第一章 那月と玲菜は犬猿の仲?
「
四限が終わるやいなや、授業で静まった活気を一斉に取り戻した教室。そんな中、斜め前の席。お尻あたりまで伸びた長い青髪を携えた中性的な男の子が声をかけた。
「
と、俺のそんな思考が透けてしまったのか、
「今変なこと考えてなかった?」
と俺の目をのぞき込んできた。いやいや、と毅然とした態度で首を振った。
「全くです。女の子よりかわいいなんて微塵も思っておりませぬ」
「あーぜっっっったい思ったでしょ!」
「思ってないって」
もーもーと憤慨する
ただ本人がそこについて言及せず、次第に周りもどう扱ったらいいのか迷ってたこともあったが、今ではそんなことを気にする人はあまりいないようだ。
「そういえば
「ん? どうしたんだ急に?」
「いつもより少し落ち込んでるように見えたからさ、なんかちょっと心配になっちゃって」
「あー気にすんな。お気に入りのものを失くしただけだから」
昨日咄嗟にあの女の子に上げたちゃったけど、まぁまぁお気に入りだったんだよなぁ。生地が若干ふさふさしてて最高の手触りだったな。
「えっ、それって重大なことじゃない?」
「いやまぁ失くしたっつうか自業自得みたいなものだし」
「ダメだよっ! ボクも一緒に探すよ!」
「いや本当にいいんだよ……」
どのみち本当に失くしてても、俺がシュシュを探しているなんて言えない。俺が女装していることは、家族しか知らないのだから。
とそんな話をしていると、近くにいた男子生徒が地団駄を踏んで何やら悔し気な声を上げていた。
「くそーっ!
「そりゃそうだろ。相手は氷の女王なんだから」
氷の女王……かっこいい二つ名だな。なんて思っていると
「
「ん、まぁ知らんけど……そんなに有名なのか?」
「結構有名だよ。ボクでも知ってるくらいだし」
すると
「一年生に
組んだ後ろ手をほどき、今度は腕を組み少し険しい表情の
「いざ告白しようと呼び出して想いを伝えると、無言のまま立ち去っちゃうんだって」
「そりゃひでぇな。あっ、じゃあもしかしてあの二つ名は……」
「二つ名って……ちょっと違くない? ともかく、
「なるほどね。とはいえ、なんでそんな仕打ちをするんだろうな」
「ボクもそこが引っかかってるんだよね。女の子との仲は良好みたいだから、ただの悪い人ってわけじゃないと思うんだけど」
二人して頭を悩ませるが、もちろん答えは見つからない。こういうとき、女の子のことが理解できてれば、すぐにわかるものなのかな……って、
「あっ」
「どうしたの
「そーいや担任に頼まれてたことあったわ」
ったくもー、と頭を掻きながらため息。
「まぁまぁ、先生のお願いなんだからそんな嫌そうな顔しちゃダメだよ。それで、何を頼まれてるの?」
「五限の授業で使うもんを持って来いってさ。というわけで悪いけど、先にそっち済ませてから食堂向かうわ。
「任せてっ、しっかり席は取っておくからね!」
やだもうっ! 柔っこいおててのガッツポーズめっちゃ可愛い! とか思ってるのが
俺は平静を装いつつ
「人いねー」
昼休みにわざわざ調理室や各授業の準備室(つーか倉庫)の集まる特殊教室棟にくる人はいないだろうけど……って部活動で使われる教室もあるみたいだし、用事のある人もいるか。
ともかくさっさと用事済ませて
「んっ?」
俺以外誰もいないと思ったが、前方に女子を発見した。後ろ襟からちらりと見えるリボンの色から察するに、妹の
「……っておいおい」
よく見るとその女の子のスカートから、解れた糸が床につくレベルで飛び出していた。いやあれを気にしないとかどんな神経してんだよ……。
「ちょっとー、糸解れてんぞー」
俺は親切心から駆け寄り、その子の糸を拾い上げた。が、その瞬間。
「「えっ?」」
ストーンっ、とその女の子のスカートが落ちた。
はっ? 意味が分からんえどういう状況? 女の子のほうも顔からすっかり色が抜け落ちていた。唐突すぎる状況に縞々のオレンジパンツを隠すことすら忘れていらっしゃるご様子。
「……」
えっ? パンツが見えてる? マジで? つーかこの状況って俺の立場まずいのでは……。
「きゃああああぁぁぁ!!」
ですよね!
女の子の叫びに体中から汗がナイアガラのごとく流れ落ちる。
落ち着け俺! ちゃんと説明せねば!
「ままままま待ってくれとりあえず落ち着いてくれ! 俺は解れた糸を取っただけで! 脱がすつもりなんてこれっぽっちも……」
弁明のために必死に言葉を紡ぐ最中、その女の子の顔を見た俺は言葉を失った。理由は明快。
腰ほどまで伸びた長い金髪。整った美しく綺麗な顔立ち。見間違えるはずはない。
「……きゅ、急にだ、黙らないでよ」
絞り出すかのようなか細い声に、俺はもう一つの事実を思い出す。あの女の子は男が怖いと言っていた。つまり俺は彼女にとって、恐怖の対処ということだ。
俺は怖がらせないよう、ゆっくりとセルフホールドアップ。
「その、大変申し訳ないです。とりあえず、これでパンツを隠して下さい」
無惨にも床に落ちたスカートを掴み、地面と向き合ったまますすーっと彼女の腰まで持って行き、とりあえず隠させた。
周りに人が居なかったのが幸いだな。あの叫びはアウトでしょうけど。
どうしたもんかな……と頭を悩ませていると、蛇に触れるみたいにちょんちょんと指でつつかれる感覚。立ち上がって女の子に向き直ると、その女の子がちょいちょいととある方向を指さした。
「被服室か。確かに裁縫道具さえあれば何とかなるな」
俺は周囲を警戒しつつ被服室のドアを開けた。とはいえ、あんな叫び声が上がったんだ。人が居るならとっくに出てきているだろうが、用心に越したことはない。
「大丈夫みたいだ。とりあえず入ろうぜ」
そう促すが、彼女は一歩たりとも動こうとしない。どういうことだ? なにか理由があるはず……つっても相手は女の子だしな。俺が理解できるとは到底思えん。とはいえ、今は諦めていい状況じゃないか。
ん~っ? と鑑定士のごとく彼女をじっくりと観察。これで虫眼鏡でも持てば結構サマになって……いや対象が女の子である以上ただの変態だな。彼女も全く同じことを思ったのか、不機嫌そうに身をよじった。そりゃあ苦手な男ですもんね俺……。ってもしかして、
「男の俺と部屋に二人きりになるのが嫌……とか?」
聞くと彼女は弱々しく首を縦にコックン。なるほどそんなに男が苦手ですかー。
「そりゃあ申し訳なかった。じゃあ誰も来ないように外で見張ってるから、中で直してきちまえ。自分で直せるか?」
「も、もちろん!」
うっお急にはきはきと!? びっくりしたわ……。そんな俺の様子が伝わったのか、彼女はしまったとばかりにさらに小さくなってしまった。
なにはともあれ、裁縫スキルに相当自信があると見た。俺のせい(?)で迷惑かけたわけだし、とりあえず縫い終わるまで待ちますか。
彼女は俺にいつ襲われるやらな警戒マックスの視線を向けつつ、被服室の中に消えた。俺は扉の横にしゃがみこんで待つことに。
……スカートが落ちるって相当な事故よな? そんなすぐ直せるか……? とそんな不安を抱いていたが2分ほど待つと、がらりと扉が開けられた。よっこら立ち上がり彼女の方に振り返ると、ふっふーんと聞こえてきそうなほど勝ち誇った笑みを浮かべている。
「すげーなスカート直せ……」
賛辞を口にしかけて、止まる。それは彼女のスカートが、再び重力の法則にのっとって床へとスカイダイブしたからだ。
「……っぶなっ!」
今回はすんでのところで後ろを向いて事なきを得た。男としては正しいが、KENZENな男子高校生としてはいかがなものだろうか?
「か、隠した? 隠したか!?」
「えっええも、もう大丈夫……っ!」
彼女の許しを得て振り返るが、沈黙。スカートがこのままなのではという絶望がこの空間を支配していた。
「……あの」
彼女が怯えないよう、ゆっくりと小さく挙手をしてから発言。その甲斐あってか、あまり驚かれずに先を促された。
「自分が直してはダメでしょうか……? これでも裁縫の心得はありますので……」
俺のせいなのかは定かでないが、こんな状態の女の子を放置する事は出来まい。俺の進言に彼女はインチキマジシャンを見るような眼差しで、
「……あなたにそんなことが出来るのかしら?」
急になんか強気だな……。あれか? 自信のある話題になると急に語りだすあれか? それ恥ずかしいやつぞ? 俺知ってるかんな?
とはいえ信用してもらわにゃ話は進まない。あー……と声を漏らしつつ、自分の裁縫スキルをアピールすることに。
「俺には妹がいるんだが、そいつの丈直したり、ウエスト調節してやったりしてるんだ。だからそれくらいなら直せる、と思う。ご不満か?」
あとは自分の女装服の細かな調整もやっているのだが……そこはノーコメンツ。しばらく俺のことを値踏みするように眺めていたが、俺の自信ありげなドヤ顔が功を奏したのか、
「……わかった。あなたに任せるわ」
そっぽ向いてふんと渋々了承してくれた。
「ありがとな。それじゃあ俺も被服室に入るからな」
俺が先に被服室に入ると、やや遅れて女の子も入室。だいぶ警戒されてますねー。そして彼女は後ろ手にガチャリと鍵をかけた。
「それじゃあ早速スカートを……」
イスにどっかり座って作業……と思ったけど、その間彼女は下着を隠すものがないってことだよな。俺の懸念事項に気づいたのか、女の子はむっとした様子で、
「うう後ろ、向いててなさい、よ」
「そ、そりゃもちろんだが、やってる間モロ出しで居る気か?」
「ちょ……モロ出しとか言わないで! 仕方ないでしょう!?」
「確かに仕方ないが……。あーじゃあせめてこれで隠しとけ」
俺はブレザーを脱いで、受け渡すつもりでペイッと投げると、彼女はビクビクッ! と飛び退いて避けてしまった。あのー俺のブレザー汚れるんですけど?
彼女は床に叩きつけられたブレザーに恐る恐る近寄り、くんくん異臭確認。危険物じゃねぇよ。そして爆発物を取り扱う自衛隊のごとく慎重な様子で、目を細めちょんちょん触診。なんかそこまで汚物みたいな扱いされると、単純に傷つくわ……。
ひとしきり確認が終わると安全だと判断されたのか、すすーっと持ち上げた。
「さ、さっさと後ろ向きなさいよ」
猫のような威嚇の眼差しに、俺はネズミになって戦々恐々後ろを向いた。
ごそごそ……と聞こえる衣擦れ音。すぐ後ろで女の子が服を脱いでいるなんて……なんかこう……欲望が……。なにせ彼女はとてつもない美人だ。これは俺だけではなく、きっとどの男子もそう思うはず。そんなレベルの女の子の生着替えとなれば、思わず生唾を飲み込んでしまうだろう。
だがしかし、相手はそもそも男に対していい印象を持ってない。ここで俺が更に悪い印象を与えるわけにはいかぬ! と強い意志で理性を保つ。
「脱ぎ終わったわよ」
はいっと顔の真横に差し出される女の子のスカート。その勢いによって翻った布から、お花っぽいいい香りが俺を包んだ。……冷静、冷静。
「ちょっと待ってろよ」
と声をかけたものの、相手は無言だった。もしかしたら首を縦に振ってるのかもだけど、今振り返るわけにはいかない。とにかく作業を……、とスカートに目を落とす、が、
「……」
ひ、ひでぇ! なんだこの縫い跡!? 玉止めめちゃくちゃしてあるし意味のないとこまで縫ってるし……裁縫未経験の人間でもここまではならねぇだろ!?
あの裁縫できるみたいな自信はどこからくるのやら……。ため息混じりに片っ端から彼女の縫い糸をバツバツ切り落とした。
そしてしばしの作業時間。校庭の方から生徒たちのやかましい声。だがこの部屋を支配するのは沈黙。はっきり言って気まずい。沈黙に耐えきれず、俺は口を開いた。
「えーっと……、裁縫下手なのか?」
「なっ……下手ですって!? そんなわけないじゃない!」
普通に反論された……。やっぱり自分のわかる話題なら意外と話せるのか? って今はそれよりも、
「どう見たって下手だろ……。こんな縫い方見たことねぇよ。俺の妹でももっとうまくやるわ」
「なっ……なんて失礼な! 私は裁縫部なのよ!? 下手なわけないじゃないこの節穴っ!」
「これで裁縫部だと……」
この学校の裁縫部のレベルは大丈夫なのか? とそんな心配をしつつ縫っていると、
「そ、そう言うあなたはどうなのよ!」
ずいっ。……近い近い、何で俺の顔の真横から覗き込むのよ。まったくどんなお小言を言われるのやら、と身構えるも、
「あら、以外と上手いじゃない」
なんか誉められた。予想外の言葉にま、まぁな、とやっすい返事を返してしまう。
「
ふふんと得意げな彼女だったが、俺の顔がすぐそばにあることに気づき、慌てて顔を引っ込めた。
「
「我が裁縫部の部長よ。とってもすごいんんだから。自分でメイド服を作れるほどなのよ!」
「へーそうなん……」
メイド服? なぜメイド服を作ってんだ? もしやコスプレ趣味のあるお方なのだろうか……。そんなことに思いを馳せつつ、着々と作業を進める。そして、
「ほい完成、穿いてみてくれ」
縫い終わったものを後ろに渡すと、無言のまま衣擦れ音だけが聞こえてきた。
「問題ないか? 振り返っていいか?」
聞くと小さくうんと返事があったので、立ち上がりゆっくりと振り返る。
どこか恥ずかしそうにもじもじする女の子。重要項目であるスカートを確認する。うん、どうやら問題なさそうだ。
「えーっと……とにかく。時間とらせて悪かったな。でもスカートが落ちたのは俺のせいじゃないよな?」
「……」
えーせめて何か言ってほしいんですけどー。
だが彼女を見るとしきりに自分の手の甲をナデナデ、そして震える唇。どうやら何かは言いたいらしい。気長に待ちますか……と俺が咳払いをすると、彼女は催促と受け取ってしまったようで焦りながら、
「なな、名前……」
「えっ? 俺の?」
聞くと彼女はこくこくと頷いた。何で今? と思いつつも、
「俺は
「ふーん……」
なにに納得したのか、ふむふむうなずきながら俺の顔をまじまじと見とめる彼女。すると、
「ね、ねぇ、ああなた、どこかで会ったこと……ない?」
その一言に、俺の心臓は一気に凍結。すっかり忘れてた
「さ、さぁね……なんのことやら。これが初対面に決まってるだろ」
うっ……冷静を装いきれぬ……。内心焦ったものの、どうやら納得いただけたようだ。彼女は警戒の視線を解くと、
「そうよね……あなたみたいな低俗なのが、
あのーすみません聞こえてますけど? ちょっと失礼じゃないですかね? 曲がりなりにもスカート直してあげた人に向ける言葉じゃなくない?
と脳内で猛烈に抗議するも、もちろん彼女に伝わるはずもなく。踵を返してスタスタと扉の鍵を開けて廊下へ。
「ちょ、おい?」
「わ私、は、
「お、おう……えっ?」
それだけ言うと、
「え……
ついさっき
「……とりあえず、女装はバレなかったみたいだな。つーか後で俺のせいだとか言われないだろうな……あっ」
ブレザー持ってかれたじゃん。
食堂に向かった頃にはすでにお昼休みは終わり直前で、先に待たせてた
「兄ぃなにニヤケてんの? キモいから隣歩かないで」
「あのな……兄も言葉によっては傷つくぞ? つーか俺にくっついているのはそっちだろ?」
歩きスマホな
「あっ、そいえば兄ぃ。なんかクラスの女の子からこんなの預かったんだけど」
「わぷっ!?」
言いつつ
「俺のブレザー?」
「そ、なんか間違えて持ってきちゃったから返しといてって」
「……その女の子ってもしかしなくとも」
「そ、
「へっ、へぇーそれは知らなかっ……」
すると
「にしても兄ぃもやるよねー。会って間もない女の子の、それも妹の友達のスカートを脱がすなんて」
「ちち違うんだ
やっぱりその話か……。あれはどう考えても俺に落ち度はないはず。不機嫌につり目な
「あのー……ご理解いただけましたかね」
俺が顔色を窺うように戦々恐々聞くも、
「ん? ああ、まぁそんなことだろうと思ったよ」
「えあっさりしすぎでは?」
「だってれっちの裁縫下手は一年生で知らない人はいないし」
おーい裁縫部ー。悪名が一年の間で滅茶苦茶広まってんぞー? 裁縫部の今後は大丈夫なのだろうか……などと憂いていると、
「まぁ理解してくれたなら何よりだ。いやぁにしても焦ったぜ、
「え怒ってなくはないけど」
「どっちだよ」
「経緯はわかったけど、アタシのれっちを恥ずかしい目に遭わせたのはいくら兄ぃでもやっぱり許せないかなって」
「アタシのって……
「兄ぃ本当に怒るよ?」
ぎろりとドスの効いた睨みをちょうだいし、俺は速攻で謝罪した。あれはマジでやばい時の目だ……。
「いや確かにスカートを結果的に脱がせたことは悪いと思ってるけどさ、別にパンツを見たわけじゃないし」
「……本当に?」
うっ……何という鋭い視線だ。なんかまずそうな予感がしてパンツを見たくだりはなかったことにしたけど……悪手だったか?
「ホントウデス。お兄ちゃんを信じてくれ」
「ふーん……まぁそれならいいけど。れっちも勝負の紫パンティはどうでもいい男なんかに見せたくなかっただろうし」
「ああそれなら心配いらねぇぞ。今日はオレンジだったか……ら」
あっ、しまった。そう思ったときにはいつも遅いのである。
「兄ぃほんとにチョロ過ぎ。そんなんでよくアタシをやり過ごそうとしたね」
「すまん……この世に迷彩柄パンツ以外が存在するのが衝撃的だったかっ痛っぁ!?」
足の親指がなくなったかと思いきや、
「兄ぃ最低」
「ああ……パンツを見てしまったことは本当に悪いと思ってる」
「そっちじゃねぇーし。もういいや」
「あー信頼する兄ぃに裏切られたしアタシのパンティ馬鹿にされたー超ショック。この気持ちをどうしてくれようかなー」
大根もびっくりな棒読みでおよよ言い出す
「わかった。お詫びに何でもするから許してくれ」
「わーいお兄ちゃん大しゅき」
「わーい世界一嬉しくねぇ」
兄に対して現金な生き物。それが妹である。久しぶりに猫撫で声聞いたな。さて、今回は何を頼まれるやら……と身構えるも、
「アタシさー、マジびっくりしたんよ。れっちが男に対してプラスなこと言ってんの。まぁそれ以外マイナスなことしか言ってなかったけど」
「だろうな……って、一応プラスなこと言われてたんだな」
「あー確か、裁縫の腕は素人にしては上出来と言えるわねって」
あの程度でよく上から来れるなあいつ。
「それとさ、一個聞くけど兄ぃ。
「な、なんでそのこと……」
「だって兄ぃのシュシュ持ってんだもん。サルでもわかるじゃん」
言い方……はさておき、確かに
「つまるところ、れっちは知らず知らずのうちに男と話せてたってわけですよ」
「まぁそういうことになるな。……それで、結局俺に何を頼みたいんだ?」
聞くと
「ねぇ兄ぃ。今度の休日、アタシ行きたいところがあんだけど」
「うーん……お兄ちゃん今度の休日は用事が……」
「お願~いお兄ちゃ~ん。さっき何でもするって言ったじゃん。アタシの一生のお願い、ね?」
「よし行こう」
兄とは時に、いいように使われているとわかってても可愛い妹のお願いを聞かねばならぬ時があるのだ。
一生のお願い、確か十六回目だったかな。
「め、メイド喫茶……っ!?」
目的地も教えてくれない
その名も『メイド喫茶 ライトブライト』! ものすごく光りそうとかそんな感想しか浮かばなかった。
「着いたー。あー疲れた。歩くのだるい何で人間に足生えてんの……」
ぶっ飛んだ疑問を提示しながらぶーたれる
「それで
ちなみにだけど、なぜか
「お姉とメイド喫茶でデートしようと思って」
「いやいやいや……まともに答えてよ」
ちらりと建物の様子をうかがうも、窓があまりなく中の様子は全然わからない。本当にメイド喫茶なのこれ? 不安な私を
「まー入ったほうが早いし、とにかく行くよ」
「あっ、お、お帰りなさいませ、お嬢様方っ!」
じっ、実際に言ってるの初めて見たっ! なんかテンション上がる!
と小さな感動も束の間。
「……えっ? り、
よくよく見れば、私たちに挨拶してくれたその女の子は。
「やっ、れっち。来ちゃった」
ひきつった笑顔のレーナこと、メイド服を身に纏った
「ちょっとちょっと、お嬢様が帰って来たんだから、早く席に案内してちょ。アタシはもう疲れた」
「えっ、あ、ああそうね。それではこちらにどうぞ」
「もう……
ご機嫌斜めに口を尖らせる彼女に、めんごーと流す
……どうやら、今日の用事は
「気が変わった。れっちの可愛いメイド姿を見とこー思ってね」
「べ、別に可愛くなんか……」
「可愛いよねお姉ぇ?」
「えっ?」
「ええ、私も可愛いと思うわ。
私がそう伝えると、
「あ、ありがとうございますお嬢様」
「「……」」
笑顔……ものすごく引きつってる……。
「あっはは、れっちってば笑顔下手くそ過ぎっ!」
「ああこら
「い、いいのよ……わかっていることだから」
そうは言ってもあなたとても悲しそうな顔しているよ……。
「普段笑ってるときはすっごく可愛いのに。もったいないなぁ」
「もっもう
彼女が今度は怒りで頬を染めて声を荒げると、近くにいたメイドさんが、
「レーナ。お友達が来て嬉しいのはわかるけど、他のご主人様たちも居るんだから、気を抜き過ぎちゃ駄目ですよ」
「ご、ごめんなさいアキャリ先輩……」
先輩メイドさんなのかしら。彼女のメイド服は
しかもわき腹部分が紐のノースリーブで、袖も紐で繋がってるだけで脇も普通に見えるし。
あまり広くない店内をぐるりと見回しほかの店員さんも確認。統一性がなく、どうやら固定のメイド服はないみたいだった。にしてもこれを選ぶあたりがすごいね……。
「くすくすっ、お嬢様。そんな熱い視線を注がれては、私も恥ずかしいですよ」
「あっ、ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったのだけど」
「ふふっ、お気になさらず」
柔らかな笑みを浮かべたまま、テーブルの片づけが終わった彼女は裏へと入っていった。
女装してて良かった……素のままだったら白い目で見られて終わりだったね。あれだけの露出をしておいて恥ずかしがられてもって感じだけど。
「お姉ってほんっとーにしょうがないよね」
あっ、アウトでしたっ☆ 呆れ腐った
「そういえば
胸につけられたハート型の名札を、やや腰を折りながら見せつける
というかそんなことよりも!
「い、いきなり下でって……?」
女の子を名前で呼ぶ……ハードル高っ!? しかもお店とはいえあだ名(?)も結構レベル高いよ!? ってここでたじろぐあたり、自分の女性経験の低さに泣けてくる……。
そんなことをしているうちに、
私に名前を呼ばれるのを待っている
「レっ……ーナ……」
「ありがとう
くっ……緊張した……。横で必死に笑いをこらえている妹に畜生めと吐き捨てた。
「え、ええよろしくね。ところでその、私のこと……普通に
「それは駄目よ」
なんでぇ!?
「ところで
流れるような話題転換。えっ表情すら変わらないんですけど? そんなに崇め奉りたいの私を?
まぁそれはともかく……レーナの当然の疑問に私は思わず緊張し、静かに喉を鳴らす。り、
「あー……実はついさっきそこで知り合っ」
「レーナあのね、私は
私の急な割込みに変な空気になりつつも、レーナは納得した様子で、
「そ、そうなのね。
「まねー。あ、そいえば注文まだだったね。ここに来るまでに体力使い果たしたからしっかり回復しなきゃ」
「貧弱かっ……。っと、そうね、私も注文しようかしら」
「ええ、承るわ」
私と
「……れっちはさ、どうしてここで働いてると思う?」
頬杖をつき、私の顔をのぞき込むように
「普通に考えれば、男性が苦手な女の子の働く場所ではないよね。ということはつまり……」
とんでもない荒療治だとは思うけど、答えはそれなのだろう。男性が苦手だからこそ多く関わる場所で慣れてしまおう、ということだ。
「そ。お姉は理解が早くて助かるね」
「なんで上から……まぁいいや。で、
聞くと
「れっちの苦手……もしかしたら直せるんじゃないかと思ってさ」
「……私に言ってるの?」
「んー……両方、かな」
「確かに
「やってみなけりゃわかんないじゃん」
「そうは言うけどね……」
「少なくとも、アタシは兄ぃに可能性を感じたよ。れっちも変わろうと頑張ってるんだから、手伝ってあげてよ」
「私にそこまでする義理はないでしょ」
「あーそういうこと言っちゃうんだ?」
まるで悪いことをする生徒を発見して先生に言いつけるのが楽しみな子供のように、無邪気っぽく目を歪める
「……いやま、それもそうね」
帰ってきた答えは意外とあっさり。本当に適当なのよね、
「まーでも、そんな簡単に断らないでさー、もうちょい考えてみてよ。アタシは兄ぃとお姉ならなんとかできるに賭けとくから」
「その賭けに何の見返りがあるのよ」
「アタシがお姉をもっと好きになる」
「それは魅力的だね……。でも、そんなので受ける訳ないでしょ」
私が断ると
「でも珍しいね。
「どゆ意味よ。アタシだってねぇ、数少ない友人のために一肌脱ごうってこともあるし」
と、ご立腹な妹君をなだめていると、すたすたとレーナがこちらに戻ってきた。
「ごめんなさい。もう少しかかってしまうみたい」
丁寧に頭を下げるレーナ。そしてへそを曲げている
「何の話をしていたのかしら?」
「別に大したことじゃないよ」
「お姉がなんでレーナがここで働いているのか気になってんだってさ。それでアタシが克服のために働いてるんだって教えてあげたとこ」
「ちょっと
全部そっちがふってきた話でしょうが。どうやら意地でも私に協力させたいみたいね……。レーナはなんでそんな話に? と訝しげな表情だけど、答えてくれるようだ。
「そう……気にしてくれてありがとう。確かに私がこんなところで働いているなんて、変だものね」
「でも理由を聞いたら納得したよ。それにしても、克服するためにこんなところに飛び込むなんて、すごいね」
「あっ……実はそれだけじゃないのよね」
「えっ? そうなん?」
驚きの声を上げたのは
「べつにレーナが言いたくないんならいいよ。アタシは深入りしないから」
「そんな気遣ってくれなくても大丈夫よ。確かにちょっと恥ずかしいけれど……」
気持ちを落ち着かせるように手をキュッと握ると、レーナは震える唇を開いた。
「じじ実は私、メイドさんになりたかったの」
「め、メイドさんに?」
あまり聞いたことがない夢に驚きを見せると、レーナは口をとがらせ、
「や、やっぱり変かしら?」
「いえ、確かに珍しいとは思ったけど、変だなんて思わないよ」
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいわね」
「なるほどなるほど……レーナは意外と奉仕がしたいタイプ……っと」
「ちょっと
変なメモを取る
「それで、どうしてメイドさんになりたいの?」
「私ね、メイドさん自体に憧れがあるの」
レーナは頬に手を当てると、しみじみと語り出した。
「あれは確か小学生の頃だったかしら……。親に内緒で夜更かしして、テレビを見ていたの。そんな時、たまたまアニメがやっていてね。学校の生徒会長が、家計の為にメイド喫茶で働くお話だったんだけど……」
レーナは身を包むメイド服を微笑ましく眺めると、
「可愛い洋服に身を包んで働くその姿に、ものすごく惹かれてね。気づけばメイドさんの虜になっていたわ」
メイドになりたいなんて突飛な夢かと思ったけど、ふたを開けてみれば可愛いお洋服を着て働きたいという、実に女の子らしい夢だった。うきうきで語るレーナだったが、急にがっくりと肩を落とし落胆の声で、
「日本では、実際にメイドを雇っているところなんてほぼないから、将来の夢とは言えないけれどね……」
まあ確かにメイドなんてそもそも海外の文化だった気がするし、日本でせいぜい聞くのはお手伝いさんとか家政婦だ。それに恐らく、こんな格好で働いていないだろう。
「だから私のこれは、自己満足みたいなものになってしまうわね」
「なるほどね……。よかったじゃない。夢が叶って」
「ま、満足に接客も出来なきゃ、やってる意味ないもんね」
「なるほどね……って、もうちょっとオブラートに包みなよ」
「い、いいのよ……
そうは言っても思いっきりテンション落ちているじゃない……。
「まぁでも、これからできるようになればいいんだから。きっとそのうちできるようになるよ」
「……ええ、
そう闘志を燃やすレーナの姿に、私は思わず胸が痛んだ。だって異性を理解するのはきっと無理なんだから。女装なんて続けているけれど、結局見えてくるのは表面的なものだけ。だから今私が続けているのは惰性というか、せっかく生み出した
いやま、単純になんか楽しいってのもあるけど。
どこかバツの悪くなった私は、置いてあったグラスの水を一気に煽った。体が冷えていくのを感じる。
「……ねぇ、一つ聞いてもいい?」
「いいわよ」
私の声のトーンに、少し身構えてレーナ。どこか張りつめてしまった空気を和ます為に、私は大きく伸びをしてから、
「どうして、そこまでして男性恐怖症を克服したいの?」
聞くとレーナは照れたように髪を撫でる。
「自分で言うのもなんだけど実は私、結構男の子に告白されるのよ」
それは確かに自分で言うのもってとこではあるけど……。そういえば
そもそも初めて見たときから思っていたけど、
「それでいつもちゃんとお断りしなきゃと思っているんだけど……どうしても直接二人きりで会ってしまうと、どうしていいかわからなくなって返事もせずに逃げ出しちゃうのよ」
「ああ……それは傷つくね」
「だからアタシも一緒に行くって言ってんのに」
「だって私だけが呼び出されてるのよ? それなのに
うーん……ちょっと難しいところだね。ちゃんと一人で来て無言で立ち去られるか、それとももう一人ついてきて断られるか。……どっちもどっちな感じがするな。結局断られてるし。
まぁでも相手の言うことを守ろうとしているあたり、
「とにかく。だから私はちゃんと克服して、ちゃんとお断りしたいのよ」
やっぱり断るのは前提なのね……そもそも男が嫌いなんだから、好きな人もいる訳ないか。
「そういえば、男性に対して苦手意識を持ったのっていつからなの?」
「明確に意識し始めたのは小学生の頃だったわね」
レーナは腕を組み、深く思い出すように目を閉じると、
「ただきっかけはもっと前だったと思うわ……。確か幼稚園のころ、男の子たちにいじめられたのよ。それ以降私が男の子と一緒にいるのをものすごく嫌がったみたいで、それを見かねた両親が卒園後に女子小学校に入れてくれたんだけど……」
「もしかしてそれで、女の子だけの空間に慣れちゃったってこと?」
「
レーナは思い出すだけで恐怖を感じているようで、組んだ腕によりいっそう力がこもった。今にも震えだしてしまいそうな様子だった。
「……ね、れっち」
いつの間にかスマホを取り出し遊んでいた
「れっちの苦手克服、アタシも手伝うよ」
画面に目を落としたままだったが、そう言うとスマホを仕舞い頭を掻いた。
「えっ、でも前にお願いした時、
「気が変わったの、それとも嫌?」
「ううん、そんなことないけど……」
「いい作戦が思いついたから、ちょっとやってみようかなって思っただけ」
そう言うと
「うちの兄貴を使いなよ」
あーやっぱり……。手伝う気はないって言ったのに。私がポカーンとバカみたいに口を開けていると、レーナがめちゃくちゃ嫌そうな顔を浮かべ、
「アレと関わるの? 正直に嫌なのだけど……」
「れっちの場合は誰でも嫌でしょ。贅沢言うなし」
「襲われたらどうするのよ」
「あーだいじょぶだいじょぶ。兄貴にそんな度胸ないし甲斐性なしだし。それに、もしアタシのれっちに変なことしたら兄貴と絶縁するし」
「で、でも……」
「あと童貞だし」
「あら、それなら大丈夫ね」
……えっ? 二人とも
つーかレーナの童貞に対する安心感はなんなん?
「ぷっ……くく……どっ、どしたのお姉?」
くっそ
「どうもしません。それで、どうするのレーナは?」
「そ、そうね……
「私にそんなこと聞いても無駄でしょ。やってみなくちゃわからないんだから」
まぁ現状、断るつもりしかないけど。レーナには悪いけど、私にも
「
どんどん力を失う声。縋るようにつかむ左手首のシュシュ。しおれた花のような彼女の姿に私は一つため息をつき、
「あなたがいいと思うのなら、やってみる価値はあると思うよ?」
瞬間、レーナの表情に光が咲く。全く、こんなので元気取り戻しちゃって……。
「
「いいよいいよーアタシから話しとく」
と、私にアイコンタクトを送る。私が不機嫌の視線を返すも、相変わらず気にする様子はなさそうだった。
「ま、待って」
そこで口を挟むはレーナ。いったいどうしたのかと見やると、少し迷いのある強ばった表情をしていた。
「私が……私が直接、お願いする……だから、
揺れる瞳。それは明らかに不安を訴えていた。そんな彼女に、
「いやいやーどー考えても無理っしょ。アタシに任せなさいって」
私も
「で、でも……それまでも頼んでしまったら、この先ずっと変われないと思うの。だから、頑張りたい」
レーナはなおも引き下がらない。相変わらず瞳は揺れたままだが、その奥には確かな意志のようなものを感じた。
彼女のこういうところは本当に強いな。素直に尊敬してしまった。
「ま、れっちがそう言うなら、頑張ってみりゃいいんでない?」
「応援してるよレーナ。あなたならきっと大丈夫」
そんな心にもない言葉だったのにも関わらず、レーナはやる気に満ちある触れた瞳で、
「
元気いっぱいの返事。そしてメイドらしくスカートをつまんで軽く持ち上げお辞儀。フィクションでしか見なかったその所作に、私は思わず胸が高鳴っていた。
「あっ、準備ができたみたい。行ってくるわね」
レーナはパタパタと軽い足取りで厨房の方に消えていった。彼女が離れたのを見届けた私は
「
「わかってるよ。これ以上は何もしない」
「ただ、れっちの呼び出しだけは答えてあげてよ。それでどうするかはお姉に、兄ぃに任せるからさ」
「……わかった」
気は進まないながらも、ここまで来たらそれだけはしようか、と心に決めて仕返しとばかりに
思いっきり蹴り返されました。
思わず寝かけた本日ラストの授業をなんとかやり過ごし、俺は被服室へと向かっていた。これから部活動にと賑わう生徒で騒がしい廊下を抜け、驚かせないようにドアをノック。入るぞーと声をかけながらドアを引く。
「っ……きっ、来た、のね」
西日に照らされた被服室に、緊張に体を強張らせきった
つい
「そりゃあお呼ばれしたからな。さすがに来るだろ」
俺が一歩近づくと、彼女の警戒がまた一段強まった気がした。とりあえず、これ以上近づかないほうが得策っぽいな。
「それで、話ってなんだ?」
なんて言いつつ、何の話か分かってんだけどな……。
「そのっ! ……あ、なたに……お願い、あるんだけど」
「
我ながらなんて白々しい……。
焦る気持ちはあるものの、今は彼女の言葉を待つしかない。ふと
視界の端で彼女を捉え続けるも、彼女が動く様子はない。痺れを切らした俺はため息を一つついて
「なぁ、無理なら無理でいいんじゃねぇか? 噂を聞いたけどさ、男が嫌いなんだろ? それなのにわざわざ無理してまで俺に頼み事なんて、する必要ないだろ?」
「違うっ!」
うおっ急にでかい声!?
「違う……違うのよ、嫌いなんじゃないわよ……。ただ、怖いのよ……」
……そういえば、
「今のは俺が悪かった。ごめん。噂では男嫌いで有名だったから、ついそんな言い方しちまった。許してくれ」
「べ、別に構わないわよ……それで有名になってるの、知ってるし……」
めっちゃくちゃ不服そうだな……。まぁ悪目立ちというかただの悪評だもんな。だが今ので緊張が少しほぐれたのか、先ほどよりは口が柔らかくなったようだ。
「とととにかく……不本意ながら、あなたにお願いがあるの。ま、まさか断ったり……しないわよね?」
「断るもなにも、まず内容を教えてくれよ。話はそれからだろ?」
「……っ!? そ、そうね。私としたことが失念していたわ」
表情こそあまり変わらないものの、どうやら内心相当テンパっているご様子。何というか新鮮な感じだ。なんかこう……綺麗でしっかりしてそうな人が焦る姿って、いいよね!
「別にそんなに慌てなくていいから、話すんだったら話してくれよ」
「さっきは急かしたくせに……」
いやまぁ確かに……。図星を突かれてバツの悪くなった俺は、小声だったし聞こえないふりをすることにした。
「わ、私、男性恐怖症を克服したいの。それでその……あなたにも、協力を、して、ほしいんだけど……」
やっとの思いで放たれた
「協力は出来ない」
「さっきも言ったけどさ、別に無理をする必要はないだろ? 確かに
ここまで言えば
「……こ……ない……」
えっ?
「そんなこと……ない……っ!」
驚き見開く目。そんな俺の目を、
「無理だって。そんなの理想論だ。俺たちは理解し合えないんだよ」
「出来るわ! 諦めなければきっと……!」
「どうやってだよ。方法なんてなんもないだろ……っ」
「きっと何かあるはずよ! やってみなければわからないじゃない!」
「ないんだよ! どうやったって理解することなんてできない高い壁があるんだ! 何をやっても無駄なんだよ!」
……ああ、この言葉は違う。これじゃあまるで。
「あなたも、なの?」
白状しているようなものじゃないか。
「あなたも私と同じで、異性を理解しようとしていたの?」
しくじった俺には、これ以上紡ぐ言葉が見つからなかった。俺の沈黙を肯定と受け取った
「よかったら……あなたのこと、教えてくれない?」
なんでそんなことを
「……小学校入りたてのころだったか……それぐらいん時に、入学前から仲良くしていた女の子の幼馴染がいたんだ。その子がクラスで一番足が速い男の子に告白したんだが、見事に玉砕してな。んで、わんわん泣く幼馴染をなんとか慰めようと色々励ましちゃいたんだが……」
ここまでするすると言葉が出てきたが、急に肺がつぶされたみたいに息が詰まった。ああ、そーいやこれ思い出すの結構久々だもんな……。
「えっと、その……」
俺の様子を心配した
「言われちまったんだよ。『男のあんたに私の気持ちの何がわかんの!?』ってさ」
なんとか言葉にはできたものの、自分の体温がみるみる下がっていくのが分かった。それなのにどうしてか汗が流れ落ちる。それを悟られぬよう、前髪を直すふりをして額の汗を拭った。
「そう……だったのね」
今の話に
「それ以来、女の子とどんな風に接すればいいのかわからなくなって、
そうだ。思い返してしまえば些細なことなんだ。あの子だってそんなつもりはなかったと思う。でも、あの時の俺にとっては、確かに大きなものだったんだ。
「ねぇ、だったら取引しましょうよ」
「えっ?」
「あなたは私のために男性克服の手伝いをする、私は……具体的に思いつかないけれど、あなたが女の子のことを理解できずに困っているのなら助ける。これなら、あなたにもメリットはあるんじゃないかしら」
腕を組みどこか殊勝な笑みを浮かべる
「なんじゃそら……。本気で言ってんのか」
「本気に決まっているでしょ? だからあなたも諦めるのはやめなさい。あなたみたいに男女の相互理解を諦める人がいるから、男女の諍いがなくならないのよ」
「なに俺男の代表として怒られてんの?」
「ええそうよ」
冗談のつもりで言ったんですけど……。愕然とする俺に
「男女の相互理解はあなたの言う通り、到底無理な難しい事だと思うわ。でも、それでも理解しようと努力し続けなきゃいけないのよ。きっと」
毅然とした態度で言い放つ
俺がいまだに答えに迷い沈黙を流していると、野球部だろうか。校庭の方からカキーンと君のよい音を響かせる。それと同時に窓から吹き込んだ風は、カーテンと半端に留められた掲示の紙、そして俺と
「……わかったよ」
はぁー……っ! と俺はわざとらしく大仰なため息をついてから、再び前を向く。
「
俺の答えに
「ふん、最初からそう言っていればいいのよ」
ったくなんで上からなんだよ……。もう一度ため息をつきそうになった。こんなつもりじゃなかったんだけどな……。なんつーか、年下の女の子に諦めるなだなんだの言われてるのが、ひどく格好悪いって思ったのが敗因だな。
……いや、諦めずに努力しようとする
「あんまり期待すんなよ?」
「大丈夫よ、最初からしていないわ」
「さっきまでの弱々しさはどこに行ったんだよ……」
「う、うるさいわね。私だって男の子であるあなたとどう接すればいいのか模索中なのよ」
「……そうかよ」
なんだそれ。口を尖らせ不満をあらわにする姿は、不覚にも可愛いとか思ってしまった。心の置き所をなくした俺は、あーとか変な声を上げてから、
「じゃあ、取引成立って感じか? とりあえずよろしくな」
ついフレンドリーな流れで手を差し出してしまった。おかしいな、俺にシェイクハンドする文化はないはずなのだが?
当然、男が苦手な彼女が手を握るはずもなく、空を彷徨う俺の手。
「わ、悪い。なんかついやっちまった」
あはあはは、と気持ち悪い笑みで誤魔化しつつ手を引こうとすると、
「ちょっと! なんで戻すのよ」
何故か語気を荒げた
「ま、曲がりなりにもここに協力関係が生まれたのよ? その相手の手を握らないのは……筋が通らないのではなくて?」
「そう……だろうか……?」
頭を悩ませつつ、言われた通り手を差し出し続ける。やっぱり
それはさておき、俺の手をおっかなびっくり見つめ続ける女の子という、目の前に広がる不思議な光景をいつまで見続ければいいのだろうか……。
そそーっと手を伸ばしては引っ込めるその姿は、まさしく『箱の中身はなんじゃろな?』に挑戦しているようだった。箱も何も正解見えているけど。
「別に今そんなに無理しなくてもいいだろ。これから慣れていけばいいんだから」
「う、うう……でも……」
今度は
「で、できなかった……」
そのまま膝に手を当てがっくり項垂れる
「とりあえず、取引は成立でいいんだな?」
「え、ええ……構わないわ。でもまさか、私のスカートを脱がせた人と、こんな関係になるとは思いもしなかったわ」
「いやだからあれは不可抗力っしょー……」
まだ根に持ってたんか。このネタで一生ゆすられそうだな。
「例えそうだとしても、私の……見た事実は変わらないはずよ。それは女の子にとっては一大事なんだから。覚えておきなさい」
「それじゃあ用事も済んだし、私は帰るわ」
よいしょと置いてあった鞄を右肩にかけると、俺の横を通り過ぎていく
「
「どうしたのよ?」
俺からやや離れた位置で停止する
「あーやっぱり。ここ、髪の毛に糸くずがついてんぞ」
ぴぴっと俺が自分の右首のあたりを指で示しながら指摘。すると
「本当ね。私ったら……」
……ってちょっと待てよ?
「ぬっ、
止めに入るも時すでに遅し。するすると伸びていくその糸は、
「「……」」
はらり、と彼女のブレザー、そしてなぜかワイシャツまでもが地面に落ちていた。当然彼女の上半身は今……、
「なっ……! なにすんのよこの変態ぃっ!」
バチィッ! っと被服室に響き渡る快活な音。
なんで俺がぶっ叩かれてんの?
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