第29話 病み上がり
私は驚異的な回復をみせた。
実家に帰った日はめまいと吐き気で何も食べず寝て過ごしたが、翌朝は吐き気は治まり、少し食べれるようになった。
すると医者が普通に過ごすように言ってたと母が掃除機を持ってきた。雑巾を渡されなかったのは、ささやかな配慮かと諦め掃除機を受けとる。
「働かざる者、食うべからず」掛け軸にして床の間に飾るべきだと、めまいが残る状態で掃除機をかけながら思った。
規則正しい生活と適度に動いたことが良かったのか三日目でめまいもなくなり、後遺症もなく元の身体に戻った。週末に東京に戻ることにした。
私の実家療養中、若者は毎晩8時に電話をしてきて、私と少し話した後に母に挨拶をするという律儀なことを続け、今日は迎えに来てくれる。
前日、父は私に若者との関係を聞いてきた。
私は父の言動の不自然さに笑いをかみ殺し「付き合っている」と答え「付き合い始めたばかりだから遠くから見守って」と「遠くから」を強調して言った。
三十歳を迎えてから父の願いは娘の結婚だ。交際を反対されるのも嫌だが、結婚を催促されるのも嫌だという複雑な感情を抱いた。
11時過ぎに若者は手土産に珈琲豆を持ってきた。これからみんなで昼ご飯を食べることになっている。父に勧められ若者と愛犬を連れて散歩にでた。
若者がリードを持っていることに明らかに不満のある愛犬が歩きながら何度も私たちを振り返る。
「この子は噛みついたことある?」
若者の不安そうな声に笑いそうになる。
「まだない。それより父に噛みつかれるかも。昨日付き合っているのか聞かれてそうだと答えたから」
「えっ。病院で会った日にご両親に言ってるけど」
「えっ?」
慎重な父は二人に確認をしたようだ。それでも今からのランチは不安でしかない。
「きっと大丈夫。少し緊張するぐらいだよ」
不思議だ。若者に「大丈夫」と言われると無条件に大丈夫だと思える。でも「大丈夫って言うけど本当だと思う?」そう愛犬に語り掛けた。
小一時間散歩して帰ったら、ちょうどランチができていた。
昼から豪華にクリームコロッケだった。エビのホワイトソースをサーモンで包んで揚げてある手の込んだコロッケに若者が感激している。
昔から母の手料理は私の自慢だ。
若者の仕事の話や愛犬の話で和やかにお昼が終わった時、父が「二人は結婚する気はあるのか」とその空気をぶち壊す発言をした。
「まだ考えてない」
「可能ならすぐにでも」
私は若者と同時に答え同時に「えっ?」と顔を見合わせた。
若者の「すぐにでも」発言は私以上に父が反応し「あれかね、妊娠しているのか?!」と動揺した。
父の狼狽する様子に母が「妊娠していたら入院した時に病院でとっくに言われているわ」とつっこみ、なんとか収まった。空回りする親心を私はまだ理解できないなと思いながら騒がしい我が家を後にした。
父から家庭菜園で収穫した野菜を、母からはおかずを持たされ若者と東京の家に戻った。
私を一人にするのは心配だと言って、若者は今夜は私の家に泊まるという。ベッドに入ると若者が抱きついてきた。
「結婚のことなんだけど」若者が抱きつきながら言う。
「ハグしながら言うのは反則でしょ」
「緊張するから。結婚、本当に考えてない?」と私の脳天に言った。
「まだ付き合って数ヶ月だよ」
「一緒に住みたい」
「同棲?」
「天然?結婚のこと話してるでしょ。同棲でもいいけど、今回みたいに何かあった時に一番に駆け付けたいから法的にも保護者になりたい」
「この交渉みたいなのはプロポーズ?」
「お父さんのせいだな。桜の下でプロポーズしたかったのに」
「じゃ、やりなおして」
「えっ、返事は先延ばし?へこむ」そう言っておでこにキスをしてきた。
若者の寝顔を見ながら、結婚について考えた。付き合った当初の漠然とした不安は私に悔いのないように恋愛をしようという決心をさせた。そのせいだろうか、別れを想像して胸が締め付けられるようなことはあっても結婚は考えられなかった。
私には勿体無いぐらいの男性だ。私でいいのだろうか、悩みながら眠りについた。
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