第7話 眼
次の日の朝、突然モーニングコールのように携帯がなった。
会社の田中秀夫取締役からの着信だった。
今は興行などイベントが自粛されており、プロレスラーの本来の仕事である練習も出来なくなる環境が続いていた。会社からは各自自宅にて自主練のお達しが出ていた。自宅となれば自身の体を負荷した自重トレーニング中心になるが、プロレスラーにとって大きな体を維持することが非常に難しい。よく前島は先輩レスラーに
金になる体は金をかけてケアしろ。俺たちは裸一貫で稼げるんだからそれぐらい気をつかえよ。
といわれていた。ジムなど最新トレーニング機器を使った体は筋肉の膨らみと筋肉のカットなど見栄えが全く違う。昔の力士、横綱千代の富士や大関霧島などはトレーニング機器を使って肉体改造し一時代を築いた。千代の富士のトレーニングは自身の肩の脱臼癖を克服するため筋肉の鎧を纏っていたとされる。プロレスに目の肥えた常連客は体つきでトレーニング内容がわかってしまう場合もある。前島はプロレスラーとしてリングに上がる際はパンプアップされた体で試合をしなければリングに上がれないものであると、先輩レスラーに洗脳され続け、そう感じていた。
「これから事務所にこれるか?前島。」
「はい。1時間ぐらいで行けます」
と一言田中取締役と言葉を取り交わし電話を切る。
きっと緊急事態宣言が解除になり、延期になっていた会場で興行がうたれ、自分の試合も組まれたかと思いつい嬉しくなった。
神楽坂を登り切ったあたりに事務所がある。建物のエレベーターの一階で丸坊主の青年がいた。礼儀正しく挨拶してくる。体の線が細く身長も大きくないのでプロレスラーの新弟子ではないことは一目でわかった。この建物の一階は割烹料理店でエレベーターがある方は裏口にあたり、よく見習いの若い衆とすれ違う、坊主頭の見習い板前は清潔感があり真剣な眼差しは新弟子の自分を思い出し懐かしく想う。
打ち合わせルームに入ると、すぐ田中取締役が入室してきた。
「どうだ。調子は。少し変わった仕事だが、やれるか。」
「押忍。相手がいてプロレスラーとして戦えるならいつ何時でも」
前島はいつも試合を知らされるとお決まりの文句を言う。
「実は今流行のYouTubeで裏プロレス的な試合を受けることになった。相手は他団体だ。一試合で実験的に行う。まだ相手は未定で視聴者が投票で見たいカードを候補から選んで、無観客試合をネット配信でやる。有料放送でファイトマネーは200だ。会社として前島で受けるつもりだ。しかし問題がある。」
「なんでもいいすよ。うけて下さい」
前島はその問題を聞く前に決めている。試合と聞いた瞬間から体の火照りを押さえられず武者震いさえしていた。数ヶ月ぶりの戦いで血に飢えるようであったのだ。
「候補の中にはレスラー以外の格闘家がいる。そうなるとガチンコになるぞ」
前島は黙って大きく頷いた。
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