第13話 けっこう好きです

 冬の夕暮れは早い。ついさっきまで空を茜色に染め上げていた昼の名残なごりはすっかりと影をひそめて、砂粒のような光が天球に散りばめられた夜へと変貌を遂げていた。


 星明かりだけが照らす薄暗い廊下。普段とはまるで違う顔を見せる校舎の中を、拓海たちはカメラや望遠鏡といった機材を取りに行くために部室へと向かっている。リノリウムの床を歩く音がまるで教会の中にいるかのように反響していた。


 昼間の学校では感じることができない、どこかおごそかな雰囲気。この雰囲気を感じられるのは天文部に入った特権だと拓海は思っていた。


「私、夜の学校って苦手なんですよねェ……。ほら、なんかオバケが出そうじゃないですかぁ」


 しかしどうやら楓はそうではないらしい。せわしなくキョロキョロと顔を動かして拓海の服の袖をそっと掴んでいた。


「そうか? 俺は好きだけどな。静かだし、なんか特別な場所にいるって感じしないか?」

「そんなのしません。怖いだけです」


 真顔で答える楓。本当に苦手らしく、強張こわばった表情でビクビクと震えている姿は普段の様子とかけ離れていてなんだか面白い。嗜虐心しぎゃくしんがくすぐられて何か怪談話でもしようかと思ったが、あとの報復が怖いので自重した。


 代わりに、「今まではそんなに怖がってなかったじゃないか」と言うと、「私にも意地というものがありますから」という訳のわからない答えが返ってきた。そしてふと思い出したように楓は付け足した。


「あ、でも屋上からの眺めはけっこう好きです。この学校って高台にあるし夜景が綺麗だから」

「確かに屋上からの眺めはいいよな」


 もっとも拓海はいつも夜景よりも星空の方に心が奪われていたから、あまりよく見たことはないのだが。それでも時折視線を落としたときに見えるその光景を思い出して同意を示した。


「ってかそんなに怖いんなら先に屋上に行っててもいいんだぞ? 別に機材は俺だけでも運べるしな」

「バカですかセンパイは。あんなところに一人でいたら死ぬに決まってるでしょ。少しは考えてモノを言ってください。だからセンパイはダメなんです」

「……」


 酷い言い草である。せっかくの配慮が台無しだ。しかし強がっているのは明らかで、震える楓の様子を見ると強くは言えなかった。


「……夜景が綺麗だから屋上は好きなんじゃないのか?」

「だからと言って一人で過ごせるわけないでしょ。先輩は殺し屋がくるかもしれないという状況で呑気に星空を見れるって言うんですか?」


 実に錯乱した人間が発しそうな訳のわからない返答だった。拓海は首を振ってため息を吐くと、楓のその震える腕を取って言った。


「……ならさっさと行くぞ。ほら、怖いんなら引っ張ってってやるから目をつぶっとけよ」

「い、いきなり触らないでくださいよ! オバケかと思ってビックリしたじゃないですか!」

「バカ。この世にはな、宇宙人はいてもオバケなんてもんは存在しねえんだよ」

「気休めはやめてください! そんなの先輩に分かるわけないじゃないですか!」

「分かるさ。だって考えてもみろよ。もしも本当にオバケなんてもんがこの世界にいるとしたら、それは死んだ生き物の数だけ存在することになるんだ。だとしたら、こんな空間なんか全部オバケで埋め尽くされているはずだろ? ほら見ろよ、お前の後ろにだって——」

「——いやぁぁぁあああ!!!」

「ぐふ!」


 振り回された楓の腕がお腹にクリーンヒット。悶絶する拓海。


「な、なにすんだよ……!」

「せ先輩が変なこと言うからです!! 最低!!」


 怒った楓はひとり闇の中へと消えていく。だがもちろんそんな状況に楓が耐えられるはずもなく、すぐに戻ってきた楓は顔を背けながら拓海に向かって手を出して、ぼそりと囁いた。


「……手」

「あん? なんだって?」

「だから! 繋いでくれるんでしょ! 手!」

「あ、ああ……」


 そんなこと言っていないと思いながらも、拓海は楓の差し出してきた手を掴む。冷たい小さな手だった。


「……なんか頼りないです」

「ならさっきみたいに振り払ってくれてもいいんだぜ?」

「けどまあ、我慢します。……ないよりはマシですからね」


 それから言い訳や不満をこぼし続ける楓を引きずりながら、拓海は部室への短く長い道を歩いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る