第4話  青写真

「リスキナン、作業場を貸してくれてありがとう」


 クラムベローに到着してすぐ、ギルドでリスキナン・ベローと鉢合わせたトールは事情の説明を兼ねてリスキナン率いるクラン『ブルーブラッド』のクランハウスを訪れていた。

 リスキナンは朗らかに笑う。


「クラムベローの救世主を街中の宿に泊めるわけにはいきませんよ」

「俺たちは別に構わなかったんだが」

「劇作家や吟遊詩人や画家が押し寄せるとしても、ですか?」

「……そんなことになるのか?」


 苦笑したリスキナンが説明するところによれば、落陽の騒動が話題となって様々な劇が作られており、冒険者ギルドにも問い合わせが殺到しているらしい。

 もうクラムベローのギルドは近付かないようにしようと心に決めつつ、トールは作業場を見回す。


 元々は紺青つくりに使用されていた作業場はクランハウスに併設されており、外観からはクランハウスと一つの建物になっていた。

 現在は合成ウルトラマリンの製造に必要な窯などが増設され、換気も徹底されている。広さは二十メートル四方の正方形だ。片隅に置かれた冷蔵施設は紺青を作っていた頃の名残だろう。入り口を開くとまだ内臓の臭いがした。


 リスキナンが双子を見る。


「それで、何をやらかすおつもりで?」

「ちょっと世界を救おうかと思いまして、そのために必要なものを作ります」

「準備をしている間にトールさんから話を聞いてください」


 外に泊めてある魔機車から必要資材を搬入する双子はトールたちの手伝いを断り、てきぱきと動いている。

 トールは仕方なく、リスキナンに世界衝突の話と多種族合同による結界魔機の起動について手短に説明した。


「――おって、吸血鬼や獣人、エルフの代表者を交えて詳しい説明会が開かれるはずだ。ベロー家にはギルドから報告書が回ってくると思う」

「話のスケールが大きすぎてついていけないんですが……」


 唖然としているリスキナンに無理もないと笑いかけ、トールは双子を見る。

 ちょうど準備を終えたようだ。


「ここからが本番で、世界を救うのに必要な道具に紺青を使うから、協力を頼みたいんだ。ひとまず、物を見てもらいたいから作業を見学しててくれ」

「えぇ、それは分かりました。人払いもしてあるので、遠慮なく進めてください」


 リスキナンの許可も得て、トールは双子の手招きに応じる。


「何をすればいい?」

「この果物を絞ってください」

「レモン?」


 渡された楕円形の果物を、トールは言われるがままに絞る。

 レモン果汁をトールが採取しているうちに、メーリィとユーフィは白い粉を取り出した。アセチレンランプの燃料、炭化カルシウムである。

 トールはレモンを絞りながら、双子の作業を眺める。

 メーリィが解説してくれる。


「炭化カルシウムと蛍石を砕き、圧力鍋に入れて加熱すれば、アンモニア水ができます」

「その蛍石はどこで?」

「安く売っていました」


 リスキナンの質問に、メーリィはさらっと答えた。


 製鉄の際に融点を下げる目的で添加することもある蛍石は魔機獣の生産施設などを攻略すると、まとめて市場に流れてくる。

 今はファンガーロ周辺の魔機獣の巣攻略やストフィ・シティの攻略により、魔機獣の資材となっている様々な鉱石が安価に市場に流れていた。


 首尾よくアンモニア水を作った双子がトールに赤茶けた粉を差し出してきた。

 金属探知で正体が分かったトールは何も言わずにその粉を受け取る。


「この錆をどうするんだ?」

「錆というか、酸化鉄ですね。それをレモン果汁に溶かしてください」


 言われるがまま、搾りたてのレモン果汁に錆を投入する。

 ちょっともったいないな、と思いながら匙で掻きまわして溶かし込むと、メーリィがアンモニア水を差し出した。


「これも加えて、反応させてください」

「はいはい」


 化学の実験を思い出しながら、トールは指示通りにアンモニア水と反応させる。

 トールが作業している間に、双子は市場で購入した家畜の内臓を細かく刻み、フライパンで加熱を始めた。

 生臭い内臓の臭気が開けはなしの窓から外に流れていく。

 双子のやっている作業は見慣れたものだったのだろう、リスキナンが率先して作業場の奥の棚から鉄粉と酸化カリウムを準備し始めた。


「紺青を作るのでしたら、必要でしょう。使い道のない在庫ですから遠慮なくどうぞ」

「ありがとうございます」


 一応、双子の方でも用意してあったが、野暮なことを言わずにリスキナンの厚意を受け取った。

 ユーフィが黒くなった内臓を砕き、鉄粉、酸化カリウムの粉末と混ぜ合わせて試験管に入れ、強熱する。


「トールさん、そっちの作業は終わりましたか?」

「これでいいんだろ?」


 黒みがかった濃紺色の液体が入ったビーカーをトールが掲げると、メーリィは頷いて食塩水が入った容器を差し出してきた。炭の棒が二本突っ込まれている。


「この炭を持って、食塩を電気分解してもらいます」

「ほぉ」


 いつぞや活躍できなかった電気分解をお披露目することができるのかと、トールは内心うきうきしながら炭の棒をつまむ。

 すると、メーリィが集気用の実験器具を取り出し始めた。

 まだ電気分解してはいけないらしい。


「何をしてるんだ?」


 トールの質問に答えたのは試験管を加熱していたユーフィの方だった。


「食塩水を分解して発生する塩素をこっちの粉末と反応させるんです」


 加熱反応を終えたらしい試験管を振るユーフィは、ためらいなく試験管を割って中身の粉末を取り出した。

 ほとんど炭にしか見えない黒い粉末からガラスを除き、集気用の実験器具の先に設置する。


「では、トールさん、どうぞ!」

「よっしゃ、バチバチ行くぜ」


 威勢よく言ったものの、トールは控えめにエンチャントを発動する。

 赤雷が炭の棒を伝って食塩水に流れ、電気分解が始まった。


「……結構地味ですね」


 リスキナンが呟く通り、威勢の割には変化が目に見えなかった。


 しかし、化学的には確かに食塩水が電気分解され、発生した塩素が管を通って黒い粉末と反応している。

 見た目は地味だったが……。


 意気込んだだけあって耐えられなくなったトールは、微妙な空気をごまかすために双子に質問する。


「それで、これは何を作ってるんだ? 紺青じゃないよな。青くないし」

「そうですね。説明しましょうか」


 メーリィが手近な椅子に座り、ユーフィが私物から紙とペンを取り出して図を描き始めた。


「まず、トールさんに絞ってもらったレモン果汁と赤錆こと酸化鉄とアンモニア水の混合でクエン酸鉄アンモニウムを合成しました」

「クエン酸――だからレモンか」


 納得するトールとは異なり、リスキナンは首をかしげている。

 メーリィが塩素と反応させている粉末を指さした。


「そしてこちらがヘキサシアニド鉄(Ⅱ)酸カリウムの粉末です。これを硫酸などで処理すると紺青が得られますが、今回は塩素と反応させてヘキサシアニド鉄(Ⅲ)酸カリウムを生成しています」

「鉄(Ⅱ)とか鉄(Ⅲ)とかってなんだ?」

「酸化数ですよ。これが青写真の原理に重要なんです」


 ユーフィが二つの物質名の数字を丸で囲む。

 ヘキサシアニド鉄(Ⅱ)酸カリウム。

 ヘキサシアニド鉄(Ⅲ)酸カリウム。

 長ったらしい物質名を眺めたトールは口を開く。


「青写真の青は紺青なんだよな。で、紺青の物質名はヘキサシアニド鉄(Ⅱ)酸鉄(Ⅲ)だったか? あぁ、カリウムが鉄(Ⅲ)と置き換わってるのか」

「よく覚えていましたね」

「自分でもびっくりしてる」


 トールは肩をすくめて自嘲する。その横で、完全に話に置いてけぼりのリスキナンはユーフィが描いた物質名を見つめて眉間にしわを刻みながら首をひねっていた。

 メーリィが続ける。


「青写真というのは、鉄(Ⅲ)が光、特に紫外線を受けて鉄(Ⅱ)に還元される性質を利用しているんです。感光紙の内、光がより多く当った部分に紺青が多く生成されて濃い青色になり、光の強弱が紺青の濃度勾配で現れる仕組みです」


 説明用の図を描き終えたユーフィが説明を引き継いだ。


「感光紙には二種類の薬品を塗ります。クエン酸鉄(Ⅲ)アンモニウムとヘキサシアニド鉄(Ⅲ)酸カリウムです」


 ユーフィは太陽の絵を指さす。


「感光紙に塗られたクエン酸鉄(Ⅲ)アンモニウムが光を受けて還元され、鉄(Ⅱ)となります。これがヘキサシアニド鉄(Ⅲ)酸カリウムと反応してヘキサシアニド鉄(Ⅱ)酸鉄(Ⅲ)すなわち紺青を生成するんです」

「へぇ。じゃあ、あのクエン酸に溶かした奴、窓際に置いてあるのは良くないんじゃないか?」

「……え?」


 トールの指摘にさっと顔色を変えた双子が揃って窓際を振り返る。そこにはビーカーに入れたクエン酸鉄(Ⅲ)アンモニウムの溶液があった。

 一番近くにいたリスキナンがビーカーに布を被せる。話にはついていけなくとも、放置するのはまずいと分かったのだろう。Aランクの冒険者としても活動するだけあって、素早い判断だ。


「すみません」

「ありがとうございます」


 双子が揃って謝罪と感謝を口にする。リスキナンは苦笑しつつ片手をあげて応じた。


「正直なところ、君たちの話はさっぱり分からなかったよ。けれど、ベロー家の協力を頼みたいというからには何かメリットがあるのかな?」

「実演した方が分かりやすいと思います、メリットは」


 ユーフィが言って、塩素との反応が終わった粉末を見た。

 ユーフィとメーリィが立ち上がって、トールに笑いかける。


「トールさん、記念写真を撮りましょう?」

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