第8話 臥龍起く

「――と、取引中止? どういうことですか?」


 突然宿に訪ねてきたワイン蔵のオーナーに、メーリィが困惑もあらわに問い返す。

 オーナーは苦々しい顔で明後日の方角を向いた。


「その様子だと、ご存じないようですな。我々にとっても業腹ですが、先手を打たれたんですよ。もうじき、他の関係者も――」

「失礼、錬金術師ギルドの者ですが……」


 オーナーの言葉を遮るようにノック音と共に扉の向こうから声がかけられる。

 ユーフィがオーナーを見ると、無言で頷きを返された。招き入れてよいということだろう。


「鍵は開いています。どうぞ」

「失礼します。……本日は取引の中止を――あぁ、この様子ですと事情はもう?」


 錬金術師ギルドの代表者はオーナーを見て状況を察したらしい。

 詳しい話はまだだとメーリィが首を振るのと、廊下をこちらに歩いてくる足音が部屋の前で止まったのは同時だった。

 錬金術師ギルドの代表者が開けたままだった扉から恐る恐るといった様子でガラス工房の長が顔をのぞかせる。


「あちゃー、皆さん揃い済みで」


 弱り顔のガラス工房長が部屋に入ってくる。

 奇しくも炭酸ポーションの製造にかかわる人物が勢ぞろいした形になった。

 酒石とスパークリングワイン用白ワインを卸すワイン蔵オーナー、炭酸ポーションの製造と改良を行う錬金術師ギルドの代表者、炭酸水素ナトリウムやガソジン、炭酸ポーション用のガラス容器を扱うガラス工房長、三人が並んで座る。


 ユーフィとメーリィは不安そうに後ろにいるトールをちらりと見た後、三人に向き直った。


「取引中止とは、どういうことでしょうか?」


 いくらか冷静さを取り戻した様子で静かに問いかけるメーリィに、三人は牽制しあうように視線を交わした。

 一番立場が上の錬金術師ギルドの代表者が背中を押されたようにしぶしぶ口を開く。


「フラーレタリア商業ギルドに先手を打たれました。具体的には、炭酸ポーションの製造と販売にかかわる者との取引を全面的に停止すると発表されまして、わたくし共としては炭酸ポーションとの利益を天秤にかけた場合、こちらの取引を停止するほかなく……」

「……そんな横暴が許されるんですか?」


 商業ギルドの理不尽極まる発表に、メーリィは眉を顰める。

 ガラス工房長が口をはさんだ。


「言いたいことはわかる。お嬢さん方の言う通りの横暴だ。だが、連中も必死なんだよ。連中が恐れているのは炭酸ポーションの売り上げじゃない。炭酸ポーションで加速しているダンジョン攻略なんだ」


 フラーレタリアにダンジョンができて五十年近く、地元の商会は数十年もの間営業を続けていくうちにダンジョン産の物品に依存してしまっている。

 ダンジョンの封印がなされれば、彼らの生活が立ち行かなくなる。

 炭酸ポーションによる攻略の加速は商業ギルドにとっては寝耳に水で、準備がまるで整っていなかったのだ。


「お嬢さん方が冒険者ギルドや錬金術師ギルドを通じてフラーレタリア議会に根回しして、この事態を回避しようとしていたのも知ってる。商業ギルドもそれを知っているからこそ、この強硬手段に出たんだろう」


 ガラス工房長の言葉に、双子が揃ってため息をついた。

 トールが双子のそばにいる以上、武力行使による排除は難しい。だが、周囲に対する恐喝まがいの取引停止表明は倫理的な問題はあっても商取引の一環だ。外部が口を挟めるものではない。


「こんなことをしたら商業ギルドも信用を失うでしょうに」

「時間稼ぎだろうなぁ。向こうも苦渋の決断だと思うぞ」


 同じフラーレタリアの住人だからか、ガラス工房長は半ば同情してもいるらしい。

 ワイン蔵のオーナーが席を立ったのをきっかけに、錬金術師ギルドの代表者、ガラス工房長も立ち上がる。


「恨んでくれて構わない。だが、取引は中止だ。現在の在庫に関してはこちらで処分する」


 決定事項だとばかりに言い置いて、三人は部屋を出ていった。

 扉が閉まると、ユーフィとメーリィがため息をついた。


「負けましたね」

「認めがたい手ではありますが、事実は変わりません」

「……二人はそれでいいのか?」


 商談中、一切口を挟まなかったトールが落ち着いた声で問いかける。

 しばらくの沈黙の後、双子は首を横に振る。


「納得できません。しかし、打てる手がありません。相手はいわば、フラーレタリアの商業全て」

「法に照らしても突ける部分がありません。これは完全な負け戦です。トールさんに認めてもらったのに無念ですが、これではもう」


 双子が再びため息をつく。

 炭酸ポーションの開発こそあっさりしたものだったが、そこから販売と普及、事業拡大へと、双子は全力で取り組んでいた。

 そのすべてが水泡に帰したのだ。落ち込むのも無理はない。


 どっと疲れが押し寄せたのか、机の上に置いてある帳簿を片付ける気力もないらしい。

 トールは腕を組んだ。


「このままでは終わらせない」

「トールさん?」

「ユーフィとメーリィが努力しているのを目の前で見ていた。こんな形で横やりを入れられて終わらせるなんて我慢ができない。それだけじゃない。商業ギルドがやったのは、思惑はどうあれ――自分たちの利益のために、炭酸ポーションで助かる冒険者は死ね、と言ったのと同じだ」


 確かに、商業ギルド側も生活がかかっていて必死なのだろう。しかし、ダンジョンは封印されるべきものであり、それを妨害することは旧文明がたどった運命と同じように魔物被害の危険に文明を晒す行為に他ならない。

 命がけで戦う冒険者にとって、今回の商業ギルドの姿勢は到底容認できないものだ。

 ユーフィが困ったような顔をする。


「トールさんの怒りは正当なものだと思います。ですが、やはり打つ手がありません」

「打つ手ならあるさ」


 意外な返答に、ユーフィとメーリィはトールに期待を込めた目を向ける。

 トールは不敵に笑った。


「向こうがからめ手を使ってくるなら、こちらは真正面から力業を行使すればいいだろ」

「暴力はダメですよ?」

「なにも、商業ギルドに暴力の矛先を向けるつもりはない。俺は冒険者だからな」


 双子の突っ込みを笑い飛ばし、トールは続ける。


「炭酸ポーションでダンジョンを攻略する。ダンジョンそのものがなくなってしまえば、商人たちもうだうだ言えない。ユーフィとメーリィは、ダンジョン攻略の最大の貢献者として名を売って、炭酸ポーションを普及させてしまえばいい。市場はここだけじゃないからな」


 ダンジョン攻略、まさに力業の解決策である。

 ユーフィとメーリィは考えもしなかったその手に感心するが、同時に躊躇した。


「……これは私たちが招いた問題。なのに、頼っていいんですか?」

「当たり前だ。仲間なんだから頼れ」


 間髪入れずに返事をしたトールに二人はうれしそうに笑う。


「よろしくお願いします、トールさん」

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