第11話 晴れるといいな

『嘘! ほんとに!?』


 見事にミッションを完遂した夜、拓海は雪菜に電話をかけた。そうして誠司が観測会に参加することを伝えると、嬉しそうな声が返ってくる。拓海は苦笑して答えた。


「よかったな。あとは雪菜、お前の頑張り次第だぜ?」

『……うん。ホントにありがとね、拓海』

「いいって。そういう約束なんだからさ。そのかわり準備はビシバシ手伝ってもらうからな」

『あたりまえだよ! というか元々そのつもりだったしね。さすがに楓ちゃんひとりに任せるわけにはいかないもん』

「頼んだぜ。んじゃあそろそろ切るぞ。勉強しねえといけねえからな」

『あ、拓海……』

「ん?」

『……ううん、何でもない。勉強、頑張って』

「雪菜もな。じゃあ切るぞ」

『うん、ありがと。また明日』


 通話を終了させると、拓海は大きく息を吐いた。


「……はぁ」


 スマホをベッドに放り投げると同時に、自分の身体も勢いよくベットにダイブさせる。


 なにをやってるんだって自分でも思ってる。


 でも、本音を言えば、まさか誠司が受け入れると思っていなかったというのもあった。普通に誘って、普通に断られる。それで終わる気でいた。


 なのに。


「……何だよ、どうせ暇だしなって……お前が暇なはずねえだろ……」


 やり場のないいかりが音となって枕に消えていく。静けさが塩水しおみずのように全身をひたしていた。


 だるさを覚えた拓海はベランダに出ようと思った。今日もまた星が綺麗に見えるはずだ。


 しかし身体を起こしたところでスマホが震える。画面を見ると、また着信を知らせる通知。こんどは楓からだった。


『どうでしたか?』


 電話に出るとすぐに楓は訊ねてきた。


「参加するってさ。悪いな、部外者が増えて」

『それはいいですけど……はぁ、まったく真面目ですねェ先輩も。いくら雪菜さんから頼まれたって言っても、そんなの律儀に誘わないで断られたって言えばよかったじゃないですか』

「そういうわけにもいかないだろ? 雪菜は俺を信頼してたくしてくれたんだ。その信頼を裏切るわけにはいかねえよ」

『それを真面目だって言ってるんです! 普通好きな人の恋愛相談なんか受けたら心がぐちゃぐちゃになって、何もかもが灰色になるんですから!』

「……俺だってそうだよ。実際、楓が言ったようなことも頭によぎったしな」

『なら!』


 声をあらげる楓。きっと自分のためにおこってくれているのであろう後輩に感謝しながらも、拓海は冷静な口調で告げた。


「けどさ……楓は見たいのかよ? 好きなヤツが悲しむ姿を」

『それは……』


 勢いの弱まった楓に、拓海は電話越しにもかかわらず微笑んで言った。


「俺は見たくないんだよ。雪菜が悲しむ姿も、気丈に振る舞う姿も」

『……』

「だから、悪いな楓。せっかく心配してくれてるってのに応えられなくて」

『………はぁ、つくづく先輩はおひとよしですね。ま、センパイのそういうとこ嫌いじゃないですけど』


 あきれ切った声音こわねが続く。


『でも、ホントにいいんですか先輩。その道はきっと、バラ自身ではなく、バラの棘を掴みにいくようなものですよ……?』

「俺は、もう決めたんだ。たとえどんなに傷つこうとも、雪菜のことを応援するって。アイツから受けた恩に比べたら、俺の気持ちなんてスッポンみたいなもんだよ」

 

 そう言って、拓海は今度こそベランダに出た。これ以上の問答を避けるために、話題を強引に変える。


「今日は星が良く見えるぜ」

『は?』

「楓も見てみろよ。空が水みたいに澄んでてさ、星がすげぇ輝いて見えんだ」

『えぇ今からですか? もー、湯冷めしちゃうじゃないですかぁ』


 窓を開けているのだろう。ゴソゴソと動く音が電話口から聞こえてきた。文句を言いながらも付き合ってくれる。本当に可愛い後輩だった。


『うぅ寒い。あ、でもほんとだ。すっごく綺麗に見えますね』

「だろ? 見ろよ、オリオン座なんかまるで火球かきゅうみたいに輝いてるぜ」

『あははー好きですもんねェ先輩、オリオン座』

「楓はすばるが好きだったよな」

『ええ、星はすばると言いますしね。『星はすばる。彦星ひこぼしゆうづつ。よばひ星、すこしをかし。』です♪』

「へぇ凄いじゃねえか。よくそこまで知ってたな」

『ふふん、私は天文部の部長ですからね。あんまり見くびってもらっちゃ困ります」

「ははっ、そうだったな。悪かった」


 笑う拓海の耳に、穏やかな声が聞こえてくる。


『それに、先輩が教えてくれたんですからね』

「あん、そうだっけか?」

『そうですよ! まだいたいけな少女だった私を強引に外に連れ出してとりこにさせたのはどこの誰ですか!』

「おいおい、ひでぇ言い草だな。楓が勝手に堕ちただけだろ? 俺はただキッカケを与えただけだよ」

『ふふ、知ってますかセンパイ? 詐欺師はみんなそう言うんですよ?』


 拓海は笑う。心が洗われるようだった。


 それにどうやら自分の知識を他人にひけらかしたことは覚えていないものらしい。雪菜のことは言えないなと苦笑したあと、拓海は海よりも深い青を塗り広げられた夜空を見つめながら言葉をもらす。


「晴れるといいな、土曜日も」

『……』


 応答がない。


「楓? 聞いてるのか?」


 心配した拓海の耳に、ささやくような声が返ってくる。


『……本当にそう思ってるんですか?』

「なに言ってんだ、当たり前だろ? 年に一度の流星群なんだ。晴れてほしいに決まってんだろうが」

『……ま、いいんですけどね』


 その態度に拓海が何かを言うよりも先に楓は続けてくる。


『それじゃあセンパイ、このへんで失礼します。ホントに湯冷めしちゃいますから』

「ああ、悪かったな付き合わせて。風邪引くなよ」

『ふふ、もし引いたらセンパイには玉兎園ぎょくとえんのパフェを奢ってもらうことにします。それでは、おやすみなさいセンパイ。ちゃんと勉強もしてくださいよ? 人の恋路こいじにかまけて、肝心の受験に落ちたら一生バカにしますからね』

「わかってるよ。おやすみ、ありがとな」


 部屋へと戻った拓海は机に向かう。それから参考書を開いて頭を切り替えた。


 なみが寄せ返すように時計がチクタクと音をかなでていく。


 時刻は東の空に半分の月がのぼり始めた深夜。熱力学ねつりきがくに関する応用問題を解き終えた後、拓海はふと窓の外へと目を向けた。


 しかし明るい部屋の中からでは夜に支配された世界はよく見えず、自分の顔だけがまるで蜃気楼しんきろうのようにぼんやりと映っている。


 拓海はその表情を見つめるとくちびるをふっと緩め、それからそっと呟いた。


「本当にそう思ってるんですか、か……」


 その言葉で楓が何を伝えたかったのか、もちろん拓海も理解していた。

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