第6話

背中には冷たく硬い砂利の感触が、直に背中に刺さっていた。


見上げた先には鬱蒼と茂る森に夜空。意識がとぎれる前に比べあたりは暗くなっていないが、時間はそこまで経っていないようだった。


地面に横たわる自分の体を見て少しギョっとなる。ほとんど裸の状態で、下半身を露出して情けない姿を晒していた。恐らくさっきの爆発で体もろとも焼き飛んだのだろう。


今朝、ラブホで目覚めたときとは違う。記憶は確かにつながっていたし、今の状況もある程度飲み込めていた。


あの男に完膚無きまでに敗北した。

自分が傷を負うのを省みず、怒りにまかせて男を殺すつもりで立ち向かったが全く力が及ばなかった。


それを自覚したとき、急に恐怖を覚えた。男の首を絞める感覚が生々しく指に残っている。

男のことは確かに許せなかった、あの後、さらに梨本さんに危害を加える可能性はあった。

それにしても、俺はあそこまで見境無く、バカになれてしまう人間だったか?

まるで、自分が自分でなくなってしまったような感覚だった。


呆然と空を見上げていると、砂利を踏む音に気づく。


ハッとして首だけをその方向に向ける。

まさかあの男がここまで追ってきたのかと焦りが頭をよぎるが、俺を見下ろしていたのは女性だった。

そして俺はその少女に見覚えがあった。


「ーーーーーーーーあ」


昨夜の記憶が急速に頭の中を駆け抜けた。

すらりとした痩身。一つにまとめられ尾のように流れる黒髪。意志の強そうな切れ長の瞳。

昨夜のギターケースの少女だった。


少女は自分の羽織っていたコートを脱ぐと俺の体にかけた。俺の体に残っていた少女の温もりが伝わる。

口を開きかけた俺を制するように少女が言う。


「しゃべらなくていい。じっとしていなさい」


言い聞かせるようなその低音はじっくり俺の体に染み渡るようで、俺は素直に押し黙った。


少女は立ち上がると闇の中に目を向けた。


木々の間から歩み出てきたのは、例の炎の男だった。

男の体は俺と同じように服も殆ど破れ、歩みにも力がなく時折ふらついていた。しかし目だけは闇の中でも爛々と危険な光を称えていた。


「止まりなさい白川君。あなたがやっていることは隊律違反です。これ以上の違反は即刻処断の対象となります」


強い口調での警告に、男の足が止まる。

白川と呼ばれた炎の男は曖昧な笑顔を浮かべ、恭しく両手を広めて釈明する。


「碧さん、誤解です。俺は“黄泉軍”に接触した可能性がある人間への聞き取りと、新任の『防人』の教育を行っていたにすぎません。捜査の為に多少荒っぽい方法を使ってしまいましたがーーーーー」


「黙りなさい」


少女にぴしゃりと言われて男は押し黙った。

その言葉が向けられている訳ではない俺ですら、背筋が凍るほどの氷点下の声だった。


「言うに事欠いて『教育』? 嘗めるのも大概にしなさい。彼の身柄は私が管理すると今朝の合議で決まったはず。これ以上は私への挑戦と受け取ります」


その言葉を受けて、白川は動揺したように沈黙する。

判事のように、少女は淡々と男に告げる。


「そしてあなたは一般人の少女を傷つけた。『防人』の資格を剥奪するに足る重罪です。あなたへの処罰は今後の合議によって決定しますが、今後暫くあなたを拘束し、“黄泉軍”への捜査には加えません。」


「拘束ぅーーーーー? 」


白川は初めて、感情を露わにして少女に敵意に似た感情を向けた。


「承伏しかねます。事は急を要します。一般人への多少の強行捜査は仕様のないこと。それよりも早急に敵の首魁を潰すべきです」


「何度も言ったでしょう。それで守るべき一般人を傷つけては本末転倒です。

 あなたは冷静な判判断力を失っている。お姉さんのことは気の毒ですが、『防人』の本懐を思い出しなさい」


「ーーーーーーふざけんなよっ!」


皇居内の森が、昼間のように明るくなる。男の周囲の空間から炎がふき出し、男の怒りに呼応するかのようにうねりを上げる。

白川の口からは押さえきれない荒々しい感情が吐き出される。


「あんたらがトロトロやってるからいつまで経っても敵の尻尾すらつかめねぇんだろうが!ミスってそいつを巻き込んでるあんたには言われたくねえよ! 」


「話を逸らすのはやめなさい。私の件はすでに決着済みです。そしてーーーーー」


少女の手には長物が握られていた。それは昨夜見た古めかしい剣だった。

しかし、今の俺には全く別物に見えていた。

禍々しい気配が、鞘に収まった状態ですら漏れ出ている。


「聖域内での能力の使用は最大級の重罪よ」



男の炎が動く。しかしそれよりも先に少女が剣を抜いていた。

無数の気配が少女の周囲に出現し、地面を這い男に殺到する。

白川は炎で応戦しようとしたが、それをかいくぐった一本が、彼の首をかすめていた。


白川はよろめき少女に向けて何事かをつぶやいた。

そして白目を剥き膝から崩れ落ちた。


それは一瞬の出来事だった。

少女は剣を鞘に納める。その表情は伺い知れないが、聞き取れるギリギリの苦々しい声でつぶやいていた。


「・・・・・・・・・ガキっ」


同時に、暗闇の中から数人の人影がわらわらと出てくる。

それは黒衣をまとい、顔を同様の黒い布で覆った不気味な集団だった。腕には金色の刺繍で、菊の花を模した刺繍が施されていた。


集団は慣れた動作で担架に動かなくなった白川を積み込む。


俺は急激に不安になり、黒衣の集団に指示を飛ばしている碧と呼ばれた少女に視線を向ける。

碧も俺の方を向き、近づいてくる。


「坂本剣護くんね」


名前を呼ばれ、俺はどきりとする。

少女は悲しいような、苛立っているような複雑な顔を俺に向ける。


「取り敢えずこれを着なさい。」


そう言って碧が投げてよこしたのはウチの高校の制服だった。少女はわずかに顔を逸らして俺の方を見ないようにしているかのようだった。


「取り敢えず服を着て。いつまでもそんな格好でいないで」


言われて、俺が今寒空の下警察にあったら間違いなく捕まる格好であることに気づく。急に気恥ずかしくなり、制服を掴み木の裏に退散した。


「し、失礼しました!」


素足を急いでズボンに足を通す。ああ、パンツもない。そのまま掃くか、しゃーない。

情けない・・・・・・。女の子にズボンを掃くのを待ってもらっているのって何でこんなに情けない気分になるんだ・・・・・・。


なんとか着替えを終わって木陰から出てきたら、周囲に10人はいたはずの黒服は消えており、俺たちを襲ったあの男の姿もなくなっていた。

月明かりに照らされ、碧と呼ばれた黒髪の少女だけが腕を組んでそこにいた。


改めて、すごくきれいな人だと思った。もしかしたら俺が変わってしまったからかも知れないが、月明かりの下でさらさらとなびく髪はほのかに燐光を放っているようですらある。

ぼうっと突っ立ている俺に、少女はきびきびした口調で


「いつまで突っ立ってるつもりなの、坂本君。取り敢えず座らない? 」


そう言って、顎で歩道沿いのベンチを指した。

俺は黙って少女の後を追い、少女が座るのを待ってから隣に座った。


この女めちゃくちゃ高圧的な感じだな・・・・・・。その印象は昨日の夜話したた時と一致していた。改めて、昨日会った少女が目の前の少女だと実感する。


「体に異常はない?普通に動けているみたいだけど」


「え?あぁ・・・・・・。特に無いっすね。むしろ体調いいっつーか、寒くもないですし・・・・・・」


「そう?ならよかった。あれだけひどいことになっていたのにもう立って歩けるなんて、よっぽど強い御霊(みたま)なのね」


「ひどいこと・・・・・・?御霊・・・・・・? 」


「・・・・・・御霊っていうのは、あなたの中に宿っている古の神の魂よ。それが私たち『防人』に力を与えてくれる存在。

昨日、私があなたに卸したものが、白川君に襲われて危機を感じて目覚めたようね」


前半の疑問をあえて無視して、碧は説明を始めた。

けどその説明は俺にしてみればさらなる疑問を生じさせるものだ。正直、頭が追いつかない。

取り敢えず自分のことから、努めて冷静に整理していく。


「なんとなく、言っていることはわかる、気がする・・・・・・。要は、俺もあんたもあの白川ってやつも、コミックヒーローよろしく超能力を使えて、俺はその力のおかげで今生きている、てこと?」


「・・・・・・そう。偶然、あなたに発現した力が治癒の力だったから、あなたは生き延びることができた」


本当に、よかった、と少女は小さくつぶやいたがその表情は髪に隠れて見えなかった。

治癒の力・・・・・・そうか。合点がいった。これのおかげで足が吹っ飛ばされても、全身バラバラにされても今こうして五体満足でいられるのか。


その力がなかったら今頃どうなっていたか。俺はここに来て急に気分が悪くなった。

今更ながら、先ほどの白川と争った時に感じた苦痛。体が欠けたときの恐怖。生え替わるときの違和感・・・・・・。

吐き気を押さえようと必死になっていると、急に最も気にしなければならない事を思い出した。


「そうだ!梨本さんは!?」


「自分の事を聞くよりもほかの子の心配なのね」


碧は呆れたように苦笑した。

そのあと少し優しい口調になり、告げた。


「あの娘なら私たちが保護しているよ。もうすぐここに運ばれてくるだろうね」


「・・・・・・その、怪我とかは?大丈夫なんですか? 」


「まだ意識を失っていたけど外傷は無かったわ。顔も、きれいなものよ。あなたの力でね」


俺は力が抜けてペンチの背もたれに背中を預け、両手で顔を覆った。

よかった。本当によかった。

もし梨本さんに何かあったら、俺は一生かけても罪を償いきれなかっただろう。


「ーーーーーー坂本君。本当にごめんなさい」


そう碧は切り出した。

その手は強く握られていて、同じように声には固い意志が宿っていた。

真っ直ぐに俺の目を見据えてくる碧の目に、俺は戸惑う。


「な、なにが」


「私の注意不足であなたを巻き込んでしまったこと。そして白石君の暴走を許してしまい、あなたの彼女に怪我を負わせてしまったこと。本当に反省している」


や、あの娘彼女じゃないですーーーーーとは言える雰囲気ではなかった。

真剣な碧の言葉に、俺は慌てて訂正するしかない。


「いや、昨日のことだって俺がバカみたいにあんたについていっただけだし、今こうして無事なわけだからーーーーー」


「残念だけどそんな単純な話じゃないの。

 今後、あなたに宿った力を狙って敵があなたの周囲に危害を加えるでしょう。今回は事なきをえたけど、あの娘に起こったことはまた起きないとは限らない」


俺はドキリとする。

瞬時に両親と、クラスメート、バイト先の皆、そして梨本さんの顔が頭をよぎる。

不安に表情を曇らせる俺を見て、少女が口を開く。


「でも、それを防ぎたいと思うなら、大切な人を守りたいと思うなら

坂本くん。私たちの組織『千曳(ちびき)の岩』に入ってくれない? 」


いきなりの申し出に俺は頭が追いつかない。

少女は立ち上がって、俺の方を見下ろして言う。その表情はどこまでも黒く澄んだ夜空のように透き通っていた。



「この街の人たちの命を守るために、あなたの力を私に預けてほしい」

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