俺と私で

遥原春

序章 那月と晴花は同一人物。

「こんなものかな」

 ドレッサーの前でにっこり。メイクはばっちり。これでロングのウィッグをかぶれば、俺が朝凪あさなぎ那月なつきということに誰も気づかないだろう。

 ヘアネットをかぶり、絡まらないように慎重にウィッグをかぶる。そして櫛でウィッグを梳いて、お気に入りのシュシュでポニテにまとめ上げた。立ち上がり一回転。セミロングのスカートがふわりと揺れる。鏡に映る自分、夜長よなが晴花はるかとしての姿を満足げに眺め、私は部屋を出た。

「あっ、兄ぃ準備できたの?」

 リビングに立ち寄ると、妹の凛星りんせが煎餅を頬張りマンガを読みながら気だるげに声を上げた。ソファに寝っ転がりながらまぁなんと行儀の悪い……。もう少し女の子だという自覚を持って欲しいものですよ兄としては。

「そうだよ。それより凛星りんせ、パンツ見えてる」

「って今日はお姉で出かけるんね」

 凛星りんせは体を起こし、眠たそうな眼で私を一瞥。ぶかぶかのTシャツの上からお腹をポリポリかくと、ぼすんとソファに身を預けた。

「いやだからパンツ隠しなさいって」

 家では思いっきりリラックスした格好をしたがる凛星りんせ。大きなシャツで隠れるからとズボンも穿かず、寝転がればパンツが一目瞭然だった。

「いーよ別に家なんだから。それともなに? 兄ぃはこんなんで発情すんの?」

 うりうりとお尻を振ってみせる凛星りんせの姿に、片手で目を覆った。この世のどこに妹の迷彩パンツで興奮する兄がいるんじゃ。って、こんなくだらないやりとりしたかったんじゃなくて、

「新しくできたとこのタピオカ買ってくればいいんだよね」

「ロイヤルミルクティー味ね。それ以外はタピオカと認めてないから」

「認めてあげなさいよ……他のもおいしいよ?」

「邪道は認めん」

 くっ……こうやって新しいものを受け入れない人が文化を潰すんだ! 私は凛星りんせを睨むが当の本人はどこ吹く風。そもそも私のこと見てないし。

「じゃあ行ってくるからね」

 私の投げやりな声に凛星りんせはいってら~、と輪をかけて投げやりに返してきた。まったく……。

 外に出ると生憎の空模様。そういえばもうじき、というかもう梅雨入ってたっけ? この時期は髪がペタッとしがちだから嫌なんだよね。

 なんて気持ちまでじめりそうだけど、今日の服は一目惚れで買ったチュチュを中心に組んだコーデ。気分的には最強な感じだった。……バカっぽいね。

 そんなことを考えながら、住宅街を抜けて繁華街の方へと向かう。休日ということもあり、家族連れの団らんとした様子が多く見えた。

 そしてその中でも一際の賑わいを見せる場所。どうやら目的地に着いたようだ。

「……ってこの行列に並ぶの?」

 見ればスマホを弄りながら待機する人人人。店の遠くまでに及ぶ行列。さっきまでのランとした気持ちはすでに凪いでいた。安請け合いするんじゃなかった……。

 とはいえ他ならぬ妹様の頼みだし、無下にしたら後が怖いもんね。私は一度大きく深呼吸、そして列に並び始めた。

「……飽きた」

 三十分後。私はぽしょりと呟いた。そもそも待つの苦手なんだって……。短いほうかもだけど、これだけ待ったんだから褒めて欲しいくらいだね。

 血は争えないというか、根っこは凛星りんせと変わらないもの。こうなるに決まってる。みんなよくもまぁ並んでられるものだね……いやタピオカ私も好きだけどさ。

 それからしばらく、スマホのホーム画面を右へ左へを繰り返す世界一無駄な時間を過ごしていると、ようやく店先までたどり着いた。

 あと十人ぐらいかな。待った甲斐があったぁすごいぞ私!

 長時間に及ぶ待機で、若干テンションがぶっ壊れた私が口元に手を当てホクホク笑みを漏らしていると、視界の端に気になる光景が映った。

「おー君可愛いねぇ。高校生? どっかでお茶でもしない?」

 うっわーすごくわかりやすいナンパだこれ。

 私と同じく高校くらいの女の子が、黒いアウターに身を包んだ初老くらいの男に絡まれていた。相当参っているのか、しきりに手の甲を撫でている。

 さらに周りを見回すと、明らかに気づいているのに素通りする人々。一生懸命スマホに目を落とす、列に並んでいる人たち。

 ……いや、あと少しで買えるんだけど……でも、なぁ……。

 暇つぶしのためだけに握っていたスマホ。真っ暗な画面に映る自分を見つめる事数秒。私は自分の性格を呪うようにため息をついてから、ひょいと列を離れた。

「ああ、こんなところにいたのね。ほら、映画に遅れちゃうよ。早く行きましょう?」

 大丈夫大丈夫……と唱えながら、困惑する女の子のもとへと駆けつける。突如現れた私に対して二つの視線。

 うぅ、めっちゃ緊張する。少し狼狽えながらも、あたかも知り合いを装う。すると眉をひそめた男が時代遅れのチンピラのごとく突っかかってくる。

「ちょっと姉ちゃん、今こっちは取り込み中だから後にしてくれよ」

 内心ビクつきつつも、それを表に出さぬようふふんと勝気に笑ってみせてやる。

「ごめんなさいね。私の方が先に彼女と約束してるから」

 とだけ告げて、いまだ俯く女の子の手を取り足早に男のもとを去った。角を二つ曲がったところで振り返り、追いかけてきた様子がないことを確認すると、

「急にごめんね。大丈夫だっ……た?」

 私でもなんか怖かったし、まだ怯えているだろうな……と思いきや、ものっすごくキラキラした眼差しを向けられていた。えっ、どういうことです? 私が首をかしげると、彼女は我に返ったようにはっと声を漏らし、

「あっ、ご、ごめんなさい。助けてくれてありがとう。感謝するわ」

 少し冷たさのあるものの、どこか快活な声音で丁寧に頭を下げる女の子。そしてちょいちょいと少し乱れた金色の髪を整えながら顔を上げた。近寄りがたさはあるものの、とても整った顔立ちをした美しい女の子に思わず見とれていると、

「かっこいいのねあなた!」

 急に褒められた。う、嬉しいけどちょっと恥ずい……。どこかきまりの悪くなった私は、前髪で目線を隠す。すると彼女は握っていた両こぶしを力なく下ろした。

「あっ、ごめんなさい。一人で勝手に盛り上がってしまって……」

 興奮していたのが相当恥ずかしかったのか、すっと目を逸らす女の子。なんとなくきつい感じの女の子かと思ったけど、どうやらそんなことはなさそうだ。

「気にしなくていいよ。そう言ってもらえるのは嬉しいし」

 那月なつきの時に言われればもっと嬉しかったけどね……ほら、今の私はどっちかといえば可愛いし? なんて自信過剰をしていると、女の子が少し弱々しい態度になった。

「あの、一つ聞いてもいいかしら?」

「? もちろん構わないよ」

「その、どうやったら男性相手でも、あなたのように堂々とできるのかしら?」

「どうって……考えたこともないわね」

 そもそも男ですし……。あぁでも女装をしていると、少しだけ男の人が怖く感じるんだよね。

「もしかして、男の人が苦手?」

「実はその……そうなのよ」

 沈んだ声音で、すぐそばを通りがかった男から視線を外し彼女は答えた。それでさっきのナンパをかわしきれずに困っていたんだね。納得していると、彼女はため息交じりに額に手を当て話を続ける。

「私の場合、どうしても男性を目の前にすると、心臓が小さくなったみたいに力が抜けて、ただ立ち尽くすことしかできなくなるの」

 どうやら随分重症みたいだね……。とはいえ私にできる事なんてなぁ。そんなことを考えていると、彼女は自分を抱き締めるように腕を組み力を籠めた。

「男の人が何を考えているのかわからなくて……それが、どうしようもなく怖いの」

 瞬間。私は目を見開いた。彼女も、私と同じだというの? ぱっと顔を上げた彼女は、私の表情を見ると慌てて、

「あっ、ごめんなさい。よく知りもしない人間にこんなこと言われても困るわよね」

「ううん。気にしなくていいわ。むしろ、会って間もない私なんかに悩みを打ち明けてくれてありがとう」

 そうお礼を告げると、恥ずかしさが極まったのかすっかり縮こまっていた。ちらりと私の顔を窺うように視線を上げると、

「お……お礼を言うのはこちらの方よ。ありがとう、えっと……そういえば、お名前を伺ってもいいかしら」

晴花はるかよ。夜長よなが晴花はるか

夜長よなが晴花はるか……晴花はるか様ね。今日は本当にありがとう、晴花はるか様」

「ん、んん? ええ、どういたしまして」

 晴花はるか『様』? なぜか滅茶苦茶尊敬されているんだけども。私が困惑しているのを察したのか、彼女は慌てて、

「ご、ごめんなさい。嫌だったかしら」

「そんなことはないよ。ただちょっと驚いちゃっただけだから」

 フォローするも、彼女の恥ずかしさが限界まで極まったのか、相当テンパっている様子でしゅばっと背を向けてしまった。そしてそのまま、

「と、とにかく! さっきは本当に助かったわ。ありがとうございました」

 明後日の方向にお辞儀をするとさっさと立ち去ろうとする女の子。

「まっ、待って!」

 と、気づけば私は彼女の手を握っていた。すると彼女は「ぴゃ!?」と驚きの声を上げ、小動物のような眼差しで私を見とめた。

「あっ、えーっと……」

 わ、私なんで引き留めたんだっけ? というか思いっきり手を握っちゃってるし……。

 私はパニックのまま、

「そ、そうだ。これあげるわね」

 と言って、髪を留めていたシュシュを外し彼女に渡した。両手で受け取った彼女は、私の意図が読めずに目を点にしていた。

「また今みたいに男の人に困らされることがあったら、私のことを思いだしてみて。そしたらちょっとは怖くなくなる……かもよ?」

「……ぷっ」

 きょとんとしたかと思うと急に失笑。なにこれ、すっごい恥ずかしいんだけど!?

「ご、ごめんっ! やっぱり今のなしで!」

 渡したシュシュを取り返そうと腕を伸ばすも、するりと空を切った。私から一歩離れた彼女は得意げに笑い、

「笑っちゃってごめんなさい、ありがたく使わせてもらうわ。それじゃあね」

 と、そのまま背を向け颯爽と立ち去ってしまった。

 私は別れ際に見せた彼女の笑顔が胸に焼き付き、しばらくその場で立ち尽くしていた。そしてふと自分の右手に視線を移し、

「本物の女の子の手は、柔らかいな……」

 男女の差とは、自分で思う以上に大きなものなのだと、少し寂しくなった。女装をしたところで分かるのは、化粧品やメイク、ファッションとか表面的なことばかり。気持ちまで女の子になり切れるわけじゃない。

 やっぱり女装なんてしたところで、一生女の子のことを理解できないんだ。

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