第3話

「日本人は無神論者が多いって言うけど本当にそうかって先生は思うんよなぁ」


6限目の国語の授業、テスト終わりでスケジュールに余暇ができたのか、高則先生の授業の後半は完全彼の趣味の時間になっていた。


生徒の5割はまじめに授業を聞いているふりをしながら自主学習。3割はまじめに聞いていて、残りは睡眠に時間を当てるか何か別のことやっているという状況だった。


「この時間を無駄だと思うか、どっかで役に立つと思って聞くかはおまえ等できめろ」って前置きから始まってるから、何となく露骨に聞かないのははばかられるのと、進学校故にまじめな気質の生徒が多いせいか露骨に話を切かない様子の奴は少ない。


「そもそも日本って国はいつからあるかって話だけど、覚えてるか?梨本ー」


「はい」


ちゃんと聞いている層の一人の梨本さんは明瞭に答える。


「初代神武天皇の即位からと考えると紀元前660年ごろからとされますが、史実性は薄いです。律令国家の成立と考えると、少なくとも1300年以上の歴史は有るといえます。」


「正解。とりあえず100点。さすが神社の娘、優秀」


こういうときに求めた答えを簡潔に返してくれる梨本さんはよく先生から指されて、重宝されていた。


「知ってのとおり日本は世界最古の歴史を持っている。それは同じ立憲君主国のイギリスのウィンザー朝や、タイのチャクリ朝と比べても勝負にならない長さだな。そんな日本の歴史の骨子になるのが皇室。その元をたどっていくと、神話に行き着く」


高則先生が板書を書く音が教室に響く。


「神話って聞くと急に胡散臭くなるけど、それは俺たちの生活に気づかないレベルで浸透しているから気づかないだけだ。例えば、鈴鹿。お前ご飯食べる前になにする? 」


俺の斜め後ろの席で期末の復習をやっていた鈴鹿ががばっと頭を上げる。


「えっと・・・・・・。いただきますって言う? 」


「そのとおり。小学校とかでみんなで行ったよな『いただきます』。あれ、宗教儀礼だからな」


まじめに聞いてた生徒の何人かのへえーっという驚きと戸惑いの声が上がる。


「正確には『新嘗祭』っていう宮中祭祀をめちゃくちゃ簡略化したやつだな。意味合いとしては天皇陛下が全国民を代表し、五穀豊穣を神様に感謝するってこと。つまりこの手をあわせるって行為は有る意味神様との交信を意味するわけだ」


先生は胸の前で手を合わせて見せる。

素直な子は自分の手をあわせて確認している。


「こんな感じで、生活レベルにまで宗教性が入り込んでいる日本人は、果たして無神論者っていえるかってことだな。

 また、こうとも言えるな。ここまで全国民に無意識レベルまで浸透している宗教性からは、日本人はもう逃げられないんじゃないかなってな・・・・・・」


このタイミングで、予鈴が学校中に響きわたった。先生はぱっと手を叩いて声を張る。


「はい、不穏な感じを残して終了なー。信じるか信じないかはお前等しだい!」


最期には割と真剣に聞いていた生徒たちからええーという不満の声が上がる。

授業が締められ、ホームルーム後にそのまま放下になった。


鈴鹿があくびをしながら机の横に座り込んでくる。


「やー、終わった終わった。剣護、今日バイトないっしょ? 今日休んだやつら飲み直してるみたいだから、行こーぜ」


「あー、今日はパス。先約があるんだわ」


「えー、なんだよ。女か!」


「まーそんなとこ」


鈴鹿の途中で切れている眉がぴーんと跳ね上がる。


「まじ? 剣護、女に興味あったんだな・・・・・・!」


「あー?どういう意味だおめー」


俺は中指で丁度いい位置にあった鈴鹿の眉間をぐりぐり押してやる。鈴鹿は気を使わなくて助かる。

やめろっつーのと言って大げさに痛がって見せる鈴鹿。

ふと思いついたとばかりにポケットから何者かを取り出して俺の手に握らせた。

開いてみると、それは薄い青色の袋に入った中に水っけがあるゴムのアレだった。


「知り合いから海外旅行のおみやげでもらったんだ。ドイツ製!」


「いろんな意味でいらねーわバカ」


「まーまー、備え有れば憂いなしだぜ」


ぽんぽん、となれなれしく肩を叩いて、鈴鹿は教室の入り口に走っていった。


「頑張れよー!鈴木たちには剣護はお楽しみだって言っとくからよ」


俺は笑顔で中指を立てておく。鈴鹿は同じく中指を立て、もう片方の手の指で作った円の中に出し入れする最低の仕草をして見せ、走り去って行った。


俺は手に握られているアレを見つめ、そっとポケットにしまい立ち上がる。

梨本さんの席を確認したら、すでに姿はなかった。

さて、行くか。俺は席を立ち上がった。


***


共立千代田高校の近く、千代田区役所の一階の入り口前に梨本さんは立っていた。

赤いマフラーに顔半分を埋め、携帯をいじっていたが俺の姿を見つけると背筋をぴんとさせ手を振る。


「お、お疲れさまです」


「お疲れさまです。・・・・・・て、職場か。どしたのバカ丁寧に」


「いやぁ・・・・・・。なんか緊張しちゃって。」


えへへ・・・・・・。とはにかむ梨本さんに俺もドキッとしてしまう。梨本さんも一瞬はっとした顔になる。

ああ、なるほどそうか。放課後二人で出かけるって普通意識するよな・・・・・・。


「ま、行こうか。」


「う、うん。」


変な雰囲気になりかけたので俺は努めて平静を取り繕って歩き出した。


皇居の外堀りの水辺を眼下にして、俺たちは隣り合いながら歩いていく。


「景色いいなー」


「うん。寒くなってきたら白鳥も来てかわいいよねー」


「ね。皇居の中、入ってみる?毎日きててもなかなか行かないでしょ」


「・・・・・・んー、今日はいいかな。私、あんまり体力ないし。あんまり遅くなるとお父さんに起こられるし 」


「あ、そっか。ごめんね。そうしよ」


俺は自分の配慮のなさを後悔した。

俺達は竹橋駅に向かって歩き出す。そのまま神楽坂で甘味を食べにいく予定だ。

気を取り直して俺は梨本さんに質問する。


「梨本さんの家っていうと港区の大きい神社だよね?家もそこなの?」


「うん。そうだよー」


「すごいね。将来はその神社を継ぐの? 」


「んー・・・・・・。正直わかんないかなあ。・・・・・・自分がなにやりたいかもよくわかんないし」


「まあ、だよね。高校生でやりたいことあって、それに向かって努力してるやつとか本当にすごいと思う」


「坂本君は、進路決まってるんじゃないの? 今だって決まった教科しか勉強してないでしょ? 」


よく知ってるな。と俺は少し驚いた。

まあ、別に隠していなし自然と誰がどういう進路かってのは入ってくるよな。


「まあ、ね。ウチ親父が事業を失敗しちゃってて、結構両親が進路に関してナイーブでさ。受験料もバカにならないから、決め打ちで私大に絞っるだけだよ」


「そうなんだ。でも、すごいよ。家のこと考えて、ちゃんと成績出してるし。それで鈴鹿君たちと毎日楽しそうだし。

私・・・・・・全然そういうことできないから、うらやましい。自分のやりたいことって、わかんないんだ」


梨本さんは遠い目で皇居の方を見ていた。

どうやら梨本さんの目には俺は相当なリア充に見えていたようだが全然そんなことはない。

取り繕っているだけでいっつも何かに追われていて、自分がなにをやったら満たされるのかなんてわからない。

今だって曖昧な笑顔で軽い調子でうそぶくしかない。


「テキトーなだけだよー。楽しくないと、やってらんないじゃん」


「・・・・・・うん。そうだね。その通り」


彼女も彼女でいろいろと抱えている物があるんだろう。

今日初めてしゃべったようなものだからしょうがないけど、けど今梨本さんにかける言葉がないのがたまらなくもどかしかった。


「・・・・・・て、まじめかい! 」


俺は周りに人がいないことをいいことに俺はわざと声を張る。梨本さんもびっくりしてる。

一瞬しまったと思ったけど、知るか。


「今日は無理に誘っちゃったけど、俺は今梨本さんと一緒にいれて、めちゃくちゃうれしいけどね。」


横を歩く梨本さんの瞳が俺をまっすぐ見つめている。瞳が少しだけ揺れているのが見て取れた。俺も何か顔が熱い。柄にもないストレートな言葉に気恥ずかしさでどうにかなりそうだ。

マフラーを少し上げて口元を隠して、梨本さんは小さい声でつぶやいた。



「・・・・・・うん。ありがと。私もうれしかったよ」


一瞬の間。

俺は一歩、梨本さんとの間の距離を詰めた。俺の肩の位置に梨本さんの頭が来る。俺は梨本さんをまっすぐに見ていて、梨本さんもまっすぐに見ていた。

俺は時間が止まったような気がした。

周囲に人の流れはおろか、車の走行音すら遠くに聞こえる。


ーーーーーーーーいや違う。おかしい。

さすがに夕方の竹橋で、ここまで人の気配がしないのは異常だ。


すぐ近くで、パンッと柏手を打つような音が聞こえた。



「ーーーーーーー楽しそうだなあ。君等」


びくっとその声の方向を向いた梨本さんの顔面に男の拳が埋まっていた。数メートル飛んだ梨本さんはそのまま倒れて、動かなくなった。


俺は反射的に突然現れた男に殴りかかった。

金髪の強面の顔が目に入った時、視界が真っ赤に染まった。拳をもらったと思った時には膝をついていた。


なおも立ち上がろうとする俺の右手に熱。

学生服の袖が、突然火を噴いて燃えていた。


「うわ、うわああああああああああああああああああ!!!」

「ぎゃははははははははははははははははははははは!!!」


俺の悲鳴と男の哄笑が唱和した。

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