第3話

「はぁ……はぁ……やっと、出れた」

 森林を抜け出したものの、制服がボロボロになり疲労困憊した女神官。空は既に赤くなり、風も冷たくなっていた。

「早く……早く城に……」

 夜が近い。夜になれば魔獣も蔓延ってしまう。さっきの魔獣の事もある。この付近は魔獣が出るのは明白。何よりも、伝説の剣が無くなっている事を知らせなきゃならない。マナは早急に城に戻る必要があった。だが……。

「ケケ、女ぁ」

「女だ、女がいるぞ」

「旨そうだなぁ、ケケケ」

 あくまでもこの世界は魔獣が存在する世界。森林に行く道中は順風満帆に進んだからと言って、帰りもそうだとは限らない。

「ま、魔獣!!?」

 現れたのは三体の魔獣。さっき倒れていた鬼のような巨体の魔獣とは打って変わり、小さな図体。とはいえマナと同じくらいの大きさはある。鋭い爪をもち、舌が以上に長い蛙のような魔獣だ。蛙のようだからと言って、その容姿は決して可愛くはない。目つきは鋭く、顔は舌で洗いまくったのか、唾液でべたべたしている。黒い羽毛に黄色い斑点が至る所についた不気味な容姿である。

「くっ、どきなさい! さもないと……」

 マナは杖を構える。一方の魔獣たちは余裕そうにケラケラと不気味に笑っている。

 道ではない道を行ききし、衣服がズタボロになりながらも、マナは目を閉じ、杖を掲げる。小さな光の玉が三つ、それぞれ三体の魔獣へと直進する。

「んな!?」

「ケケケ、こいつはぁ美味だなぁ」

 だが、驚くべきことに、蛙のような魔獣は、その光の玉を長い舌でくるんで、口の中へと入れてしまった。

「魔法が……効かない!? いや、それどころか食べたの!?」

 疲弊しているから、魔力が低下した。いや、そんな事はない。確かにマナは疲弊こそしてはいるが、その程度では神官の地位には上り詰めることはできない。

「はぁ!」

 マナは再び、3つの光の玉を空中に出現させ、それを魔獣に向かってぶつける。今度は三体にではなく、真ん中にいる一体に集中砲火である。だがしかし……

「うっへっへっへっへっへ」

 長い舌を上手く使い、魔獣はその光の玉を次から次へとくるみ、それを体内へと入れていく。

「……っ!」

 マナは額から汗を流し、今一度杖を掲げる。今度はさっきとは比べ物にならないくらい、大きな光の玉が空中に現れる。人一人分くらいの大きさの巨大な光の玉は、光り輝かせながら今度は三体のうち左の魔獣に向かって突き進む。この大きさなら食べられない。マナはそう確信していた。

「いただきます」

 だが、そんな思いもよそに、魔獣は舌を伸ばし、巨大な光の球を縛り、それを口元へと運ぶ。

「う、うそ……」

 そして、その図体からは考えられないくらい、大きく口を開く。その巨大な球を取り込むために。口が裂け、魔獣の身体はやや引きちぎれ、血も吹き出す。だが、そんなことを気にせずに、巨大な光な球を魔獣は見事に体に入れてしまった。

「げぇっぷ。これはうめぇぞ、もっとくれよ」

 巨大な光の球を取り込んだ魔獣は、心なしか、さっきよりも大きくなっている。マナと同じくらいの大きさだったはずなのが、マナよりも一回り大きくなっていた。

「私の魔法が……効かない……」

 その光景を目の当たりにしたマナは、思わず身体を震わせる。国の上流階級、それも神官ともなれば上から数えた方が圧倒的に早い階級。そこに行きつく者ともなれば、魔法も魔力もそれなりに強い。騎士団なしで、一人で調査に来たのもそれなりの自身があったからである。だが、目の前にいる魔獣はそんな神官の魔法をあっさりと耐え抜いてしまった。つまり、マナにはもはやなすすべはないのである。その事実をマナの心に剣となって突き刺す。

「そん……な……」

 さっきまでの威勢はどこにもなく、ただただ怯える一人の人間のメスと化していた。

「もっと、魔法を送れよぉ、お姉さんよぉ」

「くれよぉ、お姉さんよぉ」

「い、いや……! いやっ……!」

 顔をしかめながら、身体を震わせながら、マナはその場から逃げだす。だが、この魔獣はエサをみすみす逃がすほど甘くはなかった。

「いやっ……いやぁあ!!」

 両端にいた魔獣の舌がそれぞれマナの手を掴み、マナの両手をぬめぬめとした舌が拘束する。思っていたよりもずっと舌の力は強く、マナはもがいてももがいても舌は離れようとはしない。更には、杖まで落としてしまい、抵抗できなくなってしまう。

「ひっ……!」

「おねえさぁん、もっと魔法を送れよぉ」

 手を真上へと上げられ、身体が無防備になる。そんなマナの豊満な身体を巨大化した魔獣の舌に舐められる。

「ん……、んん……」

 魔獣の舌は、頭から順にゆっくりと、マナを弄ぶかのように舐めていく。

 マナの魔法は一切効かない。そして、この抵抗が出来なくなった状況。

 もはや、完全なるマナの敗北であった。

「わ、私は……こんな……こんなところで……」

 魔獣の舌に弄ばれながら、マナは思わず涙を流す。身体を弄ばれているから泣いているわけではない。任務を全うできずに、そして、自身の願いを果たせずにこんなところで死ぬかもしれないという事が悔しくてたまらないのだ。必死に抵抗して身体を動かそうにも、舌の力が想像以上に強い。何もできないのだ。

「こんな事なら、あんな奴らに頭下げてでも……来てもらえば……」

 虚ろ目になっていくマナはとっさにそう口にする。確かに、一人じゃなくて、複数人で。少なくとも王国の騎士団に護衛を頼めばこんな事にはならなかったかもしれない。

 だが、時は既に遅い。

「んん……っ、んんん……っ!!」

 魔獣の舌の動きに合わせて、マナの身体は反応していた。

「いや、絶対にダメ。それだけは……」

 だが、マナの心は反応しなかった。

 マナは首を大きく振り、目をギューッと閉じた。

「あんな奴らにペコペコするくらいなら……いっそ、ここで死んだ方が……いや」

 マナは再び首を大きく振り、前を向く。

「死ぬなんてダメ。私には、守らなくちゃいけない人たちが、助けなきゃいけない人々がいるから! だからこんなところで……死ねない!」

 そうはいっても、マナ一人の力じゃこの状況はどうにもできなかった。ケラケラと笑いながら、魔獣はマナの身体を舌で弄び続ける。この状況を打破するには、助けが必要だった。

「お願い……誰か……。誰か……」

「ケッケッケ、もういいや、お前を食う~~」

「……っ!? なっ……」

 魔獣は大きく口を開き、舌を使って、マナの身体をぐるぐる巻きにする。そして、そのままゆっくりと引きずり込まれる。

「そんな……こんな……こんなとこで……」

 再び涙を流すマナ。

 引きずり込まれながらも、マナはギューッと目を閉じる。そして、それを口にした。

「助けて……勇者様……」

 だが、そんなマナの声を嘲笑うかのように、魔獣はこう言い放った。

「ケケ、勇者なんてこの時代にいるわけがな」

 ゴツッ ← 思い切り殴られるような音。

「ぎぇあぁあああああ!!」

 魔獣は突如として悲鳴を上げ、同時にマナを離した。

「くっ……」

 勢いよく舌から離れたマナの身体は、そのままゴロゴロと地面を転がる。舌が離れ、身体が自由になったマナは、ゆっくりと身体を起こし、目の前の光景を目の当たりにする。

「え……」

 マナの目の前で、マナを庇うかのように立っていたのは、黒いマントを見に纏った紫色の短髪の男。右耳の上は逆立った癖毛が風に合わせてユラユラと揺れていた。

「な、なんだお前……ぎゃぁああああ!」

 そして、さっきまでマナの豊満な身体を舌で弄んでいた巨大化した魔獣は、見覚えのない謎の男によって一方的に殴られている。だが、マナが気になったのはその男の存在ではなく、その男が手にしていたソレだった。

「あ、アレって、もしかして……」

 その男が手にしていたのは、さっきマナが調査した森林の奥の聖域にあるべき物。伝説の剣である。緑色のオーラを纏い、神々しく光り輝いていた。

 ……一点を除いては。

「台座……?」

 マナは思わずそう口をこぼす。

 やはり、その男が持つ剣の先には、台座と逆さに書かれた大きな岩のようなものが突き刺さっていた。それは紛れもなく、伝説の剣を封印していた台座そのものだとマナは確信した。

 つまり、この男は伝説の剣を抜いてはいないのだ。

「ふん!」

「ぐぁああああああ!」

 男が手にしている伝説の剣によって、魔獣は殴り飛ばされる。斬られるのではない。殴り飛ばされるのだ。

「ふ、相変わらずいい切れ味だ。流石は伝説の剣」

 男はニヤリと笑いながら、そう呟く。

 一方で、さっきまでマナの身体を弄んでいた下衆な魔獣は、緑色に光り輝き、そのまま消えうせた。つまり、浄化されたのである。

「え、ええ……」

 目の前にいるその剣を持つ存在に見入っているのか、それとも、その剣の姿を見て困惑しているのか。おそらく後者の方が大きいとは思うが、マナはとにかくその男が戦う姿をポカンと口を開けてみている。

 だが、一方、その様子を見て、他の二体の魔獣は怒り狂いだす。

「きさまぁあああ! きさまぁああああああ!」

「グシャァアアアアア!」

 奇怪な雄たけびを上げ、蛙の魔獣は二体同時に男に飛びあがり、そのまま襲い掛かる。だが、その男は両手で剣を後ろに構え、不敵に微笑んだ。

「勇者に挑もうとは、勇敢な魔獣どもよ。だが……」

 男は身体を回転させながら、その要領で伝説の剣をぶん回し、魔獣二体を同時に殴り飛ばした。殴る時にはやはり、ゴツン! という鈍い音が響き渡っていった。

「「ぐぁああああ……!」」

「相手が悪かったようだ」

 二体の魔獣も体が緑色の光に包まれ、そのまま消えうせた。見事、男は魔獣を浄化せしめたのであった。

「ふう。やれやれだ」

 男は二の腕をプルプルさせながら、剣をその場に置く。そして、額から零れ落ちる汗をぬぐった。

「魔獣退治も楽じゃないな。やはり勇者は大変だ。そう思わないか?」

 ニイッと笑いながら、男は座り込んでいるマナに微笑みかけた。

「え……あ、え……」

 だが、戦いの様子をいていたマナは……思考が停止していたようだ。

「大丈夫か? む? 服がボロボロじゃないか。コイツは大変だ」

「あ、ああ、た、助かりました。ありがとう。本当にありがとう」

 マナは男に頭を下げる。だが、我に返ったマナは、すかさずそれについて聞く。

「あ、あの……あなたは? というか、その剣」

「私はレイ。そしてこの剣はだな、最近、魔獣が蔓延っているからな、いかん!って思って、今朝がた、聖域に入って、抜いた」

「ぬ、抜いた……? え、ぬい……?」

 マナは思わず剣に目線を送る。剣の先端部分は逆さに【台座】と書かれた岩が突き刺さっている。

「そう。私は選ばれたのだ。伝説の剣に」

「え、選ばれ……え?」

 マナは今一度、レイと名乗る男が置いた伝説の剣に目を送る。伝説の剣は神々しく緑色のオーラを纏って光り輝いてはいるものの、先端部分は岩に突き刺さったままだった。

「いや、あ、あの……」

「なんだ? 申してみよ」

「で、伝説の剣って、あんな形でしたっけ? なんか、ハンマーみたいな……」

 そう、レイが手にしているそれは、剣なのかもしれないが、剣の形はしていない。先端の部分は未だに台座が刺さっている為、まるで、ハンマーのような容姿になっている。

「そうなんじゃないか? よくわからんが」

「よくわからんて……」

 マナは思わずため息をついた。それもそうだ。まず間違いなく、あの剣は、抜けていない。剣は台座に突き刺さったままなのだ。かつて魔王を倒したとされる伝説の勇者が建国したブレイブ王国。その神官であるマナは当然ながらそのことを理解していた。

「あの、私、ブレイブ王国の神官、マナって言います」

「神官? ブレイブ王国の?」

「はい。助けていただいてありがとうございます。でも、あなたには聞きたいことが山ほど……ムゴッ」

「しっ! 静かに!」

 レイに口をふさがれマナ。一方で、何か辺りをキョロキョロ見渡すこの男。

「む? 感づかれたか」

「え、何が……?」

「話は後だ。行こう。この先に私のキャンプがある。まずはそこに」

 そう言うと、レイは両手で剣を掴む。

「ぐっ……ぬぉおおおお!」

 力強い雄たけびを上げながら、レイは剣を持ち上げた。

「ええ……」

 まともに持ててないじゃないかと指摘したいところだが、助けてもらった身である以上、強くは言えない。そのことがもどかしくて仕方がないマナの口からはただただ困惑の気持ちが現れる。

 とはいえ、王国の神官としてはこのままレイを城に連れていかなければならない。事情徴収する為にも。だが、マナは、今はレイに従うことにした。

 もう日も暗い。魔獣が蔓延る時間だ。さっきまで魔獣にいいように弄ばれていたくらいだ。それなりに疲弊もしている。このまま王都に戻ろうにも、今一度、魔獣と出くわしたら今度こそ死ぬ可能性だってある。

「行こう。キャンプはこの街道のすぐ西にある村にある」

「はい、わかりまし……え、村? 村でキャンプ?」

「ああそうだが、何か?」

「え、宿を貸してもらうとかではなく、キャンプなのですか?」

「その通りだが、何か?」

「い、いや、別に……」

 本当はある。言いたいことが。色々と。

 だが、色々と追い付かない。そんな様子でマナは顔を引きつらせている。

「さて、では行こう」

「は、はあ……」

 台座から抜けていない剣をまともに持てない自称勇者が台座ごと引っこ抜いて現れた。その事実を前に、伝説の勇者に憧れていたマナの頭脳は再び思考停止していた。

 兎にも角にも、伝説の剣を手にした存在が、目の前にいる。国の神官の一人としては、野放しにしておくわけにはいかない。

 監視の意味も込めて、マナは杖を拾い上げ、今はレイについていく事にした。

 だが……

 ズゾゾゾゾゾゾゾ ← 剣に突き刺さっている岩が地面にひきづられる音。

「あ、あの、引きずってますけど……。あ、あの? あのー? ……もう何なのあの人!」

 それ以上に、伝説の剣が変な事に使われないかどうかの方が心配なマナであった。

 その一方で……。

「ううう……感づかれた。相変わらず逃げ足だけは速いの」

 何者かの声が聞こえてきたことを、マナは気が付いてはいなかった。

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