第二章 みんなで玲菜の克服作戦。
はぁ……あいつの裁縫スキルは本当にどうなってやがるんだ? 今度からは気をつけよう。昨日は被服室だったから良かったものの、場所によってはあんなん大事故だもんな。
同じクラスの女子連中が楽しそうに前を歩く。後ろにもどうやら男子の群れがあるらしい、下品な笑い声が聞こえていた。ちなみに、一緒に行こうと
窓から差す熱を持った光から顔を背けつつ、特殊教室棟への渡り廊下に差し掛かったところで、誰かと話す
俺がそそくさ通り過ぎようとしたところで、なんか滅茶苦茶小さい声で呼ばれた気がして振り返ると
「……呼んだ?」
「よ、呼んだに決まってるでしょ。ちゃんと反応しなさいよ……」
いや今のは聞こえないって……。一応、男である俺を呼び止めようという心意気はすごい……のか? いや今はそれよりも用事の確認だ。
「んで、何の用だ……って、あの、どうしたんです?」
流石に無視できんな……と我慢に耐え兼ねた俺は、先にそっちを片付けることに。俺に話しかけられてわぉ、とかわざとらしい様子で驚いて見せると、その女の子は明度の高い赤色の前髪を耳にかけ、
「君がもしかして、
「そうですが……?」
リボンの色……俺とタメか。でも知らないなこんな女の子。他のクラスか? ただどっかで見た記憶が……。
相変わらず俺を物珍しそうに見る彼女に対抗するわけではないが、俺もじっくりと観察。ショートヘアーで大人びた顔……ただ身長は高くなく、俺よりも頭一つ分小さい。どこで会ったんだ……?
「やん、そんなに熱い視線を注がれては困りますよ」
「あっああ悪い……あっ!?」
「どどどうしたのよ急に大声出して」
「驚かせて悪い……」
つまり、彼女が俺のことをまじまじと見つめているわけは……。
「ん~
やっぱりぃぃぃ!? まずい、下手なことを言えば即死する!
「キ、気のせいだと思います……。それよりあなたのお名前はなんなのでしょう?」
誤魔化すように別の話題へ。とにかくこの話を続けるのは避けなくては。あらあら~と彼女はおっとりとした様子で口元に手を当てると、
「私としたことがご紹介が遅れましたね。私は
これまた余裕のある所作でぺこりと頭を下げる
俺が頭を悩ませていることに気が付いたのか、
「前に言ったでしょう? 私の先輩で裁縫部の部長、
ま、マジか……。こんな形で裁縫部の部長と出くわすとは……。俺は軽い頭痛を感じ、思わず頭を抑えた。
「えーっと……そうだったんすね……よろしくでーす……」
とりあえず女装のことがばれませんように……。すっかり意気消沈した俺を
「ごめんなさい
「い、いえお気になさらず。ちょっと、何頭を抱えているのよ」
「あ? ああすまんな……。それで、何の用事なんだ?」
「この前の話に決まってるでしょ。四階に空き教室があるのは知ってるわね? 放課後そこに来てちょうだい。詳しい話はまたそこでするわ」
「はいよ了解。部活はいいのか?」
「本日裁縫部の活動はありません。安心して
指を立てふふんと
「つーか用事が済んだならもう行っていいか」
「え、ええ。もういいわよ。さっさと行きなさい」
「引き留めちゃってごめんなさいね
用事が済んだのを確認し、二人に見送られ俺は再度科学室へと向かう。
「すみません
渡り廊下の終わり頃、床を鳴らし駆け寄る足音とともに俺を呼ぶ声。振り返ると、控えめに手を振る
「いったい何の用だ?」
近くに
「一つお尋ねしたいのですが……
「っ!? ……知ってはいるが、それがどうした?」
「いえいえ。それが確認したかっただけですから、お気になさらず。それではまた」
おほほとどこか楽しげに笑う
「読めぬ女だ……」
私は気づいていますよというアピールなのかそれとも……。今後、
「ボクの知らない間にそんなことになってたんだね」
俺の話を楽しそうに聞く
「ま、そんなこんなで
「
自分のことのようにしゅんと物憂げな表情を浮かべる
「でもわざわざ付き合ってあげるなんて、
「えっ? あー……別に、たまたまそういう流れになっちまっただけだよ」
俺がふざけたことを考えていたとはつゆ知らず、
「流れ?」
「ぶっちゃけ最初に提案されたときは断ったしな」
「じゃあいったい何で?」
「なんつーかまぁ……ものすごく諭されたというか熱意に圧されたというか……そんな感じ」
本当はまだ自分でもよくわかってないとは言えないな……。どのみちあんまり深入りすると俺の女装の話とかも入ってくるからできないが。
「そっか。それでもやっぱり
「……そんなことねぇよ」
「
唐突に名前を呼ばれて思わず頬杖から頭を落とした。そんな俺の姿に
「何か困っていることはないの?」
囁くように問う。その囁きにどこかくすぐったくなったような気がして、左手首で首をかきながら
「急にどうしたんだよ」
「どうもしてないよ。ただ
頬杖を崩し、さらに机に突っ伏した
「別にないって。本当に急にどうしたんだよ」
「ボクじゃ頼りないってこと?」
腕の中から見上げる
「あー勘違いしないでくれ。
俺の弁明を聞き、
「そっか。それならよし」
そう言うとすっぽり腕の中に顔を埋めてしまった。いや可愛すぎ俺の人生のメインヒロインかよ。
「それで、どうするんだ?」
今年は新入生が少なかったらしく、この空き教室は必要なくなってしまった一室らしい。全ての机が後ろへと追いやられ、分厚い雲の向こうから射す微かな日差しに照らされたこの教室は、どこか寂しさのようなものが満ちていた。
「ど、どうするって……あなた何も考えていないの?」
机に乗せられた椅子を下ろしどっかり腰掛ける俺に対し、だいぶ離れた場所で防御するように腕を組む
「いやそれ俺の仕事なのかよ」
「ああ当たり前じゃない。認めたくないけど、あなたの方が先輩なんだから、私にそれぐらい施すのは当然でしょ」
「どんな理屈じゃ。はぁ……ったく、じゃあまずは
「えっ口説くつもり? 私そんなに安い女じゃないわよ?」
「なんでそうなる……。そもそも安くないどころか店頭に並んですらねぇだろ。そうじゃなくて、
「んっ……そういうことね」
流石に立ちっぱなしじゃきついと思い、俺はもう一つ椅子を下ろして
一応俺の意図は察してくれたのか、
「授業の時ってどうしてんだ? こんなに距離取って出来るもんじゃないだろ?」
現在の俺と
「それは一応大丈夫よ。私もうまく説明できないけれど……私に意識が向いていなければそこまで気にならないの。あと教室には女の子もいるし。だから今のこの状況とかの方が苦手ね」
「なるほど大人数で同じ空間にいるのは問題ないって事か。だからバイトも客と一対一にならない限り問題なし、と。ちなみに身近な男性はどうなんだ? 父親とか」
「流石にお父様は怖くないわよ。でも、言われてみればお父様以外の男性と深く接した記憶はないわね」
「マジか……結構重症だな。となると基本的にやっていくべきことは、男と一対一の状況に慣れるってところか?」
「そうね、まずはそこから始めるべきかもしれないわね」
なんとなく方針が決まったところで、がらりと教室の扉が開けられた。唐突な来客に目を向けると、
「やっほーれっち。ついでに兄貴。てゆーか遠っ!?」
教室に足を踏み入れるなり俺と
「
「当たり前っしょー? そもそも提案者アタシなんですけど」
「まぁそうなんだが……てっきりめんどいから帰りまーすって感じで帰ったかと」
「兄貴アタシを何だと思ってるわけ?」
「でも
「……。それで、今はどんな感じ?」
虚無、からの流れるような話題転換。こいつぁ大物ですな。我が妹に感服していると、扉の前にもう一人いることに気が付いた。
「えっと……ボクも入っていいのかな?」
「
長い髪をなびかせ、教室に頭をのぞかせたのは
「あーそうそう、必要かなーと思って声かけてみたんよ。みーくんも協力したそうだったし。必要だった?」
「ナイス!」
ぐぐいとサムズアップ。ナイスすぎるだろ
……とおふざけはさておき、実際のところ気になるのは
「
わかったよ、と
「み、
「? うん、わかった」
上げ始めていた片足を下ろして
「
「うんん、知らせてないし知らないと思う。だからアタシもびっくりしちゃった」
「じゃあ
「何で男子限定にしてんの。アタシだって思ってるし全員そう思ってるに決まってるでしょ」
「そうだよな……ってそれはさておき。じゃあ何で
「アタシにだってわかんない。今のみーくんとお姉の違いなんて、服装くらいしかなさそうだし……」
確かに今の
「二人ともどうしたの?」
「なんでもないよみーくん。兄貴がアタシの下着の色聞いてきただけ」
「聞いてねーわ。そもそも聞かずともわかるわ」
「えっ……」
あのー
「と、とりあえず、ボクはなるべく端にいればいいのかな?」
「で? さっきまでは何してたの?」
「男の意識が自分に向いている状態が嫌らしいから、まずは一対一の状態に慣れてみるかって話してたとこだ」
「あーそいえばれっち、前にそんなこと言ってたね」
「確かに
「この人て。まぁ確かに出来そうな事ってそれくらいしかないよな」
「あれっ? じゃあボク達ってもしかして邪魔だった?」
「そんなことはない!
「きゅ、急に積極的になったわね……」
今日は
「てゆーかさー、もうれっちが兄貴と付き合っちゃえばいいじゃん」
「「はぁ!?」」
驚くことに
「ちょ、何でそうなるのよ!?」
「いやだってほら、外国語をマスターしたいならその国の人と付き合うのが手っ取り早いって言うし、それとおんなじで男が苦手なら思い切って付き合っちゃえばいいじゃん的な?」
「それにしてもなんでこんな男と!」
否定しにくいけど普通に傷つくぞそれ。というか仮にもあなたのお友達の兄ですからね?
「……でも、意外とありかもよ?」
と、ここで急に口を開くは
「どういうことなんだ
「ああその、
「なるほどな……
俺が聞くと、
「……一理あるわね」
「あっ、じゃあじゃあ、
「「ぶふぅっ!」」
またもや
「そっ……そんなのお断りよ!」
わいきゃい騒ぎつつも、なんとなくな克服計画を立ててその日は解散した。
ちなみに。道中では一切会話がなかったし、相変わらず三歩ほど距離を取られた。
「そ、それじゃあ、あなたは普通に正面から入店しなさい。私は裏口から入って、着替えとか準備があるから」
「わかったよ」
どこか緊張した様子の
「おかえりなさいませご主人様ぁ~。ラブラへようこそぉ~」
ら、ラブラ? あっ、お店の名前そう略すのか……。
どうでもいい知識を身に着けつつ、俺は通された席に着席した。そしてただの水(注文して頼むほうは三百円。メイド産のお水らしい。どこだそれ)をちびちび飲んでいると、背後から固い声で呼ばれた。
「ちゃ、ちゃんと待っていたようね」
「そりゃ待つだろ……」
振り返るとメイド服に身を包んだ
「ちょっと……なにジロジロ見てるのよ」
俺の不躾な視線が気にくわなかったのか、
「メイド服すごく似合ってるな。このお店で一番素敵だと思う」
「面白くない冗談ね」
なんでだよ。
「せっかくだし、
「えっ、ほ、本気? あなた本気で言ってるの?」
「本気に決まってるだろ」
「で、でもその……。まず、ご主人様と会話するのも困難なのよ?」
「えそんなレベル? 嘘だろ?」
信じられないものを見たようなテンションの俺に、
「でも、そこのところ大事な情報だし、一応チャレンジしてみて欲しいんだが……」
「そ、そうしたいけど……うー……」
わかりやすく狼狽える
「あー
俺がそう声をかけると、
「そうね。
「その意気だ。それじゃあ頼むぜ」
「ええ、見てなさい」
そのセリフは出来る奴のセリフなのでは……。まぁ本人がやる気なら何も言うまい。
堂々たる足取りで新規のご主人様を待つ
「おっ、おきゃぷっ! まふぇごしゅしゅんしゃま!」
……。
静まり返る店内。ま、マジかこれ……。あ、あの
だがしかし、とんでもない重傷を負ったというのに、
ご主人様が入店しようと一歩踏み出すとビクッ! と
「そ、それ以上近づかないでっ!」
どんな接客だよ!?
「あああしょこの空いてる席に勝手に座りなさい!」
どこにそんなメイドがおるんじゃ!? ダメだこれ思った以上に壊滅的だ見てるほうも辛いなんだこれ!
おいおいこれご主人様相当ご立腹なのでは……ってめっちゃ興奮してる!? いつの間にか冷静そうだった男性は頬を染め鼻息荒くしていた。そ、そういうお方なのか……。
ご主人様が席に座ると、
「さ、選びなさい。それじゃ」
任務完了とばかりにすたすたと俺の方へと戻ってくる
「ど、どうかしら?」
「ゼロ点」
筆舌に尽くしがたい愛想笑いを浮かべる
「う……うう……やっぱり全然ダメなのね。ご主人様は喜んでいるように見えたのだけど」
「あれは参考にしちゃアカン。特殊な訓練を受けている方のようだからな。とにかく、どんだけ苦手なのかはなんとなくわかったよ」
分かっちゃいたが相当重症なようだ。よくこんなんで雇ってもらえたな。なにかこのお店にコネでもあるのか?
「まーその、なんだ。一応会話は出来てたしよかったじゃんか」
慰めを口にするも、しっとりと汗をかいた彼女は机に伏せたまま首を振った。
「……めよ」
息も整わぬうちに
「こんなんじゃ、ダメよ……」
「あー、別にそんなに焦らなくてもいいだろ?」
迷いつつそんな言葉をかけるも、
「焦りもするわよ。私が苦手なばかりに、あなたにもあのご主人様にも、ラブラのみんなにも迷惑をかけているのだから」
「まぁ俺は構わんが、みんなに迷惑をかけるのはよくないな」
「そうよ、だから……はぁ。やっぱりやるしかないの……?」
「や、やるって何を?」
聞き返したものの、俺はなんとなく答えを察してしまっていた。
「もちろん、あなたの家へのお泊りよ」
正直採用されると思わなかったお泊りに、さっそく実行の兆しが現れるとは……。焦るなだなんだたしなめたものの、全く止まる気配がなかった。とはいえ流石に家となると親の許可が必要だ。というわけでこの話はとりあえずは終わったのだ。
そして肩を落とす俺が向かっているのは被服室。今日は
やがて被服室の前につくと俺はドアに手をかけ、
「こんにちは
あっちゃー
「ちょっと
「あ、ああ悪い……いやでもほら、俺らって接点ゼロじゃんか。見知らぬ人と二人きりは気が重いだろ?」
「そうですか? 私はそうは思いませんね」
あっけらかんとした
「見知らぬ人は見知らぬ人というだけじゃないですか。何も気まずい事はないと思いますよ」
「いや間違っちゃいないと思うが……。それで、
「
……このタイミングで買い出し頼むか普通? なにか裏があるんじゃないか? そもそも
お互い出方を窺うような沈黙が流れたのち、俺は先に口火を切った。
「そういえばこの部活って、
「それが二人だけなんですよね。だから実際は部活ではなく、同好会なんですよ」
「へぇ、そうだったんか。ちなみにそれは何を縫ってんだ? 何かの衣装みたいだが」
すると
「うちに演劇部があるのはご存知ですね? 実はそこで使われる衣装は、私が……私たちが作っているんですよ」
……
「こりゃすげぇな……」
「あらあら、そう言ってもらえるのは嬉しいですね」
どこか芝居がかったように見える彼女だが、今のは本音っぽかった。裁縫の手を止めほっぺをムニムニしている。
「あ、そうでした。私実は、
「急にどうした」
パチンと手を叩き
「あなたの容姿なら私の作った服も着こなしてもらえると思いまして」
「はぁ……? そう言ってもらえるのはありがたいが」
俺とて一介の男子高校生だ。容姿を褒められて悪い気はしない。むしろ
「よかったら、早速着てみて欲しいんですよ」
「えっ? 今?」
うきうき立ち上がり、布をかぶせてあったマネキンの前へと
「ふふ、それではご覧あれです」
実に楽しそうな
「オープンです!」
バサッ! と勢いよく布が剥がされると、現れたるは宇宙。深い紺色の地色に煌々と輝く月や星、そして水色の渦上の靄。宇宙柄が全面に施された長袖のワンピースだった。
そう、これはどう見たって!
「女物じゃねぇか!」
俺のツッコミに
「そうですよ、女物です。あなたに似合うと思って作ったんですよ。
「……っ、なんで今、
くっ……やはりこいつ、気づいていやがったのか。やっぱり
追い詰められる俺の姿をにやにやと眺める
「あらあら、てっきり私は
「ち、違ぇよ」
俺の苦い言い訳に
「それでは、あとで
「どういうことだ?」
「実は今日、
「っ!? なんでそんなことを!」
「あら、どうしてそんなに怒っているんですか? 事実無根なら、問題ないのではありませんか? あなたがそこまで取り乱すということは……」
しまったこいつ……っ。さすがにここまで来て隠し通す事は出来ないか、と俺は脱力しイライラを誤魔化すように頭を掻く。
「そうだよ。
家族以外への人間への、初めての白状。
「認めるんですね。もう少し悪あがきが見れるかと思ったのですが」
「いい趣味してんな。で、俺をどうするつもりだ」
意外そうに眼を丸める彼女を睨むが、
「あなたにお願いがあるんですよ。聞いてもらえますよね?」
お願い、なんて言っているが、それはどこからどう見ても脅迫だった。
これから俺はどうなっちまうんだ……っ!
「はぁー思った通りです!
「……」
「ちょ、ちょっと回ってもらってもいいです!?」
クルリ。
「あー……最高です、やば谷園……尊み……。ありがとうございます
「……はぁ」
どうしてこうなった。え、なぜ? とりあえず状況を整理しよう。
放課後の被服室。
……どういうことなの?
ちなみにだけど、
「どうしました? 私の作った服、お気に召しませんでしたか? ちゃんとあなたに合わせて作ったはずなんですけど……」
いやそんなしゅんとしないでよ……私が悪い事してるみたいじゃない。私は困惑する頭を抱えつつも、
「そんなことない。着心地もいいし、こんなに可愛い服が着れるなんて喜ばない子はいないよ」
「そう言ってもらえて安心しました。私の腕も捨てたもんじゃないということですね」
嬉しそうにぴょんぴょんと
「あー
「秘密?
「そう……じゃないとは言えないけれど、そのこと。出来れば誰にも言わないでもらえるとありがたいんだけど」
「
「ありがとう……それと、悪いけどこの格好しているときは
「よくわからないですけど、わかりました」
いい例えだと思ったんだけどなぁ。まぁそこは別にいいけれど。とにかく、思ったより大惨事にならなくてよかった。
「というか、なぜ私と
「何故って、顔を見ればわかりますよ。メイド喫茶に
「それ探偵とか警察のスキルでは……」
がっくり首を折る私。うーん……だいぶ
「ふふ、自分に見とれてしまうのもわかりますね」
ばっちり見られてた。めっちゃ恥ずかしい。体温が熱くなった私がスカートで仰いでいると、
「ああ、あと体格でもわかりましたよ。伊達に裁縫やっていないので、なんとなく人を見れば採寸しなくても服を作れますし」
なるほど。見て採寸できるから私にぴったり作られているのね。改めて
「流石にそろそろ着替えさせてもらうね。
「そうですね。ああ、メイク落としもちゃんと持ってますから貸しますね」
「ありがとう。それじゃ――」
と、私がウィッグに手をかけた時だった。
「
ガラリと開け放たれたドア。そう、いまここに訪れる人物は一人しかいない。
「ぬく……、
買い出しが終わって戻ってきた、
「えっ!? ど、どうして学校に
さ、最悪の状況だこれ……。だというのにも関わらず、あらあら~と緊張感なく笑みをたたえる
「えーっと
ダメだうまい言い訳が何にも浮かばない。状況が悪すぎる。生徒でもない女子が被服室で
ぐるぐるぐるぐる無理だよでもどうにかしなきゃと、頭の中がごちゃごちゃで言葉に詰まっていると、
「
口を開いたのは
「
パチリと
「そ、そそうなの。どうしてもってお願いされちゃったからね」
あは、あははは。今私うまく笑えてるのこれ。ちらりと
「……そ」
ぽそり、と
「そうだったんですね! さすが
いけたーーっ!? えっ? これは私たちがすごいの?
「そ、そんなわけで、今日はお邪魔しているんだ。久しぶりだね、
ひらひらと軽く手を振って挨拶すると、
「
ウキウキでここ最近の報告をする
私は知っている話をさも知らないふりでうんうんと、聞き上手のキャバ嬢のごとく聞いてあげた。そしてついこの間の話まで追いついたところで、
「あの男限定だけれど、一応、話は出来るようになったのよ」
「そうなんだ。頑張っているみたいでよかった」
「それだというのにあの男は……私と過ごして慣れる予定なのに、どこをほっつき歩いているのかしら」
「あ、あはは……さぁねぇ……」
腕を組みプンスコご立腹の
「まぁ
「あの男のことをそんなに信頼しているの?」
そりゃそうだよだって私だもの……。私は微妙な表情を浮かべながら、
「まぁ付き合いも長いからね。難しいとは思うけど、
「それは……そうね。
うーん本当に女同士だと素直な子ねぇ。
「正直、第一印象は最悪だったわ」
私が苦悩していると、
「今まで生きてきて見ず知らずの人間にスカートを脱がされることなんてなかったもの」
ちょ、ちょっと待ってそれって私が、
「いえ不慮の事故だったのはわかっているわ。裁縫に失敗はつきものだものね」
私の無罪主張が届いたのか、どうやらすでに許されているらしい。……だからなんで自分の裁縫レベルが低いことを認めないの?
話の止めどころを失った私は、観念してこのまま聞き続けることにした。
「でも……不思議ね。今となっては、意外と話せているの。どうしてなのかしら」
「分からないけれど……単純に慣れたんじゃないの? それか
我ながら何言ってんの私? 女っぽいがツボに入ったのか、
「女っぽいかはわからないけれど、慣れはあると思うわ。でも。たぶんそれだけじゃないの」
すると
「なんでかしらね……この人なら大丈夫って思えるの。不思議よね。私もよくわからないわ」
……ただの、私の推測でしかないけど。もしかしたら
「あーあと、意外と優しいところもあるみたいよ。男の子と話せない私のために、気を利かせてくれてるみたいだし」
「それはまぁ……どうかしらね」
自分の行動が分析されているみたいで、どこか落ち着かない。
「ちゃんとお礼を言うべきだったけれど、ついつい言えなかったのよね。悪いことをしてしまったわ」
「……まぁきっと、
「そうかしら。ありがとう、
儚げに笑って見せる彼女。
「ああ、そうでした。
ぱちんと手を叩き、裁縫の手を止め立ち上がる
「め、メイド服?」
「そうなんですよ。これ、私が
「
「えっと……これをどう使えと?」
「これで、
「「ぶふぅ!」」
頭の中で想像してしまった……っ!
「あっ、
「そうですか。メイド喫茶の接客練習も出来て一石二鳥かと思ったんですけど……。とりあえず私は着られないので、受け取るだけ受け取ってください」
「は、はい……」
おずおずと
「あっ、そうだ。
「そうだね、ほどほどってところかな」
「じゃあせっかくなのだし、少しやってみたらどうかしら?」
「私はいいけど
「別に構いませんよ。むしろ人手が増えるのは歓迎です」
「あなたのレベルなら大丈夫ですよ。
自己評価めっちゃ高いな……いやその通りなんだけどね。まぁそういうことなら、張り切って頑張るとしましょうか。
とはいえ時刻はすでに五時過ぎ。もちろん学校には完全下校時刻があるので、そんなに作業は出来ない。そもそも私着替えなきゃいけないんだけども。
そんな中始まった裁縫作業。だがしかし、開始から一分もたたないうちに、
「
玉止めはわかってよぉ。小学生だってできるでしょそれ。いままでよく裁縫部やってたね。
「玉止めはね、これをぴょーんとして指にゴロゴローでポロポロってやればできますよ」
は? 日本語今の? 驚いて三度見するも、あの珍妙な擬音で出来たとは思えない玉止めが出来ていた。
「うーん……難しいわね……」
頭にハテナを浮かべて糸と格闘する
「あっ、ちなみにまつり縫いは?」
「それはまず布にじぐりしてみょーんしてドムドムーってやれば完成です」
オノマトペのチョイス絶望的かよ!? これはやはりそういうことなのね……。
「あの、
「? どうかしましたか」
ちょいちょいと手招きする私に警戒しつつ近くまで来た
「あのですね
「どうしたんです改まって。もちろんいいですよ」
私の態度にきょとんと
意を決して私は
「ストレートに言わせてもらうけど、教えるの下手です」
「な、な、なんですとー?」
体をのけぞり、小声でわかりやすく驚愕する
「
「目の前で実演しているし丁寧かもしれないけどさ……絶望的に下手です」
「ああ、また言いましたね。しかも絶望的だなんて……わかりました。そこまで言うならあなたが教えてみて下さいよ」
腰に手を当てご立腹のご様子。まぁ確かに下手だ下手だって言ってるんだから、それ相応の実力は見せなきゃね。
「もちろん。やってみせるよ」
私はすっくと席を立ち、まつり縫いに格闘する
「
「もちろん、お願いするわ」
快諾する
「今回は裾上げのためのまつり縫いだから、ななめまつりって方法だね」
「そうなのね」
感心して弾んだ声の
「まずこの山から針を出して、布の裏側をちょっとだけすくって……」
~十分後~
「……」
「……」
なぜだ! なぜできない!?
実演も交えつつめちゃくちゃ懇切丁寧に一から説明しているはずだぞ!?
思わず
「ごめんなさい
「私のせいっ!?」
ちっげーだろそれだけは!? はっ! 嫌な視線を感じる……。蛇に睨まれたカエルのごとく流れる冷や汗。ゆっくりと振り返ると、
「……くすくすっ」
そこには勝ち誇りに勝ち誇った顔の
「そんなに気を落とさないで下さい。私は……くくっ、絶望的に上手だと思いましたよ?」
く……くそがぁっ!
どう考えたって私の方がうまいでしょうがバカにしやがってっ!
いくら自分が白を主張しても、周りの人間が黒と言えば黒になる。世界はそんな理不尽に満ちているんだ。悲しき現実を知った高二の一日であった。
そして、結論として
家の使用許可が下りてしまった……! 泊りの話が現実味を帯びたんで
ちなみにそんな本日は、
「……」
教室内になぜか着替え中の
今日はもう帰ろう。
「ちょっとぉ……っ!? なに帰ろうとしてんのよ」
「ですよねー」
とても低い
「……もういいわよ。入りなさい」
しばらくして
「それで? いったいどういう了見なのか、伺おうかしら?」
「いやーその、練習するってんで空き教室に入ったら
「……この状況でよくそんな口が利けるわね。というか私の体の感想は聞いてないわ。それともなに、おだてれば赦されるとでも考えているのかしら?」
「いやこれは本音なんだが……」
「うっ、うるさい。そんなこと聞いてないわよ黙りなさいっ!」
えー理不尽……。また一段と
「いや、本当にすみませんでした。なんかこう、やばいって思ったんで無言で立ち去ればなかったことになるかなーって」
「ならないわよ! バカなの!?」
「本当に申し訳ない!」
俺は拳を腿に突き首を下げて精一杯の謝罪。こんなところで何の注意もなく着替えている方も悪いとは思うが、今回はスカート脱がし事件(脱がしてない)の時以上に俺が悪いと思う。
「はぁ……先輩のくせにみっともない。もういいわよ。……よくはないけど。さっさと練習を始めるわよ」
い、意外とあっさり許してもらえた……? 正直ぶん殴られることを覚悟していたから、なんというか肩透かしだ。別に殴られたくはないが。
「まぁその、なんというか本当に申し訳なかった。なるべく忘れるように善処す……うおっ!?」
慣れない正座からの立ち上がりで、バランスを崩した俺は思わず前のめりに、
「きゃあっ!」
バタンっ! と
「えーっと……重ね重ね本当に申し訳ない。ケガはないか? というかその……大丈夫か?」
見合わせた顔の距離は、今までで一番近い。
「……っ! 心配するならすぐに離れなさ」
「兄貴ーれっちー?」
ガララと開け放たれた扉に肝が冷える二人。姿は見えないがこの声が誰かはすぐにわかる。
「アタシが今日も来てやっ……あー。ごめん、帰るね。みーくん帰ろ」
「えっ? あーうん?」
「「帰らないで!」」
飛び起きた俺たちは慌てて二人を引き留めた。そして事情を説明すること数分。
「なーんだてっきりおっぱじめるつもりかと思ったのに」
「付き合ってもない男女がそんなことするわけないでしょ全く。こんな男とだなんてあり得ないわ」
「……まぁそれはさておき。というわけだから安心してくれ
「えっ? なんでボクに念押しするの?」
「いやそりゃ……大事なことだから?」
「なにしてんの兄貴……。それで、今日は接客練習するんしょ? どー進めてくん?」
わちゃついた空気から軌道修正を図ったのはまさかの
「まぁ確かに、
「そ、そうね。せっかくメイド服まで着たんだから、きっちりやりましょう」
「いやそれ突っ込みたかったんだけどさ……なんで着てんの?」
事情が飲み込めていない
「こっ、これはその、
「なるほどねぇ……アタシこのメイド服のれっちの方が好きかも」
「そ、そう? お店にこっちでいいか聞いてみようかしら……」
裾をつまみ自分の姿を確認する
「っと、まぁぶっちゃけどんな風に練習するかはまださっぱり考えてなかったんだが……。
決めてなかったのかよダメ兄ぃ……と聞こえた気がしたが無視しつつ
「……これ」
どうやらメイド喫茶のメニュー表を持ってきていたようだ。それを離れた場所から、体を精一杯伸ばし俺に渡した。
「そのページに載ってるメ……『メイドさんの愛がいっぱい! きゃるーんきゅぴきゅぴ、カフェオレのラブ割り』は持って行った後にご主人様と一緒にそのラ、ラブを、入れるから……初歩的なのだけど、個人的に難易度が高いメニューなの。だからこれが出来れば自信が持てるかもしれないわ」
……どっから突っ込みゃいい? メニュー名? それともラブを入れるって所? これ素人的には初歩的とは到底思えんのですが?
「よくわからないけど……大変そうだね」
「ラブ……なんのこと……?」
「んじゃあ、とりあえずそれの注文を練習するって流れでいいのか?」
「ええ、とにかく『メラ割』をマスターできるように頑張るわ」
メラ割って略すんだな……。
「そうだな。それが出来りゃあ上出来だろ」
「や、やってやるわ」
気合いを入れるように少しだけ語気を荒らげるも、姿勢はふみゃふみゃと不安げだった。
よし、やっとこさ練習開始だ。
とりあえず
「おっ、おかえり、おかえりなさ……」
こちらに近づき、入店の一言とともにお辞儀しようとするも、うまく言葉も続かず、ぎくしゃくとしてしまう
「これじゃダメだな」
うう……と縮こまる
「これは前途多難だねー。大変そ」
「いやいや感想述べるくらいならなんかアドバイスしてあげろよ」
「ごめんなさい。次はもっと、うまくやるから……」
「
「なんでだよ。ったく俺をなんだと思ってんだ……」
くそう、俺はこんなにも
「で
「ないよ」
ねぇのかよ。だったらそのもったいぶったドヤ顔やめろ。
「ん~それなら、
「というと?」
「隣にいる
「なるほどな。どうだ
「えっ。そ、そう……ね。悪いけど
「ふっふっふっ、しょうがないねぇ。ここはアタシが一肌脱ごうじゃないか」
なんで得意顔なんだこいつ。そんなジト目で見ていると、なぜか舌打ちされた。舌打ちすんなよ。二人で廊下に出ると可愛げのない
「おおっ、お。おかえりなさいませ。お嬢様、ご、ご主人……様」
さっきよりマシになったな。まぁ実のところ俺は相手にされていないんだが。なんかちょっと寂しいもんだな。一切目が合わないし。
俺と
「ごっ、ご注文はお決まりでしょうか?」
「私はこれで」
「かしこまりました。そ、それ、で……ご主人様は……」
お腹のあたりで手の甲を撫でたりシュシュに触れたり忙しない
「えーっと、じゃあ俺は……」
と、チャレンジするメニューを頼もうと顔を上げたが、
「……いや、やっぱりこの練習はやめよう。挑戦するには早すぎる」
俺は終了を宣言した。虚を突かれたような
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! まだ始めたばかり……じゃない」
力なく抗議をする
「だって
「……えっ?」
息が乱れ、額に汗を浮かべる
「流石に結果を急ぎすぎた。ごめん。もう少し男に慣れてから始めるべきだったよ」
「そんな……」
落胆を呟く
「遠距離でなら一応会話できるから、大丈夫だって考えちまった。ま、さっき
「……」
口を真一文字に結び
「とりあえず。やっぱりまずは男が一緒にいる空間に慣れないとな……」
俺が問題を口にすると、
「ここはやっぱりボクの『
「いやちょ
「……そうよ」
俯いていた
「それをやるしかないわ……!」
なんでかなー。今のも出来ないのに何で死地に飛び込むかなー。メイド喫茶で働いたり
「いっやあの
「そういえば、私が泊まっていいか聞いてくれたのかしら?」
「そ、それはーそのー……」
「いいって言ってたよ」
「
余計なことを! ああ、
「よかったね
手を合わせてなぜかご機嫌な
「あ、えと……ありがとう
これは腹を括るしかないな……。握りこぶしを掲げる
「もう……
金曜日の昼食後。肩を落とす俺を見かねた
予定としては今日の放課後、
「いやそういうわけじゃねぇんだ。だってこう……女の子が家に泊まるんだぜ?」
「それがどうしたの?」
くっ、男だというのにこれが意味するところが通じないのか……。はっ、つまりやっぱり
「まぁその、別に何もないんだが緊張するんだよ」
「んー……そうなんだ」
わかったようなないような声を上げる
「ありゃ、噂をすればなんとやらってやつかな」
「それじゃあボクは先に戻ってるね。たぶん
何かを察したように、
俺は怖がらせないようにゆっくりと近づき(動物かよ)、小さな声で呼びかける。
「
「きゃっ! ちょっとびっくりさせないでよ」
「えーこれでもだいぶ気を遣ったんだが」
「私に声かけるときはもっと前の時点で気配を出しなさいよ」
「んな無茶苦茶な」
あれ? これ遠隔的に影が薄いってディスられてる?
「そ、それで、なにか用?」
「いや用事というか……つーかその前に、それ止めろよな。はたから見たら不審者だぞ」
「うっ、うるさいわね」
「もしかして、男の先生に用事があるのか?」
そう聞くと
「……ストーカー?」
「ちげぇよ……。今の状態を見てなんとなくそう思ったんだよ。少しだけ、
「そ、そうなのね……」
問答無用でもっと責められるかと思ったが、意外と俺の言い分をすんなりと受け止めてもらえた。調子狂うな……と頭を乱雑にかき、
「んで、どの先生に用事があるんだ? 中継くらいすんぞ」
「えと……あの先生に」
職員室も昼休みになれば、多少和やかな空気が流れるもんなんだな。俺は緊張することもなく、用事のある先生に声をかける。すると赤ペン片手に何やら採点をしているらしき手を止めこちらにやってきた。
「ほら来たぞ……って何してんだよ」
気づけば先ほどまでの場所から移動していた
「おいおい
「あーいいわかってる。未提出のノート持って来たんだろ?」
どうやら先生の言う通りらしい。
そして一歩だけ先生に近づくと、体を精一杯ぐいっと伸ばして直接渡しにかかる。明らかにおかしい行動に先生は呆れつつもノートを受け取った。
先生はそんな
「おお……一応自分で渡せたじゃねぇか」
「え、ええ、そうね……そうね」
自分でもできると思っていなかったのか、どこか放心したように
「よかったな! ちょっとだけ進歩しているみたいで」
ようやく状況を飲み込めてきたのか、
「な、なんであなたが得意気なのよ。意味わかんない」
「えあ、あー……いや、なんでだろうな? たった数日ではあるけど、努力が実った感があるから?」
「なんで疑問形なのよ。それに勘違いしないでほしいのだけど、あなたのおかげじゃなくて、
いやま確かに、どうやら
「な、何ニヤついているのよ気持ち悪い……」
辛辣な
俺が相当気持ち悪かったのか、心なしかいつも以上に距離がとられたところで、
「用事はこれだけか?」
「ええそうよ。そ、それよりその、今日、本当にする……のよね?」
「あ、ああそうだが……。急にしおらしくなるなよ」
「う、うるさいわね! 仕方ないでしょ……」
「変に意識するからそういう態度やめてくれ。はっきり俺の家に泊りに来るだけって言ってくれマジで」
無駄にちょっと恥ずかしそうにしないでよやるっていったのあんたでしょーが! くそっ、健全な男子高校生は大変だぜ……。
「べ、別にあなたの家に泊りに行くわけじゃないわよ。
「勘違いも何も、広義で俺の家でもあるだろうが。まったく……」
とはいえ、それが彼女なりの妥協点なのかもしれない。
「と、とにかく……今日はその、頼んだから」
くるりと踵を返し、パタパタそのまま去ってしまった。にしても、本人が気づいていたのかはわからんが、俺との物理的な距離がちょっとだけ縮まってたな。二歩ってところか?
それにしても、はぁ……変にしおらしくされると、心の置き所に困るな。
「お、いたいた。兄貴こっち」
放課後、下駄箱を抜けると俺を待つ
「女の子を待たせるとかモテないよ?」
「いやそもそも待ち合わせしてねぇだろ。普通に先行ってると思ってたわ」
「あのさぁ兄貴。一応男に慣れるっていう名目なんだから、一応兄貴もいたほうがいいでしょ?」
「まぁ……それは否定できんな」
「本当に大丈夫か? 男のいる家に一泊なんて。つーかそもそも、よく親御さんの許可もらえたな」
俺に心配され、気合を見せるためか背中から離れて
「大丈夫……私は、大丈夫よ。それに、ちゃんと許しはもらってるわ。そもそも
「それで実はアタシも一緒に説得しに行ったんだよね」
「えっ、そんなことしてたの?」
というか
「いやぁ大変だったんよこれ。今回この企画が実行できたのは、アタシの説得のおかげといっても過言じゃないね」
意地の悪い笑みを浮かべる
「ま、行くんならさっさと行こうぜ。こんなところにたむろってたら邪魔になるし」
「そねー。んじゃ、れっちチャリ取ってきなよ」
「ええ、校門前でちょっと待っててちょうだい」
「あいつチャリ通だったんだな」
「ん。家が特別遠いわけじゃないんだけど、歩きで行くと変な勧誘に遭いやすいんだって」
「ああ……」
あれってあの日だけの話じゃなかったんだな。まぁ勧誘している奴らも、あれでいて狡猾だからな。ちゃんといけそうなやつを狙って声をかけている節あるし。流石に自転車で滑走している間は声をかけられることもないだろう。
校門前に到着し、
「待たせたわね。それじゃあ行くわよ」
チャラララーと自転車を手で押しながら到着する
「さ、レッツラゴー」
と颯爽勇者ポジションで歩き始めてしまった。
「あー……妹がすまんな。全くあいつは……」
「べっ、別にいいのよ。あれが
「……あなたも、乗せる?」
ふと俺のカバンに目を向け、緊張の面持ちでそんなことを言う
「い、いや急にどうした」
「うえってなによ……。別に、あなたが気持ち悪い目で見てきたから、聞いてみただけ」
「気持ち悪いっておい。まぁ確かにそんな風なことを思ったが、流石にそりゃあ遠慮しておくよ。それよりさっさと行こうぜ」
そうして歩き出すと、
なんにせよ、長い一日の幕開けだ。
家に到着し、母親の『本当に
俺ももっそりと部屋着に着替え、自分の部屋をぐるりと見回す。
今日の部屋着……おかしくないよな? ドレッサーの前で少し身だしなみをチェック。問題ないよな? ドレッサーが男の部屋にあるのもちょっと変かもしれんがまぁ多様性の時代だ。大丈夫だろ。
「……ってか何やってんだ俺」
普段男の時にはほとんどやったことのないことをして、急に馬鹿らしくなってきた。さっさとリビング行こ。
ソファにどっかり座り、目的無くテレビのチャンネルを回していると、ぎぎぃ……と控えめにドアの開かれる音が。俺は少し背筋を伸ばし、
「おう、遅かったな……って」
ドアに向き直り、首をかしげる俺。そこにはなぜか
「
俺が聞くと驚いたように肩をすくめ、身を小さくしたまま、
「そ、それがその……『せっかくの機会なんだからとりあえず兄貴と二人きりの時間を過ごしてみろ』って無理やり送り出されてしまって……」
「
「い、いいのよ。このまま……続けさせて」
体の震えを必死に抑えながら
ただそれでも気持ちはあるらしい。まぁ克服のために、メイド喫茶に乗り込むくらいだし根性はあるんだろう。
「わかったよ。とりあえず適当なところに座ってゆっくりしてくれ」
「え、ええ……それでは……」
横長なソファのど真ん中から右にずれて
「それなら俺が床に座るから、そっちがソファ座れ」
「で、でもこれは私が」
「いいから」
言いつつ行動したほうが早いと、俺は立ち上がり床に腰を掛けた。そんな俺を見た
それきり流れる沈黙。えっ? なにか怒らせるようなことしたっけ? とかそんなレベルの沈黙。きっつー……テレビから流れるつまらないお笑い芸人のネタですら救いに思えた。いやつまらないんじゃなくて、笑えるような状態じゃないだけだこれ。
どうしたものかと頭を悩ませていると、ぴこんとスマホに着信を確認。メッセを確認すると、どうやら
『何やってんの兄ぃ。床と友達んなってる場合じゃないでしょ。お母さんが買い物から戻ってくる前に、さっさと距離詰めろ』
ってえっ? あいつどこから見てんだ? 慌てて周囲を見回す……っていた。姿こそ見えないものの、キッチンの方でアホ毛がぴょんすか踊っていた。するとすかさず連投。
『アタシのこと確認してる暇があったら、さっさとやることやれ』
な、なぜわかったんだ!? あのアホ毛にも目がついてんのか!? と妹の体の神秘に驚きつつも、
「あー……
「! え、ええ。ゆっくり、驚かせないようにしなさい」
小動物と同じ扱いやん。それでいいんか……と思いつつも、のっそりゆっくりと立ち上がり、
ボ……スゥ……と大仰な音とともに、とりあえず座ることには成功した。つっても、俺から距離を詰めていって練習になるんか?
「
「えっ、あっ、あなたが詰めなさいよ!」
「誰のための練習だと思ってんだよ……。それとも出来ないか? 諦めてこれくらいにしておくか?」
「なっ……や、やる、わ。やるわよ……」
どうやら
まさかね……と俺は再び目を閉じ、しばらくしてから薄目を開けると、はっきりとは見えないものの、
もしかして俺が寝ていると思って近づいてきているのか? とりあえずぱっちり目を開けてみると、高速で
ゆっくりと目を閉じる。目を閉じたことでほかの感覚が研ぎ澄まされたのか、なんとなく
寝ているテイで深呼吸し、心を落ち着ける。そして薄目の視界に
うっ……なんかいい匂いする……。どうして女の子からはこう、男を惑わすようないい匂いがするんだ? あまり体内に取り込んではならぬとアラートを検知した俺は息を止める。
「……!」
だがしかし、身体密着の追い打ちを食らった。なんで? どういうつもり?
思わず乱れる呼吸を誤魔化し、薄目を開けて確認。うん、体くっついてるわこれ。害がないとくればこんな積極的に来るんか。このまま狸寝入り続けて大丈夫だろうか。
ぺたん。
うん。まずいかもしれない。俺は頬に触れた柔らかな感触に、危機を察した。多分顔触られてるわこれ。
「意外と男の人も肌綺麗なのね……」
それはたぶん女装のために、そこいらの男よりも気を使っているからですねー。全員が全員だと思わないほうがいいぞー?
つーかどうしよう、このタイミングで起きて大丈夫なのか俺? いやまずい予感しかない。た、助けてくれ
鼻をぐにぐに前髪をかき上げ、耳たぶふにふに手をにぎにぎ。不用意に手を握らないでおくれ……。あなたの匂いと時折触れる髪のサラサラ具合ですでにダメになりそうなんですよ? 何がだめになるのかは俺にもわからんが。
とにかく誰でもいいから助けてくれ……。
「ただいま。
「はーい母さんおかえり今行くー」
ガチャリと玄関が開け放たれる音とともに、救いの時は訪れた。
「あっ、悪い。寝ちまってたか?」
「い、いえ気にしないでちょうだい。ちゃんと慣れる努力はしていたわ」
「そうか? ならいいんだが」
あっつー………手で顔を仰ぎ俺がとぼけていると、買い物袋をよっこい抱えた
「二人とも調子はどう? 順調そう?」
これまたとぼけた様子で聞いたきやがった。見ていたくせに……という俺の抗議の視線に軽くスルーを決めつつ、
「え、ええそれなりに。ありがとう
「べーつにアタシは何もしてないし。それに
にしし、と文字通り悪魔的な笑みを浮かべる
「ふぅ……とんでもねぇ目に遭ったな」
風呂から上がった俺は、ふと
しかし……わからんな。
「兄ぃなにか悩み事?」
「
どうやら先に上がったらしい
「わかってるわかってる。れっちが出るまでにはちゃんと着るし。んで、どしたん?」
「いや、個人的にはこの泊りがいい効果になってると思ってんだが、肝心の
「んーそね。狸寝入りの兄ぃに近づけたことで自信につながったっぽくも見えるんけど」
「
「別に特にって感じ? 本人も大丈夫いい感じよくらいしか言ってないし。てゆーかアタシ的にも、兄ぃべたべた触ってたけどどう? なんて聞きづらいしれっちも答えづらいっしょ」
「それは確かに……、まぁ確認する方法はねぇか」
「いやいや兄ぃ寝ぼけてるの? 兄ぃなら聞く方法あるっしょ」
「えっ? 俺そんな裏技持ってたっけ?」
心底がっかりしたように額を押さえる
「お姉がいるじゃん。アタシ的にお姉ってそこまで憧れる? って感じだけどれっちはご執心みたいだし、アタシが聞くより色々教えてくれんじゃん?」
「いやいやいや。確かに
「発想が貧困。別に連れてこなくても電話すればいーじゃん」
「えっ
「兄ぃの電話があるっしょ。アタシから兄ぃに電話かけるから、それで途中でれっちに代わる、これなら問題ないじゃん」
「い、いや確かにそうだが……」
そうこうしているうちに、お風呂場の方から扉の開く音が。どうやら
「んじゃ。兄ぃはさっさと自分の部屋にでもこもってな。兄ぃが部屋に行ってから五分後くらいに電話すっからさ」
本気でやるのか……? 有効な手段だけどそもそもうまくいくのか? まだまだ抗議したいところだったが、珍しくやる気満々な
「ふぅ……お風呂頂いたわ」
そこで風呂上がりでホクホクした
「ちょっと、なんで目を逸らすのよ」
「べ、別になんでもねぇよ」
「濡れたれっちの姿がエロくて見てられなかったんだって」
「そこまでは思ってねぇ!」
「おやおや兄貴、そこまでってことは、近い事は考えてたって事じゃん。どうなん? ん?」
こっ、こいつ……っ! 思わず出かける舌打ちを飲み込み
「……あんまり変な目で見ないでちょうだい」
「っ!」
風呂から上がってしばらくたつというのに、温度の急上昇を感じた俺はなにも言わずに自分の部屋へと向かった。
「ったく
調子を狂わせる
いやでも、この格好じゃやっぱり
――。
さて、これで準備はいいね。スカートを腿裏に押さえながらベッドに座り込む。後は
「来た来た」
震える
『もしもしお姉? ちゃんと繋がってる?』
「繋がってるよ。久しぶり
しばらくそれっぽいやり取りをしてから、いよいよ本題へ。
『そうそう。で今れっちがうちにいるんだけど、話したいみたいだから代わってもいい?』
「そうなんだ。もちろんいいよ」
通話口からわちゃわちゃした声がしばらく聞こえると、声の主が変わった。
『も、もしもし
「
私の声を聴くと
『ええ。順調……だと思うわ。挫けそうなときは、
なんとなく感じていたけど、やっぱり力になってるんだ。それほど大切にしてくれているなら、お気に入りのだったけどあげちゃって正解だったね。
「そう、役に立ててるならよかった。ところで今日はどんなことがあったのか、聞かせてもらってもいい?」
もちろんよ、と元気に返してくれた
「沢山頑張ってるみたいだね。ところでさっき言ってた、寝ている
『その……私は男性の意識が自分に向いている状態が苦手だから、意識の向いていないときになら近づけるかなって思ったのよ。それでその間に思いっきり近づけば、いつも大丈夫になるかなって』
やっぱりそういう意図だったのか……。相変わらず
「それで、結果はどうだったの?」
『そうね……当たり前ながら同じ人間なのだし、身体は私と変わらないわね。でもやっぱり、私より大きくて、固くて……男の子なんだなって思ったわ』
「ごめん
やめろやめろ
『一応、前ほどの恐怖心はなくなった、と思うわ。あの男は個人的に気に入らないけど。そもそも最近は少し気を許してしまっている気はするし……』
あっそうだったんですね。態度的にはいつもと変わらない気がしたけど、
『もしかしたらだけれど、今回のお泊りで男性自体は難しいけれど、あの男だけはある程度慣れることが出来るかもしれないわね。
「あー……それね……」
『あら?
「えっ、いやいや知らない知らない! ただ
しまったつい
「何はともあれ、今回のお泊りが
『ええ、ありがとう
決意を新たにする
私が
「
なぜか
「あ……ここ、あの男の部屋だったわね。で、でもなんで
ま、間違えたのか……っ!
「ん、んー……そのえとっ! じ、実は
「えっ?
あー仕方がないけど一番面倒な疑惑が持ち上がったーっ!?
「おおお落ち着いて
「
今日は快晴だったらしく、雲一つない空には月が煌々と輝いていたが、今の私には眺めているような余裕はない。その後携帯で
「……で、なんでこんなことに?」
どっと疲れて泥のように眠った翌日。いつも通り自分の部屋で目を覚まし、まだ起ききっていない頭をフル回転で状況を把握しようとしていた。
俺の部屋、俺のベッド、俺、そして隣で寝ている
とにかく
とはいえ残念なことに、俺は出口とは反対の壁際側に寝ている。詰まるところ、
「んっ……」
だが
……いや、大丈夫そうだな。つーかなんか今の、ちょっと色っぽかったな。って今はそれどころじゃねぇ!
何の不安もなく穏やかな表情でぐっすり眠る
「兄ぃ起きたー?」
「わぴゃあ!?」
突然の
「あ、あ……あなた……」
唇をわなわなと震わせ、恐怖とも驚嘆ともつかない表情で目を覚ます
「おおー。兄貴ついにその気になったんね。こいつぁ失敬。お邪魔しました~」
「待ってくれ
廊下に消えていく
「ったく。寝起きの体にとんでもないダメージだ」
慌ただしい起床が終わり、俺たちはリビングへとやって来ていた。俺はわざとらしく負傷した場所をさする。
とりあえず状況確認のために事情聴取しなければ。起床直後は若干震えていたものの、ようやく落ち着いてきた様子の
「で、
「それはその……」
言いづらそうに言葉がよどむ。彼女は
「実は、
「犯人はお前か」
「そだよ」
あっさりと白状する
「んで、なんであれが克服になるんだよ」
「いやほら、れっちって兄貴が寝てる時はわりと近づけるみたいだったからさ、夜這いすればいんじゃね? って思ったん」
「「ぶふぅっ!?」」
斜め上の発言に思わず
「ちょちょっと
「アレーそーだっけ? 言われてみれば寝ている兄貴に体を密着させてとしか言わなかった気がするなー」
「ほ、ほら。やっぱりそうじゃない」
「でもさー。寝ている異性に体を密着なんてもうそれ実質夜這いじゃね?」
「うっ……うぅ……っ」
納得するしかなかったのか、
「……で
聞くと
「いやほら、イくとこまでイっちゃえば、苦手意識もなくなるんじゃねみたいな。あとこれで兄貴が卒業出来れば万々歳みたいな?」
嬉々として語る
「まーでもさすがにそうはなんねーってわかってて送り出したしオッケーでしょ」
「よかねぇよ。つーか
「そのランキングはよくわからないけれど……そ、そうね。確かに良くないわよね」
納得してもらえたようで何より。さて、と俺は立ち上がり、
「つーかまだ朝飯食ってねぇ。腹減ったわ。
「えー面倒い……」
「じゃあ俺が飯作るか?」
「今すぐ始める!」
しゅばっと立ち上がり颯爽と台所に立つ
「あなたの料理って、一体なんなの……」
「おっ?
俺がニッコリ微笑みつつ問うと、なにを感じ取ったのか鬼でも見たように小刻みに首を振られた。
まぁもう少し出来てから起こしに行きますか。それまで座ってよ。
「あっ、
「いいいい。これくらいは朝飯前だし。れっちも座って待ってて」
「そ、そう? じゃあそうさせてもらうわ」
すとーん。
……えっ? どこに座った
当の
……まぁ別にいいか。わざわざ言うほどのことでもないしな。
「と、ところでその、一つ聞きたいのだけれど」
俺がうとうとしていると、急に
「その……あなたと
「……。幼馴染です。お互いに部屋に出入りするぐらいな関係の、恋愛感情とか特に一切ないただの幼馴染です」
バタついててその件忘れてた……。寝ぼけ眼をこすりつつ、昨日用意しておいたその回答を反芻した。すると
「あっそう。変なこと聞いて悪かったわね」
「気にすんな。その、なんだ、心配すんなよ。別に
取るとか以前に無理なんだけどな。これで
「
? どういうことだ? ぼそりと呟いたその言葉の意味を考えようとしていると、
「兄貴たち……いつの間にそんなに仲良くなったん?」
俺の気が遠くを彷徨ってる間に、いつの間にか
「これだけで仲良くなったって言えんのか……? つーかそもそも、この距離に座ったの、
「えっ? そ、そうだったかしら……」
驚きつつも、俺から離れる様子のない
「も、もしかして二人とも……本当はヤッたの?」
「「ヤッてない!」」
二人の声がきれいに揃った。そんな状況に
そんな俺たちの様子を
「そいえばれっちはこの後どうするの?」
「今日はバイトがあるから、ご飯を頂いたらとりあえず一度帰ろうかしら」
「バイトあったのか。忙しくしちまって悪いな」
「いいんだよ兄貴、これはれっちのためのお泊り会なんだから。むしろれっちにはアタシに感謝してもらいたいね」
えっへんとふくよかな胸を張る
「ええ、ありがとう。
感謝を伝えた。こんなにわかりやすく照れる
「あ、あなたも、その……あ、あり」
「いいいい。兄貴に感謝なんてする必要ないよ。兄貴がアタシのために汗水流すのは、当たり前なんだから」
おいいぃなに遮っとんじゃ! せっかく
「そ、それもそうね。別に必要なことじゃなかったわ」
おいいぃなに納得しとんじゃ! 全くこいつらは俺を何だと思ってるんだよ……。俺は大仰なため息をついて諦め、気を取り直して一つ提案。
「なぁ
「え? ええ問題ないわ。何をするつもりなの?」
「バイト行く前に、もう一度俺で接客練習しないか? 今回の克服作戦の集大成としてさ」
「そ、そんなこと急に言われても……」
困惑したようにおろおろし始める
「まぁ急に言われても無理か……そもそもそんな一朝一夕で治るもんじゃないしな。諦めてまた今度練習しようぜ」
挑発をかますと、
「いいわよ。今日やってやろうじゃない。煽られたみたいで腹立たしいけれど」
俺の提案に乗ってくれた
怒られているのだが、
「よし、さっそく練習だ」
朝食を終えた俺たちは、リビングにて練習の準備を整えていた。ここで俺への接客がうまくいけば、この後のバイトでも
「
「や」
一文字で済ませんな! ったくお前が協力するよう打診したくせに。
「
「……えっ? あ、ええ問題ないわ」
だいじょばないなこれ。緊張した
「あー、やっぱりメイド服がないと気合入らないか?」
さすがにメイド服は持ってきていないため、本日の練習は私服のままである。だが
「そっ、んなことないわ。私は大丈夫、大丈夫よ」
まだどこか緊張した様子の
「れっちーそんな気にしなくていいよ。練習相手は所詮兄貴だし」
「どういう意味だよ」
ったく手伝わないくせに口挟みやがって。とは思ったものの、思わずふふっと吹き出す
「まぁでもそういうこった。昨日今日で俺を通してなんとなく男ってもんがどんなのか、なんとなくわかったろ? たとえ少しだとしても、この前までの
俺たちの言葉を深く噛み締めるように、
「それじゃ、始めましょう」
「ああ、よろしく頼むぜ」
そして俺は一度リビングから出て、入店のためにドアノブに触れる。そこで俺は自分の手が強張っていることに気づいた。なんで俺まで緊張してんだか……。かぶりを振っていざ入店。
「お、お帰りなさいませ、ご主人様」
固さは残るものの、俺を迎え入れてみせた
「こちらへどうぞ」
「え、えと……ご注文は、その、いかがされますか?」
なんとか聞くことが出来たものの、徐々に気がそがれてしまったのか、緊張した様子に逆戻りしてしまう
「えっとじゃあ……『メイドさんの愛がいっぱい! きゃるーんきゅぴきゅぴ、カフェオレのラブ割り』をお願いします」
今まで生きてきた中で一番頭の悪い発言をした気がする。が、そんなことは言ってられない。これさえ攻略できれば、
「かっ、かしこまりました。少々お待ちください」
逃げるように小走りでキッチンに向かう
なら、まだ諦める時間ではないな。深呼吸を繰り返し落ち着きを取り戻したのか、
「そ、それではご、ご主人様も、一緒に……」
えっ? お、俺も? ってそういえばご主人様と一緒にラブを入れるとか言ってたな。……俺は何を言ってるんだ? 唐突に訪れた疑問を無視するように咳ばらいを一つし、
「どうすればいいんだ?」
「わ、私が、ラブラブと言ったら、ご主人様も後に続いてください。それを五回繰り返したら、最後に私が魔法をかけて完成……です」
……五回? マジで? 説明した
「ら、ラブラブ」
「ラ……ブラブ」
いったい何なんだこの時間……。考えたら負けだと無心で詠唱を続ける。そんな地獄を耐え抜きつつ、最後の一回を終えた。すると
「きゅんきゅんきゅーん。こ、これで私とご主人様のラブが混ざり合ったカフェオレの完成です。ど、どうぞ召し上がれ……」
バターンッ!
何の音でしょうか? そうです、私が倒れた音です。
「ちょ、ちょっと!?」
「すまん、すまん
俺は机に突っ伏したまま、若干涙目で謝罪を繰り返した。ダメだ。俺の羞恥心が耐えられない……俺がこれを受けるには、訓練が足りなかったようだ……。
「い、いいから顔を上げなさいよ……」
「すまなかったな。でも何はともあれ、ちゃんと接客できたな!」
「ま、まだまだよ……。まだぎこちなかったし、これじゃあちゃんとできるか不安よ」
とは言うものの、どことなく
「でも、今日のことは自信を持っていいと思うぜ」
「……そう、ね。あなたの言う通りだわ。あとで
左腕のシュシュを愛しそうに見つめ、そんなことを口にする
「そ、その……あなたも、かなり、いやちょっとだけだけれど、役に立ったわ。だから、その……ありがとう」
ぎゅーっとシュシュを握りながら
「これくらい気にすんなよ。大したことじゃない」
なんて言いつつも、めちゃくちゃに喜んでいる自分がいた。絶対に表には出さないけど。
「いやーよかったねー前進出来て。おめでとー」
うっすい拍手とともにお祝いを述べる
「全く……大したことしてないくせに」
「いやいやーちょー大事な仕事したよ今」
今? 俺も
そして
『ら、ラブラブ。ラ……ブラブ。らラブラブ。ラブ……ラブ……』
「「うわあああぁぁぁぁ!?」」
俺と
「これは大事なところだーと思って、ちゃんと録音しておいたんよ。アタシはやればできる女だからね」
よく見れば先ほどまで見ていたはずのサスペンスドラマは暗転。雑音の全くない俺たちの声だけがスマホから再生されていた。
「二人ともこの録音データ、いる?」
「いらねぇ!」
「今すぐ消しなさいっ!」
此度のお泊りで男性克服作戦は、とてつもない喧騒とともに幕を閉じたのだった。
憂鬱な月曜日の放課後のこと。
「まぁその……なんだ、元気出せよ
なぜか
「だ、だって……もっとできると思ったんだもの……」
机に突っ伏してすっかり鼻声の
どうやら俺との接客練習を終えた後のバイトで、せっかくの練習をなにも生かせないレベルでダメだったらしい。で、本日この有様である。
「一朝一夕で直せるもんじゃないってわかってんだろ? それに言ってたじゃねぇか。あきらめなければって」
「わかってる……わかってるわよ。でも落ち込まないなんて言ってないもの」
あうあうと机に沈み込む
「あっ、
ガララ―とドアを開けて入ってきたのは
「あら、
「あー気にすんな。落ち込んでるだけだから。それで、いったい何の用事なんだ?」
「
「ふぇ?」
力なく顔を上げる
「あーストップです
「えっ? いったいどういう……」
「このままだと、
深刻さを一切感じさせない、朗らかな笑みで彼女は言い放った。
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