第5話 神様の意思をも超える負の力
「神様の意思をも超える負の力」
新年早々、友人からもらった何とも縁起の悪い言葉だ。
年が明けて最初の恒例ランチということで、神社でお参りをしてから食事をすることにした。神田明神は三が日を過ぎても商売繁盛を願うサラリーマンで混雑している。私はここ二年間神社でおみくじを引くたびに大吉を引き当てている。旅行先で行った恋愛成就で有名や神社でも、大吉だった。そして今日も大吉を引き当てた。
お節料理に飽きた私たちは刺激を求めタイ料理のお店に入った。席に座り早速お互いのおみくじを見せ合う。
「記録更新」
私のおみくじを彼女に無表情で渡す。「待ち人来る」「縁談近し」「思いが叶う」などの文言にもはや何のときめきも感じなくなっている。
「ここまで大吉を引き当てて、何も当たらないってある意味すごいわ。しかも去年は男と別れて、大吉じゃなくて大凶だったよね。今年も神の意思をも超える負の力を発揮するのかな?私の中吉が普通って最高って思える」
「新年早々、縁起の悪い言葉をありがとう」
「信じるものは救われるって言うからね。信じる気持ちが足りないんじゃない?」
「それはキリスト教の聖書の言葉。私はキリスト教じゃないから大丈夫。私は八百万の神々を信じている。私の神様はたまにしか信じてなくてもきっと救ってくれる」
語尾の「はず」という言葉は飲み込み反論して思い当たったことがある。
いつからだろう、私は神社仏閣でお願い事をしない。
歴史好きの私は神社仏閣に行くのが好きだ。国内でも海外でも旅行や遊びの行先の決め手は小説や旅や美術関連のテレビ番組の影響が大きい。当然行く場所について事前に歴史的背景など調べたり関連の本を読んだりする。
京都の鞍馬寺に行くと鬱蒼とした木々、本当に天狗が出そうな雰囲気、源義経が幼少期に修行した道を歩いていたのかもと想像して興奮する。
そうやって行く神社仏閣だからお参りの際は「来ました」とだけ言う癖がついてしまっていた。お願い事よりも来れたことへの興奮が抑えきれないのだ。いざ、手を合わせると興奮して何をお願いしていいのか迷ってしまい結局来たことの報告になっている。さっきの初詣もいつもの癖で、「来ました」と言って終わってしまっていた。
お願いしないものを神様も叶えようもない。それで文句を言われて神様も困っていることだろう。おみくじは運試しのようなもの。こんな私に毎回「大吉」を引かせてくれてる私の信じる八百万の神様は寛大だ。
そう言えば、おみくじにも文句を言ったこともある。それは島根にある恋愛で有名な神社でのこと。神社境内にある池に占いの用紙に硬化をのせて浮かべ、お願い事を1つだけして用紙が沈むのを待つ。沈む時間が早いと早く願い事が叶い、近い位置だと身近な人と縁があるとのことらしい。そして、用紙に浮かび上がる言葉が今の自分への助言。
「親の気持ちに感謝しろ」
浮かび上がってきたその助言に私は思わず「してるわ!」と叫んでしまった。
私は両親に厳しく育てられたが、一人っ子の務めだと時に我慢し努力もしている。一般的な娘より私は親孝行だと自負している。そして両親からは重荷になるほどの愛情をもらっている。重荷も含めて感謝している。だから、つい文句を言ってしまったのだ。
私の信じる神様はかなり寛大だった。
そして、今回の大吉おみくじのお言葉は……
願望 望みのままなり
恋愛 勇気を出し思いを伝えよ
健康 病は気から
旅行 行きて 吉
学問 案ずるな
商売 利益あり
失物 遅くても出る
転居 難なし
縁談 今年は良縁近づく
神様の寛大さに感謝して今回のおみくじを素直に喜ぶことにした。勇気を出して思いを伝えられる相手ができますように、と心の中で祈った。
帰りにもう一度、神社にお参りをして「おみくじが当たりますように」とお願いをしないといけないのか、とふと思った。いや、そうしたら永遠に終わらないじゃない。馬鹿なことを考えてしまった自分に笑ってしまった。
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