第10話

自動的に俺の体は動き、後方に跳躍する。

今まで俺がいた場所の、ちょうど喉笛があったあたりを2本の鎌が横断した。

初撃をかわされたザリガニは足を止め、こちらを威嚇するように縦長の口から音を立てる。


危なかった。冷や汗が俺の首筋を伝う。

今、身を引けたのは俺の意志だけではない。逃げなければという俺の意志に従って体が的確で素早い動作をしてくれたのだ。

普段の肉体は車に例えるとマニュアルだとすると、オートマとでも言うべきか。ともかく思ってから動くまでの時間が早く、人間離れした動きができている。

さっきの着地の時もそうだが、体も物質としてかなり頑強なものに変わっているようだった。


精神の緊張により体が強ばるものだけど、フィジカルの能力の向上は俺の気持ちを安定させてくれていた。


冷静な頭で、手に持つ碧に言うところの『私の持つ中で一番強い武器』について考える。

真っ先に思ったのが古めかしい見た目の通り、既に錆びついて使用できない状態だということ。でもそれは余りにお粗末過ぎるし、あの碧の性格上そんなことは考えずらい。そもそもなにかしら超常的な力があるこの刀が、錆びたり劣化するという概念があるのだろうか?

それを碧はしっていた?まさか。

碧としては早く俺を実戦の中で育てたいと思っているはず(そう考えるのであればこの状況自体も碧の想定内?まさか)。だから、こういう『想定外』をしこんでおいたのも考えられるのではないか。


何にせよ、この状況を一人で切り抜けることは俺にとっても碧にとっても必要なリスクのはずだ。


俺は一歩踏み出す。

反応したザリガニの腕が閃く。触腕の数は4本。それが鞭のようにしなり俺めがけて殺到する。触腕がその節で折り畳まれており、初撃に比べてリーチが伸びていた。

しかしその触腕一本一本の動きが俺にはわかった。ザリガニに向けて突進しながら、2本を体を傾け回避しもう2本を刀の鞘と柄ではたき落とす。鎌と金属がぶつかり重々しい重低音がこだます。

碧が言っていたとおり、見た目に反してこの刀はかなりの硬度を持っているようだ。「象が踏んでも壊れない」はあながち嘘ではないのだろう。

俺はさらに剣道の踏み込みの要領で左足で地面を蹴る。触腕の間をすり抜け、ザリガニに対して体ごとぶつかる。


軽自動車がぶつかるくらいの衝撃はあったのだろう。俺は自分の突進の威力に驚きながら、ザリガニを下敷きに石畳の上をスライディングしていく。

眼球が大量に飛び出た頭部と目があう。その一つ一つが人間のように白眼や虹彩、角膜があり、俺はえもいわれぬ生理的嫌悪と怒りに突き動かされる。それはモルヒネのように恐怖心を麻痺させた。


嫌な破裂音が俺の股の下から響く。剣の柄は、ザリガニの眼球を破砕し、甲殻を貫き深々と頭部に突き刺さっていた。


瞬間、この世のモノとは思えない絶叫が夜の小道に響きわたる。

体を痙攣させ、激しく体を揺さぶりながらザリガニは暴れる。

俺は馬乗りの体勢を維持しながら柄を引き抜き、もう一撃を頭に加えようと振りかぶる。

残りのザリガニの目が俺を見る。その目は何かを懇願しているように思えて、思わず俺の手が止まる。


すると、背後に鋭い痛み。続いて熱。

怪物の触腕が帰ってきて、鋭い鎌が背中につきたっていた。

熱い血液が背中を伝うのを感じる。ドクン、ドクンと心臓が早鐘を打つ。

俺の口からは獣のようなうなり声が絞り出て、怒りで目の前が真っ赤になる。


俺は体ごとたたきつけるように剣の柄を振り下ろす。何度も何度も、一心不乱に、ポテトサラダを作るときに丹念にジャガイモを潰すように。

行動に反して頭は冷静だった。

ペットに逆らわれた飼い主がしつけをするように、残酷で快楽が含んだ感情だった。それに突き動かされて、俺は暴力的に両手を動かした。


力なく、背中に刺さっていた鎌がずり落ちる。

背中の傷は浅く、背骨の手前で止まっていた。ザリガニの力は「防人」となった俺の背中の筋肉の表面しか削れないほど非力だったのだ。


眼下の怪物の頭は割れた西瓜のようにぐちゃぐちゃになっていた。大量についていた眼球は残らず破砕されていた。


先ほどまでの狂騒と耳鳴りが嘘のように、もとの人気の無い商店街に戻っていた。

俺は何とも言えない虚脱感におそわれながらも、何とか立ち上がった。

顔や服にはねていた大量の怪物の体液は、目の前で塵になって消えていった。しかし、無惨な怪物の死体は俺へのあてつけのように目の前に存在し続けていた。


なすべき事をなしたのに、大切な人たちを脅かす存在を駆除したのに、どうしてこんなに気が晴れなかった。

どっと疲れが全身を襲う。重い身体をなんとか持ち上げ、俺は立ち上がった。

とにかく、碧と合流を・・・・・・。鈍い頭を振りながら、その場を後にしようとすると。


「ひどいなぁ、人の心とか無いわけ? 」


上空、商店街のアーチの上から声が振ってきた。不気味に歪んだ声は男のモノなか女のモノなのか判然としない。見上げると、月を背にして大きな翼が広げられていた。


先ほどのザリガニのように有機的で鈍色の体表。筋骨隆々たる体躯は立ち上がったら3メートルを超えるだろう。背には巨大な鳥類の翼。その頭は大きな複眼を持つ昆虫の用だったが、角が頭部の中心から天狗の鼻のように伸びていた。

先ほどのザリガニとは比べようもない、ただならない威圧感を発していた。


俺は気圧されながらも、刀を握りしめる。


「あんたは・・・・・・」

「天狗坂の鎌鼬ってね」

「・・・・・・は?」

「教養無いなあ、活字苦手なタイプ? 」


と愉快そうに笑う。

普通に、しゃべっている。人の言葉を、人のように。


「人間なのか? 」


俺は喉の奥を詰まらせながら質問をする。否定されることを期待しての、絞り出した質問だった。

そこだけ人間のように変化した口元がつり上がったようだった。


「ん〜。人間であって人間じゃないかな? 君と一緒」


そう言って俺を指さす。俺の心臓が跳ねる。


「・・・・・・『防人』?」

「そんな上等なものじゃないさ。鬼と人間の混じりモノ、中途半端な存在さ。そこの彼と一緒でね」


そう言って。次に指し示したのは、俺の足下に転がるザリガニの死体だった。

俺は身体が硬直する。


「何を・・・・・・」

「だから、君がタコ殴りにして殺した彼も人間だったってこと。」


無惨な遺骸を晒すザリガニに目を落とす。寸胴の胴体は確かに巨大化した節足動物遺骸に見えないが、よく見れば末端に人間の名残を感じさせる部分はあった。大量についた小さな足は足先に行くごとに成人男性の脛と踵のまま残っており、鉤爪の胴体の接合部分は肩のような盛り上がりがあった。

俺は急激に気分が悪くなり、思わず口元を覆う、手にこびりついた体液が口に付着しさらに吐き気がせり上がってくる。


「彼は娘も居たし、愛する奥さんもいたんだよ。でも彼女たちは二度とパパには会えないんだ。君が殺してしまったから」


天狗は宣告する。

敵の言葉だ。冷静に思考する自分がいる。

それでも動揺を止めることはできない。

俺は自分のしたことの重みを直視してしまっていた。

彼も俺と存在だったのだ。たまたま鬼達と関わってしまい、元とは違う存在になってしまった。

今の俺と何が違うのだろう?

たまたま見た目が人のままか虫に変えられてしまったかの違いでしかないのではいか?

彼も、人間に戻りたかったに違いない。そのチャンスを俺が奪ってしまったのだ。永遠に。


「彼は僕の仲間だった。それを奪った君を、僕は許すことはできない! 」


追い打ちとばかりに怨嗟の言葉を吐き、天狗は人差し指を立てた。


身体が、反射的に危機を知らせる。

しかし動揺のせいか反応が少し遅れた。天狗が何事かを呟くと風が通りを吹き抜ける。

肩口に、熱。少し遅れて右肩がわずかに浮いたのを感じる。

違和感の発生源、右手側を見てみると。

刀を掴んだ腕がずり落ちる瞬間がーーーーーー目に飛び込んできた。


「ーーーーーーーーっううっ!」


剥き出しの痛みが襲ってきた。苦痛で視界がぼやけて、瞬間的に意識が遠のき、俺は肩口を押さえてうずくまる。


白川に足を吹っ飛ばせた時とは、違う。あの時はハイになっていて痛みもかき消す力が沸いてきていた。でも、今はそんな都合のいい麻酔はない。

視界は既に砂嵐のように覆われたように判然とせず、自分が今いつで、何をしているのかすらわからなくなる。

頭の中は激痛と、焦りと恐怖で支配され、寒気が全身を覆う。


「ザ ン バ」


今度ははっきりと天狗の呪詛が聞こえる。

身体は、勝手に回避行動をとろうと動くが、嫌だ、動きたくない。

心がそれについていかなければ超人的な運動能力は発揮できない。

逃げ遅れた肘から先が吹っ飛び後方に消えていった。


苦痛は止まることを知らない。ここまでと思ったところをさらに越えてひどい痛みが襲ってくる。

俺は気を失いそうになりながら石畳を転がる。

自分の血だまりが口元まで迫ってきて、おぼれそうになる。その出血量を把握して、さらに恐怖心で冷や汗が出てくる。


血。どれくらい失ったら死ぬんだろう。というか腕なんか吹っ飛ばされたらショック死するのでは?

というか、腕。ペンを握る腕。竹刀を掴む腕。ノブを掴む腕。17年間生きてきた腕。もう無い。落とされてしまった。

介助を受ける自分の姿を想像する。家族にも迷惑をかけて、人の手を煩わせていきるしか無い自分。飯を食べるのにも誰かの手を借りないといけない自分。嫌だ。役立たず。足手まとい。不能。嫌だ。

役立たずは、嫌だ。


「心配するところ、そこ?」


突然カメラのピントが合ったように、意識が戻ってきた。

声は頭上から聞こえる。誰かの手の温もりが肩に振れ、冷え切った身体に伝播していった。


「動かないで。私の言うとおりにして」


声の主は碧だった。俺は素直に彼女の声にだけ集中する。痛みから逃れるのに、それはちょうど良かった。


「力まないで。身体の中の神霊の声に従って。まず、ーーーーー止血」


ゆっくりと彼女の言葉を身体に馴染ませる。流れ作業のように、自分の自意識を廃して、彼女の命令を身体に届けるのに徹する。

すると身体からも返答があった。身体は俺を活かすように働き出す。

破壊された腕の最低限の細胞を増殖させ、出血を防ぐ。脳機能を支配して痛みも遮断し、力が働くのを阻害しないようにしていく。


「想像して、元の腕を。できるだけ詳細に、具体的に。大丈夫だから、必ず元に戻るから」


具体的なイメージ。肘にある傷。指にわずかに生えた毛。手の甲の血管。竹刀を握るのにできたマメまで詳細にイメージしていく。

腕に、強烈な熱。肌が泡立つような感覚。幹細胞が増殖する、自然に起こる数百倍の早さで反応が起こる。


「うまいね、上手。ほら、目を開けてみて」


俺は恐る恐る目を開けると、そこには見覚えのある筋肉質な腕があった。

それはしっかり俺の肩口と物理的にも意識的にも繋がっており、考えたら、想像通り、グーとパーの形に変わった。

俺は目尻に熱いものがこみ上げてきて、あふれそうになるのを我慢した。


見上げた碧の顔は、マフラーで口元は見えない角度だったけど、相変わらずの冷めた目に、俺は安心感すら覚えた。


「生きてる?」

「・・・・・・うす」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る