第7話

「た、助けてくれぇ―――――!」

 そのまま魔獣とは出くわさずに奥に進んでいった二人。そんな二人の耳に誰かの助けを呼ぶ悲鳴が聞こえてくる。

「む!?」

「誰かいる?」

 相変わらずたいまつによる小さな灯りの道が続いているが、その奥地、更に暗い道から男の声が聞こえてきた。二人は顔を合わせると、急ぎ足でその奥地へと進んでいった。

 たいまつもなくなり、暗い道が続く。だが、その道の先からうっすらと光が射してくる。

「恐らくこの道の先がこの洞窟の最奥だろう」

「この先に何かがいる……?」

「誰かがその何かに襲われている。そんなところだろう」

 急ぎ足で、その道を抜ける二人。そして、光が射すその空間へと足を踏み入れる。そこで二人は思わず目を丸くした。

 洞窟とは打って変る光景。空気が一気においしくなり、暖かい日が辺りを射す。緑色の草木と岩壁に囲まれた大きな空間。ここは洞窟ではなく洞窟の外だ。だが、二人が目を丸くしているのはその事実に差し当たったからではない。

「グォオオオオオオオオオオオオッ!!!」

 気圧されてしまいそうな咆哮。

 赤い鱗に、鋭い爪、鋭い牙に禍々しい眼。

 赤くて大きな巨体。村人の言っていた通り、大きな竜がそこには居座っていた。そして、その傍らには腰を抜かして動けなくなっている人が一人。

「あの人!?」

 マナはその人の事を知っていた。その人は、昨夜、武器屋と間違えて二人を尋ねてきた村人だ。

「あの盗人がなぜここに!?」

「いや、盗人じゃないです! って、今はそんなことはどうでもよくて! え、なんであの人がここに!?」

 魔獣が蔓延る洞窟の最奥地に村人が一人でいる。さっきも魔獣に取り囲まれたくらいだ。腕に覚えがあるとしてもそれは危険極まりない。複数人で来たのだろうか? だが、辺りを見渡してみても、村人一人の姿以外は誰も見当たらない。争った形跡も、襲われたような痕跡もない。つまり、本当に一人のようだ。

「グォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

「まずい!」

 再び咆哮を上げ、村人に襲い掛からんとする竜。今にも噛みついて、村人を食べようとする勢いだ。駆け寄ろうにもこのままでは間に合わない。

 遠くから、この位置から攻撃するしかない。そう、魔法で。

「はぁ……」

 マナは深く息をつく。

 自称勇者のこの男でも間に合わない。だが、マナなら、マナの魔法なら間に合う。マナはそれを理解している。だが、それをやった瞬間、上流階級であるマナは市民である村人を助けたという事になる。自分の安全を守るため、これまで自分の地位を守るため、違反することなく上にのぼるため、色んなことに目を瞑ってきたが、いよいよそれを破る事になる。

『偽りの自分では勇者にはなれない。勇者になれるのは真の自分だけだ』

 そのセリフがマナの頭を再び過った。

「もう、自分に嘘をつくのは、やめにしよう」

 目を閉じ、杖を掲げるマナ。空中に光の球が現れる。そして、その玉は光り輝き、破裂する。

「目を閉じて!!!!!!!!!!」

 マナの叫び声と同時に、目を開けられないくらいの眩しい閃光が辺り一面を襲った。

「グェエエエエエエエアアアアアアアアア!」

 光に目を焼かれた竜は悲鳴を上げ、身体を崩して大きくひるむ。一方で、マナに言われた通りにしたのか、レイもそして村人も問題なさそうにしている。

「ふ、決心はついたようだな、マナ殿」

 少し嬉しそうに、レイはマナの肩をポンと叩いた。

「もう、苦しいのはごめんです。人々が、私の国の人々が苦しむ姿を見るのは耐えられません。それが、私の答えで、私の真の姿です」

 ふう、と一息つくマナ。そして

「あんな国の前では、地位なんて何も意味を成しません。ならば私は、地に堕ちてでも、私は私の国の人々を守ります」

 マナの目は真っ直ぐ前を見据えていた。どうやら覚悟が決まったらしい。

「ふ、私の国……か。そうか、やはりマナ殿は」

「その話はあとで。今はあの人を助けないと」

 マナの言う通り、今は呑気に話をしている場合ではない。竜が立ち直るのも時間の問題だ。

 二人は頷き、腰を抜かしている村人の元へと駆け寄る。

「大丈夫ですか!?」

「ぶ、武器屋さん!? じゃなくて、テントの!? オブジェの!?」

 マナとレイに気づくなり、村人はそう言う。

「オブジェではない、本物だ。本物の伝説の剣だぞ、盗人め」

「余計な事は言わないでください。さぁ、立ってください」

 村人に手を貸し、肩を支えるマナ。後ろへとさがり、竜と距離をとる。

「ところで貴様、なぜこんなところに? さては盗みに!? く、この盗人め!」

「あなたは黙っててください。大丈夫ですか?」

「はい……なんとか……」

「他に村人は? あなた一人だけですか?」

「はい。僕だけです。祖父のペンダントを取り返しに来たのです」

「ペンダント?」

 そう言えば、村人の一人がペンダントを盗まれたと言っていた。つまり、この村人はあの村人の孫のようだ。

「そうでしたか」

「魔獣に好き勝手されるのは我慢なりません。それに、国が動かないのならせめて僕がと思って、ここへ来ました」

「…………」

 さっきまでのマナなら、心を痛めていたのかもしれない。だが、まるで、なにか付き物が取れたかのように、マナはこう返答する。

「国は、決してあなたを見捨てたりはしません」

「え……?」

「私が、絶対にそうはさせません」

「…………!?」

 そう言われ、目を丸くする村人。村人の見つめる先には、何かを悟ったかのような、迷いのない真っ直ぐな女性の目があった。

「もしかして……あなたは……」

「…………」

 マナは無言で村人を庇うかのように、竜に立ちはだかる。それに合わせて、レイもまたマナの隣に居座った。

「市民を守るのが上の務め。なら、悪しき魔獣を討伐するのは勇者の務めだな」

「言っておきますけど、私は認めてませんから」

 そもそもマナは伝説の勇者そのものに憧れを抱いている。そういう事もあって、こんな剣もまともに抜けていない、持てないレイを勇者だなんて認めたくはないようだが……。

「ふ、相変わらず冗談の上手い方だ。私程勇者に向いている者はいな」

「けど」

 マナはレイの目をちらりと見て、口元が少し緩む。

「少しは、ほんの少しだけは、頼りにしてますから」

 マナはくすっと笑った。

 ……どうやら、少しくらいは認めている、のかもしれない。勇者としてなのか、仲間としてなのかは分からないが。

「そうか。ならば、期待に応えないとな」

 レイは台座付きの剣を構える。相変わらず両手持ちで、若干二の腕をプルプルさせてはいるが、レイの表情は和らいでいた。

「一気に行くぞ。反撃の機会は与えない」

「はい」

「1ターン以内で決着だ。よいな?」

「ガンガン行こうぜ、ですね。わかりました」

 悪しき魔獣を討伐する為、一人の国民を守る為、二人は巨体の竜に立ち向かう。勇者としてそれなりに覚悟を決めている男と、一人の人間を守るという覚悟を持った女。二人とも迷いなどない。今の二人なら、もしかしたら敵なんていないのかもしれない。

「行くぞ! 悪しきドラゴンよ!!」

 レイは剣を大きく振り下ろし、怯んでいる竜の頭目掛けて一気に振り下ろす。

 だが……。

 キンッ ← 振り下ろした剣もとい台座が弾かれる音

 むぉ? ← 弾かれた反動でレイが後ろへと大きく仰け反る時の声

 バタッ ← レイが後ろに倒れる音

「え?」

 その様子を見たマナは、目を丸くする。

 どうやら、それなりに覚悟を持つだけでは強くはならないらしい。

「何やっているんですか――――――!」

 マナは杖を頭上に掲げ、大急ぎで魔法を発動させる。

 マナの頭上で光の球が出現する。球が神々しく輝きだすと、球の中心から光り輝く光線が竜目掛けて直進する。

「グォオオオオオオオオオッ!!!!!」

 竜の頭に光線は命中し、竜は大きく身体を仰け反らせる。

「今がチャンスですから! 早く! 早く立ってください!」

「し、しかしながら、マナ殿……倒れた時に体勢を崩してな、その、腰をやられてな……」

「ええ……」

「おのれ、ドラゴンめ、身体を固くさせるとはなんと卑怯な……。ああ、決して剣が重かったからではない。断じてないぞ」

「ええ……」

 間違いない。この男、重いものを持っていて体勢を崩した時に腰がグキってなるときのアレになっている。それを察したマナは……ただただため息をついた。

「お前絶対勇者じゃねえよ……」

 思わず、レイに辛辣な言葉を浴びせるマナ。

 彼女はレイに向かって杖を向ける。

「はは、何を言っているマナ殿。私はこの伝説の剣を抜きし勇者。悪しき魔王を討伐し、世界に光と安寧を……おお? 身体が軽くなった?」

「回復魔法をかけました」

「回復魔法!? マナ殿、そんなものを使えたのか!? なんと便利な!」

「感心してないで、早く! 早く起き上がってじゃないと竜が起き上がってしまいま」

「グォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 と、言っている傍から、竜は起き上がったようで……。

「ち、魔獣め、なんと卑劣な」

「あなたが剣を引き抜けていればこんな事にはなっていなかったと思います」

「だが、私は勇者。このようなところで諦めるわけにはいかぬ」

「あ、はい」

「というわけでマナ殿、一つ提案があるのだが」

 レイは眉間にしわを寄せ、真剣な表情でマナを見つめる。その目は真っ直ぐ前を見据え、迷いなんて何もなさげである。

 真剣な様子のレイに唾をのむマナ。そんな彼女に対して、レイはこう言い放った。

「逃げよう」

「に、逃げ逃げる!!? え、に、逃げる……!!? 逃げるっ!!!!?」

 この男、勇者らしからぬ発言を堂々としている事に気が付かないのだろうか。

「残念ながら、今日は無理のようだ。伝説の剣が通用しない。ドラゴンが守備を固めている。これでは倒せるものも倒せぬ」

「え、いや、それはあなたが剣を抜けてな」

「ドラゴンめ! 感謝するがいい! 今日のところは引き上げてやろうぞ!」

「ええ……」

 格上相手に捨て台詞を浴びせるこの男。そして、男は剣を引きずりながら竜に背中を見せた。

 だが、そんな彼らをあっさりと通すわけもなく……。

 ノシノシノシ ← 竜が歩いて回りこむ音

「おのれドラゴンめ!!! なんと卑怯な!!!!!」

「当然だと思いますー」

 そもそも竜は村人を食べようとしていた。そして、それを魔法で目をくらませ、その後で思い鈍器……ではなく伝説の剣を顔面に振り下ろした一行だ。竜からすればやすやすと返すわけがない。あくまでもボス戦からは逃げられないのだ。

「でも、確かにまずいですね。私の魔法でも精々怯ませられる程度。伝説の剣も弾かれて、一歩届かない。そして逃げ道も塞がれた。一体どうすれば……」

 あと一歩、何か竜を追い詰める一手があれば、この状況を打開できるかもしれないのだが、この男が扱う伝説の剣という名の鈍器では弾かれる一方だ。せめてしっかりとした武器があればいいのだが……。

「あ、あの、これ使いますか?」

「え?」

 と、ここで口を開いたのは村人。村人は銀色に光る鋭利な剣を腰から取り出した。

「武器!? というか、これって王都の……」

「今朝がた、王都に赴いて購入したのです。本当はこれを使って戦おうと思ったのですけど、そのまえに腰が抜けてしまって……」

「それだ!!!」

 と、さっきまで逃げようと提案した自称勇者の男は、村人が差し出した剣を見て声を大きくする。

「盗人殿、差し支えなければその剣、貸してはもらえぬか?」

 と、言いながらレイは伝説の剣から手を離す。

「ちょ、ちょっと! 伝説の剣ちゃんと大事にしてください!」

 倒れこんだ伝説の剣を見てそう指摘するマナだが、レイはこう続ける。

「それがあれば勝てる。その剣を私に」

「は、はい」

 勝てるとハッキリ告げたレイ。

 それを信じたのか、村人はレイに銀色の剣を手渡した。

「よし」

 レイは鞘から剣を引き抜く。日光が銀色の剣を輝かせ、光を反射させる。まだあまり使われていない新品に近い状態のようだ。それと、これは王都で買えるいたって普通の剣。さすがの自称勇者も片手で持てるようだ。

「マナ殿、竜を倒すぞ。もう一度さっきの魔法を放ってくれ。私に向かって」

「わかりまし……え、私に!? あなたに向かって!?」

「時間がない。さっさと終わらせよう」

「さっさと終わらせようって……。ええ……」

 逃げようと言ったり、倒すと言ったり、なんなのこの人と思うマナだったが、竜はこちらを睨みつけ、今にも襲い掛からんとする勢いだ。もしかしたら何か作戦があるのかもしれない。入り口をふさがれている以上、ここは賭けに出るしかないのだ。

「どうなっても知りませんからね!」

 マナは頭上に光の球体を生み出し、そこから光線を発射させる。光り輝く光線が、竜ではなく、レイに向かって直進する。

 レイは避けようともせず、ただただ黙って銀の剣を構えている。そして

「吸収!!」

 光り輝く光線は、吸い込まれるかのように、レイの構える剣へと進路を変える。

 ぐにゃりと円を描きながら、剣へと文字通り吸収されていく。その光景を前に、マナも、そして村人も目を見開いた。

「本当は勇者らしく、勇者の剣で闘いたかった。だが、止むを得ん。本来の力で闘おう」

 レイは真顔でマナの魔法が宿った剣を大きく、竜に向かって振り下ろした。

 光り輝く斬撃波が、巨大な竜に襲い掛かる。

「グォオオオアアアアアアアアア……」

 光り輝く斬撃波はいとも簡単に竜の身体を二つに切り裂く。竜は断末魔を上げながら、緑色の光と共に消えうせていく。

 そう、レイはいとも簡単にさっきまで苦戦していたはずの竜をいとも簡単に浄化してしまったのだ。しかも、伝説の剣も使わずに。ただの王都で買える剣で。

「え……ええ……」

 そのあまりにも一瞬の出来事に、マナは顔を引きつらせている。

 竜は浄化され、竜がいたその場にはハートの装飾が付いたペンダントが落ちていた。

「あ! あれは!」

 村人は一目散にそのペンダントを拾いに行く。そして、ペンダントを拾うなり、村人の頬が緩んだ。

「これです! このペンダント! よかったぁ」

 どうやら村人の探し物のペンダントが見つかったようだ。ここへやってきた村人は目的を達成して喜んでいる。だが、その一方で……

「あ……あーー……ええ……」

 納得の行っていないマナはただただ困惑している。

 銀の剣を鞘にしまいながら、男はマナの顔をちらりと見た。

「どうしたマナ殿? 浮かない顔をしているぞ? そんなに顔を引きつらせていては折角の美貌にしわが出来てしまうぞ?」

「あの、なんなんですか、あなた」

 自分で勇者だと名乗ったかと思えば伝説の剣を引き抜けてなかったり、かと思えば噂にもなっていた盗賊の正体だったり、伝説の剣では勝てないと思ったら、今のようにただの剣で魔法を吸収し、未知の技で竜を葬ったり。明らかにこの男は謎が多い。

「はは、だから言っているだろう? 私は勇者だ」

 だが、それでもあくまでも勇者と名乗るレイ。

「じゃあ……どうしてあの技を使わなかったんですか? あんな凄い技……」

「どういうわけか、勇者の剣ではあの技は使えぬのだ」

「使えないって……。ええ……」

 たぶんその理由は簡単だ。男が伝説の剣を引き抜けていないからだ。剣が剣として機能していないのだ。

「恐らく強大すぎる故、勇者の剣にそのようなものは不要という事なのだろう。はは、流石は伝説の剣」

 だが、自称勇者のこの男はそんな理由に気づくわけもない……。

 まあ、最も、男が見せたあの技が剣じゃなくても機能するのならば話は別だが。

「さてと……」

 独りで満足そうに伝説の剣に手を添えるレイ。だが、既に銀の剣を手にしている事に気づいたのか、レイは村人に剣を返した。

「いい剣であった。今回は感謝する。盗人殿」

「いえいえ。あと、盗人じゃないです僕」

 そもそも村人から盗人のような行為を働いているのはレイの方なのだが、レイはそんなことに気づくこともない。

 再び勇者の剣に手を添えるレイ。そして……

「んごぉおおおおおおおおおおおお!!! うぉおおおおおおおおおおお!!!!!」

 疲弊しているからか、いつも以上に大声を上げながらやっとの思いで勇者の剣持ち上げたこの男。さっきまでは銀の剣を軽々と手にし、未知なる技を見せつけたこの男。一方で、勇者の剣を鈍器として扱い、まるで使いこなせていないこの男。

「さて、村へ戻ろう。だが魔獣が出るかもしれない。盗人殿も共に参ろう」

「は、はい! あと盗人じゃないです僕」

 ズゾゾゾゾゾゾゾと剣を再び引きづりながら洞窟へと戻っていく男を見て、マナはボソッと一言。

「伝説の剣いらなくね……」

 マナのため息は、いつもより長かった。

 だが、神官であるマナの魔法を簡単に吸収し、それを未知なる力と技に変えて、いとも簡単に竜を切り裂いてしまった自称勇者のこの男。いったい何者なのだろうか。

 帰る道中、マナの頭はそのことで一杯だった。


 村に到着後、マナは例の村人の家へお邪魔していた。

 ペンダントを無事取り戻した村人は祖父へと手渡したが、その時の祖父の喜びの表情を見て、マナは頬が緩んだ。

「南の洞窟の魔獣は、一通り浄化いたしました。しばらくは大丈夫だと思います」

「なんと!」

「それと、この村に結界を張りました」

 そのことを伝えるやいなや、村人二人は目を見開いた。

「だから、この村は暫く大丈夫です。今までご迷惑おかけしました」

 マナは一度頭を下げると、そっと二人に背を向ける。

「どこへ……行くんですか? 王女様」

 しかし村人は、マナにとっては無視できない言葉を浴びせた。立ち去ろうとしたマナだったが、その場で立ち止まった。

「…………」

「噂に聞いたことがあります。昔、王家から追い出された幼い姫様がいたって。あなたなのですよね?」

 背を向けるマナにそう尋ねる村人。事情を知らない祖父の方はさらに呆気にとられているのか、目を丸くしている。

「それでは……また」

 でも気にするのをやめたのか、そこまで話す必要がないと考えたのか、それとも話したくなかったからか、マナはソレについて触れることなく、その場を後にした。


 それから数十分後、マナは遂にテントへと足を運んだ。

「戻りまし……え?」

 だが、マナはそれを見て思わず目を疑う。

 そこにはテントの影も形もない。あるのは小さく畳まれたテントと数多くの荷物を背負うレイの姿だけだった。

「おお、マナ殿」

 マナに気づくなり、うっすら微笑むレイ。レイはこの村に戻るやいなや用事があると言ってテントの方へと向かっていった。だが、どうやらテントを畳むことが目的だったらしい。

「もしかして、旅立つのですか?」

「うむ。こうしているうちにも、魔王の魔の手はどんどん広がる。勇者たるもの、立ち止まってなどいられないのだ」

「あ、はい」

 丸太の上に座り、マナを見上げるレイ。その傍らには相も変わらず台座に突き刺さったままの伝説の剣が置いてある。

「しかし、帰りが遅かったようだが」

「民家全てを回っていました。その、報告と謝罪をしに」

「洞窟の魔獣浄化、並びに結界の件か」

「はい。そして、この村にも結界を張りました」

 そう言いながら、マナも空いている丸太の上に腰を掛ける。

「決心はついたようだな、マナ殿」

「私はもう迷いません。あんな場所にいても意味がない」

「そうか。して、この後はどうするのだ?」

「市民を助けるべく、まずは方々の町や村へと周り、結界を張ろうと思います。ここの村のように、魔獣に困っているところはまだまだあると思うので」

 この国にある町や村はここだけではない。まだまだ数多く存在する。そして、それらの場所には結界が張られていない。あくまでも結界が張られているのは王都だけだ。

「そうか。城には?」

 レイのその問いにマナは首を振る。

「戻りません。ここに結界を張ったので、代わりに城の結界が一つ消えています。まだバレないかもしれませんが、時間の問題です。戻ったら恐らく私は……」

「そうか。野暮なことを聞いたな」

「お気になさらず。そもそも、あなたのお陰で決心が出来ました。だから改めて……」

 マナはレイに静かに頭を下げた。

「ありがとう。あなたのお陰で、大切なことを思い出し、無くさずに済みました。本当にありがとう」

「頭を上げるのだマナ殿。別に大したことはしていないさ。困っていたから助言した。勇者ならば当然のことをしたまでだ」

「ゆ、勇者……ならば……」

 違うと言いたいところだが、それでもこの男に感謝しているのも事実。マナはそのセリフを飲み込む。だが、そんなマナに対してレイはこう言った。

「しかしマナ殿、貴殿がこれからやろうとしている事はちと非効率且つ大いに大変だ」

 そう。レイの言っている事は正しい。

「わかっています。でも、それでも私は……」

「そもそも、結界を張ろうにも魔力を消費するはず。魔力は無限ではない。マナ殿の魔力がどれほどのものなのかは分からない。だが、たった一人の神官で国中の全ての町や村に結界を張ることは無理だろう」

「…………」

 レイに図星をつかれたのか、マナはそっと顔を伏せる。

「マナ殿。心意気は立派だが、身の程はわきまえた方がいい。全ての町や村に結界を張るのは不可能だ。いくら神官クラス、王族の者であろうとな」

「それでも……それでも私は……!」

 これまで助けられなかった分、今度こそ市民を助けたい。そんな思いがあるマナは、立ち上がって真剣な表情でレイを見つめる。だが、握っている拳は少し震えている。マナも心の何処かで気が付いているのかもしれない。一人じゃ無理だ、と。

 そんなマナに対してレイはこう言い放つ。

「ただし、知り合いの助っ人がいれば話は別だ」

「え……?」

 困惑するマナに対して、不敵に微笑むレイ。

「一人心当たりがある」

 レイは立ち上がると、マナに近づいて耳元で何かを囁いた。


 某日。ブレイブ王国玉座の間。

「失礼いたします。王様」

 玉座に座り込む青緑色の髪の中年。その男は、ひれ伏すその者を見ずにただただ無表情で前を見据えている。

「ジクスか」

 だが、その者の存在に気が付いているのか、その者の名前を呼んだ。その者の名前はジクス。ブレイブ王国の神官の中でも最も優れている魔法使いである。

 ジクスはひれ伏したまま、口を開く。

「国の結界が一つ消えました」

「そうか」

「恐らく、あの者の仕業かと」

「捨て置け。あの者には別の働きをしてもらう。それより」

 何か重要な内容なのか、王は一息つく。

「剣が無くなった。台座と共にな」

「…………っ!?」

 剣が無くなったことに初耳だったのだろうか、王の発言に、一瞬眉間にしわを寄せるジクス。だが、すぐに表情を戻し、黙ったままジクスは王に耳を貸す。

「あれを引き抜けるものが現れたか、それか彼の者の仕業か」

「魔王……ですか」

 それを言うなり、ジクスは眉をひそめる。

 魔王。かつてブレイブ王国を建国した勇者が討伐したとされる悪しき存在。ブレイブ王国をはじめ、世界を征服しようと、「魔物」を従えて国を侵略し始めた伝説の存在。最期は緑色の光を纏った伝説の剣に貫かれ、浄化されたとされている。この事を知らない国民はいない。

「やはり魔王が……この世にいると?」

「わからぬ。だが、剣が無くなったのは事実だ」

「…………」

「気がかりなのは、台座ごとなくなっている点だが」

「魔王の仕業ならば、大いなる力を前に、台座が消し飛んだ可能性もあるかと」

「うむ。所詮は伝説。されど伝説。いずれにしても警戒するに越したことはない」

 王は前を向いたまま、無表情のまま話を続ける。

「最悪、余が自ら赴く。だが、まずは剣の在り処を知りたい」

「左様でございますか」

「頼めるか? ジクス」

「お任せください」

 ジクスは頭を上げるなり、不敵に微笑む。

「ご安心を。あの剣を抜ける者は、勇者だけです」

「…………」

「この手で持ち帰ってきましょう。勿論、台座抜きでね……ククク」

 ジクスの表情は、どことなくまるで勇者のように自信に満ち溢れていた。


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