第02話 現状把握とこれから
自分が駅に倒れていた、もとい、寝ていたという事実に頭を抱える。ふらふらと歩きながら、今は何時なのだろうと思い、ポケットを探る。しかし、そこにあるべき携帯電話は無い。
そして気づいた。カバンを持っていない。何やってんだよほんと。
血の気が引き、頭が真っ白になる。が、絶え間ない頭痛と吐き気によって、パニックに陥ることは無かった。思考が停止しそうになりながらも、ひとまず所持品を確認することにした。ポケットを探ると、交通系ICカード、目薬が見つかった。右手には傘が握られている。なんで傘があってカバンが無いのだ、と憤る。その憤りは、波のようにやってくる頭痛によって雲散霧消した。自動改札機の方を見ると、円形のアナログ時計と電光掲示板が視界に入った。それが指し示す現在時刻は五時。恐らく午後ではなく、午前だろう。緑色の看板に白文字でデカデカとS駅と書いてある。何故ここにいるのか。昨晩のことを思い出そうとしても、明確に思い出すことはできない。今思い出せるのは、断片的な飲み会の記憶と大量にお酒を飲んだという事実だけだった。飲み会は昨日の午後七時から始まったはずだ。空白の十時間、俺は何をやっていたのだろう。飲みすぎによって記憶を無くし、駅で寝ていたという予想は、自分の頭痛と吐き気、そして口臭によって裏付けられた。口臭と喉の渇きに気付いたのと同時に、自身の身だしなみが気になり、化粧室に向かった。
駅構内の化粧室特有の臭いと湿り気に再度吐き気を催す。それを無理矢理抑え込み、小便器に向かう。機能的に作られ、色も白、黒、灰色に統一された化粧室には、壁際に沿うように大量の小便器、五つの個室、入り口付近にパーテーションで仕切られた三つの手洗い場が設けられていた。ひとまず用を足すことにした。どうして公共の男性小便器の足元はいつも濡れているのだろうかと、どうでもいいことに気を向ける。手洗い場に向かい、鏡を直視した。二十代半ば年相応の丸顔には疲労が色濃く残り、幾分か青白く見える。右頬骨付近には擦り傷がついていた。触ると、既に擦り傷は乾いていた。伸びた無精髭を撫でる。目は僅かに充血し、そういればコンタクトレンズを入れたままであることに気付く。短く切り、額の前に下げられたくせ毛混じりの黒髪は、めちゃくちゃな方向を向いていた。前髪を左手で流し揃える。擦り傷はあるが、大きな怪我を負っているわけではないことを確認し、胸をなでおろす。記憶が無いと、自分がどういう経緯であの状況に陥ったのか全く分からない。どうやってあの場で寝ていたのか、倒れこむように寝たのか、きちんと膝をついてから横になったのか、それとも突き飛ばされたのか。駅でうつ伏せに寝ていたという事実は様々な憶測を呼び込む。さらに、カバンが無いという事実にも恐怖を覚える。鏡の自分の頭の上に他の人の顔が見え、慌てて手洗い場を譲り、化粧室を出た。
どうしようもない絶望感と喪失感からその場に座り込みそうになるが、それを寸でのところで押し留める。ここで座ればもう動けない。傘に力を込めて気力で立ちながら、自分の服装を確認する。濃紺のジーパンにグレーの無地のTシャツを着ている。これは昨日家を出た時の記憶通りだ。ところどころ黒く汚れているのは、床で寝ていたからだろう。汗で体に服がまとわりつく、ギトギトとした感触がある。シャワーを浴びて、頭と体を休める場所が欲しい。とにかく家に帰らなければ。幸いにもICカードは持っている。本当に不幸中の幸いである。そして、目の前の自動改札機を見る。S駅からなら電車に乗って一時間で最寄り駅に着くはずだ。問題は一つ。ICカードにお金が入っているかどうかである。入っていなければここでゲームオーバー。壁際に座ってでも眠りこもうとするほどには、体力の限界を迎えている。俺が再起動するのは何時間か後になるだろう。よろける足元を杖代わりの傘で支えながら、自動改札機へ向かう。ご丁寧にもピカピカと光りながら触れる箇所を示してあるそれに、ICカードを叩きつける。
――ピッ
と通行許可の音が鳴り響き、申し訳程度に目の前を塞いでいた二枚の扉が開かれた。停止寸前の頭は何の感慨も覚えることなく、体だけが前に進んでいった。
時刻:午前五時
所持品:交通系ICカード、目薬、傘
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