第5話『胃痛』

 張り詰めた空気が部屋に充満している。痛い視線を向けられるのは心当たりがあるから仕方ないが、ここまでされる筋合いはないと思う。

 かというのも、目の前で頬を膨らませているのは中年の、しかも少々がたいの良い男性というだけで正直目に余るものがある。……できれば見たくない。

 何度目かのため息を付くと目の前で膨れる男性が重い口を開き名前を呼んでくる。


「クロナ、私は聞いてない」

「書類は提出したはずです、一体いつまでこの会話続けるんですか?」

「相談もなしに決めたことが許せない」

「知りません」

「母さんは知ってた」

「母には話しましたから」


 不貞腐れる理由はそれか、とあきれたがそれは仕方がない。問題はこのせいで話が進まない事だ。本題に入れないのだ。

 いつまでも不貞腐れる中年オヤジの愚痴なんて聞きたくもない。……が、オレのせいでもあるから何とも言えない。そもそもそんな事で拗ねることがあるのか?と言ってやりたいぐらいだ。


「騎士団長」


 そう呼べば顔を横に向けて無視され続けている。もう数える気にもならないぐらいついたため息が自然とでた。

 信じたくないがこう見えてもこの人が鬼の上官と呼ばれている鬼神と名高い騎士団長の一人だ。

 そしてこれも信じたくないがオレの父でもある。

 ただ報告して、書類を通してもらい一部の書類に判を押して持ったらあとは帰るだけの簡単なものだったはずなのに些細なことでそれが簡単ではなくなり、書類は相も変わらずに騎士団長が座るデスクの真ん中に置かれている。


「お前は《姫の護衛 (ひめつき)》になるために騎士になったんじゃないのか?」

「そうですけど」

「ならお前がやるべきことは私の下で……」

「確かにあなたは強い。いまだに敵わない。けれどあの人たちはまた違った強さをもっている。そんなあの人たちから色々と学びたい。そう……思ったんです」


 何度目かのため息を付きながらそう言えば複雑そうな顔を浮かべ、大きく息を吐かれた。

 それに小隊に入ったからこそ討伐や任務が中心になり、国から出ることも多々ある。

 それも踏まえてこの人はオレに言っているのだとわかった。

 この国の騎士には二通りある。小隊に入り外を護る《外護り (そともり)》と呼ばれるものと、城を中心に護る《内護り (うちもり)》だ。

 オレの目指す《姫の護衛》は役割的には《内護り》の部類になるだろう。

 そして《内護り》の大半は貴族出身の騎士が占めている。


「言い分はわかる。けれどオレの下にいれば少しは技術がつくと思うが?それに動きやすい。姫のために」

「それでも……負けましたから」


 笑って見せる。オレのその顔を見て肩を落としたのがわかった。

 もちろん言いたいことはわかる。脱走癖のある姫様を見つけるのはとても至難の業で出来れば簡易に見つけてしまう人材は手元に置いておきたいのも事実だろう。


 それでもオレは負けたのだ。

 ——……彼女に。藤野遥に。


 その事実は変えられない。だからこそいつか彼女を超えたくなった。それは姫である琥亜自身も理解している。

 ふと、名を呼ばれ目を見る。寂しそうな複雑そうな、けれど背中を押すような顔をしていた。


「提出書類にあった竜舎の件だが、もう少しで何とかなりそうだ」

「と、言うと?」


 書類に目を落としながら淡々と話し始める。竜舎は元々管理するものの負担が大きくどうにかならないか、と重要視されていた問題だった。それを踏まえ国では今以上に広い土地を作りその場所に竜舎を統一させる話になっていたらしい。

 世話をするのは騎士の任を退いた元騎士の竜を扱っていたものを採用し、各小隊の負担を少しでも軽減減できるようにするようだ。

 その分、竜にかかる費用は竜舎に行ってしまうがどの竜にも格差なく対応できるようになるという話を聞くことが出来た。

 その話に安堵したオレは笑って判を押した別の書類を受け取った。

 一礼し部屋を出るために扉に向かった。ドアノブに手をかけようとして止まる。振り返って座る騎士団長を見た。


「勝手に決めてしまってすみません、その……」

「その話はもういいよ、母さんからちゃんと聞いている。今度は夕飯を食べに来なさい」

「はい」


 言いにくそうにしたオレを促すように言言われた。返事をしてまた一礼すると部屋を後にした。


 *****


「クロナ」


 部屋を出て長い廊下を歩いていると声を掛けられた。目線を声の下方向に送ればそこには灰色の長い髪を一つに結び、漆黒の黒い瞳をした人物が立っていた。

 ……ハイネ。それが彼女の名だ。


「父様との話はちゃんと出来た?」

「あぁ、琥亜……姫は?」

「姫様なら今は授業中」


 淡々と話すその声は鈴のように澄んでいて聞き心地がいい。……難点を言えば無表情なことぐらいか。それも見慣れた顔だが、オレが言うのもなんだが、美人な分勿体ないと思ってしまう。

 じぃっと見るオレに小首をかしげるとハイネは目の前にたった。


「大丈夫?」

「胃が痛いぐらいだ」


 そう言うと「だろうね」と背中をさすってきた。胃が痛いと言っているのに何故背中をさする?と疑問に思っているとハイネはまた表情を変えずに声を出した。


「姫様は知ってるの?討伐に行くの」

「知らないはずだが?」

「わかった」


 そう言って振り返り歩き始める。意味が分からない。何のために声を掛けてきたのかわからないままだ。

 そんなオレの心情は知らずにハイネは歩き続け、廊下を曲がって姿を消した。


「何だったんだ?」


 オレの疑問は言葉に自然に出てしまい、空に消えた。


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