第11話

「役立たず。足手まとい。不能」

「・・・・・・え、あ 」


両手で膝に頬杖をつきながら、心ない言葉をかけてくる碧に、俺は上手く言葉を返せない。


「あんな雑魚の言葉に動揺してちゃだめでしょう。雑魚メンタル」

「罵倒増えてる・・・・・・」


言い返す気力もなく、俺は何とか息を整えて声を搾り出すので精一杯だった。

そんな碧との緊張感の無い会話のおかげで、有り難いことに少しずつ心身の拘りが解けていった。


身体は、異常が無いのを確認する。

痛みも無いし、腕も何事もなかったかのようによく動く。

腕が斬り飛ばされるという、現代人ではおおよそ体験しないであろう出来事が嘘のようである。

また、そこまで冷静に自己分析ができている自分自身が不気味ですらあった。


俺の訝しみを見てとったのか、碧は淡々と話し始める。


「やっぱり、治癒能力は意識を乗せると効きが段違いね。身体補助も問題ないみたい。気配は国津神だけど、格は高そうね」


またよくわからない単語が飛び交う中、俺は、ハッとして周囲を見回す。浅草の商店街は、元の静寂を取り戻していて人の気配はしない。


「あいつは・・・・・・!?」

「たぶん、私の気配を感じ取って逃げたわ」

「そんな、追わないと!あいつは」


焦って立ち上がる俺の頬に、碧の両手が添えられる。冷たく柔らかい感触に挟まれて、俺は硬直した。


「まず、落ち着く。私の言葉に集中」

「・・・・・・はい」

「よろしい」


凪いだ暗い海のような瞳に至近距離で見つめられ、言葉通り俺は彼女に集中するしかなくなった。


「君、今腕を修復したけど、その感覚覚えた? 」


正直忘れてしまいたいけど、克明に覚えている。

けど未だに、夢の中にいるみたいな感覚だ。これは比喩ではなく、五感から感じられる情報と、起こせるであろうアクションの選択肢が増えていて、それができるという確信があるという感じだ。


「・・・・・・覚えました。理屈もわからない上に現実感は無いですけど」

「そうね。キミは理屈で覚えるタイプみたいだから一から説明するね。

この宇宙には4つの力が存在するけど、防人と鬼の力の本質はその4つの力のいずれかを支配して物理法則を捻じ曲げることにあるわ。

その5つ目の力を私たちは「理力」と呼んでいるわ」


いきなり壮大な物理法則の話が出てきて俺は面食らう。けれど、今は彼女の言葉を理解して咀嚼するのが優先だ。俺は戸惑いながらも彼女の言葉を一つ一つ頭で反芻する。

俺の頬に手を添えたまま、碧は続けていく。


「基本的な物理法則の支配は全ての防人ができるわ。特に自分の肉体は支配しやすいから、呼吸や排泄のように無意識に作用している。

一つは身体能力の向上と体表の硬化、二つ目は免疫力等生命維持能力の向上、三つ目は脳内物質を分泌した精神への補助」

「脳内物質・・・・・・・」


言われて、驚きと得心が同時にやってきた。

つまりは、これまで「こんだけのことがあって自分の精神は平常なのか」という疑問への答えである。

理力とかいうが何かしら悪さをしていたのだ。

恐らく、セロトニンやノルアドレナリンなどの興奮物質を分泌してストレスを処理しているのである。もしくは情緒を司どる部位も何かしらの支配を受けているのかもしれない。

それは心そのものが力の支配下に置かれているという事実に他ならない。


「ここまで聞いてどう? 」

「・・・・・・脳みそいじられてるって部分が怖いです」

「そうじゃないと戦えないし、そのうち慣れるよ。腹に穴あけらっれたぐらいでうずくまってちゃ、救える命も救えない」

「それはそうかもしれませんが・・・・・・」


こともなげに言う碧。

割り切り方がエグい。

それくらいの覚悟がなければ踏み込んではいけない世界ということなのだろう。

それほど身体と心を削る過酷な戦いなのだ、鬼との戦いというのは。

今の俺といえば強烈な苦痛に加え、天狗に言われた内容すら消化しきれておらず疲弊しきっている。

そんな状態でこの先防人を続けられるのか。

いや、そもそも続けるか決めるために碧についてきてるに過ぎないのだ。

ここにきて顔を出し始めた俺の逡巡を他所に、碧は話を続ける。


「話を戻すわ」

「待って、その前に・・・・・・手を離してください」


俺の顔を挟む碧の手は、俺の体温で温かくなっていた。

羞恥もあるが、心の迷いを碧に気取られたくなかった。

「ああ」と呟いて手を離す碧。俺は一歩身を引く。


「こっちの方が集中できると思ったのに」

「逆に集中できないっす・・・・・・・」


イマイチ理解できない風の碧に俺は抗議の視線を送る。なんというか、この人まあまあ距離感バグってるな。


「話を戻すと、物理操作と身体補助以外の能力は固有のものになるわ。それは身に宿している神霊の性質に依存する。どう使った方が強いかは、使い手の性格によるけどね」

「前に言っていた、俺の場合は再生能力と治癒能力ってやつですよね」


俺は迷いを振り切るように、平静を装い碧の説明に話を合わせていく。

白川って男にクソ能力と言われた能力だ。

確かに、あの天狗や白川のように遠隔で敵を殺傷できる能力に比べたら見劣りする力だろう。


「俺にも力を貸してくれる神霊の名前があるってことですよね? 何て名前なんですか? 」

「それね。力を使っていたらそのうち自然と認識できるんだけど、君の場合は色々イレギュラーだったから。

 その剣も抜けなかったみたいだし」


俺が先ほど拾い上げた刀を指さされ、俺はすっかり忘れていた不満を思い出した。


「そうだこれ、全然抜けなかったんですけど。錆びてんじゃないですか?  」

「錆びてないし、不測の状態でどう対処するか見たかったのよ。今は、色んなやり方で君の力を引き上げようとしている段階だからね」


悪びれもなく言い放つ碧に、俺は腹立たしいやら情けないやら、複雑な感情に襲われ言葉が出なかった。


今は、飲み込むしかないのだと思った。

推し黙る俺を見て、碧は顎に指を置いて言った。


「異論は? 」

「ありません。・・・・・・てめーが弱いのが悪いので」

「素直ね。まあ、いい心がけだけど」


碧は少し拍子抜けとばかりに空を見上げる。その姿勢のまま、俺に目を落として言う。


「でも、ちょっと投げやりだね。この世界、相手の言うことをそのまま飲み込まない方がいいわよ。私だって絶対じゃないんだから」


珍しく本気で気遣うような口調だったが、「投げやり」呼ばわりに俺は引っかかった。

こちらはやる気を見せているのに、どうして突き放すような事を言うのか。この人は俺をどうしたいのか?

ていうか、そもそもこの人は何なのだろうか?


「じゃあ、異論じゃないですけど、あなたはどうして防人をやってるんですか」

「お金」

「えっ」


反撃のつもりの質問だったが、予想外のカウンターに俺は間抜けな声を上げてしまう。

いや、金って。

身も蓋もなさすぎる、というか。どういうシステム?

その疑問はすぐに碧が説明してくれた。


「命懸けの仕事には相応の見返りがあるんだよ。鬼を多く倒したらインセンもあるし、死んだ場合は多額の死亡保証がある」


想像以上に俗っぽい話に、俺はすぐに言葉が出なかった。お金という言葉がおおよそ碧のイメージとはそぐわない。本当にどういう人なんだ? この人は。


「意外だった? 私は本当は曖昧な理想とかでこの仕事やってないんだよ」

「いや、でも前に俺の力は人を救えるって」

「それはそういう仕事内容だから。それに適した力が君が持っていたからそう言ったの」


俺は脱力して肩を落とした。

なんだろう。別に期待していたわけではないけど、期待してたと思われるのは恥ずかしいけど。何だかすごくがっかりしてしまった。

足元に目を落としていると、ふと足元に影が落ちた。

顔を上げると吐息が掛かりそうな位置に碧の顔があった。

背中に回される細腕と全身に包まれる柔らかい感覚、

女性特有の咆哮が鼻腔をくすぐる、碧の艶のある黒髪が口に触れそうなとこにあった。


唐突な抱擁に俺の心臓は蒸気機関のように動き出した。


何なんだ。本当に何なんだこの人は。

めちゃくちゃ会話は噛み合わないし、いきなり抱きついてきたりして。

俺は気恥ずかしさから抗議の意思を表明しようとするとーーーー。


「急に動かないで。自然にして」


刀剣のように鋭い碧の声に制された。

その声の有無の言わせない強さに、俺は無言で頷き碧の背中に自分も腕を伸ばし、彼女の細い腰を抱き寄せた。

ピクリと碧が反応する。耳元に彼女の吐息がかかる。


「・・・・・・手つきがやらしい」


不服そうな声音は、どこか上ずっているように感じたのは俺の勘違いか。


「いや、自然にってあなたがーーーー」



背筋に悪寒。

それと同時に感覚が拡大した聴覚は、視線の先の闇の中から、ある声を聞いた。


『ザ ン バ』


甘ったるい世界から急激に現実に引き戻された気がした。


次の瞬間、鋭い風が俺の頬を撫でた。

第六感めいた予感は死の予感を警告していたが、瞬時にそのアラートは鳴り止んだ。

死の鎌鼬が確かに射出されたのは感じられた。しかしそれは今まさに俺の目の前で停止しているのも感じられた。


「ーーーかかった」


俺から体を離した碧からは、冷たい殺意が立ち上っているようだった。

肉食獣のような笑みを浮かべていた。

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鬼門の守護者 @kokikikuchi

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