42.保健の教科書は助平ではない&鬼退治
古くからある「鬼が笑う」という表現の用途は、大きく分けて二種類がある。
一つは、どうなるかわからないような先のことを話した場合に使い、もう一つは、あり得そうにないことを指して言う。
正男の「なんで文化委員の仕事が鬼退治なんだ?」という問いかけに対しては、後者の用途で使うところである。この世界の人間、特にホモサピエンスの日本人なら、「鬼が笑うくらいあり得ない質問だわ」と返すのが、一般常識的な正しい反応なのだ。
「まあ、一応は話しておくわ。もちろん言うまでもないことなんだけど、鬼退治というのは、古くからの日本を代表する伝統なのよ。色々な物語にもあるし、節分の豆撒きもそうだし、つまりはホモサピエンスの文化なの。わかった?」
「お、おう……要するに日本の文化だから、日本の帝国大学では文化委員が鬼退治をするのは必然の理、という論法になるんだな?」
「そういうこと。日本の大人は100%知ってんの。子供でもほとんどね」
「そうかぁ……」
まだ十分に納得がいっていないかのような生返事をして、正男は真剣に考え込むような表情を見せている。彼の脳内で、鬼という概念に対する全体性崩壊が起きつつあるのかもしれない。
萩乃が心配そうに覗き込む。
「大森くん?」
「……けど、鬼が笑うって、マジであり得ないことなのか?」
「それは、どういう意味ですの?」
この場合、科学的に表現するつもりだったなら、「鬼が笑うことは本当に確率0の事象なのか?」という述べ方にするのが妥当だっただろう。
「鬼が笑わないから『鬼が笑う』という表現ができたんじゃなくて、そういう表現をホモサピエンスが作ったもんだから、それで鬼が笑えなくなっちまったんじゃねえかなあ、なんてな」
「あらまあ!」
「ほう!」
女性陣二人にとって、まさしく言語論的転回となる発想だった。
それでも正子先生が言い返す。
「もちろん、鬼が泣いたり笑ったりする寓話なんてのも、星の数ほどあるわねえ。ただし、それら全部が例外なく虚構よ。それと、オニサピエンスに属する人たちは、当然のことながら笑うわ。でもねえ、彼らが理性を失って鬼になれば、もう決して笑顔を見せはしないの。そのことは、科学的に証明もされているんだから。マサオちゃんも、保健の授業で習ったでしょ?」
「保健!?」
「まさかあんた、その授業中に居眠りしてたの? それとも教科書の別のページを見ながら助平なこと想像してた?」
「いやいや、なんだよ助平なことって!」
「大森くん。助平なの?」
萩乃がまた心配そうに正男の顔を覗き込む。
「いやいや、違うっての! そもそも保健の教科書には、助平なことなんか一つも書かれてないぞ。あれは真面目な話なんだ、全部な」
「そうよ。よくわかってるじゃないの」
「当たり前だ。オレは健全な男子高校生だったんだ」
「ふう~ん、健全ね~」
(よかったわ。わたくしの大森くんが、助平なお方でなくって。あ、わたくしとしたことが。大森くん、ごめんなさい……)
萩乃はようやく安心できた。
また、少しでも疑心を抱いてしまった自身の心を恥じもした。
「まあどうだっていいわ。それより話がなかなか進まないわね。マサオちゃん、余計な茶々入れないでくれるかしら?」
「オレのせいか!?」
「まあそうでもないけどね。ええっと、なに話してたんだっけ?」
「鬼退治のことですわ」
「そうそう、ハギノちゃん正解」
「はい。大森先生」
笑顔の女性二人を眺めながら正男は黙っている。なにか言おうものなら、また話が脱線してしまうのではないかという懸念でもあるかのように。
「講義室でね、オニサピエンスの学生が
鬼化というのは、男女ともに十八歳くらいから表れ始める、オニサピエンスの第二次性徴の発露の一形態である。
正男は、オニサピエンスという人類の存在について、先程購買部の建物内で萩乃から教わったばかりだ。世界が違えば人類種の数も違うのだと納得した。
「つまり『鬼は外』じゃねえんだな。あはは……というか、バリアーを張るって、結界のようなものか?」
「そうね。でももっと強力な技術なの。鬼を講義室内に封じ込める機能に加えて、鬼と文化委員を除く他の人たちをコールドスリープかつコーティングシールド状態にするのよ。戦闘の妨げにならないことと、鬼から危害を加えられないようにするためにね」
「なるほど。それでオレらは、他のやつらのことを気にせず、ただ鬼だけに集中すればいいんだな」
「その通り。で、退治する方法なんだけど、マサオちゃんが書籍の内容を日本語で詠唱して鬼の動きを止めるの。それが無理でも、できるだけ動作を鈍らせるように努力なさい。そしてハギノちゃんが鬼の頭を竹刀でぶっ叩くのよ。思いっきり
「あらあら、そんな!?」
普段、オニサピエンスの角は頭皮内部に隠れている。ところが鬼化するとニョキニョキと伸びてくるのだ。
そして角を折ることは、彼らから生殖能力を奪うことを意味する。
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