第2話
見上げた先の天井はやたらムーディーなピンク色だった。
というかこの部屋自体が怪しい色の証明に照らされていた。俺は、ラブホの一室で目を覚ました。
(あれ?俺、鈴木たちと呑んでて、それで・・・・・)
ベットの上でぼんやりその天井を見上げていたが、昨日の記憶を引っ張り出そうとした瞬間、弾かれたように身を起こした。
変な女。寺。不法侵入。刀。血。鏡・・・・・・。
洗面台に転がり込み、鏡で自分の顔を確認する。
つり上がった目。高めの鼻。薄い唇。やや鋭角ぎみの顎。ツーブロックの短髪。
普段通りの顔だ。心なしかいつもより血色がいいようですらある。
しかし恐ろしいのが、服・・・・・・
「ひっでぇ・・・・・・、なんだこれ」
厚手のパーカーが獣に食い破られたようにずたずたにされ、ほとんど布切れを体に巻き付けているような格好だった。
獣・・・・・・。
昨日、あの瞬間耳元に感じた吐息を思い出して背中に冷たいものが落ちた。ぞっとするような、姿が見えない存在の気配・・・・・・。
俺は再び鏡を凝視する。布から見える腹は非常にきれいなものだった。
(というか、あれ?俺こんないい体してたっけ・・・・・・? )
ラブホの照明マジックだろうか?
いやいや、というか。
有る地点まで嫌にはっきりしている記憶が本当に嫌なんだけど。
どうやってここにたどり着いたのか? とか
あの女はどこに行ったのか? とか肝心な所は全く覚えていない。
雲をつかむようにあの気配を感じてからの記憶が曖昧だ。
俺は言いようのない不安感に襲われた。
俺は自分の腰から下を撫でる。
確かにそこにあることを確かめるように。
***
通勤・通学時間に殺人的な混み方をする電車はもはや東京名物だが中でも最も遅延が多いのが今俺が乗っている千代田線だ。座れることなんて宝くじ当てるより確率が低いと思っていたけど、なんとこんな日に限って俺が入った瞬間に前の人が立ち、確保することができた。
いすに深々と背中を預け俺は私服が入っているリュックを抱え込む。
結局、あの後ラブホでシャワーだけ浴びて、制服に着替えて学校に行くことにした。
あの服を警察とかに見せても俺自身が何が起こったのか説明できないから無駄に不振がられて終わりだろう。あの女を捜そうにも手がかりがない。
ラブホを出るとき財布が盗られてないか心配だったけど特にそういうことはなかったし、そもそも支払いも済まされていた。
手がかりがあるとすれば・・・・・・寛永寺か。
今日はバイトもないし、学校終わりに行ってみようと思ったが、正直気が引けた。
あの感覚が、あの生々しい恐怖がまだ残っていた。
ふっと視界に影が差して俺は身を震わせた。
見ると、白髪交じりの痩せた老人が俺の前に立っていた。
(・・・・・・あ、やばい。ずっと立たせちゃってたか)
俺は老人に向けて声をかける。
「あの、すみません。よかったら座りますか? 」
老人の目がこちらにギョロリとこちらに向く。
「おめぇ、俺が爺だって言いてぇのかっ! 」
電車中に響きわたる怒声だった。数人がこちらに振り返りほとんどの人が他人のふりをして微動だにしない。理不尽な怒気の前に関わることを避けている。
老人は俺にむけて唾を吐きかける勢いで、年金がーーーとか、病気がーーーとか訳の分からないことを吠え続ける。
俺の中に黒い感情が沸々と現れるのを感じた。
ーーーーーめんどくせえ。
ぶっ殺してやろうかこのくそジジィ。
「あ、あの! 」
俺の横で高い声が響き、柔らかい手が俺の手を掴んだ。
「私たちもう降りるんでっ! 席二人分好きに使っていいんでっ!」
電車が止まり、ドアが開き人が流れ出す。
声の主は席を立ち、そのまま手を引っ張られた俺は外に連れ出される。
そのままホームの人の流れがないところまで引っ張られる。
俺の手を引っ張る女子生徒は立ち止まって俺の方を向き直り、顔を真っ赤にして言った。
「あのおじいさん、ひどすぎない!? 断るにしてもあの態度は無いよね!? 」
ウェーブがかかった肩まである髪を振り乱し、メガネの奥の大きい瞳を見開いて頭を抱える。
「ていうか私も何で下手に出ちゃったんだろ!あほー!くらい言ってやればよかった!!」
ムキーと興奮する少女。
俺は気圧されながら言う。
「あの・・・・・・、手・・・・・・」
メガネの少女はピタっと真顔に戻り俺の手を握り続けている自分の手を見る。先よりも肌を紅潮させ、ぱっと手を離す。
「ご、ごめんなさい・・・・・・」
先ほどまでの勢いはどこえやら、消えそうな声でうつむいてしまった。
・・・・・・あ。
俺はメガネの少女に見覚えがあった。
「あっ、梨本さんじゃん。」
メガネの少女、梨本日菜はドキッとしたようにこちらを見た。彼女は俺と同じ、2年A組のクラス委員長だ。成績優秀で品行方正、クラスのまとめ役や人がいやがる仕事も自分から率先してやるタイプの女の子。実家が都内の大きい神社らしく育ちもいいらしい。
派手な見た目ではないが、男子の人気も少なからずある。
ほとんど話したことがないが、いい人だなという印象を持っていた。
「坂本くん。私のこと知ってたんだ」
「いや、知ってるよー。同じクラスだし」
「そうだけどさ。全然話したことないし・・・・・・。私なんか何で知ってるの? 」
「そりゃウチみたいな進学校で成績学年一位を何度もとってる人を知らないわけいないでしょ」
もっとも、俺は理系科目は捨ててるんだけど国英社の3教科ですらこの秀才には勝ったことは無いと思う。
梨本は両手をぶんぶん振ってバツの悪い顔をする。
「あー、うん。そうなのかなー」
照れ隠しっていうよりかはもっと微妙な反応だった。
ちょっと気を悪くさせちゃったかな?俺は周囲に人がいなくなっているのを感じる。
「とりあえず行こっか」
「あ、うん」
俺たちは改札を出るためエスカレーターに乗り込む。
下の段で前髪を直している梨本さんに俺は声をかける。
「言うの忘れたけど、さっきはありがとね。助かったよ。」
「あ!うんうん全然!怖かったよねぇ、あの人・・・・・・」
「確かにねー。・・・・・・でも、なんで助けてくれたの?」
俺は当然の疑問を投げかける。あんな状況、声を上げるだけで相当の勇気があるはずだ。しかも普段から人と衝突してるとこなんて一度も見たことがない女の子が、だ。
んー、と眉間にかわいらしい皺を作り、梨本さんは考え込むように上を見上げる。
「だって、何かやじゃない?坂本君がせっかくいいことしようとしたのに。正しいことしたのに報われないのって、なんかヤ」
「ああ・・・・・・」
少し寂しそうな表情の彼女は過去に何かあったのかと想像をかき立てられた。
そして、俺の中で梨本さんに対するいい人だという印象は確信に変わっていた。
なんだろ、何かすげーうれしい。たぶん顔赤い。
昨日からの粘ついたような嫌な気持ちが晴れたのを感じた。
地上に出て、射し込む光に梨本さんがまぶしそうに目を細めた。
「梨本さん、本当にありがとね」
「な、なにもぅ。・・・・・・何回言われても悪い気はしませんけど・・・・・・」
「今度ちゃんとしたお礼させて欲しいな。放課後、時間有る? 」
「ええ!」
「てか、連絡先教えてよ。バーコードとフルフル、どっちがいい? 」
「いやいやいや!めちゃめちゃ強引だね君! 」
俺自身、自分でもびっくりするくらい押してると思う。けっこうこういうのはじっくりやるほうだと思ってた。けどこの勢いを止めたくない。
「嫌? 」
俺の問いに、梨本さんは目を見開き、本気の顔で俺を見上げてきた。
ふとローズ系の香りが俺の鼻孔をくすぐった。この人この見た目でクロエとかつけてんのか。すげーいいな。
関係ないとこテンションが上がっている俺に対して梨本さんは唇を変な感じにとがらせて言う。
「嫌じゃ・・・・・・ないけど」
「よっしゃ、決まりね!」
俺はとびっきりの笑顔を向けて、靖国通りを歩き出した。梨本さんも仕方がないとばかりに後に付いてくる。
「甘いもん大丈夫?和・洋・中なにがいい? 」
「その3択から入るんだ。んー、和かなあ」
「まじか。俺も同じ気分だったわ!」
「なにそれ。坂本君チャラー」
やだー、みたいな顔をして梨本さんは苦笑した。
ああ、楽しい。そうそうこんな感じだ。期末テスト明けオールしてそのまま女の子と遊びに行く。ほんとちゃんと青春してるってカンジ。
サラリーマンと学生が往来するすずらん通りも、いつもより開けて見えた。
一瞬、昨日の嫌な記憶が頭をよぎった。
それを無理矢理意識の隅に追いやって、俺は梨本を笑わせる言葉を考えることに集中した。
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