第3話  英雄さんの御帰還

 魔機車の荷台、キャンピングトレーラーの中でユーフィとメーリィが工作をしていた。

 フラウハラウで貰った木の端材の内側に丹念に煤を塗っている。手が黒くなっても気にせず丁寧に作業している双子に、トールは運転席から声をかけた。


「それが、正確に場所を思い浮かべるための道具か?」

「そうです。トールさんにはなじみ深いものかもしれません。予想もついているのでは?」

「まぁな」


 クラムベローへの街道に入り、トールは予想を口にする。


「カメラだろ?」

「ご名答です」

「あんまり馴染みはないけどな」

「写メ世代だからですか?」

「写メ? あぁ、普通にスマホで写真を撮ってたよ」

「スマホですか。現物を見てみたいものですね」

「一応、貸倉庫に放り込んであるけど、さすがに充電切れてるぞ。赤雷で充電しようかと思ったけど、爆発しそうで止めたんだ」


 トールは脇道に逸れそうになった話を軌道修正する。


「でも、カメラって簡単に作れるのか?」

「カラー写真は難しいですが、今回作るのは青写真です」


 青写真と聞いても、トールはさっぱりわからなかった。


「青写真って計画とか設計図とかの比喩じゃないのか? 青写真ってものがあったのか?」

「写真の歴史の中でも非常に初期のモノですから、トールさんも実物は見たことないんですね」

「私たちは見たことがありますよ、落ち物の青写真」


 当時は原理が分からなかったと懐かしそうに笑う双子は作業の手を止めない。

 トールは双子の手元を見る。


 木の板に塗っている煤は樹液と混ぜ合わせてあり、適度な粘性できめ細かい煤のおかげで真っ黒だ。

 あまり揺れないとはいえキャンピングトレーラーの中を黒く染めないかと、トールは内心ひやひやしている。


 しかし、双子は器用なもので黒い水滴が飛ぶことさえない。


「それはカメラの本体だよな?」

「はい、ピンホールカメラです」

「その煤って塗らないとだめなのか?」


 出来れば作業そのものをやめてほしい。せめて、外でやってほしい。

 そんなトールの思いを知ってか知らずか、双子は作業をやめなかった。


「これを塗っておかないと、カメラの中で光が反射してしまって、ちゃんとした写真が作れませんから」

「そうか……」


 もう何も言うまい、とトールは諦めて安全運転を肝に銘じる。

 代わりに、トールは話題を変えた。


「何でクラムベローに行くんだ?」


 エミライアからクラムベローをまとめる領主であるベロー家との顔繫ぎを頼まれているが、双子の目的は別のところにある様子なのが気になった。

 ユーフィが木の板を倒さないように支えながら答える。


「絵心というか、構図を分かっている人が欲しいんです、写真家として」


 結界魔機の発動には子機の周囲を正確に思い浮かべる必要がある。その補助を行うための写真の撮り方が下手だと補助道具としての意味が薄れてしまう。


「それに、青写真はベロー家とも関係があります。あまり広めるのも危険かなと」

「青写真はこの世界になかったはずだよな? なんでベロー家が関わるんだ?」

「青写真の感光材料はヘキサシアニド鉄(Ⅲ)酸カリウムです。これを光に晒すとヘキサシアニド鉄(Ⅱ)酸鉄(Ⅲ)を生成し、光の強弱で濃度分布が生まれて青色の濃淡を作り出します」

「オッケー、完璧に理解したわ」

「理解してない人のセリフですよ、それ!」


 ツッコミを入れられたトールは誤魔化すように笑う。

 ユーフィが分かりやすく言い直す。


「要するに、青写真の青色は紺青なんですよ。写真技術は有用なものですから、広まってしまうと、私たちとベロー家でせっかく隠ぺいした吸血鬼事件の真相が表に出てきちゃいます」

「それは確かにまずいな。だから、ベロー家の協力を仰ぐのか」

「そういうことです」


 納得したトールは遠くに見えてきたクラムベローの防壁に目を凝らす。落陽を落としたあの魔機獣との戦闘の痕跡はもうない。

 周辺の魔物や魔機獣を駆逐した影響もあり、どこか朗らかな空気さえ漂っていた。

 トールは通行人に注意して魔機車を徐行させながら、双子との話を続ける。


「青写真の感光材料に必要だから、出発前に炭化カルシウムを作らせたのか?」


 クラムベローに向かうと決めた際、トールは双子にせがまれて遺跡攻略にも使用した炭化カルシウムを作らされている。

 野営の時に雰囲気が出るからとトールもノリノリで作ったのだが、昨夜に使おうとして双子に止められた。

 乾いた真っ黒な木板を組み合わせて箱を作りながら、メーリィが頷いた。


「アンモニア水を作るのに使います。他にも、トールさんには食塩水の電気分解で塩素の発生などもしてもらいます」

「まだまだ作業があるんだな」

「使い方を教えたりもしないといけません。しばらく滞在することになるかと思います」

「分かった。前回とは違って宿にも困らないと思うし、大丈夫だろ」


 排斥派と融和派の争いはすでになくなっている。

 ベロー家が紺青の生産から合成ウルトラマリンへと切り替えたことで、魔物の不審死が無くなったため、もうクラムベローに吸血鬼はいなくなったという噂が流れているためだ。

 トールたちが宿泊を断られることはないだろう。


「断られそうになったらベロー家の威光を笠に着てやろうかな」

「落陽を撃墜したトールさんの宿泊を断る宿なんてあったら、住民から袋叩きに遭うと思うので心配いらないですよ?」


 メーリィに言われて、トールは落陽のことを思い出して渋い顔をする。


「目立つの好きじゃないんだけどなぁ」

「これから世界を救おうとしている人が言うセリフじゃないですね」


 違いないとトールは苦笑しつつ、クラムベローの門で魔機車を停める。

 身分証の提示を求められて冒険者証を見せると、門番は目を見開いてビシッと敬礼した。


「どうぞ、お通りください!」

「あ、ありがとう」


 荷台を検められることすらなく素通りを許可されて、トールは魔機車をクラムベローの中へと進める。


「帰りたくなってきたんだけど」

「世界を救ったら行く先々であの対応をされそうですね」


 ピンホールカメラの組み立てを終えた双子が笑った。

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