、私は一度目を逸らした。そして一度深呼吸。もう一回目の前を向く。
「うん、やっぱり見間違いじゃないね」
そこにはまたも変な勧誘を受ける
例え喧嘩したとしても、やっぱり放っておけるものじゃないよね。私は意を決して
「し、しつこいわよ! いい加減にしなさい!」
「れ、
「まだ追ってきているの!? だから素敵なドレスは間に合ってるって!」
「違う違う! 落ち着いてよ
完全に勘違いされてるよこれ! と、とにかく追いつかねば……。しばらくチェイスを続けていると、さすがに
膝に手をつきやっと止まった
「れ、
私の名を聞いた途端、肩で大きく息をしていたというのに、ぴたりと動きが止まってしまった。そして私に背を向けたまま、
「……何しに来たのよ」
全くもってごもっともだ。すでに私の正体がばれているというのにも関わらず、こんな格好で現れるなんて。だけど私はお構いなしで逆に問い返した。
「だったら
「そ、それは……」
肩を震わせ言いよどむ
「あなたには関係ないでしょ。私のことはもう放っておきなさいよ」
「確かに関係ないかもしれない。でも、放ってはおけない」
「なによそれ……。私はもう行くわよ」
「私も!」
立ち去ろうとする
「私も、
すると、
かなり走ってきたせいかメイド喫茶からは離れてしまい、すっかり人気のない道路。車の走る音は聞こえるが、どこか不気味な沈黙のようなものを感じ私は焦りを覚えた。
「えっとその……だ、だって酷いじゃん。確かに私は
「……そんなこと言われたって、しょうがないじゃない」
ゆっくりと振り返る
「どんなに考えたって、あなたが私にここまでしてくれる理由なんて、わからないの。そんなのおかしい……。怖いに決まってるじゃない」
腕を組みどんどんと小さくなる
「ねぇ
「……」
肯定も否定もせず、ただただ俯く
「だって散々一緒に過ごしてきた実の妹でさえ、まだまだ分からないことがあるんだよ? それが無理なら、昨日今日知り合った人間を理解するなんて無理に決まってる。それにさ、そもそも男性女性なんてひとくくりに理解しようとしていたのが間違いなんだよ」
今までの自分すら否定する言葉。でもそれは、自分でも驚くほどするすると紡がれていた。
「そんなの……気づいていたわよ。だって私は今、自分が本当はどう思っているのかすら、わからないのだから……」
わなわなと震える自分の両手を見つめ、
「
「えっ?」
「親友の受け売りでちょっとかっこつかないけど、相手を理解することは出来なくても信じる事は出来ると思うんだ。そうすれば、相手がなんでこんなことをするのかわからなくても、この人だから意味のあることをしているんだって、相手を認めることが出来る。そうすればきっと、もう怖いなんて思わなくなるんじゃないかな」
「信じる……」
噛み締めるよに手のひらを見つめる彼女の視線の先に、私は手を差し出した。
「
差し出すその手は
「そう……ね。あなたの言う通り自分の気持ちを信じることも、大事なのかもしれないわね」
「勘違いしないでちょうだい。あなたに騙されたことはまだ怒っているのよ。でもあなたは悪い人ではない……そんな、根拠のない気持ちを信じただけなのだから」
「もちろんそれでいいさ。ありがとう
そう謝辞を伝えるも、
「あなた! その格好で男性としてのふるまいをしないでちょうだい! なんだか調子が狂っうのよ!」
「あっ、そ、そういう……そいつぁ悪ぃ……じゃない。ごめんなさいね、
言われてみれば確かに今の状況は、女性キャラクターに男性の声を当ててるぐらいの違和感があったのかもしれない。……うん、声音次第ではあるけどきついな。
「そもそも、なんで
「あー……それなんだけど、ちゃんとこの格好をしてた理由は伝えておこうと思ってね。もともとは、こうすれば女性の気持ちが理解できるんじゃないかって、中学に入学したころから始めてたんだ」
「じゃあ始めて結構長い事経つのね」
「本格的に始めたのは高校に入ってからだけどね。前にも少し話したけど、小学校の頃は女の子を避けててさ。でもあからさまに避けてちゃ嫌な思いさせるよね」
「は……
「ええそうね。でも、私は
「どいうこと?」
「否定も肯定もしない。相手を理解することを諦めて、適当にあしらったって言い方が近いのかな。それのおかげで、私が女の子を避けてるとか、変な噂は立たなかった。でも、さぁ」
話していると、当時の気持ちがよみがえるように息苦しくなる。溺れているわけでもないのに、足元さえ不安定に感じる。私はわざとらしく息を吐きだした。
「正直苦しかったんだ」
私の様子を、胸をきゅっと押さえながら見つめる
「なんかさ、わからない問題が、わからないままどんどん先に進んでいってるみたいな。自分だけが授業に置いてかれてるみたいな焦りがさ。気づけばすごく大きくなってた。中学に入れば環境が変わってうまくいくかもなんて思ったけど、全然そんなことなくて。それで、縋りつくような思いで、これを始めたの」
「そうだったのね……」
「最初は相当ひどかったけどね。今の私の可愛さが百だとしたら三ぐらい。しかも秒で母親にバレたし。そのあと親にノリノリで化粧を教えられるなんて、想像もしてなかったし……」
「そ、そんなことがあったのね」
本人曰く、私が化粧品に興味を持ったのが嬉しかったんだっけ。化粧品会社に勤めてるからってそんなものなのかな……。まぁどちらにしても、すんなり受け入れてくれたことには感謝しかないけど。
「とにかく、それで
「でも、それで救われたんでしょう?」
真剣な眼差しで私に問いかける
私が
「つまり、あなたも私も
「変な話だけどね」
私がそう言うと
「やっぱり
「お礼を言うのはまだ早いよ。これからなんだから。あ、それと実はなんだけど」
「どうしたの?」
「今日で
「えっ?」
「私のせいで
「それは、そうかもしれないけれど……」
「って、今は私のことよりも、メイド喫茶に行かなくちゃでしょ」
「えっそんな急に……」
「急にって、そもそも行くつもりあったんでしょ? じゃなきゃ、あんなところにいるはずないし。さぼって終わりにしようと思ったけど、結局できなかったんでしょ」
「……もう、何でもお見通しなのね。理解されるのも、ちょっと気持ち悪いかもしれないわ」
「そんなこと言わないでよ……」
肩を落とす私に
「あっ、そうだった
そう言って私は髪を留めていたシュシュを
「これ……。あの時は本当に」
「いいよ別に。私が悪かったんだし。ほら、それよりもまだやるべきことがあるでしょ」
「……ええ、そうね」
「ほら、早く行くわよ」
「もちろん。それより接客は大丈夫なの?」
「ええ、今ならなんだかいけそうな気がするわ。
そうしてメイド喫茶に向かう。そうだ。まだ終わりじゃない。これからメイド喫茶に戻って、
さっき走ったばかりだというのに、その足取りは軽やかだった。
「まさかこんなことになるとは……」
そんな愚痴をこぼしつつ、私はお客さんの帰ったテーブルを拭き掃除していた。
メイド喫茶に到着後、
「まぁまぁ
「なんだか複雑な気分だね」
いつもの超露出メイド服に身を包んだ
「でも、
「ええ全くもって同意だね」
私たちは示し合わせたかのように、料理を運ぶメイドに視線を寄せた。
「ん? 二人ともどうしたの?」
メイド服に身を包んだ
「ちょっと、ボクを見てニヤついて……趣味が悪いよ」
「ごめんなさい
「もぉアキャリさんは……。それに
「あ、ご、ごめんね
「……なんかそのにやにや顔、ボクの知ってる人によく似てるなぁ」
私は真顔になった。うん、どんな時も油断はダメだよね。私はごほんとわざとらしく咳払い。
「それにしても、
「いやいや、そんなことないよ。ボクに役立てることがあるかわからなかったし。さすがにこんな風に役に立つとは思わなかったけどね……」
「とても助かっていますよ
「なんか複雑だなぁ……。それにしても、
「なっ、
「そうですよ
やめてーアキャリさんこっち見ないでー。露骨に視線を逸らすと、アキャリは仕切りなおすようにパチンと手を打った。
「それよりも、そろそろレーナが出ますよ」
彼女の視線をたどると、緊張の面持ちで立つレーナの姿が。すでに着替えやら準備は完了していけど、気持ちの準備中だった。でももう気持ちも整ったようで、その瞳に揺らめきはない。
「レーナさん……うまくいくといいね」
「そうですね……でも、きっと大丈夫ですよ。
私を一瞥しちろりと笑顔を見せる
「それでは私はレーナに指示をしてきますね」
と言い残し、アキャリは軽い足取りでレーナのもとへ。こそこそとお仕事内容を伝えているようだ。しばらくするとレーナが一つ頷く。するとアキャリが私の方に向き直り、ちょいちょい手招き。
「どうしたの?」
「いえいえ、せっかくなので
「メラ割? なにそれ」
「私もお手伝いしますからご心配なく……ふふふ」
め、メラ割だと!? ドンマイ
では、と営業スマイルを披露したのち、
「どうやら大丈夫そうだね」
声をかけるも、返事はない。それほどまでに集中しているのかと思いきや、レーナはまっすぐ前を見つめたまま、
「……ありがとう」
とお礼を述べた。なんのことか戸惑っていると、レーナはふっと緊張の面持ちを崩すと、左手首のシュシュにそっと触れた。
「少しだけ、世界の見え方が変わった気がするわ。全く知らない人を信じるというのは、私にはまだ難しい。でも、私を信じてくれたあなたを信じて頑張ってみせるわ」
「ええ、レーナならきっと大丈夫よ」
私の言葉に彼女は殊勝な笑みを浮かべる。すると、店の戸が開く音が鳴り響いた。その音に一瞬肩をびくつかせるも、すぐに落ち着きを取り戻す。そして、レーナは決意を固めるように私のシュシュで髪をまとめた。
「それじゃあ行ってくるわね」
よし、と気合を入れ直して金色のポニーテールを揺らし、レーナはご主人様のもとへと向かう。堂々としたその背中を見て、彼女ならもう大丈夫だって確信していた。
「お……おかえりなさいませ! ご主人様っ!」
「「「お疲れ様ぁっ!」」」
イベント終了後、お店のメンバーで盛大にお祝いをしていた。中心に立つ
「そして
「えっとその……今まで迷惑をかけてごめんなさい。みんなのおかげで少しだけ、接客をすることが出来たわ。でも、これからは私もみんなと同じくらい、ご主人様の応対ができるよう精進していくから、見ていてちょうだい。……
「えっクビ? あーそういえばそんな話しましたね」
ちょ、ちょっとなにそのうっかりしてた感? 重要な話のはずなのに、
「ま、まさか
「クビの話は嘘なんですよね」
「なっ、なんですってぇ!?」
「えーっと
「その通りです
とんでもないネタばらしにすっかり気の抜けてしまった
そんな
「ふぅ……
「
「いえいえ、私のお礼はそれだけではないですよ。私は正直、
「そう……じゃあそのお礼はありがたく受け取っておくね」
「ぜひそうしてください。それに
「ボクならここだよ」
二人できょろきょろあたりを見回していると、スタッフルームから出てくる
「なんで二人とも残念そうにしてるの……」
呆れたようにため息をつく
「お礼なんていらないよ。役に立てたなら光栄だしさ」
「ええ、とても助かりましたよ。せっかくですし、この場を楽しんでいってください」
「そうさせてもらうね」
嬉しそうにはしゃぐ
「スタッフルームに誰も入らないよう、見張っておきますよ」
私の様子を察知したのか、
「……むむぅ。メイクしっかりできなかったせいで、ちょっと崩れてきてるね」
鏡とにらめっこして、今の自分に不満の声を上げる。今日で最後のつもりだし直したいけど……ここで
そのままクレンジングオイルでメイクを落とし、持ってきていた
「よし、っと」
って普通に着替えちゃったけど、急に俺が現れたらおかしくないか? ……いや、なんとかなるだろ。すぐに帰るし。
なんか最近この辺の扱い雑になった気がするなーと思いつつも、今日で
ガチャリとドアを開けスタッフルームから出ると、すぐそばに
「あら、戻ってしまったのね」
「ま、まぁ……メイクも少し崩れてたしな。やるなら完璧な姿でありたい」
俺のプロフェッショナルな心意気だったのだが、
「で、何か用か?」
「最後にお礼をって思ってたのよ。ただ遅かったみたいだけれどね」
「そりゃ悪かった。でもきっと伝わってるさ」
「そうね……」
少しばかり寂しそうな
「ちょっと、まだ終わってないわよ」
「どうしたんだよ」
どこかバツの悪くなった俺は、少し不機嫌そうに返事をするも反応がない。
「その……
「……おっ、おう。気にすんなよ」
なんだこれ!? 急激に気恥ずかしくなってきたぞ!? 初めて名前を呼ばれ、熱を帯びる頬。いやいやこの程度で俺はどうした!?
「……っ!」
と、思いきや、
「えっ!?」
ホールの方から
「「えっ!?」」
今度は
「
「あー
俺に近づきべしべしと肩を叩く
「ごめんね
「えっと、まず何がややこしくなったのかすらわからないのだけれど……」
「えーっとね、
「うん……うん?」
「ほら
……つーか
「で、協力したかった私もそれなら……と思って許可したんだよね。でも、知らない間にばれちゃってるしなぜか私亡き者にされようとしてるし……
「あー……いや、うんうん、
なんとなく
「えーっとつまり……どういうことなのよ?」
「だからまー確かに
だから
「許す許さないはもういいのよ。そこはすでに解決してるから。じゃ、じゃあちゃんとこの世に
「そーそー。私って神出鬼没だからさ。今日もそこの誤解だけは晴らしたかったから来たんだよね。あと
「あ、ああ、帰る帰る。
「えっ? ええ……あっ! ちょっと待ちなさい!」
店を出ようと歩き出したところで、
「ふっ、二人とも、本当にありがとうございました!」
きちっと頭を下げて丁寧なお礼、そして顔を上げると今度は裾を軽くつまんで膝でお辞儀。
「ま、またいらっしゃってください。ご主人様お嬢様」
幾分かマシになった営業スマイルで見送ってくれた。
「で、どういうつもりなんだよ。
帰り道、メイド喫茶が見えなくなるや、俺は
「べっつに~、深い意味はないよ。ただ何となく、このままお姉がいなくなるのはやだなぁって思っただけ」
「なんだそりゃ……」
「兄ぃはさ、お姉のこともう必要ないって思ってるみたいだけど、アタシはそうは思わないんだよね」
どういうことだよと視線で先を促すと、
「というか必要かどうかみたいな考え方が、どうかと思うっていうかさぁ。お姉だってもう一人の人間として存在しちゃってるんだし、いなくなる必要なんてなくない?」
「まぁ、そりゃそうかもしれんが……」
「それに
確かに憧れの存在が与える力は絶大みたいだし、そのほうがいいのかもしれない。ただ
「とかなんとか言いつつ、俺にメイクをやらせるために続けさせたいだけじゃないよな? 俺のメイク技術が落ちるのが嫌なだけみたいな」
「あっはは、や、やだなー兄ぃは変なこと言っちゃって」
ド下手くそな笑いで誤魔化すと、歩調を速めて俺から距離を取ってしまう。
「図星かよ……いや、まぁでもありがとうな」
「そうそう、兄ぃはそうやって何も考えずアタシに感謝していればいいんだよ」
「なんだそりゃ。全くとんでもねぇ妹だよな。ほんとに」
「兄ぃも大概だと思うけどね」
なんて。しょうもないやり取りに、二人してクスクスと笑い合う。
にしても
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます