第16話 親しき中にも礼儀あり

 「親しき中にも礼儀あり。親しくないのだから礼を尽くしてほしい」


 会社の飲み会後の私の主張を友人にぶちまける。このセリフを彼女が聞くのは初めてではない。でも彼女は今度のネタは何かと興味津々で私の話を待っている。




 梅雨が明けた7月中旬。


梅雨が明けた途端にうだるような暑さだ。暑さに負けないように肉を食べようと神田に繰り出す。豪快に焼いた肉の塊とワインで暑気払いだ。



 会社での苦痛の一番は飲み会だ。だから会社の飲み会はどうしても断れないものしか参加しないようにしている。親睦のために飲み会をすることの意味は理解できる。

 案件が終わる度の打ち上げで連帯感が生まれているのをみると、無意味でないことは立証されている。それでも仕事以上に不愉快になることが多いのだ。


 正直心を許してない人と飲んでも酔えない。自分が酔えない状態での無礼講は当て逃げ事故にあった気分だ。


 今までの飲み会ネタは友人に全てぶちまけている。

 飲み会の席で「おまえ」と言われることなんては可愛いくらいだ。以前何度も「おまえ」と言われ一発で黙らせてやろうと真顔で「何?あなた」と返事をしてその場の空気を凍らせた。

 それ以降、私には冗談でも「おまえ」という人はいなくなった。


 特に仲良くもない、どちらかというと苦手とする女性から年末年始の休暇が暇だから一緒に温泉に行こうと誘われたこともある。

 役員と仲が良いらしく誰でも自分の一言でクビにできると豪語している人物だ。そんな危険人物と温泉なんて生きた心地がしない。

 心の中では「腹の中も見せられないのに裸なんて見せられるわけないだろう」とつぶやいていたが、相手には本心を悟られないように言い訳をして丁重にお断りをした。


 酸いも甘いも嚙み分ける三十代女性なんだからと不倫を提案されるというセクハラもあった。家が近いから毎日家に来ることができると言われた時は相手の男の頭が本当におかしいのかと思った。

 好きでもない男に不倫しようと言われても気持ち悪いだけだ。仮に相手が金持ちだったら金で人の心が買えるかと、凄くかっこいい男だったら女が誰でも自分になびくと思ったら大間違いだと言うところだ。提案にのると思っているその自信はどこからくるのかと言って、およそ丁重ではない態度でお断りをした。



 そして今回は知らない男に知らないうちに振られているという珍事が起こった。

 それは歓送迎会の際、隣に座った少し年上の女性から自分の従弟が独身だから付き合わないかと突如言われたことから始まる。

 その女性も私は苦手だ。何でも大騒ぎするパニック系のタイプでピントがいつもずれている。

 彼女とプライベートで関わりたくない。従弟の人となりは知らないが付き合うなんて論外だ。私が嫌がっているとはわかってくれず、紹介するという彼女を止めるのに苦労した。

 その時はやっとわかってくれたと思った。

 しかし一週間後、給湯室でお茶を淹れていた時彼女がきて「従弟が嫌だと言うからごめんなさい」と言った。彼女は私に話をする隙を与えず何度も本当にごめんなさいと大騒ぎをして去っていった。



 友人は私の話に大爆笑だ。

 私は豪快に焼いた肉の塊を頬張りながら、今回の出来事の鬱憤をぶちまけ、親しくないのだから礼儀を尽くせという私のセリフで締めくくった。



 友人が不思議そうな顔で尋ねた。

 「キツさが全身からにじみ出ているのに皆勝手なこと言って怖いもの知らずだ。会社で猫被りすぎてない?」

 「面倒な人とは関わりたくないから無口になる」

 「だから大人しいって勘違いして変なのが寄ってくるんだよ」

 「変なのって失礼な」

 「失礼だなんて思ってないくせに」

 「正解」 

  二人して笑った。


 程度に差はあるが誰もが経験してるどうにもならないという無力感を私たちは笑い飛ばす。

 言葉の通じない人に何を言っても無駄だと諦めてモヤモヤした嫌な気分が彼女の「変なの」の一言でスッキリした。そして嬉しかった。私には味方がいると思えたからかもしれない。しかも口の悪い最強の味方だと思った。

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