第6話

「はぁ……」

 正午過ぎ。テントの傍らでマナはため息をついた。

「説教するのはいいけど、なんであそこで寝ちゃうかな……」

 テントを見ながらマナは再びため息ついた。

 そう、マナの言う通り、レイはマナにあーだこーだと言った直後、急に立ち上がると、眠いと言ってテントの中へと入ってしまったのだ。それから数時間たっても、レイは起きてこない。

「まさか、あんなに真剣な顔してたのも、実は眠かったからとか、そんなオチはないよね?」

 そんな気がしなくもないマナ。

 だが、まともに剣を抜けていないレイが勇者だと勘違いをし、勇者のアレコレをマナに訴えかけるくらいである。にもかかわらず途中で眠いからという理由で眠ってしまうあの男。やはりどこか掴めない。眠かったオチも十分にあり得る。とはいえ……。

「私は……どうしたいんだろうな……」

 マナは自分が本当にどうしたいのか、わからなくなっているようだ。

「今の地位を捨てて人々を救いたいのも私。今の地位に固執して上に上り詰めたいのも私。どちらも紛れもなく私。どっちも、偽りなんて……そんなのないよ……」

 偽りの自分では勇者にはなれない。勇者になれるのは真の自分だけ。勇者でもなんでもないただの男にこんな事言われるのも癪だが、どこか納得できてしまった自分がいるのも事実。だからこそ、マナは自分がどうしたいのか分からなくなっていた。

「きっかけは、上流階級に虐げられて休みなく働かされ、いいようにされる人々を見過ごせない事だった。それと……」

 マナは何かを言おうとしたが、どういうわけか重いため息をつく。けど、何かを振り払おうと首を振る。

「だから、上に戻る決意をした。上に戻れば、上流階級になれば、国を変えられる。そう思っていたから」

 けど、現実は違った。上流階級になっても、結局は出世争い。他人を陥れ、上に気に入られることばかり気にする犬になるだけだった。何度も辛酸を味わった。なんども屈辱を味わった。セクハラもされたしパワハラもされた。それが日常茶飯事だった。でも、それでもいつかはと思い、己を偽り続けた。それがマナの本心だった。

「己を偽り続け……? 私は、すでに偽っていた?」

 数々の屈辱を味わいながらもたどり着いた神官の座。もう少しで、上に届く。けど、既に自分を偽っているマナ。

 一体どうしたいのか、どっちが本来のマナなのか。それが分からなくなっていた。

「そもそも、私が上を目指す理由。それは、人々を救うため。私が国のルールを変えて、このクソみたいなシステムをぶち壊すため。今の王族に……王にNOを叩きつけるため。その資格は、本来、私にはある。だって私は……」

 何かを口から漏らしそうになったマナ。村人に聞こえまいと、とっさに口を手でふさいだ。

「でも、それじゃあただの復讐。私が本当にしたいのは復讐なの?」

 再び分からなくなり、マナは頭を抱える。

「私が本当に目指すもの……それは……」

 マナは目を閉じて、それについて考えた。

 思い起こされるのは十数年前。国が変わったあの出来事。

「お前を追放する。市民となり国に従事するがいい」

「え……?」

 幼いマナは、玉座の間で、父親であるその人にそう命じられ、呆然としている。

「お、王様? い、いま何と?」

 マナのお付きの執事は動揺しているようで、声を震わせていた。

「マナを王族から追放する。異論は認めん。異を唱える者は問答無用で極刑に処す」

「そ、そんな……。あ、あんまりです! 主を追放だなんて! どうか、どうかお考え直しを! 王様!」

 執事は必死にそう訴えかけるが、王の目はただただまっすぐ前を見据えていた。

「…………」

 顔を青ざめ、口に手を当てるマナ。一方で、執事は必死に抗議をする。

「お、王様! どうかお考え直しを! 王様! 王様!!」

 だが、前を見据えたまま、無表情のまま、王はこう命じた。

「その小うるさいハエを捕えよ! 牢にぶち込め!」

「な!!?」

 動揺を見せる執事と騎士団の隊員。だが、無表情だった王は目を細める。そして……

「捕えよと言っている!!!! 貴様らも追放されたいか!!!!?」

 温厚だったはずの王様とは思えない、その人はまるで別人だった。

 渋々事態を飲み込む騎士団は、執事と、そしてマナを捕えた。

「ま、まって……! や、やめて!! はなして!!!」

「マナ様……マナ様――――――!!」

 抵抗虚しく、城外へと連れていかれるマナ。そして、城の地下へと連行されるマナの執事。

 それがマナの転落人生の始まりだった。

 やがて、この国に上流階級制度が生まれ、市民は奴隷となる。

 そしてこの国は混沌と化した。

 出生に飢えた犬で溢れかえり、王都を支えるメンバーは総替えとなった。自分の地位を守るために必死になった王族たちは、マナの事など頭から離れていった。

 そして、市民となったマナは、孤児院でひっそりと育っていった。

 それから数年経ったある日……。

「オラオラ! 働け愚民ども!!」

 鞭を打ちながら、市民に罵声を浴びせる男をマナは目撃した。

 その男は、かつてマナの世話をしていた王族直属の執事。マナが王宮から追放される際に、真っ先に動揺し、撤回を求めた人物。主であるマナを庇った人物だ。元々性格の優しい執事が、今や市民に恐怖と絶望を植え付ける豚となっている。

「待って! やめて! なんでこんなことするの!?」

 鞭を打たれる市民を庇うように、マナは両手を広げて、執事の前に立ちはだかった。

 久々の再会に、執事は目を見開いた。

 だが……。

「懐かしい顔だなぁ……クソガキ」

「え?」

「落ちこぼれの王族なんぞに用はねえ。失せな」

 執事はまるで何かに取り付かれたかのように豹変してしまっていた。

「なんで……。なんでこんな事を……」

「決まってんだろ? 生きるためだよ!!!」

「…………っ!」

 マナの意識はそこで途絶えた。マナはその男に鞭を打たれて気を失ってしまった。だが、心優しかった執事が、かつてマナに仕えていた執事が、容赦なくマナに手を上げた。生きるためと言って。

 突然と豹変してしまった王。奴隷と化した市民。そして、生きるために豹変せざるを得なかった心優しかった執事。その事実が、マナの心を変えた。

「わたし、上流階級になる。そして、皆を助ける!」

 孤児院の医務室で目を覚ましたマナはそう叫んだ。

 これが、マナの出世の始まりだった。

「そう。元々、皆を助けるため。市民や、王族の心を救うために、上流階級になろうと決心した。けど、実際なってみても何も変わらなかった。そして、今度は、私が、市民を見捨てようとしている。あの日、皆が私を見捨てたように。間違っている。こんなの間違っている」

 マナはそのままこう続ける。

「そもそも、上を目指していたのも、全てはお父様に会うため。会って説得する為。けど、そんな事しているうちに、市民が魔獣に襲われる。お父様を変えるためにとはいえ、このままでいたら、今度は私も変わってしまうかもしれない。あの執事のように。だったら私は……」

 マナは目を開き、手元の杖を握る。

「偽りの自分が何なのか、少しわかった気がする」

 マナはぼそりとそう呟いた。

 そんな中、ガサゴソという音がテントから聞こえてくる。そちらに注目すると、テントの中からレイは姿を現した。

「うむ……ついうっかりこんなに眠ってしまった」

 やっとレイは目を覚ましたらしい。レイは目をこすりながら台座付きの剣に手を触れる。

「さて、私は南の洞窟へと旅立つが……」

 レイは二の腕を震わせながらも、両手でその剣を持ち上げた。両手で剣を構えながら、マナの顔をちらりと見る。

「マナ殿はどうする? 待っているのか? 城へ戻るのか? それとも……」

「いきます。私も」

 マナはきっぱりとそう答える。

「大丈夫なのか?」

「私も、確かめたいから。本当の私がどっちなのか」

 マナの目はまっすぐ前を見据えていた。


 メルニの村から南。そこには薄暗い洞窟が存在した。鍾乳洞のようで、明かりを照らせばやや神秘的ではあるが、水の落ちる音はやや不気味でもある。しかし、魔獣が住んでいるのは間違いないようで、所々にたいまつが壁に設置されている。また、何かを食い荒らした痕跡も至る所にある。それにやや腐ったようなにおいもする。魔獣が住んでいるのは間違いないようだ。

 だが、その洞窟を進む二人はある疑惑を覚えていた。

「おかしい。さっきから魔獣の姿がまるで見当たらない」

「はい……。村で聞いた話とやや異なりますね」

 洞窟に入ったのに、魔獣とまだ出くわしていない。

 村人の話ではこの洞窟には魔獣がゴロゴロいるはずだが。それに、昨日もマナは近隣で魔獣に襲われたくらいだ。ここら辺の魔獣の住処でありそうな感じはするのだが。

「ふ、さては、勇者である私に恐れをなして逃げ出したか」

 レイは誇らしげにそう言う。一方で苦笑いをするマナ。相変わらず自分の事を勇者だと思っているわけだが、勿論未だに台座から剣を抜けてはおらず、剣は引きずっている。石の地面に引きずっている為、ガラガラガラガラという甲高い音が響き渡っている。少しうるさいくらいだ。

「というか、その音のせいで魔獣たちが警戒しているのでは?」

「はは、何を言っている。音で魔獣たちが警戒するなどあるわけがない。やはり、勇者である私が来たから恐れをなして」

「おいてめーら、というかそこの男」

 と、言っている傍から二人の前に魔獣がぞろぞろと立ちはだかる。

 蛇や蛙、蠍、蜘蛛のような容姿をしたやや不気味な魔獣が系10体ほど。なかなかの数である。だが、そのうちの先頭にいる蠍のような魔獣は、こう言い放った。

「さっきからその引きずる音すっげえうるさいぞ! 眠れねーだろうが!!」

「完膚なきまでに叩きのめすべく、仲間を集め、ここで貴様らを叩き潰す!」

「おかげで一族総出だ! 覚悟しろ!! この睡眠妨害野郎どもめ!!!」

「ええ……」

 どうやら、本当にレイの持つ剣の引きずる音がうるさいのが原因だったらしい。確かに、魔獣は基本的に夜行性。昼間は眠っている事が多い。だから、引きずる音で目を覚まし、睡眠妨害をされて腹を立てた魔獣は、仲間を集めて一気に叩き込もうと画作していたようだ。

 つまり、この男が剣を引きずりさえしなければ、こんなに囲まれることはなかったという事になる。

「魔獣め! なんと卑劣な!」

「いや、あなたが剣を持てないからです」

「おのれ、許さんぞ魔獣どもめ!」

「うん、私からすればこうなった原因のあなたも許せませんけど」

 魔獣が数体ずつ襲い掛かってくるならまだ対処できなくはないが、一気に10体以上ともなると話はだいぶ変わってくる。数で明らかにこちらが不利なのだ。剣を引きずる音のせいで睡眠妨害されたと腹を立てた魔獣たちが仲間を集めてこんな事態になってしまった。マナからすればいい迷惑である。

「野郎ども! あの男をやっちまえ!!」

「「「うぉおおおおおおおおおおおお!!!」」」

 魔獣たちの狙いはこの二人。なのだが、優先して魔獣たちのヘイトを買っているのはあくまでもこの男のようだ。

「下がっていろマナ殿」

「え?」

「こんな卑劣な輩、神官様が出るまでもない。私一人で十分だ」

「いや、そうなったのはあなたのせい!」

「私は怒ったぞ! 許さん! 許さんぞ魔獣どもめ!!!」

「ええ……」

 レイは一人で勝手に熱くなっているようで、襲い掛かってくる魔獣たちに一人で攻め入っていった。だが、レイが手にしているのはあくまでも伝説の剣。神々しい光を纏いながら、悪しき魔獣たちをいとも簡単に一網打尽に……

「睡眠時間を返すのだ人間!」

「痛っ! 痛いぞ魔獣め!」

「睡眠妨害反対!」

「痛っ!! 後ろからとはなんと卑怯な! 一人ずつかかってこい!」

「ええ……」

 マナには目もくれず、レイを囲い込んだ魔獣たち。そして隙を見て後ろから殴るなり蹴るなり、とにかく鬱憤を晴らすかのように攻撃を加えている。そして、それを卑怯で卑劣と答える自称勇者のこの男。あくまでも魔獣を浄化しに……殺しに来たわけだ。

 魔獣も魔獣で抵抗するなり、寧ろ返り討ちにするなりして人を倒せば良いごちそうになる。つまりお互いに生きるか死ぬかの殺し合いなのだ。この殺し合いにおいて、そこには卑怯も卑劣もない。はずなのだが。

「ええい! 卑劣な魔獣どもめ! 恥を知れ!」

 この男はそのことをまるで理解していなかった。ある意味、真っ直ぐで勇者らしいのかもしれないが、極端な話、馬鹿である。

 思わずマナはため息をついた。

「私の心を確かめる……なんて悠長なこと言っていられそうもありませんね」

 このまま放置しておけば、レイの命が危ない。魔法で援護すればレイを助けられる可能性は大いにある。

「まあ、もっとも今は襲ってきた魔獣を相手取っているだけ。今は問題ありません」

 マナは杖を掲げ、目を閉じた。だが、その瞬間だった。

「うわぁあああああ!」

「ぐぁああああああ!」

 レイを取り囲んでいる蛙の容姿をした魔獣が次々に緑色の光に包まれ、浄化されていく。

「え? いったい何が……?」

 まだマナは何もしていない。魔法を出そうと杖を掲げただけだ。だが、マナが魔法を出す前に、レイを取り囲んでいた蛙の魔獣が次から次へと浄化され、やがて蛙の魔獣は全ていなくなった。

「い、一体何が起き……うぁあああああああ!!」

 今度は蛇の魔獣が次から次へと浄化されていく。マナは何もしていない。そして、レイも剣を構えてはいるものの何かしている様子はない。にもかかわらず、魔獣が次から次へと浄化されていく。だが、この状況にマナは一つ心当たりがあった。

「この魔法……もしかして即死魔法?」

 マナはそう呟く。これは魔獣が即座に浄化する呪いのような魔法。だが、マナはこの魔法は使えないし、そもそも使える者を知らない。とは言え、マナはこの魔法について文献で見た事ならあった。

「太古の時代。魔王が人間を侵略し、伝説の勇者が存在した時代。その時に、勇者の味方に魔獣を即死させる魔法の使い手がいたって国の文献で見たことあるけど、まさか、これ」

 マナは目の前の光景に目を疑う。今度は、蜘蛛の魔獣が次々に浄化されていく。やがて……

「ひ、ひぃいいいいいああああああああ!!!」

 先頭に立っていた蠍のような魔獣も消えうせる。レイを取り囲んでいた魔獣は全て浄化されてしまった。

「この魔法……ち、アイツか……」

 剣を地面に突き刺し……いや、台座を地面に置き、柄に手を添えながらレイはぼそり何かを呟く。レイの元へと駆け寄るマナには聞こえてはいない。

「あ、大丈夫ですか?」

「ああ。問題ない。マナ殿も無事か?」

「ええ、なんとか。でも、今のは……」

「気にするな。それより先を急ごう」

「き、気にするなって……。ええ……」

 魔法を嗜む身としては、伝説の勇者に憧れる一人としては、今の伝説の魔法を、特に伝説の勇者の仲間が使っていたらしい魔法が発動したことに対して、気にしない方が無理なのだが……。

 ガラガラガラガガラ ← レイが剣を引きずり歩く音

「ちょ、ちょっと待ってください! て、また引きずってるし! もう、本当に何なのあの人!」

 そんなことを気にも留めず、何事もなかったかのように、いや、まるで何かから逃げ歩くように先を急ぐレイ。マナも渋々と先を急いだ。だが……

「全く、我が王の酔狂にも困ったものなの。アタシだって、魔力が膨大にあるわけではないの。ぷんぷん!」

 背後で何者かの声がしたことに、マナは気が付きはしなかった。


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