第33話 元カノの存在は心の棘
結婚に向け疲れ気味の友人を横目に私は心穏やかに若者との関係を続けていた。
休日、私たちは冬晴れの下、散歩デートを楽しんでいた。
皇居は癒しの散歩コースだ。人工的であるが雑木林もある。気分の良い時は秘密の花園を歩いていると妄想の世界に浸り、悩みがある時に歩くと本当に一人になれて落ち着けた。
そんな私のお気に入りの場所で若者の元恋人と偶然にも会うとは皮肉なものだ。
私は自分の勘の良さが恨めしかった。
若者と会った時の彼女の驚いた表情で一瞬にして二人が恋人同士だったことを理解してしまった。二人は「元気で」と短い言葉を交わし別れたが彼女の表情に見えた痛みが私の頭から離れなかった。私もその痛みがわかるから。
若者にとって私は初めての恋愛ではないし、もちろん私もそうだ。頭ではわかっていても実際その存在を目のあたりにすると自分のことは棚に上げて心がざわついた。
「何も聞かないの?」
「いいの?」自分の乱れた心を押し隠し、いつもと変わらない態度を心がけベンチに座ったのに若者の言葉に動揺して声がかすれた。
「聞けない理由は何?」
「うーん。図々しい気がするし、聞くのが怖い気がするし……」
「その気持ちはよくわかる。お互い良い恋愛をしたということで終わりにして過去のことで不安になるようなことはやめよう」
「うん。でも一つだけ確認させて」
「ん?」
「忘れられない人はいないよね?」
「もしかして、嫉妬?」若者は少し嬉しそうだ。
「ちょっとね」私は恥ずかしさを隠すため、おどけた調子で答えた。
若者と付き合う前に私が感じていた不安は好きな人の過去の恋愛を知って別れを感じることなのか。
いまいちピンとこない。自分の気持ちがわからない。そして若者に忘れられない人がいるのかも、わからないままだった。
不安に対する慣れか、若者と毎日会っている安心感か、この気持ちをたいして引きずることはなかった。
次の週末、若者と二人で結婚式を前に彼と一緒に暮らし始めた友人の新居を訪ねた。
入籍をすませ、旦那様に昇格した彼がにこやかに出迎えてくれた。私は直ぐにキッチンに入り友人と話ながら片付けを始める。
「女子力の高い旦那様だよね。男性の一人暮らしだったとは思えないものをお持ちで」
明らかに友人の持ち物でない泡だて器と可愛い猫のキッチンミトンを持って言った。
「これ一つあげる」
友人がニンニク潰し器を渡してきた。
「ニンニク潰し器を持ってる男性に驚くべきか、マイナーなものを二つも持っているあなたに驚くべきか」
シンクの上にあと二つある似たようなものと見比べた。
「何で私が二つ持ってたってわかった?」
「凶器として持つ姿が似合いすぎるから」
「凶器がなくても私が勝つけどね」
「そこは間違いないね」
「私に足りないもの、女子力かな?」
「可愛らしさ、かもよ。でも大丈夫。女子力も可愛らさも旦那様が補ってくれる」
「お互いにね」
気兼ねなく言い合った後ふと居間を覗くと若者が友人の旦那とテレビ台を組み立てていた。
私たち二人で結婚式に参加しやすいように若者にも引っ越しの手伝いを頼んできたのは、友人夫婦の優しさだろう。
その優しさを理解していても新婚夫婦の家に長居は禁物だ。16時過ぎに退散した。
「ありがとう」
「んぅ?」若者は意味がわからず曖昧な返事をした。
「私の友人のために肉体労働をしてもらったこと」
「あなたの友達に気を使ってもらって嬉しかった。二人の毒舌は下手なお笑いより面白かったし」
「楽しんでもらえて何より」
「ところで夕飯は食べて帰る?買って帰る?それとも……」若者が私の顔を覗き込んで言った。
「ご飯にする?お風呂にする?それとも私?みたいなセリフは何?」
商店街をたわいない会話をしながら歩いていると、誰かに呼ばれた気がした。
「今度は誰だ?」若者がふざけながら私に聞く。
「今度は私?」
二人で振り振り向くと知らない年配の女性が笑って立っていた。
「母さん」
若者の一言で気絶しそうになった。
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