第7話

永遠に目覚めなかったらどうしよう、と不安を感じ始めていた俺の視線と、目を覚ました梨本さんとの視線が重なった。

いつもしている眼鏡を外し、いつも笑っている彼女とは違う、透明な表情の梨本さんは気怠げに俺の顔と、周囲の状況を確認する。


「・・・・・・坂本君? あれ・・・・・・ここは? 」

「あ、気がついた?梨本さん」


俺は努めて穏やかな口調で梨本さんに笑いかける。


不安げな雰囲気を察した俺はナースコールで看護師を呼びながら現状を説明し始める。

駅に向かって歩いている時、急に気分が悪くなり気を失ってしまった梨本さんを、救急車を呼んでここは九段坂にある病院に運んだこと。

倒れてからは2時間ほど経っており、窓から見えるのは東京の夜景だった。


「そうだったんだ・・・・・・ごめんね!迷惑かけちゃって・・・・・・」


疑問と不安の入り交じった表情で話を聞いていた梨本さんだが、自分が急に倒れたことよりもそれによって俺に負担をかけてしまったことに申し訳なさが勝っているようだった。

そんな状態でも周りを気にする彼女の姿に、胸が痛んだ。


「全然大丈夫だよ。それよりも大丈夫? 気分とか悪くない? 」

「大丈夫大丈夫!むしろちょっと寝れた分気分壮快っていうか! 」


細い腕で力こぶを作って見せる梨本さん。

一瞬。あの炎の男に羽交い締めにされた彼女の姿が目に浮かんだ。

思わず、俺は顔を顔がゆるむのを感じた。

俺の微妙な表情の変化を見て、梨本さんは少し不思議そうな顔をした。


「・・・・・・坂本君、何か変わった? 」

「え? 」


のどの奥が詰まったのを感じた。


「変わったもなにも、俺たちまともに話したの今日が初めてじゃん」

「うん、でもなんか。坂本君じゃないみたいだなって思ったから・・・・・・」


俺はすぐに言葉が出てこず、変な間が流れた。

なんだろう。小首を傾げる梨本さんの目が怖く感じてしまう。

とにかく、何か言え。


「まー誰かさんが目の前で倒れちゃうから、テンパってるのかもねー」


笑顔で茶化したつもりだったが、すこし棘のある言い方になってしまった。

梨本さんの表情が、一瞬固まった。


「・・・・・・あ、ごめんね」


続く言葉も力がなかった。

微妙な空気が病室に横たわった。


そのとき、廊下からあわただしい足音が聞こえてきた。


「日菜! 」


病室に入ってきた男性は年齢は40代前半くらいか。たたき上げの若社長という呼び名が似合いそうな、長身で短髪をしっかりと整髪料で固めたいかにも仕事ができそうな雰囲気の男性だった。

そんな男性が、起き上がっている梨本さんを目にするや、俺などお構いなしに梨本さんに歩み寄り彼女を抱きしめた。


「お父さん!」という梨本さんの声でこの男性と梨本さんとの関係がわかった。彼女も男性の抱擁を受け入れ、背中に手を伸ばしている。


親子の再会。俺は少し居心地が悪くなってしまう。

年頃の女子高生と父親の距離感ってこんな感じなのか?よほど心配をしていたというのもあるかも知れないけど、恋人のように熱く抱擁する二人を遠い世界の住人のように見ていた。


急に居心地の悪さを感じ始めた俺の存在を、ようやく男性は認知したようだった。


「君が日菜が倒れた時に一緒にいたクラスメイトだね」


そう言うと俺に向かって、腰から上がきっちり延びた深い、敬礼をした


「ありがとう。君のおかげで大切な一人娘が助かります 」


社会競争の中で勝ってきたであろうことが想像できるような、威厳のある大人の急な低姿勢に、俺は恐縮してしまう。


「いえ、そんな。偶々近くにいただけなんで。それより梨・・・・・・日菜さんが無事で何よりでした」


これは素直な気持ちだった。その責任の一端は俺にあるという後ろめたさは出さないようにする。


その後、看護師も遅れて入ってきて病室はにわかにあわただしくなった。梨本さんのお父さんは少ししゃべりたそうだったが、「ご家族も心配するだろうからもう帰ってもいいよ、着いていてくれてありがとう」と言ってくれた。

俺はちらりと少し緊張感がとれた梨本さんの顔を確認して、病室を後にすることにした。


「坂本くん!」


梨本さんの声に、俺は弾かれたように振り返る。


「また、学校でね」


不安そうな、けれど真剣な表情で梨本さんはこちらを見ていた。

俺は軽く手を振り、返した。


「うん。またね」


病室を出る直前、いつもの梨本さんの笑顔が見れて俺は少し、気持ちが軽くなった。


***


帰宅するには都営三田線が通っている神保町まで行くのが早い。九段坂を背に靖国通りを歩いていた俺の前に人影が立っていた。


体に不釣り合いなギターケースを背負った少女。

昨日の夜、上野で出会い、そして先ほどあの炎の男から俺を助けてくれた人。

名前は碧(みどり)というらしい。


「今日は彼女と一緒にいてもよかったんだよ」


何の気なしに言ってくる碧に俺はさらりと返答する。


「いや、彼女ではないですよ」


「なんだ、違うんだ。それはよかった」


「よかった」とはどういう意味か。俺が口を挟む隙もなく、碧は首でくいっと大通りの方角を指して言った。


「歩きながら話そう」


大勢の帰宅途中の雑踏が埋める靖国通りを俺と碧は歩いている。見知った風景、飽き飽きしている東京の夜の風景だ。

でもそんな何気ない風景の代わり映えのなさに、強烈な違和感を感じてしまった。


「本当に何ともなさそうなのね。驚いた」


隣に歩く俺の体を見て、碧は言った。


「何ともなさそうってどういう意味ですか? 」

「覚えてるかどうか分からないけど、上半身と下半身をまっぷたつにされていたのよ。しかも2度も」


詳しく覚えていないが、わかる。

さっき炎の男が水中で使った爆発の技を食らって。そして1度は昨夜の寛永寺で。

実感としてそれは残っているが、どうしても頭がついてこない。


「上野でのことも少し、思い出してきました・・・・・・。体はびっくりするくらい調子いいです。でも全然、実感は無いです 」


一度落ち着いて、さっき皇居内の公園で聴いた碧の話を思い出す。


「碧さんや俺は、神様の力を体に宿している超能力者で、俺の力はX-MENでいうとウルヴァリンで、超回復でほぼ不死身なんですよね」


「そうよ」


本当にこの碧という女は切って捨てるような物言いしかしない。


俺だって漫画も読むし映画はむしろ大好きだ。

だから自分が物語の主人公のような『そういう』状況になっていることは頭では理解できる。

理解はできてもそれでやったー!とはならない。

そんな訳の分からない世界に放り込まれて手放しで喜べるほどバカでも子供でもない。


不安な表情をもろに顔に出しているだろう俺を見ながら、碧は静かに切り出した。


「君のその能力はすごい」


突然の言葉に俺はハッと碧の顔を見た。


「・・・・・・さっきのあいつには『ゴミみたいな力』って言われましたけど」

「彼は今防人の目的をはき違えてしまっているから」


少し先を歩く碧の眉に不愉快げな皺が寄った。


「今の防人の中でも、自分だけでなく他人を癒せることができる人材はいない。君の力は『力のない一般人を守る』という防人の目的にあっている力はない」


「守る力・・・・・・」


またあの時の、梨本さんが傷つけられた時のフラッシュバックがよみがえる。

燃えさかる炎の奥の焼けただれた顔。そしてその顔は両親のもの、鈴木や鈴鹿の顔、バイト先の人たちの顔に切り替わっていく。


碧は足を止める。俺は階段の先で彼女を見上げる。

過ぎ去る車のライトが代わる代わる碧を後ろから照らしていた。


「君が力を貸してくれれば、私たちが取りこぼしてしまう命も救うことができる。そして私たちもより多くの人の命を救うことができる」


神保町駅の階段の上段から見下ろす碧を、俺は我を忘れて見ていた。


「それは、とても価値のあることだよ」


その静かだけど力のある言葉は、俺の心にすっと入ってきた。

心の中で、ずっとさび付いていた歯車が少し動いたような気がした。


唐突に彼女はギターケースから袋に入った長物を取り出し、俺に投げてきた。

俺は驚いてそれを胸で受け止める。竹刀袋の中の物はずっしり重く、鉄のように堅い。


「答えはすぐに出さなくていいよ。だから一回私と一緒に『防人』の仕事を見てほしい」

「いや、見てほしいって・・・・・・。それにこれって・・・・・・」

「護身用。で、私が持っている中で一番強い武器(やつ)」


俺は袋の紐をゆるめて中をのぞいてみると鈍い光が中から覗いた。間違いなく、法に引っかかるマジもんの刃物だ。

しかもかなり使い込まれている、「しっかり使用された」痕跡のある刃物だった。


「明日の25時に浅草寺の前にそれを持って来て」

「ちょっと待っ」

「よく考えてね」


そう言うと忽然と、彼女は姿を消していた。

おれは旺然と地下鉄の入り口を見ていた。長物を持って立ち尽くす俺を、すれ違う人たちがいぶかしげに見ていた。

俺は見鈍い足取りで地下鉄への道を歩き出した。


情報量が多い・・・・・・。

俺は今自分がどんな気分なのか、どんな表情をしているのかはマジでわからない。

とにかく疲れたこと。

あの碧っていう女の姿の輪郭と声。

押しつけられた刀が異様に重く感じられた。

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