第9話 一人打ち上げ
同窓会の帰り、空腹を覚えた。
騒ぎでまともに食べていない。家に帰って軽食を作る気にもなれない。考えているうちに最寄り駅に着いてしまった。最寄り駅で夜九時過ぎに女性一人で入れるお店の選択肢はあまりない。駅前のスペインバルのカウンターなら入りやすい。本当は居酒屋で枝豆をつまみながらビールを一気に飲みたい気分だけど、この服装で一人では入る勇気がなかった。
スペインバルは土曜の夜とあって混んでいた。カウンター席の背が高く窮屈そうな男性の隣に案内された。席が空いていただけ良かった。とりあえず白ワインとタパスを注文する。地獄の後の冷えた白ワインは美味しかった。
「あの……」
隣の席のお客が声をかけてきた。さっき電車の窓越しに目が合ったイケメンだ。
「喫茶店に来てくれている方ですよね?」
「えっ?」
「珈琲豆屋で何度も会ってますよ。ほら、この前本の話をした」
「こんばんは。誰だか。わからなかった。いつもと何か違う感じね」
心の中で、こんなカッコ良かったか?と付け足した。かっこよく見えるとは私は思った以上に疲れているみたいだ。
「それは僕のセリフです。人違いかもと思ったけど、その指輪を見て声をかけてみました」
若者は私の左中指にある指輪を指して言った。
社会人になって初めて一人旅をしたパリのバカラで記念に買ったものだ。
お金がなくて一番安いものしか買えなかったのだが光線の具合で水色にも紫にも見える不思議な指輪だ。ガラスの指輪だと思うと高いがバカラだと思うと安く感じる。存在感のある指輪なので覚えていたのだろう。
「いつもボロボロのジーンズだからね。君も今日は社会人にみえるよ」
グレーのウールスーツに白のセーター姿は大人っぽくみえる。近所の子供の成人式を見た気分だ。
「とっくに社会人です」
大学生だと思ってた。
「私は今日一日で十歳老けたような気分だから、君が学生でいきなり大人になったとしても驚かないわ」
「ずいぶん前から大人です。僕も大変な一日でした。大人として認識してもらえたことだし、一緒に飲みませんか。慰労会です」
私たちはカウンター席からテーブル席に移動して飲むことにした。
お互いの大変だった一日が何かは追及せず乾杯をして、くだらない会話で盛り上がる。
珈琲屋のもう一人の若者は店長の息子で二人は高校の同級生で友達だそうだ。私よりも五歳下の二十七歳。私にとっては大学生と変わりない。年が離れているせいか、何も気にせず話せている。若者も丁寧な言葉使いだが発言は遠慮ない。弟がいたらこんな感じなのかと思った。
二人でワインを一本開けて、いい気分で店を出でた。夜中の十二時を過ぎていた。
「遅いから家まで送らせてください。お客さんから知らない男に追いかけられたって話を聞きました」
「大丈夫よ。痴漢も襲う相手を選ぶ思う」
「暗いと襲う相手を間違えるかもしれません」
爆笑してしまった。
「頼りないけど、送ってもらおうかな」
お互い失礼なと言い合いながら歩く。私のマンションに着いてお礼を言って別れた。若者は気を使ってくれたのか自分の家の帰り道だと「ご近所さんだ」と言って帰っていった。
私はマンションの敷地内のベンチに座り自分の部屋を見上げた。
このマンションには三か月前に引っ越してきた。前のマンションに何も不満はなかった。
ある日近くのコンビニの横を通った時駐車場の端で隠れて別れた彼とキスをした記憶がよみがえった。欲求不満に違いない。急いで引っ越しを決めた。住み慣れたこの地域は離れたくないので一つ前の駅で家を探し生活圏を微妙にずらした。
今のマンションは駅から少し遠いが、敷地内にコンビニと小さな公園があり部屋も広い。引っ越して良かったと思っている。それにしても、新居に送ってくれた初めての男性が弟のような存在の子か、色気がないと思った。
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