第28話 めまいの後遺症
前庭神経炎。
耳鼻科の先生にそう告げられた。
命に係わる病気ではないが原因不明で特効薬もない。少し歩けるようになったので吐き気止めの薬を処方してもらい退院することにした。
予想通り母は受診時間に間に合わず若者が付き添ってくれた。昼前に病院に着いた母は私がいた病室のベットに知らない人が寝ていて驚いたそうだ。
若者は大活躍だった。若者がナースステーションに伝言を残していたおかげで私は母とすぐに会うことができ、今若者は私をケアしつつ母にまで気を使っている。
旦那様というより婿殿だなと目が回る状態で思った。
若者に支えられ家に戻った。食欲がない私は自分のベッドで横になり母と若者はコンビニで調達したランチを食べている。
私は二人の声を聞きながら寝てしまっていた。気配を感じて目を開けたが、まだめまいがした。
「少しは落ち着いた?」
母が心配そうに私の顔を見ていた。
「うん」
きっと父も心配してるだろう。
「実家に帰りたいけど、長時間電車に乗る自信がない」
「旦那様が車で送ってくれるって」
「陰で言ってよ」
「彼は今車をとりに行ってていないから」
「まさか本人に向かってそう呼んでないでしょうね」
車ってどの車だと思いながら言った。
「まさか。娘をからかう時だけよ」
さすが私の親だ。娘の様態が大事に至らなかったとわかるとこれだ。
夕方、父が実家の玄関先で大きな愛犬を抱いて佇んでいた。
母と私が車から出ると愛犬のしっぽが大きく揺れたが、すぐに若者に気付き戦闘態勢にはいった。牙を剥いて吠えている愛犬を若者は凝視したまま父に挨拶をした。
献身的に支えてくれた若者を両親はこのまま返さないだろうと思い私はみんなを放置して先に家に入り居間のソファーに身を投げ出した。
直ぐに荒い息遣いで愛犬気配を感じる。吠えまくって家に入れられたようだ。
いつもと様子が違う私に戸惑って飛び掛かってこない。
愛おしくてつい「おいで」と言ってしまった。激しく突進してきた愛犬を受け止め「病人なんだけど」と愛犬に文句を言うが止まったのは一瞬で当然ながら聞き入れてはもらえなかった。
弱っている身体に三十キロの暴れる愛犬は凶器そのものだ。「落ち着け」と懇願するように愛犬を撫でた。若者の髪質に似た愛犬の毛並みを触りながら自分の方が落ち着いていくのがわかった。
私に全体重を預けた愛犬が急に唸りだした。
若者が部屋に入ってきたようだ。
「なんてずぼらな。番犬としてどうかと思う」
私は呆れながら愛犬に苦言を呈す。
父が若者にソファに座るように勧めたせいで若者は愛犬を警戒しながら隣に座った。正面のソファでなくなぜ隣に座ると思ったが、いつもの癖なのだろう。隣に若者がいても愛犬は顔も上げなかった。
「ありがとう。気まずい思いさせて、ごめんね」
「あなたが回復するためだから歓迎されてる。一人を除いてだけど」
若者は最後のセリフを小声で唸り続けている愛犬に向かって言った。
「仕事は大丈夫?」
「昨日の夜、事務所に行って片づけてきたから心配しないで。そう言えば初めて救急車に乗ったけど結構揺れるんだね」
「その感想?」と笑ってしまった。
「今回世話になってしまって、悪かったね。ありがとう」
私たちの会話に父が乱入したため中断になり、母も日本茶と大福を持ってきた。若者が耳鼻科での私の診断を父にも要領よく話し始めた。
私は付き合っている人がいても家に連れて来たことがない。
前の彼は電話で母と挨拶程度の会話をしただけで実際には会っていない。昨日初めて娘の恋人と会った両親が若者に対して普通に接していることが不思議だ。
そう言えば彼を紹介していないことに気付く。
どのタイミングでも言えなかったと自分にいい訳をした。父は若者を恋人だと思っていないのかもしれない。どうしたものかと思っているうちに若者が東京に戻る時は迎えに来ますと言って早々に帰って行った。
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