41.正子と萩乃と正男の閑話

 正子先生が微笑みながら二人に伝える。


「これで道具は、あんたたちを持ち主として認識したわ」

「はい。大森先生」


 一方、正男は両手にある『複素関数論』の表紙をシゲシゲと眺めている。著者名の下に、キャッチコピーとして「瞬間移動は科学的に可能なのだ、君たちも実用化に挑戦してみないか」などと書かれている。

 正男が顔を上げ、おもむろに口を開いた。


「もしかして、オレらが詠唱してやってみせたってのは、瞬間移動の技術が使われてたりするのか?」

「その通り。魔法なんかじゃないのよ。正真正銘の科学なんだからね」

「なるほどな。この世界の工学、イケてるじゃねえか! あっはっは~」


 自分で瞬間移動を実用化させたかのように、誇らしげに笑う正男だった。

 すかさず正子先生が「この好機をば、待っておりゃんした」とでも言わんばかりのドヤ顔を見せつつ、補足説明的な「うんちくネタ」を注ぎ込んでくる。


「その本はねえ、初版が明治九十二年に書かれたの。つまり、ちょうど五十年前の話になるわね。当時は、まだ瞬間移動なんてSF小説のネタにすぎないのだと、世界中の科学者たちは思っていたわ。だけれど、天才工学博士猪野鹿之蝶氏の息子さん、猪野熊吾郎さんが、その本の出版から約二十年後に初めて実用化に成功したの。今から二十八年前のことよ」


 この世界での瞬間移動技術は、正子先生が生まれた年に実用化されたのである。


「猪野鹿之蝶氏の息子というと、つまりは猪野とは親類なのか?」

「はい。わたくしの祖父ですわ」

「そうかペガサス級の家系なんだな。この本にしても、値段が値段だし。だから大金持ちなんだろ? そんでもってヤポンリミティッドなんとかって、なんかすごいクレカとか使えんのな。あははは」

「いえ、別に、そういうわけでは……」


 萩乃は返答に困ってしまう。なにも正男はイヤミのつもりで言っているのではないだろう。頭ではわかる。大森くんはそんな人じゃないと。

 だが、本体価格8400万円の書籍を目の前に突きつけながら放たれたセリフだけに、萩乃にしてみれば、イヤミっぽく感じてしまうのも無理はない。


「ん猪野? どうかしたか?」

「あ、ですから、わたくしは……」


 二人のチグハグナな遣り取りを見兼ねて、正子先生が間に割り入ってくる。


「はいはい、そこまでにしときなさいよ。あのねえ童貞男子のマサオちゃん、そんなふうに女の子をいじめちゃダメダメ!」

「はあ!? いったいこのオレが、なにしたって言うんだ? なんも悪いことしてねえぜオレは、なあ猪野?」

「は、はい。大森くん……」

「そら見たことか。この先生が言ってることこそ、よっぽど変だよな?」

「えっ、それは、その……」

「ほらほら、そうやってまた、純真無垢な乙女ハギノちゃんに、すこぶる鈍感な問いかけをしちゃうこと自体、あんたのペガサス級に悪いとこなんだってば」

「は?」

「でもやっぱり童貞のマサオちゃんには、800%わかり得ない、絹の糸のように繊細な機微なのかな。あ、それとも、わかる?」

「わかるか! というか、そう繰り返し何度も童貞なんて言葉使うなよ……そのなんだ、無垢だとかって、猪野のいる、前なんだからさ……」


 やや尻すぼみな口調になりながら、正男は横にいる「乙女」をチラ見する。

 その視線に気づいた萩乃が見つめ返し、円らな瞳をして問いかける。


「あの、ドウテイというのは、どういう意味なのですか?」

「え、いやあ、その、なんていうか……」


 また正子先生がすかさず口を挟んでくる。


「要するにウブな青少年なのよ、このマサオちゃんは」

「大森くん。ウブなの?」

「うっ……」


 肯定するのがよいのか、それとも男らしくきっぱり否定すべきか――今の正男の脳内においては、真偽の定まらない命題のような問いかけなのだろう。

 ここでもやはり正子先生は割り込まざるを得なくなる。


「さあさあ、くだらない与太話は終わりにして、文化委員のお仕事について説明を続けるわよ」

「はい。大森先生」

「あ、そうだった。結局オレらは、いったいなにをすればいいんだ?」

「それはずばり、鬼退治よ」

「あらまあ!」

「おお、やっぱな。そりゃオレらの道具が『鬼止め』とか『鬼祓い』っていうくらいだから、当然そうくるんだろうとは予想してたぜ。つまり、オレが魔導士で猪野が勇者ってことなんだろ?」

「あんた、まだそんな厨二能力者みたいなこと言ってんの! もう、ほとほと呆れる童貞野郎だわ~」

「いやいや、その二つ名はもういいっての! というか、オレ今になって気づいたんだけど、なんで文化委員の仕事が退なんだ?」


 正男の放ったあり得ない言葉に対し、正子先生と萩乃がまさに「驚天動地を見た!」とでも言わんばかりの表情をする。


「ええーっ! あんたまさか、それ本気で言ってんの??」

「あらあら、まあまあ、大森くん、どうして!?」

「なっ!? オレ、今なんか変なこと言ったか?」


 まるでのような大逆転の瞬間を目の当たりにしてしまったかのように驚愕する女性二人の顔を見て、ペガサス級に鈍い800%童貞の正男にも、の危機が訪れるのだった。

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