第31話 新年

 今年一年が終わろうとしている。 



 年末年始は例年通り実家に戻った。


 結婚していない娘の務めとして年末の掃除やおせち料理の手伝いをして、愛犬と戯れる穏やかな数日を過ごした。寝る前に若者と電話で話していて、ふと思った。


 でも寂しい。


 久々に一人でベットに入るとなかなか寝付けなかった。実家は嫌ではないが正月三日に迎えに行くと言う若者の言葉が素直に嬉しかった。



 若者の二度目の訪問を我が家では比較的冷静に歓迎した。愛犬が唸りながら若者の手からおやつを食べる様子を見て、この二人(?)の関係は時間がかかりそうだと苦笑する。


 四人でお雑煮を食べ、テレビで箱根駅伝のゴールを見て東京に戻った。




 数日ぶり若者の家のソファに並んで座る。若者が淹れた珈琲は格別に美味しかった。

 「ところで君は実家に帰ったの?」私が珈琲を飲みながら言う。

 「元旦の昼過ぎに行って、晩御飯食べて帰って来た」

 「泊まらないんだ」

 「居場所がない」

 「まさか反抗期?」

 「実家に兄家族が住んでる。子供が三人いるから心理的に居場所がないんじゃなくて実際に寝る部屋がない。しかも子供は全員男だから体力がもたない」

 「それは凄まじそうだ」


 「ハグする?」

 「急にどうして?」

 「全体重を預けてきてるから」

 私は慌てて姿勢を正した。


 「今年の目標は素直になるってのはどう?」

 若者の言葉に数時間前の実家でのことを思い出し二人して噴出した。



 私の実家でのこと。

 私たちは炬燵に入りミカンを食べながら箱根駅伝を見るという王道のお正月を満喫していた。

 テレビ中継である選手の今年の目標が紹介された。それを聞いていた母が突然「私の今年の目標は上品に笑うこと」と言ったのだ。

 「目標ってもっとさ……」私は言葉につまり、

 「斬新ですね……」と若者が呟き、

 「さすがお母さんだ」と父が茶々を入れ、その後で爆笑したのだ。


 アスリートの目標との内容差が母の発言の面白さに拍車をかけていた。



 「最近の私は素直だと思うのだけど」笑いの後に私は抗議を試みる。

 「だいぶん進歩したけど暴言を吐く時みたいにもっと心のままに」

 「そのブラック発言好きよ」

 「今年も楽しくゆるりと仲良くやっていこう」



 若者の言葉をかみしめる。とりあえず今の心に忠実に若者の鼻のてっぺんにキスをした。




 若者の家で目覚めた朝はとても気分が良かった。久しぶりに熟睡できた気がした。若者の仕事始めは5日からだ。早く出勤するために若者を起こさないようにそっと家を出た。



 毎年4日の仕事始めは部長と早く出勤した若手の部員と一緒に神田明神に行くのが恒例になっている。今年もの若手数人を引き連れて参拝する。商売繫盛の神様である神田明神は多くのサラリーマンで大混雑するが朝八時前では人出もまばらだ。初詣用に大きく設置された賽銭箱の前まで止まるこなく、たどり着く。少し悩んで「心穏やかに仕事ができますように」とお参りをした。


 私の願いは半日しか持たなかった。


 仕事始めの午後から「ムカつく」と心の中で毒つく。お賽銭を二倍にしたら一日中効果があったかなと思いながらも無理な願いだと自覚もしていた。



 家に帰ると若者が夕食の用意をして待っていた。神様はお正月のお年玉として小さな幸せを用意してくれたようだ。


 食後、二人で皿を洗う。

 「ねぇ、太った?」若者が大きくなっている気がする。

 「鍛えているんです。酔っぱらって椅子で寝る誰かさんを毎回運んでるのは誰だと思ってます?」

 「それは毎回筋トレになるね」


 滅多に寝落ちすることはないが、実は二回目からは気づいていた。だからドラマのようなお姫様抱っこでなく荷物の様に担がれていることも、若者が重いと呟いていることも、私に布団をかけ頭を撫で子供のように扱うことも知っている。



 素直に甘えられない可愛くない女の密かな喜びだ。この幸せが出来れるだけ長く続きますようにと願いながら背の高い若者を見上げた。

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