第7話 珈琲は癒しの香り
何もない週末、本を持って喫茶店に向かう。
通い詰めて五年になるその喫茶店は私の家と図書館の中間にあり、カウンター席が六つしかない。こじんまりした店の半分を珈琲豆の袋と焙煎機が占めている。業者用に珈琲豆を卸しているが個人客でも焙煎したての豆を安く買えるため来店客のほとんどが喫茶店としては利用していない。メニューがハンドドリップ珈琲だけというのも理由だろう。大きめのマグカップ珈琲を注文するとクッキー1枚を出してくれ、本を持って長居をするには最適だ。ケーキがあれば最高だが、六十代の店長と二十代の店員二名、全員男性のお店ではそんな気の利いたものはない。
目の前でお湯を回し入れられ膨らんでいく珈琲を見ながら私は溜息をついた。
「溜息はリラックス効果があるらしいですよ」
顔なじみの店員がさわやかな笑顔で話しかけてきた。
「溜息で幸せが逃げるって言わないんだ。若者に慰めてもらうほど悲壮感漂ってた?」
「今日はそれほどでも。一時期は声さえかけられませんでした。本を読んでる時は瞳孔が開いてて別の意味で声をかけられません。割といつも心の中が駄々洩れですよ」
今日は濃いめにしましたから言って、淹れたての珈琲を出してくれた。
私よりかなり年下にみえる若者にまで見透かされているとは、思わず苦笑してしまった。
溜息の原因は、同窓会に行くか迷っているからだ。
仲が良かった友達が幹事をしているし、友達に会いたい気持ちはある。だけど、結婚もせず恋人もいない状態で参加することが気が重い。加えて、十年後にお互い結婚してなかったら結婚しようと言った人が来るかもしれない。こんな状況でも結婚しようとは思えないし、一年ほど連絡を取っていない。相手が結婚していても、してなくても、かなり気まずい。
皆にネタを提供しに行くようなものだ。やはり理由をつけて断ろうと決めた。
本を読んでも頭に入ってきそうもないので、そのまま店員と会話して気を紛らわすことにした。とりあえず気になったことを確認する。
「瞳孔開いてる?」
「今は開いてないですよ。動物が獲物を見つけた時瞳孔が開くって知ってます?犬や猫でも興味があるものを見ると瞳孔が開くんですよ。人間も動物ですからね」
「友達にも私の読書する様子は怖いって言われたんだよね。今度から本を読むときは店内でもサングラスをかけることにする」
「それも怪しすぎます!」
若者も読書が好きだというので思いのほか話が弾む。私の好みは歴史小説や推理小説、ミステリー小説。ハードボイルド小説も好きだ。恋愛小説をほとんど読まない。女性より男性と好みが合っても不思議ではない。
珈琲の香りと好きな本の話で気分も軽くなりお店を出た。
喫茶店を出てすぐに携帯電話がなり無意識に出てしまった。高校の友達からだ。しまった!まだ断る理由を考えてなかった。
年に一回会うかどうかの友達に行きたくない理由をはっきり言えず、久しぶりに会えることを楽しみにしていると言われてしまい、断れなくなってしまった。久しぶりに会うのだから近況を聞かれるだろう。彼とまだ付き合っていると嘘をつく必要も見栄を張る意味もないが、自分からは言いたくはない。
それに会いたい人ばかりではない。この年になると結婚して子供もいる同級生も少なくない。羨ましいから、愚痴と称した自慢話が鼻につく。彼女たちの「独身で羨ましい」という言葉をそのまま受け取ってはいけない。そんな会話に我慢できるか心配だ。パンチの効いた嫌味を発してしまいそうだ。懐かしいだけではない同窓会になりそうだ。
同窓会のことを思うと気が重い。休日は飾らず素のままで過ごしたいのに。化粧に服装に言動に気を使い会社に行く気分だ。頑張って所帯じみてない姿になるよう努力するしかない。今更遅いが明日から毎朝走って体を絞ろう。
珈琲は癒しの香り。来週の試練は珈琲の香りだけ癒されるだろうか。
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