鬼門の守護者

@kokikikuchi

第1話

命の価値はお金で表せないけど俺の命にいくら掛かっているかは知っている。

ざっくり計算して2400万円。

これが俺が生まれてから4年制の私大を卒業すると想定したときの、親が俺に投資する金額の概算だ。みんな当たり前のように生きているけど、クラスを見渡したときに一人一人にその莫大な金額がかかっていて、その一人一人の後ろにはそれを支払っている親がいると知ったとき、気が遠くなるような思いがした。


俺にはその金額を返す義務がある。

だから有名私大に推薦で受かるため、常に学年で上位の成績を維持するのを最優先で生活している。親にはしなくていいと言われたがバイトもして予備校代は自分で稼ぐようにしてきた。

なおかつ友達づきあいも程良くこなさなければ普段のパフォーマンスに響く。


だからついさっきまで2学期末のテストの打ち上げで、クラスの連中とお茶の水で終電近くまで呑んでた訳だけど。


「うえええええ、気持ちわりィ。死ぬ・・・・・・」


肩を貸してやっていた歩いていた鈴木がまた立ち止まろうとするので俺はバシバシと背中を叩いた。


「ほーら頑張れ。家はもうすぐだぞー」


お茶の水から日暮里のこいつの実家まで何とか引きずってきたけどこんなとこでうずくまられて、警察にでも職質されたらたまったもんじゃない。未成年飲酒で内申がピンチ。


「うえええごめんよ、サカモっちゃん。マジ神だわぁ、半分優しさでできてるわぁ」


「もー。程々にしなさいってのよー」


すすり泣きを始める酔っぱらいに適当に相づちを打っておく。


「鈴木おまえ明日・・・・・・や、もう今日か。てきとーに体調悪いって言って学校休めよー」

「そうするわぁ。あ、でもサカモっちゃんは大丈夫なの?・・・・・・ウチと違ってこういうの厳しいでしょ?」

「親には友達んちに泊めてもらったつーわ。そこはほら、信頼と実績がありますから」

「ふえー。感じワリー!でもかっけー!」


ふうー!と叫び出す酔っぱらい。勘弁してくれ。気道を締めて黙らせておく。



鈴木の身柄を元ヤン感丸出しの鈴木の母親に差しだし、泊まっていくよう言われたが丁重にお断りし、せめてもということでいただいた缶コーヒーを飲みながら、俺、坂本剣護は上野に向かって歩いていた。


眠らない街東京とは言うけど午前1時の谷中霊園の近くは不自然なほど人の気配が無く、不気味ですらあった。昼間だったら5分おきには聞こえてくる山手線と京浜東北線の音も聞こえない。11月の夜気は澄んでいるはずなのに、どこかぬめりという肌触りがある。

マン喫かカラオケで夜を明かす算段だったけど、早くも鈴木の家に泊めてもらった方がよかったんじゃないかと後悔し始めていた。


はあ、と息を天に吐く。


親の期待に答えるのは誇らしいし時間と労力をやりくりして成績を上げていくのも楽しい。勉強内容は生きていく上で必要に感じないけど目の前のタスクをクリアしてパフォーマンスを上げていく感覚は社会に出ても必要な能力だと思う。

そしてさっきみたいに偶にクラスの連中とハメをはずすのは普通に楽しい。これでいい感じの彼女でもいたら言うことない。


でもたまにふと、こんな感じで一人になったときにそれでいいのかと思ってしまう。


「くだんねー」


どうでもいい感傷。

俺は現状ベストを尽くしているし周りもそれで喜んでいるんだからそれでいいじゃないか。俺は俺の責任を果たしているし、その上で余暇を楽しんでいる。何を文句を言うことがある。


早くどっか入って寝よ。明日も学校だ、と上野駅近くの下り坂を見たとき。

対向から上ってくる女と目があった。



同じ年頃の女の子を見たとき、かわいいとは思った時はあっても心の底からかっこいいと思ったことはなかった。

紺のセーラー服の上には真っ黒なカーディガン、すらっとした足は黒いタイツでびっちり覆われていた。長い黒髪は歩を進める度に違う光沢を見せ、その歩みはどこまでも一定で凛としていた。


「あの」


つい声をかけていた。


少女は歩みを止め、首だけ振り返り流し目でこっちを見ている。

俺の口が自動的に動いた。


「こんな時間にどうしたんですか?一人じゃ危ないっすよ」


素直な心配の声だった。このまま女の子一人でさっきまで歩いてきた墓地の近くも歩かせるのも忍びないし警察に見つかったら普通に補導案件だ。


少女は少し間をおいたあと、体も振り替えりこう言った。


「ありがとうございます。一人で大丈夫なので、ご心配無く」


誰が見ても100点をつけるだろうその笑顔は明確な拒絶の意志を示していた。

踵を返して歩き出そうとする少女に俺は思わず追すがった。


「ちょ、ちょっと待ってよ。終電乗り過ごして困ってるんだったら一緒にタクシーさがすから」


さっと振り返った少女の顔は先ほどとは別人の不快感を露わにしたものだった。


「あの。ナンパだったらあっちの方行ってくれないですか? 」


そう言って坂の下の繁華街を指さす少女。

俺は少しむっとする。


「単純に心配して言ってるだけだよ。制服姿でこんなとこふらふら歩いている女に言われたくないね」


俺は少女の背負っている不釣り合いに大きいギターケースに目を向ける。


「なに?あんたバンドマン?彼氏んとこから飛び出してきた?」


少女は初めて俺のことを認識したように視線を向けた。切れ長の目で頭からつま先まで見られ、俺は少し気圧されてしまう。


「私がそんな風に見える? 」


静かな言葉だったけど、俺は何も返せなかった。それだけ彼女の言葉と姿には自信と説得力があった。


「あなた何も見えてないね。ちなみにーーーー」


少女の口角が不敵に上がった。


「酒臭いけど酔っぱらっている感じじゃない。つきあいで自分はノンアルで友達と場酔い?で、悪酔いした友達を介抱して送ってったわけ? 」


思わず俺は息を呑んだ。

鋭すぎる。なんだこの女。


「気持ち大きくなって女の子に声かけちゃった? あと声が枯れてる。今日はサッカー代表戦だったからスポーツバーで大絶叫?」


少女の夜の闇よりも深い真っ黒の瞳には俺の姿は映ってなかったけど、たぶんアホみたいにぽかんと口をあけて立ち尽くしてるんだろう。

図星みたいね、と少女は俺を見下ろしながら言った。



「他人の努力の成果で呑んだ、ノンアルはおいしかった? 」


そう言い捨てると少女はスタスタと坂を上がって行った。

おれはその後ろ姿が見えなくなるまで、見つめているしかなかった。



どれくらい経ったか、俺は我に返った。

俺はとりあえず手すりに座ってコーヒーに口をつけた。


「・・・・・・・・・・・いや。そこまで言う〜〜〜〜〜〜」


なんかもう、ムカつきすらしなかった。

確かに失礼なこと言ったと思うけど、あそこまでバッサリと切って捨てられたのは初めてかもしれない。

一言でいうなら、完敗。なんというか、逆に胸がすっとしている。


俺はおもむろに坂を下り始めた。

寝よう。気が付けばもう5時間くらいしか寝られない。フラットルーム借りて、シャワー浴びて、明日に備えよう。このことは「昨日あのあとやべー女にあってさー」ってネタにして終わりだ。


(ああ、でも。あの娘。ヤバい奴に絡まれてあの調子だったらなにされるかわかんないよなぁ)


気が付くと俺は立ち止まっていた。

少し考えて、振り返り、坂を走って上っていった。

確かに気持ちが大きくなっているのかもしれない。なんか今日はそういう夜だった。



***


寛永寺は徳川家光が開基した天台宗の寺院だ。

天台宗関東総本山でありながら江戸幕府にとっては風水的にも非常に重要な土地である。一般的に北東の方角は魔が来る「鬼門」とされ畏怖の対象となる。都を開くとき、為政者は本拠から北東の方角に凶兆を祓うため「鬼門封じ」として強力な寺院を建てるのが通例だ。


江戸城、つまり現在の皇居から見て北東の方角。

寛永寺は今なお東京の鬼門であり続けている。



鶯谷駅の近くにある本殿は昼間ですら人がまばらだが夜ともなると不気味な雰囲気すらある。

さっきの少女が石塀を乗り越え、本殿の中に入っていくところを目撃した俺は目を疑った。


俺も音を立てないように塀をこえ、茂みに隠れる。

少女は境内の中央に陣取り、背負うギターケースを石畳におろした。


なんだ?夜中の寺院で弾き語りでも始めるのか?と疑念を持つ俺の目が見開かれる。


少女がギターケースから取り出したのはギターではなく、刀だった。

しかも、日本刀とかではなく博物館でしか見れないようなこしらえの古い、華美な両刃剣だ。それも、博物館では朽ちた遺物として飾られているものが、少女の手に持たれているものはまるで今でも使われているように輝いていた。


そして少女は刀身を自分の手のひらに当てると、スーっと引いた。ここからではよく見えないが、ぽたぽたと、少女の血が石畳に落ちた。


非常に慣れたような一連の動作を、俺は呆然と見ていた。


そのせいか、俺は周囲の異常に気づくのが遅れた。

都会に生きていれば当たり前すぎて気づかない、常に聞こえ続ける車や照明や人が出す音が合わさった低音。それが完全に消失していた。

代わりに聞こえるのが木々のざわめき、風鳴り、何かが地面を踏むようような音。


微かな熱、吐息を澄う音、生き物独特の異臭。何かの気配。


俺は、この空間に俺と少女以外に何かがいることを感じた。

明らかに、何かから見られている。しかも複数の、人じゃない何かだ。


汗がにじむ。下唇が震えていて、喉が詰まったように声が出せない。


息を吐いた瞬間、耐え難い臭いの吐息が確かに俺の髪を揺らしていた。



苦悶に満ちた悲鳴が境内に木霊した。目の奥で火花が散って夜空が回転したかと思うと。頬に熱。遅れて腹にもじんわりと熱が伝わった。

俺は地面に倒れていた。しかし宙に浮いたような不思議な感覚だった。腰から下の感覚がない。立ち上がろうとするにもどこに力を入れていいかわからない。


続いてすさまじい力が吹き荒れ俺の体が風にとばされる新聞紙みたいに宙を待った。何か見てはいけないものが一瞬見えたと思ったが俺の視界は一時黒に染まった。



***


聞こえたのは女の声だ。


「ーーーーああーー、なんてーーーーーーーまた、ーーー死んでーー」


あの少女だった。瞳に涙を貯め、泣きそうな顔で俺を見ている。

直感的に、俺のせいだと思った。同時に申し訳ない気持ちがこみ上げてきた。


少女ははっとした顔になり例のギターケースから何かを取り出した。

それは手鏡のような物だった。

少女は俺の顔を移動させる。その手鏡にうつる血の気が引いた顔が自分だと気づくのに少し時間がかかった。


また声が聞こえた。


「ーーーー早ーーーー、3つーーーー神勅をーーー。天壤ーーーをーーーーーーー、稲穂。ーーーー誓ーーーー」


それは少女の声だったのか、途中から全く別の声に聞こえなくもなかった。

祈るような、懇願するようなそんな声。

俺は、その声にどうしようもなく心が動くのを感じ。

頷き、その鏡の先に向けて手を伸ばしたーーーー

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