第4話

熱い、熱い熱い熱い熱いーーーーーーーー。


「うあぁああああ」


目の前で左腕の袖が火を上げている。タンパク質が燃える嫌な臭い。それが自分の皮膚の燃えている臭いだとわかり恐怖が倍増する。

俺は無我夢中で腕を地面にこすりつけるが、炎は消えない。煌々と、不気味なほど明るい光を発し続ける。

俺は訳が分からず芋虫みたいに体をくねらせるしかない。


ーーーーーーパチン!

指を鳴らす音が頭上で聞こえる。

と同時に俺の腕を覆っていた炎は嘘みたいに消失した。


俺は肺が破裂しそうなほど呼吸を荒げていた。しかし息を整えるまもなく襟首が掴まれ顔が引き上げられる。

眼前に現れたのは失望や絶望、怒りなど負の感情の皮を一枚顔に張り付けたような男の顔だった。深い隈の上の爬虫類のような目が、今は子供のように光った。


その直後、視界が揺れて頬に熱。

男は俺の頬を平手で打っていた。目を白黒させる俺に間髪入れずに2発、3発と打ってくる。俺はたまらず腕で防ごうとしたらその腕を掴まれた。

運悪くそれは左腕だった。やけどの後で焼けただれた地肌に男の指が食い込む。俺はのどの奥に悲鳴を飲み込み、ふりほどこうとするが男は指をはなさない。


「お前、坂本剣護だろ」


どうして名前を。そんな疑問を挟む余地も無く男が続ける。


「めんどくせえから二つ質問するから答えろよ。一つ、お前は昨日、化け物に襲われたが、そいつはどんな姿形で、どんな力を持っていた? 」


「ーーーーーーお前」


俺は男をにらみつける。ようやく理性が戻ってきた。


「梨本さんを殴ったな・・・・・・! 」


チッ、と男が舌打ちすると同時に男の空いた手から火柱が上がる。

瞬間的に俺は体を硬直させ丸めてしまう。

さらに俺の火傷を負った腕を押さえる男の指がギターの弦を押さえるように動き、俺は激痛を思い出し、歯を食いしばる。


「女は無事だから質問に答えろ 」


「ーーーーーーーーーーーー」


嘘かも知れないその言葉に、それでも俺は胸をなで下ろした。

有無を合わさぬ圧力を受け、逆らう気力も萎えかけている俺は素直に答えるしかない。


「化け物なんて・・・・・・覚えていない。女の子を追いかけて、寛永寺に忍び込んで、気が付いたら記憶がなくて・・・・・・」


「何かはいただろ?少なくとも、気配は感じたはずだ 」


「気配・・・・・・、臭いがした。気分が悪くなるうような」


「音がしただろ、羽が鳴るような音だ」


「ーーーーーーしていた。 」


そうだ、あのとき聞いた音はそれだ。まるで虫が羽ばたくような風切り音だ。

よし、と男はにやつきながらうなずいて、さらに続けた。


「それからのことを思い出せ。お前はその怪物に殺された」


「ーーーーーーえ? 」


殺された?俺が?

訳の分からない。俺は今こうして生きてるじゃないか。

男は冷酷な目で、頬をゆがめながら宣告する。


「お前は死んだ。上半身と下半身を雑巾みたいにねじ切られて殺されたんだぁ」


声が出なかった。

それは男の言っていることが理解しがたかったからではなく、直感的に納得できてしまったからだった。

夢としか思えなかったあの記憶、少しずつ地面を離れる視界、小さくなっていく、膝をついた自分の下半身・・・・・・

恐ろしい記憶が次々フラッシュバックしていく。


「おおーい、てめえ話聞いてんのか? 」


呆然とする俺の胸ぐらを男は乱暴に揺すった。俺はバカみたいにうなずくしかない。


「お前は鏡を見せられ、「なにか」の名前を聞いただろ?どんな名前だった? 」


「・・・・・・名前? 」


これは本気でわからなかった。

あのとき、確かに誰かの声を聞いた覚えはあったが、何を言われたのか、まるで思い出すことはできなかった。

何も答えられず、押し黙るしかない俺を見ると、にやにやしていた男の顔から急に温度が失われていった。

そしてあっさりと手を離した。


男は俺への興味を失ったのか、解放された俺は一瞬ホッと息を吐いた。


その直後、無造作に男の手が俺の頬を掴んだ。

そしてその手は俺の目を焼く勢いで発光。

瞬間、俺は気を失いそうな強烈な痛みに襲われる。

焼き鏝を頬に押しつけさせるような痛み。じゅうじゅうと嫌な音と臭いが五感を同時に責め立てる。


「ーーーーーーーーーーーーーーっっっ!!ーーーーっっっっっっ!!」


「てめーーーー!!!なめてんじゃねえぞこらぁ!! やさしく聞いてやりゃあつけあがりやがってよぉ!!さっさとしゃべれやコラァ!!」


まるで瞬間湯沸かし器のように、逆上した耳元で男が恫喝する。

恐怖のあまりしゃべりたくても口を防がれて声が出ない。息を吸おうとするものどの奥まで焼けるような痛みが走り、嗚咽しようにも出口がないから鼻水が噴出する。

俺は白目をむいて満身の力で暴れるもおそろしい力で押さえつけられ男はびくともしない。


地獄だった。死んでしまいたくなるような苦しみはいったいどれだけ続いたか。

実際には数十秒しか経っていないだろう。

俺の体が痙攣しだしたので男は手を離した。


俺は肺いっぱいに空気を吸い込むと激しくえずいた。コヒュー、という濁った音が喉の奥から漏れていく。

呼吸をする度頭がおかしくなるような悪臭が鼻をつくが、それはおそらく俺の顔の皮膚から発せられている臭いだと気付き、愕然となる。

視界の端に、赤黒くただれた皮膚が見えた。



俺の足下の地面がはじけて破片が飛び散る。

恐怖のあまり体を丸める。そして震えるしかなかった。



「あー!あー!めんどくせえなクソ!!」



男が大股で俺の横を通り過ぎていく。


その歩みの先にいたのはーーーー倒れ伏した梨本さんだった。


男は彼女の華奢な腕を強引に引っ張り後ろから抱きすくめた。細い彼女の腰に、男の手が蛇のように回される。

ぐったりとする梨本さんの顔は頬が少し腫れているが目立った傷は見あたらなかった。


しかしその顔に、男の手が触れられる。

俺は自分の痛みも忘れて、愕然とその光景を見た。



「地味だけどきれいな顔してんな、お前の彼女」


まさか、と俺は戦慄した。

混乱する頭で、俺は最悪の想像を振り払う。

よくわからないが、あいつの目的は俺のはずだ。

梨本さんは無関係だ。たまたま俺と一緒にいただけだ。

そんなことをするはずがない。

男は冷め切った顔で無感情に言い放つ。


「言っとくけどお前のせいだからな。お前がまともに質問に答えられない愚図だからこうなるんだからな」


俺は全力で叫んでいた。しかしそれは明確な発音にならず、のどの奥で虫が鳴くような音を立てるのみだった。

俺は懇願する視線を男に投げかけ続けるが、男は冷笑を張り付けるばかりだった。



「女の顔を見て一生後悔しろ」


あまりに軽い、その一言と同時に。

梨本さんの顔が、炎に包まれた。


普通の炎ではない、異常な煌めきを見せる業火だった。

メガネがベキベキと音を立てて割れて、きれいだった白い肌は無惨にもベロリとはがれ落ちていっていた。凶悪な炎は美しかった少女の顔を醜く変貌させていく。

キャンプファイヤーのような火柱が、高く高く上がっていた。


「はっはーーーーーーー!」


興奮した男の声があたりに響きわたる。


それは半ば悪夢めいたな光景だった。

夢ならば覚めて欲しかった。

今朝、勇気を出して俺を助けてくれた心の優しい女の子は、

ついさっきまで外出を楽しんでいたクラスメートは、

こんな訳の分からない男になぶし殺しにされていた。



「ーーーーーーーーーーーぁあーーーーっ!」


俺の視界は真っ赤に染まっていた。口いっぱいに血の味がにじむ。

こんなことが許されていいのか。


先ほどまで支配されていた絶望や無力感は吹き飛ばされていて、怒りが俺の頭を支配していた。


この理不尽な状況を作り出している目の前の男に。


俺はその光景を見ているしかない無力な自分自身に。



男は顔を喜悦に歪めてそんな俺の顔を見ていた。無様にはいつくばり自分を睨みつけるしかない俺の姿が滑稽で仕方がないという風だった。



しかし、ふと何かに気付いたかのようにその視線が横にスライドする。



俺の視線も自然とそこに吸い込まれていった。


(ーーーーーーーーーえ?)


男と梨本さんのすぐ隣、柵を挟んだ車道の上に、忽然と白い女が立っていた。

女だけがその場から切り取られたようだった。

透明感がある古めかしい和装に身を包んだ、頭からつま先まで純白の陽炎のようなその女に、俺は見覚えがあった。



(ーーーーーーーーーーそうだ。昨日の夜のーーー)


不意に雲に包まれていたようだった記憶の一端が脳裏に出現した。

セーラー服の少女が持っていた鏡の中。

女はその中から俺を覗いていた。


そうだ。

俺は命と引き替えにあの女に三つの誓いを立てた。

そして今も、俺の願いに呼応して現れたようだった。

梨本さんを何とかして助けたいという、俺の願いを受けて。

何故かその確信があった。


白い女は梨本さんと男には目もくれず、俺の方をじっと見つめている。

急かすように、期待するように、なじるように、強いるように。


操られるように俺の手は胸の前で柏手を打った。

そして誓いの一つの名前を思い出す。



『ーーーーーーーーーー“天壌無窮の神勅”』


欠けていたピースがはまるように、俺の中で何かがつながった。

その瞬間、世界が反転したようだった。

激流が、俺の体の中で渦を巻き、皮膚を突き破って漏出するようだ。



「ーーーーーーぁ、ーーーぁあああああーーー!!」


喉が熱を持ち、かすれていた声が雄叫びに変わっていく。

焼けただれていた口の周りの痛みも治まっていく。

全身に力がみなぎる。萎えていた足が地面をとらえ、筋肉が隆起する。

驚きを見せる男にねらいを定め、獣のように突進する。



一瞬の交錯。


俺は梨本さんを抱え、異常な速さで男の後方を飛んでいた。

着地と同時に両足で踏ん張り、勢いを殺す。


背後の男は梨本さんを奪われながらも襲ってこようとはせず、むしろ楽しげになにかを言っているが、興味がなかった。



俺は腕の中の梨本さんに目を落とす。


彼女の顔の筋肉は黒く変色し、今でもブスブスと泡立っていて、一目見た限りでは本人かは判別できない程だった。あまりの痛みからか意識は飛び、死んだように体はだらんと脱力していたが、微かに胸は上下していた。


そんな痛ましい姿にしてしまったのは俺のせいだ。

その責任を取らなくては。

俺の中の誰かがそう言っている。そしてそれができる力があると本能的に俺は知っている。


その頬に俺は優しく指を添える。


ふっと俺の脳裏にはウサギのイメージが映し出される。白い雪のようなきれいなウサギだ。

その時、指先が白い光を発した。


俺は驚いてその光景を見ていた。

その光が治まった時、梨本さんの頬は微かに朱がさした、色白の肌に戻っていた。

まるで奇跡のように、梨本さんは元の姿を取り戻したのだった。


その頬に、一滴の滴が落ちる。

それは俺の目からおちたなみだだった。たまらなくなり堰を切ったように涙がこぼれ落ちていった。

嗚咽を我慢できない。感情が涙になって地面をぬらしていた。



ーーーーーああ、よかった。本当によかった。


すがるように、二度と離すまいと俺は腕の中の暖かさを抱きすくめていた。

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