第7話 触れることすら
全てを変えてしまう言葉を口にした雪菜は立ち上がり、少しだけ離れた場所まで歩いて行った。
拓海はそんな雪菜の姿を黙って見つめる。
天体観測に最適だと
「それって、俺の知ってるやつ?」
「……うん」
頷く雪菜はいったいどんな表情をしているのだろうか。
知りたいと思うと同時に、知りたくはなかった。
「あー、えーと、誰なのかは……訊いていいのか?」
動揺を悟られないよう、声が震えないよう必死で制御して、拓海は言葉を絞り出す。
あるいは、と。
あるいは……もしかしたら、遠回しの告白なのかもしれない。
煮え切らない拓海のことを
そんな馬鹿みたいな期待が頭をもたげる。
でも。
「……
そんな都合の良いことなんてあるはずもなくて。
恥ずかしそうに雪菜が紡いだのは、同じクラスの、別のヤツの名前。
「赤城、か……」
呟いて、一瞬でそいつの情報が次々と頭に浮かんでいく。
——
拓海たちと同じクラスで、野球部のキャプテンだった男。爽やかなイケメンで、男女分け
不思議、ではなかった。むしろ納得しそうになる自分が嫌だった。
「それで……それをどうして俺に?」
「……」
黙っている雪菜を見て、再び拓海の胸にある疑念がわきあがる。
もしかすると、雪菜は気がついているのだろうか。
拓海の気持ちに。
気づいているからこそ、自分の恋心を伝えることで、やんわりと拒絶しているのだろうか。
それなら、それでもいいと拓海は思う。悲しいけれど、友達のままでも一緒にいたいと思ってくれているということなのだから。
しかし時として、事実は想像よりも残酷なことを拓海はまだ知らなかった。
「……協力、してほしいの」
「え……?」
脳が理解を
いま雪菜はなんと言ったのだろうか。
聞き間違いであってほしいと願う拓海に、しかし雪菜は再び告げてくる。その残酷で、無情で、泣きたくなるような言葉を。
「わたしと赤城くんが上手くいくように、拓海に協力して欲しいの」
「……」
言葉は鋭利な刃物よりもひとの心を刺すという言葉を聞いたことがあったが、拓海はいまそれを本当の意味で理解していた。
「もうすぐ受験本番だっていうのに勝手なこと言ってるっていうのはわかってる」
雪菜の口から紡がれる言葉のひとつひとつが拓海の心を
「でも、もう卒業まで時間がない。卒業したら、きっともう会うことだってなくなる。けど諦めたくないの。このまま何もせずに卒業するなんて、絶対に嫌」
矢継ぎ早に掛けられる言葉が、まるでちらついた雪のように拓海の気持ちを重くしていく。
「だけどわたしと赤城くんに接点なんてない。いきなり告白なんかしても、きっとフラれるだけ」
最後に、雪菜は拓海のもとまで歩いて来て言った。
「だからお願い、拓海。わたしを助けて」
「……」
何の言葉も発せないままに、拓海はゆっくりと空を見上げた。月が輝く群青のなかを、ベテルギウスがひときわ赤く燃えていた。血の涙に似た光だった。
「……本気、なんだな?」
こくり、と雪菜が頷く気配がする。
「いま行動しなきゃ、わたしはきっと後悔する。拓海がさっき言ってくれたように、そんなのはわたしの
冗談めかした言葉とは裏腹に、雪菜の声は不安げに揺れている。
よく知っているはずなのに、拓海の知らない雪菜の姿がそこにはあった。
知らず、拳を固く握りしめる。唇を痛いほど噛み締めた。
決断しなければいけなかった。
拓海は目を閉じて考える。
この場を切り抜ける最良の方法を。
そんなの、簡単だ。
雪菜の要求を跳ね除けるか、あるいは自分も告白してしまえば良い。
雪菜が好きだ、と。
そうすれば、まだ何かが起きるかもしれない。
たとえ振られるにしても、好きな女の子の恋路を助けるなんてふざけた苦行に比べれば、よっぽど良いに決まっている。
だけど。
「……わかった。協力してやるよ」
結局、拓海の口から出たのは承諾の言葉だった。
自分の情けなさに反吐が出そうになる。五秒も経たずに、撤回したい気持ちが湧き出てきた。
でも。
「ほ、ホントに……?」
ほっとする雪菜の声を聞くと、もう無理だった。動き出した歯車は止められない。
「……つってもあんま期待すんなよ。俺だって赤城と特別に親しいってわけじゃねえんだ。せいぜい今度の観測会に誘ってみてやるくらいだぜ?」
「うん、ありがとう、拓海……ごめんね……無茶なこと言って……」
「いいって。雪菜には散々助けられてきたからな……良い機会だよ、借りを返す」
「……ありがとう拓海。ほんとに、ごめんね……」
冬の風が首元をさらっていく。訳のわからない感情に突き動かされ、気を抜くと叫び出してしまいそうになる心を押さえつけて、拓海はこの場を終わらせる言葉を口にする。
「んじゃ帰るか」
「待って。もうちょっと見ていきたい」
「……わかった」
それからしばらくの間、拓海たちは星を見続けた。
どちらも言葉を発することはない。
静寂の中でも、星たちは変わらない光で輝き続けている。
ふいに、拓海はそれに向かってそっと手を伸ばしてみた。
今度こそ掴めるかもしれないと思って。
けれど。
どれだけ手を伸ばしても、どれだけ近づこうとしても、それを掴むどころか、触れることすらできない。
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