第一章 十年目の転移者と落ち物マニアの双子

第1話  十年目は厄日から始まる。

 ダランディというこの町は決して大きな町とは言えない。

 人口はせいぜい二千人というところ。しかし、付近の村を合わせた食料自給率は三百パーセントを下回る年がないほど、食べ物が豊富な町である。

 魔物や魔機獣という脅威が大手を振って歩いているこの世界において、広大な畑を維持していくのがいかに大変か。

 町を守る役割を持つ衛兵が、畑を防備するのに冒険者がどれほど貢献しているのかを、滔々と講釈している。

 トールは机に頬杖をついて反省の色が見えないむすっとした表情で衛兵の話を聞き流していた。


「だからだな、君たち冒険者は我々衛兵と同じく、人々を脅威から守る職業なのだ。その武力をケンカなどに使うのは言語道断!」

「あのさ、俺は一方的に襲われたの。過剰な反撃はしてないんだって。俺が反撃しなかったから犯人の男はぴんぴんしてただろ。あんたらの手を逃れるくらい」

「事実かどうかの話ではないのだよ。世間からどう見られるかの話をしている」

「あんたらが真実を大々的に公表すればいいだけじゃん」

「……ともかく、酔ってケンカをするのはやめていただきたい」

「いま話をそらしただろ。なんだよ、さては犯人に目星がついてるな?」

「これに懲りたら酒はほどほどに」

「あんたらが逆らえないほど武力を持ってるとは思えない立ち居振る舞いだったが、権力者って感じでもなかったしな。大規模団体の関係者、それも下っ端だろうな、あれは」

「詮索はなしだ!」

「へーい」


 まるで納得していないトールは空返事をする。

 異世界に転移して九年、ようやく諦めてこの世界に腰を落ち着けようとした矢先にケチを付けられたのだ。面白くない気分である。

 衛兵の詰め所を放り出されたトールは仏頂面で宿に向かう。


「なんだ、兄ちゃん、朝帰りかい。若いねえ」


 宿の主がニヤニヤに笑って卑猥なハンドサインを送ってくる。腹が立ったので壁に向かってシャドーボクシングしてやった。


「なんだ、元気が有り余ってるのか。ますます若いね!」

「違うんだがなぁ。朝食は今から食える?」

「かみさんが用意してるところだ」


 厨房につながっているらしい店の奥の扉を指さした宿の主が椅子を引いて腰を下ろす。

 奥から時折、薪がはぜる音が聞こえてくる。続いて熱せられた油のぱちぱちという軽い拍手を思わせる音。

 トールはテーブル席に着きながら、宿の主に声をかけた。


「帰りがけに珍しい落とし物を拾ったんだ」

「なんだい?」


 宿の主が興味を惹かれたように体を向けてくる。

 トールは自分の右腕をポンポンと叩きながら言う。


「魔機手」

「あぁ、そいつは驚いたろう。落とし主は多分、『魔百足』っていう冒険者クランだろうね」

「へぇ、冒険者クラン」


 予想以上に早く犯人にたどり着けた、とトールは忍び笑う。

 冒険者クランとは、Bランク以上の冒険者パーティ、または序列持ちがその登録名の元、拠点を定めて設立する十名以上の団体を指す。

 都市によっては貿易路の確保を目的にして都市内に拠点を置いた冒険者クランに優遇処置がある。


「衛兵が手を出し渋るはずだ……」


 トールは納得するが、襲われた理由が分からなかった。

 クラン所属の冒険者が魔機手をちょっと馬鹿にされた程度で武器を抜くとは思えない。そもそも、クランは所属冒険者を支援する団体でもあり、作りの甘い魔機手を所属の冒険者に身に着けさせたまま放置するのも考えにくい。

 クランの財政が悪いのか、とも思ったが、それなら衛兵が手を出しあぐねるのはおかしい。


「その『魔百足』ってクランは有名なのか?」

「この町ダランディでは有名だな。何しろ、所属の冒険者が軒並み魔機手や魔機足を身に着けているから目立つんだ。ダランディの上層部から塩の専売権をもらってるウバズってでかい商会があるんだが、その商会と提携していてほぼ専属の護衛をしている」

「専売権持ちの商会の専属護衛って、勝ち組クランだな」

「そうだな。だが、ちょっと柄が悪いって話もあるから、あまり近づかない方がいい。もめ事を起こしたと聞いたことはないが、魔機手や魔機足に触れられるのを極端に嫌がるらしい。商売道具だから無理はないかもしれんがね」


 その商売道具を馬鹿にしたトールはそっと目をそらした。しかし、『魔百足』というクランの特徴を聞いた限りでは、粗雑な造りの魔機手を利用する理由がいまいちわからない。専門の技師に伝手がありそうなものだ。

 どうにも腑に落ちない。

 しかし、ダランディを出てしまえばもう関わることもなさそうだ。しつこく命を狙われる事態になったらややこしいと思っていただけに拍子抜けである。


「それはそうと、お客さん。よければ小銭を金貨に両替してほしいんだが、いいかい?」

「それって客に頼むことじゃないだろ。両替商は?」

「手数料が馬鹿でかいんだよ」

「まあ、いいや。金貨二枚でいいかな? それ以上はかさばるから、俺みたいな流れ者にはつらいんだ」

「二枚で大丈夫だ。ありがとう。徴税請負人の奴ら、銀貨や銅貨だと数枚ちょろまかすんだ」

「商売人は大変だね」


 トールが財布を取り出すと、宿の主は感謝の言葉を口にしながら銀貨を持ってくる。

 トールは宿の主から銀貨を受け取り、日の光にかざして調べる振りをしてわずかに魔力を流した。贋貨の類ではないようだ。


「確かに。はいよ、金貨二枚」

「助かるよ」


 金貨二枚を大事にしまう宿の主の背中を眺めていると、料理をもって宿の女将さんがやってくる。

 えん麦の粥に目玉焼きと数種類のピクルスという質素なメニューだ。


「はいよ。これは宿泊料に含まれているから遠慮なく食べな。追加で何か欲しければ、メニューから選んでね」

「どうも」


 昨夜、バーのマスターと散々飲み食いしたこともあり、追加のメニューを頼む気がないトールは粥に木匙を差し入れる。

 胃に優しい素朴な粥を黙々と食べながら、今日にでも町を出ようと考えていると、宿に人が入ってきた。

 自分以外にも朝帰りがいたらしい。ちらりと目をやると、その客と目が合った。


「あ、トールさん、ですよね? ギルド支部長がお呼びです」


 宿の客ではなく、トールの客らしい。

 ギルド支部長というからには、冒険者ギルドのダランディ支部長だろう。


「……面識ないはずなんだけど?」

「なにか、直接依頼があるんだそうで」


 トールを呼びに来たギルドの職員もトールを値踏みするように見る。


「あの、食事中でしたら、代わりにパーティーメンバーをお呼びしましょうか? お部屋はどちらです?」

「俺はボッチのランクBだ。パーティメンバーはいない」


 ギルド職員がますます怪訝な顔をした。

 失礼だぞ、と内心で突っ込むトールだが、この手の反応には慣れている。

 食事をさっさと食べきって、席を立つ。

 流れ者の自分を呼びつけるくらいだ。面倒くさい依頼だろうな、とトールはうんざりした顔で宿を出た。

 異世界生活九年と一日目は厄日らしい。


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